プレリュード
国内の有能な用兵家が集められる『帝国軍参謀会議』という組織が置かれた場所は、英雄ゼフィオンの血を引く『ルシタニア帝国』第二九代皇帝ルーファウス三世の居城『ペルガモン』の城内、統帥本部の一室だった。
多くの衛兵が警備にあたる城内で、一人の騎士隊長が参謀会議室の鉄扉を開くよう命じた。
「ヘルムート・アンゲルス子爵だ。開けてもらおう」
そう名乗った男の容貌を数秒間見つめて一礼した衛兵は、鉄扉を押し開いて声高に言う。
「参謀会議議員・帝国軍イズアル騎士団騎士隊長ヘルムート・アンゲルス子爵、ご来場!」
参謀会議議長の壮年騎士ミハイル・サンチェスのみが、正当な理由で遅刻してきた銀髪の騎士隊長に反応を示した。
「やっと着いたか、アンゲルス卿。エトルランド草原の戦況はどうだ?」
「芳しくありません。第三軍ペリーズ司令官と第五軍ナルセス副司令官が奮戦していますが、敵軍の包囲網は強固。しかし、度重なるペリーズ卿の局所集中攻撃によって、秩序崩落が見て取れる部位もありました」
ヘルムートは、彫刻のように整った顔立ちに不安の色を浮かべた。
「……第五軍のラウル司令官はどうした?」
問いただす議長の鋭い視線が、彼の身体を射抜く。
「乱戦の末、愛用の戦斧だけを残して行方不明とのことです」
「戦死したと考えるのが妥当だな」
冷静沈着を具現化したような男――ヘルムートと同じく二四歳の参謀会議議員ガブリエル・ラモン侯爵が残念そうな表情で呟く。彼は参謀会議議員で唯一、実戦に参加したことのない議員であるが、戦略概論の専門家として、世界的に名を知られている男であった。
「どうだかな」
議員の間で『長老』と呼ばれる六三歳の男ヴァレル・シュタインドルフ副議長は呟いた。彼が毒に染まった舌を吐き出そうとしたその時、再び鉄扉が開いて衛兵が駆け込んできた。
「会議中、失礼致します! 戦況に大きな変化が見られたそうです!」
「して、変化とは?」
ラモン侯爵は、表情を変えずに訊ねた。
「北西方向からの敵増援です」
会議室は一瞬静まり、騒がしくなる。もったいぶらずに、悪化といえばよかろう、と意味もないのに毒づいたのは、むろんシュタインドルフである。
参謀会議議長は、当然の言葉を発した。
「静粛に」
会議室が静まるのを待ち、彼は続ける。
「諸君、会議は中断だ。アンゲルス卿、貴殿は所属の騎士団に戻り、騎士達に出陣の準備をさせよ、今すぐに」
そして、全員が胸に拳をあて、静かな祈りを捧げた。
「――大神ゼフィオンの祝福があらんことを」
大陸暦四二〇年。ヘルムート・アンゲルスという青年の名が、歴史の表舞台に鮮明な筆跡で残されたのはこの年からである。彼が戦場に駆けつけた頃には、“エトルランド”でのルシタニア帝国とアランドラ同盟国の戦いは、すでに前奏曲を終えていた……。