兄王が婚約破棄されたので、弟妹竜たちが勝手に王妃候補を探し始めました
兄王オルフレッドの婚約は、王妹プリスラビリスが四頭の竜を弟妹として従えているという理由で破談になった。
プリスラビリスは「仕方ありませんわ」と笑ったが、四頭の竜は、その笑顔の奥が曇っていることを見逃さなかった。
その夜、王城上空の雲の上で、姉のために兄王の新しい婚約者を探す極秘会議が始まった。
もちろん、姉には内緒である。
「問題だ」
最初に口を開いたのは、聖竜アルだった。
銀白の鱗を月光に光らせ、彼は重々しく告げる。
「姉が、少し元気がない」
「それな!」
即座に食いついたのは、火竜ジルだった。赤い翼を広げたせいで、足元の雲が少し焦げる。
「姉ちゃん、笑顔は笑顔だけど、奥が曇ってる! あれはよくない!」
「曇りはよくありませんわ」
海竜サナが、深蒼の尾をゆるりと動かした。
「姉さまは、ご自分のせいだと思っていらっしゃるのです」
「実際、そう考えるだろうな」
地竜ミルが低く言った。
「兄王の婚約者は、姉を恐れて去った。姉は、兄の幸せを妨げたと思っている」
四頭は同時に黙った。
姉が泣くことは、ほとんどない。
けれど、自分のせいで大切な人が不幸になったと思う時、姉は泣くよりもずっと静かになる。
それが、四頭の竜には何より嫌だった。
「解決策は単純だ!」
ジルが胸を張った。
「兄王に、新しい婚約者を見つければいい!」
「うむ」
アルが真面目に頷く。
「兄王が良い伴侶を得れば、姉は安心する。自分のせいではなかったと」
「兄さまが幸せになれば、姉さまも笑いますわ」
サナも同意した。
「論理的だ」
ミルが深く頷いた。
方針は決まった。
問題は、候補である。
「強い女!」
ジルが真っ先に言った。
「竜を見ても逃げない者がいい!」
「却下ですわ」
サナが即座に首を振る。
「それだけで選ぶと、戦闘狂が混ざります」
「うっ」
ジルがしゅんとした。
「では、賢い女」
ミルが言った。
「外交と内政ができる者。王妃としては必要だ」
「条件としては正しい」
アルが頷く。
「だが、能力と人格は別だ。姉の脅威となるかもしれない」
全員が沈黙した。
それは致命的だった。
「優しい方がよいですわ」
サナが、そっと言う。
「姉さまを怖がらず、利用せず、責めない方」
「いるか?」
ジルが首を傾げた。
「条件を整理しよう」
アルが厳かに言う。
「一、竜を見ても逃げない」
「二、王の伴侶としての器がある」
「三、姉を力ではなく、人として見る」
「四」
ミルが付け加える。
「姉が気に入る」
全員、重く頷いた。
「それ、この世界に存在するか?」
ジルがぽつりと漏らす。
だが、アルは静かに笑った。
「姉のためなら、探す価値はある」
「ええ。姉さまが、また心から笑うなら」
「世界の一つや二つ、見て回るか」
その時だった。
「何をなさっているの?」
雲の下から、聞き慣れた声がした。
四頭の竜が、一斉に硬直する。
雲海の切れ間から地上を見下ろすと、王城の中庭に、淡い色のドレスをまとった令嬢が立っていた。
プリスラビリスである。
夜風に髪を揺らしながら、彼女ははるか上空の雲を見上げていた。
腰に手を当てて、にこにこしている。
ただし、目は笑っていない。
「雲の上で、内緒話なんて。ずいぶん楽しそうですわね?」
「姉」
アルの声がわずかに揺れた。
「これは、その」
「天気の相談!」
ジルが苦し紛れに言った。
地上のプリスラビリスは、にっこり微笑んだ。
「では、相談が終わりましたら、降りていらっしゃいませ」
四頭は、揃って視線を逸らした。
「後で、詳しく聞きますわよ?」
その声は穏やかだった。
だが、四頭の竜には、雷鳴よりもよく響いた。
極秘会議は、初日で露見した。
しかし、地上から見上げる姉の頬に、ほんの少し笑みが戻っていたことを、四頭の竜は見逃さなかった。
ならば、作戦は完全な失敗ではない。
少なくとも、ジルはそう判断した。
そしてジルがそう判断した時点で、だいたい問題は大きくなる。
翌日。
スケイル伯爵邸は平和だった。
少なくとも、空が四つに割れるまでは。
「空、暗くないか?」
門番が空を見上げた。
次の瞬間、巨大な影が庭を覆った。
銀白、紅蓮、深蒼、大地。
四頭の竜が、伯爵邸の前に降り立ったのである。
「失礼する!」
ジルが門前にずしんと着地した。
「スケイル伯爵家に用がある!」
「ど、どちら様で……!」
「竜だ!」
「見れば分かります!」
門番は泣きそうだった。
屋敷の中も大騒ぎになった。
「伯爵様! 外に何かが!」
「魔獣か!?」
「いえ、もっと格式高い何かです!」
「余計に困る!」
その頃、居間では、ミルカ・スケイルが紅茶を運んでいた。
彼女はスケイル伯爵家の令嬢である。
そして、プリスラビリスの腹心の友でもある。
少なくとも、プリスラビリス本人はそう思っている。
ミルカ本人は、いまだにその言葉の重さで時々寝返りを打つ。
なにしろ腹心である。
友人というだけでも恐れ多いのに、腹心である。
主君の心そのものを預かる存在、と辞典には書いてあった。
読んだ瞬間、ミルカは一度倒れた。
以降、その単語はミルカの中で禁書扱いになっている。
「……あ」
窓の外を見たミルカは、一言だけ漏らした。
庭に、竜がいた。
一頭ではない。
四頭である。
「夢、ですわよね?」
紅茶のカップが、かちゃりと揺れた。
玄関の扉は、すでに開かれていた。
「失礼いたします」
サナがにこやかに挨拶した。
優雅だった。
人間基準では、とても恐ろしかった。
ミルカは完全に停止した。
「あ、あの……何か、御用でしょうか?」
「うむ」
アルが一歩前に出る。
「我々は、お前を探していた」
「ひっ」
ミルカは半歩下がる。
「わ、わたくし、何か失礼を……!」
「違う」
アルは即座に否定した。
そして、真顔で言う。
「結婚の話だ」
屋敷中が凍った。
「待て」
ミルが割って入る。
「話を整理しよう」
「我々の姉の兄」
「つまり、王」
「の」
「婚約者候補だ」
「ええええええっ!?」
ミルカの声が裏返った。
ジルが爪を折りながら条件を数える。
「竜を見ても逃げない」
「王妃の器がある」
「姉を力で見ない」
「姉が気に入ってる!」
「最後、主観すぎませんか!?」
ミルカは思わずツッコんだ。
この状況でツッコミが出るあたり、彼女は思っているほど弱くない。
ただし、恋の話には極端に弱い。
「わ、わたくし、王妃など、とても……!」
「大丈夫だ」
ジルが力強く言った。
「姉ちゃんも、そう言ってた!」
「言ってませんわ!」
その声は、門の外から飛んできた。
全員がぴたりと止まる。
息を切らしたプリスラビリスが、伯爵邸の門の向こうに立っていた。
「令嬢様……!」
ミルカの顔が、一瞬で安堵に染まる。
「お姉ちゃん!」
ジルが嬉しそうに駆け寄る。
「いい人、見つけた! 兄王のお嫁さん候補!」
「話が早すぎますわ!」
プリスラビリスは即座に止めた。
ミルカは、両手をおろおろと動かした。
「あの、わたくし、本当に、その、王妃など……!」
「大丈夫ですわ」
サナが優しく言う。
「姉さまも、最初はいつもそうおっしゃいます」
「わたくしを巻き込まないでくださいませ!」
プリスラビリスは、珍しく声を強くした。
そして、深く息を吸う。
「皆さま」
微笑んでいる。
だが、やはり目は笑っていない。
「お話は、後で」
四頭の竜は、揃って背筋を伸ばした。
「はい」
その日、スケイル伯爵邸では紅茶が三度淹れ直された。
門番はしばらく空を見なくなった。
伯爵は「格式高い何か」という報告の曖昧さに頭を抱えた。
ミルカは終始右往左往し、プリスラビリスはこめかみを押さえ、竜たちはなぜか誇らしげだった。
ただ一つ。
ミルカの胸の奥には、小さな予感が芽生えていた。
この騒動は、自分の人生を変える。
しかも、かなり逃げ場のない方向に。
その夜。
ミルカは寝台の上で、天井を見つめていた。
「王、陛下……」
思い浮かぶのは、昼にちらりと見たオルフレッド王の横顔だった。
凛々しく、静かで、背筋が伸びていて。
何より、優しい目をしていた。
妹君であるプリスラビリスを大切に思っていることは、少し離れて見ているだけでも分かった。
あのような方の隣に、自分が。
「わ、わたくしが……その、お隣に……?」
想像してしまった。
王城の大広間。
金色の光。
戴冠式。
隣で微笑む王。
「……っ!」
顔が一気に真っ赤になった。
「む、無理ですわあああ!」
ごろん。
ミルカは寝台の上で綺麗に一回転した。
「またやったのね」
隣室から、母の冷静な声がした。
「あなた、それがなければ、今頃三回は縁談がまとまっていたわよ」
「だ、だって……!」
「赤面して」
「ひっくり返る」
「癖ね」
母は、呆れ半分、諦め半分で息を吐いた。
「王妃なんて、なおさらでしょう」
「ですわよね……」
ミルカは布団の中で、小さくしゅんとした。
自分には無理だ。
考えるだけでひっくり返る令嬢に、王の隣が務まるはずがない。
そう思っていた。
しかし、竜たちは諦めていなかった。
その頃、王城上空では、四頭の竜が再び雲の上に集まっていた。
「第一接触は成功だ」
アルが言った。
「本当に成功か?」
ミルが首を傾げる。
「姉に怒られたぞ」
「だが、候補とは接触できた」
アルは真面目だった。
「ミルカ・スケイル。姉の友。竜を見ても逃げなかった」
「思考も身体も固まっていただけでしょう?」
サナが小さく言う。
「だが、ツッコミを入れた!」
ジルは胸を張った。
「あれは強いぞ!」
「問題は」
ミルが低く告げる。
「王妃という言葉への耐性が低すぎることだ」
「なら、耐性をつければいい!」
ジルが力強く翼を広げた。
「兄王に直接会って、慣れさせよう!」
雲の上に、沈黙が落ちた。
「それは」
アルが、わずかに嫌な予感を覚える。
「理屈としては、正しいが」
「大丈夫だ!」
ジルは即断した。
「ミルカは優しいし、可憐だし、姉の友だし、兄王は絶対気に入る!」
「また姉に怒られませんか?」
サナが不安そうに問う。
「怒られる前に成功すればいい!」
「それは反省していない者の発想だ」
ミルが冷静に言った。
だが、止めるには少し遅かった。
ジルの目は、すでに作戦名を考えている目だった。
「名付けて」
「いらん」
「兄王に直接会って耐性をつけよう作戦!」
「言ってしまったか」
アルが静かに目を閉じた。
この時点で、誰もミルカの転倒癖を正しく理解していなかった。
そして、誰も知らなかった。
この善意の作戦が、王城で小さな惨事を起こすことを。
もちろん。
姉には内緒である。
王城、謁見室。
兄王オルフレッドは、いつものように書類の山と向き合っていた。
王というものは、玉座に座っている時間より、書類に埋もれている時間のほうが長い。
「陛下」
その平穏を破ったのは、銀白の聖竜アルだった。
「ご紹介したい方がございます」
「紹介?」
オルフレッドは顔を上げた。
「令嬢殿下の、ご友人です」
その一言で、オルフレッドの表情が変わった。
「プリスの友人か」
妹が心から気を許せる友を得たというなら、兄として感謝しない理由がない。
「通してくれ」
オルフレッドは、自然と声を柔らかくした。
扉が開く。
入ってきたのは、ミルカ・スケイルだった。
白い頬をほんのり赤く染め、両手を胸の前で固く握っている。
その歩き方は、小鹿というより、風に怯える細い草に近かった。
オルフレッドは、一瞬だけ目を細めた。
怖いのだな、と思った。
ただ、この令嬢は来た。
怖くても、来た。
妹のために。
その一点を、オルフレッドは静かに評価した。
ミルカは、すでに限界だった。
目の前に、王がいる。
あの凛々しく、麗しく、妹思いで、優しい目をした王がいる。
「ミルカ・スケイル嬢」
オルフレッドは、穏やかに微笑んだ。
「初めまして。妹が、いつも世話になっているそうだ」
「は、はい……!」
ミルカは声を絞り出した。
まだ立っている。
顔は赤いが、まだ立っている。
雲の上で見守っていた竜たちは、内心で頷いた。
耐性作戦、順調。
少なくとも、その時点では。
「妹は、王都に戻ってから、戸惑うことも多かっただろう」
オルフレッドは、席を立った。
ミルカの心臓が跳ねる。
「それでも最近は、よく笑うようになった」
一歩。
「そなたが友でいてくれるおかげだろう」
さらに一歩。
ミルカの視界が、少し揺れた。
「妹に、友となってくれてありがとう」
そして、オルフレッドはミルカの両手を取った。
「本当に、感謝している」
完全に、だめだった。
「……っ」
ミルカの顔が、一瞬で真っ赤になる。
「ミルカ嬢?」
「そ、その……わたくし……」
声がほどける。
足元もほどける。
次の瞬間。
ミルカは、見事にひっくり返った。
「ミルカ嬢!」
だが、床には落ちなかった。
オルフレッドが、反射的に受け止めていたからだ。
倒れかけた細い身体を支え、頭が打たれぬよう角度を変える。
あまりにも自然で、あまりにも速かった。
「熱はないな。貧血か。侍医を呼べ」
「あ、い、いえ……」
ミルカはかろうじて意識があった。
だが、顔は真っ赤。
目は虚ろ。
完全に燃え尽きていた。
「空いている部屋へ。休ませよう」
オルフレッドは、迷いなくミルカを抱き上げた。
腕の中の令嬢は、驚くほど軽かった。
軽くて、細くて、壊れてしまいそうだった。
その瞬間、オルフレッドの胸に、古い記憶がよみがえる。
霊山から王都へ戻ったばかりのプリスラビリス。
大丈夫ですわ、と笑っていた。
けれど、その背中は小さく、ひどく頼りなかった。
守らねば。
あの時、理屈より先にそう思った。
今、腕の中のミルカにも、同じ感覚を覚えた。
「無理をさせたな」
オルフレッドは小さく言った。
竜たちは、固まっていた。
「あれ?」
ジルが小声で呟く。
「耐性、つくはずじゃ……」
「つく前に倒れたな」
ミルが冷静に告げた。
「大失敗だ」
客室に運ばれたミルカは、寝台の上で天井を見つめていた。
「……む、無理……」
その一言だけで、すべてが伝わった。
その夕刻。
プリスラビリスが帰城した。
事情を聞いた彼女は、弟妹竜たちを私室に呼び出した。
紅茶の湯気が静かに上がる中、四頭の竜はそろって背筋を伸ばしていた。
「皆さん」
プリスラビリスの声は低かった。
「ミルカを、実験台にするのは、やめなさい」
「……はい」
「善意でも、相手が耐えられなければ、ただの暴走です」
「……はい」
四頭は完全に反省した。
少なくとも、見た目だけは。
「そもそも、なぜ兄さまに突然会わせたのですか」
「耐性をつけようと」
アルが言った。
「何の耐性ですの」
「兄王耐性」
ジルが答えた。
「言葉にしないでください」
プリスラビリスは深く息を吐いた。
「兄さまは、優しすぎるのです。ミルカのように緊張しやすい方へ、真正面から感謝など伝えたら、倒れるに決まっています」
「決まっていたのか」
「決まっていました」
即答だった。
竜たちは互いに顔を見合わせた。
人間は難しい。
特に恋の話になると、とても難しい。
「でも」
プリスラビリスは、少しだけ表情を和らげた。
「兄さまが、ミルカをとても心配していたと聞いて……それだけは、嬉しいですわ」
四頭は、ほっとした。
姉の表情に、ほんのわずか明るさが戻っていたからだ。
翌日。
プリスラビリスは、スケイル伯爵邸を訪れた。
ミルカの自室の扉を叩く。
「ミルカ?」
扉が開いた瞬間、ミルカは駆け寄るようにして、プリスラビリスに抱きついた。
「令嬢様っ……!」
「まあ」
プリスラビリスは一瞬驚いたが、すぐに腕を回した。
「どうしましたの」
ミルカは胸元に顔をうずめる。
「わ、わたくし……王、陛下に……失礼なことを……!」
「失礼?」
「倒れて……抱きかかえられて……もう……!」
言葉が涙に溶けた。
「なんて、恥ずかしいことを……!」
ぽろぽろと涙が落ちる。
プリスラビリスは、幼子にするように、ミルカの背を優しく撫でた。
「大丈夫ですわ。兄さまは、少しもお気になさっていません」
「本当、ですか……?」
「ええ。むしろ、とても心配していらっしゃいました」
プリスラビリスは微笑む。
「か弱くて、可憐な方だと。守らねば、と」
ミルカの顔が、また真っ赤になった。
「そ、そんな……!」
だが、彼女は再びプリスラビリスの胸に顔を埋めた。
「怖かったです」
小さな声だった。
「王様が、優しすぎて……」
「兄さまは、そういう方ですもの」
プリスラビリスは、くすりと笑った。
「それに、ミルカは何も悪くありません。ですから、泣かないで」
しばらくして、ミルカはようやく落ち着いた。
それでも、プリスラビリスの袖をそっと掴んだままだった。
「令嬢様。そばにいてくださって……ありがとうございます……」
プリスラビリスは、その手をぎゅっと握った。
「こちらこそ。友でいてくださって、ありがとう」
その頃、王城では、オルフレッドが執務室でふと呟いていた。
「ミルカ・スケイル……」
妹の友。
か弱く、可憐で、ひどく緊張しやすい令嬢。
しかし、妹は彼女を大切にしている。
ならば、自分も大切にしなければならない。
「妹の友なら、俺が守るべき存在だな」
その認識は、かなり危険だった。
だが、オルフレッドには自覚がない。
腕の中で意識を失いかけた令嬢の、あの軽さが、まだどこかに残っていた。
ただ、それだけではない。
あの令嬢は、倒れる直前まで、立っていた。
震えながら、顔を真っ赤にしながら、それでも逃げなかった。
オルフレッドは、その事実をもう一度、静かに思い返した。
書類に視線を戻す。
インクをつけた羽ペンが、しばらく動かなかった。
数日後。
王城上空、夜。
月を背に、四頭の竜が再び円陣を組んでいた。
「失敗だ」
アルが静かに告げる。
「全面的に」
「開始三秒で倒れた」
ミルが即断した。
「想定外にもほどがある」
「兄王は想像以上に威力がある。ミルカは想像以上に耐久力がない。姉の前では、さらに耐久力が下がる」
「致命的だな」
「では」
ジルがぱっと顔を上げた。
「逆に行こう!」
「逆?」
「兄王に慣れさせるのではなく、兄王を慣れさせる!」
沈黙。
「兄王が、ミルカを守る対象として完全に固定すれば、恋とか意識させない。自然に安全距離ができる。ミルカが倒れない!」
「なるほど」
アルが考え込んだ。
「王が壊れ物認定すれば、過剰な刺激は避ける」
「結果、対象は安全」
「そう!」
ジルが得意げに頷く。
「名付けて、お嫁さん作戦第二形態!」
「名称は後でよい」
ミルが即座に却下した。
その時だった。
「そこまでです」
雲の下から、聞き慣れた声がした。
四頭が、ぎくりと翼を震わせる。
雲の切れ間から地上を見下ろすと、王城の中庭にプリスラビリスが立っていた。
今度は最初から、にこにこしていない。
両手を前で重ね、きちんとした令嬢の姿勢で立っている。
だが、四頭の竜には分かった。
姉は、かなり怒っている。
「つまり、兄さまからミルカを徹底的に遠ざける、と?」
「安全第一!」
ジルが慌てて胸を張った。
「倒れない! 誰も傷つかない!」
「あなたたち」
プリスラビリスは、地上から雲を見上げたまま、静かに言った。
「それで、縁談がどう進むと?」
雲の上に、沈黙が落ちた。
「自然に?」
サナが小さく言う。
プリスラビリスは、深く息を吐いた。
その吐息までは届かないはずなのに、四頭にはなぜか聞こえた気がした。
「時間をかけると、話が流れるのです」
彼女の声は穏やかだった。
けれど、竜たちは全員、背筋を伸ばして聞いていた。
「兄さまは王です。ミルカは貴族の令嬢です。何も起きなければ、何も起きないまま終わります」
「なるほど」
アルが真顔で言った。
「人間の縁談は、観測しないと確定しないのか」
「妙な理屈にしないでください」
プリスラビリスは即座に返した。
「しかも、兄さまは今、ミルカを守る対象と認識しています」
「それ、いいことじゃないのか?」
ジルが首を傾げる。
「問題は、恋愛対象ではないという点です」
空気が止まった。
「守る。大切。近づけない。刺激しない」
プリスラビリスはため息をつく。
「それは、妹と同じ枠ですわ」
「それは、駄目ですわね」
サナが小さく声を漏らした。
「兄さまは過保護です。壊れ物認定した相手には、自分から距離を取ります。距離を取ると関係が深まらない。永久に、いい人止まりです」
「地獄だな」
ミルが低く呟いた。
「ですから、その作戦は即刻中止です」
「えええ!?」
ジルが抗議する。
「でも、ミルカまた倒れるかも!」
「倒れます」
プリスラビリスは即答した。
「でも、それは避けられません」
サナが不安そうに問う。
「姉さま。本当によろしいの?」
プリスラビリスは、少しだけ視線を落とした。
「ミルカは、弱い方ではありません。恥ずかしがり屋なだけ」
そして、小さく微笑む。
「それに、兄さまの隣に立つなら、倒れたままでは立てません」
竜たちは、静かに頷いた。
「方針を再修正する」
アルが厳かに言った。
「ただし、姉。我々は、姉が傷つくのを防ぐ。それだけは、譲れない」
プリスラビリスは、地上から竜たちを見上げたまま、ふっと笑った。
「それで十分ですわ」
数日後。
王城の中庭で、オルフレッド、プリスラビリス、ミルカの三人は向かい合っていた。
ミルカは、すでに頬を赤くしている。
だが、立っていた。
それだけで、プリスラビリスは少し嬉しかった。
「ミルカ殿」
オルフレッドは、いつもより声を柔らかくして言う。
「体調は、もう大丈夫だろうか」
「は、はい……!」
ミルカの声は震えている。
「先日は、たいへん失礼を……」
「気にしないでくれ」
オルフレッドは微笑んだ。
「妹が大切にしている友だ。私にとっても、大切な方だ」
ミルカの膝が揺れた。
プリスラビリスが、さりげなく腕を支える。
「ミルカ。息をしてください」
「は、はい……」
ミルカは深呼吸した。
一度。
二度。
顔は真っ赤だ。
けれど、倒れない。
「ありがとうございます、陛下」
小さな声だった。
だが、はっきり届いた。
オルフレッドは、その声を聞いた瞬間、少しだけ止まった。
震えていた。
それでも、消えなかった。
先日、腕の中で力尽きたあの令嬢が、今日は立っている。
倒れそうになりながらも、礼を言うために口を開いた。
オルフレッドは、それが何を意味するか、言葉にはできなかった。
ただ、胸の中で何かが、静かに動いた気がした。
「こちらこそ、妹のそばにいてくれてありがとう」
自然と、声が柔らかくなっていた。
その様子を、プリスラビリスは見ていた。
兄は、ミルカを守るべき相手だと思っている。
ミルカは、兄を恐れ多い相手だと思っている。
自分は、その二人が少しずつ近づけばよいと思っている。
三者三様。
完璧にすれ違っていた。
けれど、それでいい。
最初からすべてが噛み合う縁など、きっとない。
少しずつ、少しずつ。
倒れながらでも、赤くなりながらでも、進めばよい。
その時、雲の上で四頭の竜が小さく頷いた。
「倒れてない」
ジルが囁く。
「進歩だ」
アルが頷く。
「姉が笑っている」
サナが嬉しそうに尾を揺らす。
「目的達成に近いな」
ミルが言った。
プリスラビリスは、兄と友を見つめながら、ほんの少し笑った。
兄の婚約破棄は、たしかに胸を刺した。
自分の存在が、兄の幸せを妨げているのではないかと、夜に一人で考えもした。
けれど今、兄は穏やかに笑っている。
ミルカも、倒れずに立っている。
それだけで、曇っていた心が少し晴れた。
「兄さま」
プリスラビリスは言った。
「ミルカは、とても思慮深く、努力家で、優しい方なのです」
「ああ」
オルフレッドは頷いた。
「妹の目に、狂いはない」
ミルカの顔がさらに赤くなる。
「わ、わたくしなど……!」
「いいえ」
プリスラビリスは、ミルカの手を握った。
「あなたですわ」
その言葉に、ミルカは泣きそうな顔で、それでも立っていた。
遠くで、ジルが小声で言った。
「これ、成功でいい?」
「まだだ」
アルが厳かに答える。
「だが、姉が笑った」
「ならば、十分だ」
ミルが頷いた。
サナが、楽しそうに空を見上げる。
「次は、園遊会ですわね」
ジルの目が輝く。
「作戦名は?」
「命名禁止」
アル、ミル、サナが同時に言った。
こうして、姉のために世界を再編する竜たちの会議は、ひとまず幕を閉じた。
もちろん、彼らは反省している。
善意で暴走してはいけない。
相手の耐久力を考えなくてはならない。
人間の縁談は、観測しないと確定しない。
たくさん学んだ。
ただし。
学んだからといって、次に暴走しないとは誰も言っていない。
なにしろ彼らは、竜である。
そして何より。
姉の笑顔のためなら、世界の一つや二つ、再編する気でいるのだから。




