↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星喰いの観測者  作者: darksummer


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/1

第一章 星の消えた夜  二〇二六年十月十二日、午後十一時四十七分。

第一章 星の消えた夜


 二〇二六年十月十二日、午後十一時四十七分。


 東京。


 夜空には、無数の星が輝いていた。


 少なくとも、誰もがそう思っていた。


 黒瀬零(くろせ・れい)は、コンビニの袋を片手に、人気のない歩道を歩いていた。袋の中身は、賞味期限が近くなって値引きされた弁当と、安い缶コーヒー。それが、彼のいつもの夕食だった。


 十八歳。


 高校を卒業してから半年。大学へ進む余裕もなく、アルバイトを掛け持ちしながら、東京の片隅にある古びたアパートで一人暮らしをしている。


 両親は、三年前の交通事故で亡くなった。


 それ以来、零の人生から特別なものは消えていた。


 夢も、希望も、未来への期待も。


 だからだろうか。


 彼は、夜空を見上げることが好きだった。


 星だけは、何も尋ねてこない。


 何も要求しない。


 ただ、遠い場所で輝いている。


「……明日も仕事か」


 零は小さく息を吐いた。


 そのときだった。


 視界の端で、一つの星が消えた。


「ん?」


 雲に隠れたのかと思った。


 しかし、空には雲一つない。


 零は足を止め、もう一度その場所を見つめた。


 二つ目。


 三つ目。


 星が、消えていく。


 流れ星ではない。光が弱まっているわけでもない。


 まるで、誰かが夜空から星を一つずつ摘み取り、どこかへ持ち去っているかのようだった。


「……なんだ、これ」


 その瞬間、街の音が消えた。


 走行中の車も、遠くの電車も、信号機の電子音も。


 世界から、音という概念だけが切り取られた。


 零は反射的にスマートフォンを取り出した。


 画面には、緊急速報の通知が表示されていた。


『気象庁よりお知らせ――現在、全国各地で原因不明の天体現象が観測されています。屋外にいる方は、速やかに屋内へ避難してください』


 続いて、画面が激しく点滅した。


 通知が一つ増える。


 さらに、もう一つ。


 そして、すべての文字が消えた。


 黒い画面の中央に、見覚えのない一文だけが浮かび上がる。


『観測を開始します』


「……誰が?」


 問いかけた直後。


 頭上で、最後の星が消えた。


 世界が、暗闇に沈んだ。


     *


 午後十一時五十九分。


 東京だけではなかった。


 世界各地で、同じ現象が発生していた。


 ニューヨークでは、タイムズスクエアの大型ビジョンが一斉に停止した。


 ロンドンでは、時計台の針が動きを止めた。


 ロシアのモスクワでは、赤の広場に集まっていた人々が、夜空を見上げたまま動けなくなっていた。


 そして、世界中の観測施設が、同じ異常な数値を記録していた。


 星の数――ゼロ。


 だが、望遠鏡の故障ではない。


 星が見えなくなったのでもない。


 そこに存在していたはずの星々が、観測上だけでなく、宇宙そのものから消失していた。


 天文学者たちは理解できなかった。


 何万光年、何億光年という距離を隔てた天体が、どうして同時に消えるのか。


 そもそも、星が消えたことを、なぜ世界中の機器が同時に認識できるのか。


 答えを知る者は、一人もいなかった。


 ただ一つ。


 世界中の人間が気づいていないことがあった。


 星が消えたのではない。


 星の向こう側にあったものが、初めて人類を見たのだ。


     *


 零は、歩道の真ん中に立ち尽くしていた。


 スマートフォンは反応しない。


 街灯も、建物の窓も、すべての光が失われている。


 それなのに、彼には見えていた。


 空が。


 いや、空の向こう側が。


 黒い天蓋の中央に、巨大な円形の亀裂が開いていた。


 その向こうには、星も銀河もなかった。


 代わりに、無数の白い線が交差している。


 まるで、世界全体が透明な箱の中に閉じ込められているようだった。


 そして、その箱の外側から。


 何かが覗いていた。


 零の背筋に、冷たいものが走った。


 それは目だった。


 人間の目とは違う。


 瞳も、虹彩も、まぶたもない。


 ただ、白く巨大な円が、暗闇の中に浮かんでいた。


 それが零を見つめていた。


 いや。


 正確には、世界中を見ていた。


 その視線が、ゆっくりと零の方へ向く。


 瞬間、彼の頭の中に無数の映像が流れ込んできた。


 見たことのない都市。


 空から降る黒い雨。


 人間の皮膚を破って現れる角。


 何十もの腕を持つ、巨大な怪物。


 光をまとった翼を広げながら、泣いている何者か。


 そして、玉座の上に座る、顔のない神。


 すべてが一瞬で消えた。


「――っ!」


 零は膝をついた。


 頭が割れそうだった。


 吐き気がする。


 呼吸ができない。


 それでも、彼の目は空から離れなかった。


 巨大な白い円の中心に、細い黒線が走った。


 まるで、目が笑ったかのように。


『見つけた』


 声が聞こえた。


 耳からではない。


 脳の奥でもない。


 自分の存在そのものに、直接刻み込まれるような声だった。


『まだ、ここにいたのか』


「……誰だ、お前は」


 零は震える声で尋ねた。


 返事はなかった。


 代わりに、視界の隅に奇妙な文字が浮かび上がった。


 それは日本語でも、英語でも、彼の知るどの言語でもなかった。


 なのに、意味だけは理解できた。


 ――観測対象を確認。


 ――適合率、測定不能。


 ――異常個体を発見。


 ――記録を開始します。


 零は息を呑んだ。


 最後の一行が表示された瞬間、白い目の奥で何かが動いた。


 そして、空に浮かぶ無数の白い線が、一斉に彼へと伸びてきた。


「やめろ……!」


 零は逃げようとした。


 しかし、足が動かない。


 線が体に触れる寸前。


 胸の奥で、何かが目を覚ました。


 心臓の鼓動が止まる。


 世界が、完全に静止した。


 飛び散る小石も。


 空中を漂う埃も。


 遠くの道路を走っていた車も。


 すべてが動きを止めた。


 零の目の前に、一つの黒い星が浮かんでいた。


 星というより、光を吸い込む穴に近かった。


 その表面には、銀色の細い亀裂が走っている。


 零は直感した。


 これに触れてはいけない。


 触れれば、何かが終わる。


 だが、同時に理解していた。


 これに触れなければ、自分はここで終わる。


 彼は、ゆっくりと手を伸ばした。


 指先が黒い星に触れる。


 その瞬間。


 星が、彼の手の中へ沈み込んだ。


 痛みはなかった。


 ただ、胸の奥に、底の見えない夜が広がった。


 そして、世界が動き出した。


     *


 午前零時。


 零は、路上に倒れていた。


 空には、再び星が輝いていた。


 車の音が戻り、信号機が点滅し、遠くから誰かの叫び声が聞こえる。


 まるで、先ほどの出来事など存在しなかったかのように。


 零はゆっくりと起き上がった。


「……夢?」


 そう呟いたとき、スマートフォンが震えた。


 画面には、ニュース速報が表示されていた。


『世界各地で発生した天体異常、原因は依然不明』


『各国政府、緊急合同会議を開催へ』


『複数の地域で原因不明の停電と集団意識障害を確認』


 零は画面を見つめた。


 夢ではなかった。


 あの目も。


 あの声も。


 そして、胸の奥に沈んだ黒い星も。


 すべて現実だった。


 彼は自分の手を見下ろした。


 右手のひらに、黒い円が浮かび上がっている。


 その中心には、針のように細い銀色の亀裂が一本。


 零がそれを見つめた瞬間、視界が歪んだ。


 目の前に、半透明の文字が現れる。


 今度は、はっきりと読めた。


 【固有能力:未登録】


 【観測権限:第一階位】


 【警告:あなたはすでに観測されています】


 零は動けなかった。


 最後の一文が、何度も頭の中で繰り返される。


 あなたはすでに観測されています。


 そのとき、背後から声がした。


「――やっと見つけた」


 零は振り返った。


 街灯の下に、黒いコートを着た男が立っていた。


 年齢は三十代ほど。


 顔の半分は影に隠れている。


 男の手には、銀色の懐中時計が握られていた。


 時計の針は、逆方向へ回っていた。


「黒瀬零。十八歳。家族なし。特異な経歴もなし。これまでの観測記録では、完全に一般人だった」


 男は淡々と告げた。


「それが今夜、星の消失と同時に未登録の権限を獲得した」


「……誰だ、お前」


 男は答える代わりに、懐中時計を閉じた。


 カチリ。


 その音だけが、不自然なほど鮮明に響いた。


「質問はあとだ。今すぐここを離れるぞ」


「断る。説明しろ」


 男の表情が初めて変わった。


 彼は零の背後に目を向けた。


「……遅かったか」


 零も振り返った。


 歩道の向こう側。


 街灯の光が届かない暗がりに、人影が立っていた。


 人間の形をしている。


 だが、頭部には二本の黒い角が生えていた。


 腕は異様に長く、関節はあり得ない方向へ曲がっている。


 顔には、目も鼻もなかった。


 ただ、口だけがあった。


 耳まで裂けた口が、ゆっくりと開く。


「ミツケタ」


 それは、人間の声を真似ていた。


「ホシノ……ニオイ」


 零の手のひらに、焼けるような痛みが走った。


 黒い円が脈打つ。


 視界に、新しい文字が浮かび上がった。


 【対象を確認】


 【分類:異形種】


 【危険度:測定不能】


 【推奨行動:逃走】


 男が舌打ちした。


「初覚醒で異形種に遭遇するとはな。運が悪いにもほどがある」


「異形種……?」


「説明は生き残ってからだ!」


 男が懐中時計を開いた。


 その瞬間、周囲の空間が歪んだ。


 しかし、異形は動かなかった。


 ただ、零を見つめている。


 目のない顔で。


 まるで、彼の中にある何かを探しているように。


 そして、異形の口が再び開いた。


「カエセ」


 その声を聞いた瞬間、零の胸の奥で黒い星が震えた。


 異形が、一歩踏み出す。


「ソレハ……オマエノモノジャナイ」


 零は理解した。


 こいつは、自分を殺しに来たのではない。


 自分の中にある何かを、取り戻しに来たのだ。


 男が叫んだ。


「黒瀬零! 目を閉じろ!」


 だが、零は従わなかった。


 彼は異形を見つめ返した。


 その瞬間、世界が再び静止した。


 零の視界に、異形の体を覆う無数の線が現れる。


 頭部。


 首。


 胸部。


 腹部。


 それぞれの線の奥に、黒い文字が浮かんでいた。


 零には読めないはずの文字だった。


 それなのに、その意味が理解できた。


 ――存在の綻び。


 ――観測の死角。


 ――消去可能。


 零の唇が、無意識に動いた。


「……見つけた」


 異形の体に、銀色の亀裂が走った。


 次の瞬間。


 その左腕が、音もなく消失した。


 血は流れなかった。


 悲鳴もなかった。


 ただ、そこに存在していたはずの腕が、最初からなかったかのように消えていた。


 零は息を呑んだ。


 自分が何をしたのか、理解できなかった。


 異形が初めて後ずさった。


 男もまた、信じられないものを見るように零を見つめていた。


「まさか……存在の綻びを直接観測したのか?」


 その声には、恐怖が混じっていた。


 零の視界が暗くなる。


 最後に見えたのは、異形の顔だった。


 目のない顔の中央に、白い光が一つ浮かび上がっていた。


 それは、あの夜空の目と同じ光だった。


 そして、零の意識が途切れる直前。


 どこからともなく、あの声が聞こえた。


『第一の星を確認』


『観測者の器、起動』


『――これより、記録を再開する』


     *


 同じ時刻。


 地球から遥か遠く。


 人類の観測機器が到達できない、現実の外側。


 そこには、無数の黒い星が浮かんでいた。


 その一つに、銀色の亀裂が走った。


 黒い星の前に、白い仮面をつけた存在が立っていた。


「目覚めたか」


 仮面の奥から、低い声が響く。


「だが、まだ早い。彼が真実を知るには、あまりにも多くのものが欠けている」


 存在は、亀裂の入った星に手を伸ばした。


 すると、星の表面に一つの文字が浮かび上がった。


 ――零。


 白い仮面の存在は、しばらくそれを見つめていた。


 やがて、静かに呟いた。


「今度こそ、彼を神にしてはならない」


 その言葉と同時に、背後に広がる無限の闇で、無数の目が一斉に開いた。


 そして、世界のどこにも存在しない鐘の音が鳴り響いた。


 第一の星が、喰われた。


 観測は、始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。