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Node14.3:ノイズたちの選択

激闘が幕を閉じ、静寂な夜を迎える。

アル=ナジールの中心部にそびえる最高級ホテルのスカイラウンジは、地上の喧騒を拒絶したかのような静けさに包まれていた。

帰国前の「残念会」という名目で集まった遥たちの表情は、一様に晴れない。目の前のテーブルに並ぶ豪勢な料理や色鮮やかなカクテルも、数時間前のコートで味わった「敗北」の重みの前では、どこか虚飾の産物のように見えた。


「……あのアミールの最後のプレイ。あれは、システムの導き出した最適解なんかじゃなかった」

美月が、琥珀色のカクテルグラスをじっと見つめながら、独り言のように呟いた。

「アミール、笑ってたわよね。……計算も予測も超えたところで、一人のバスケットマンとして、ただ勝ちたいと願って跳んでいた。……あれは、私たちの知ってるアル=ナジールのプレイじゃないわ」

「ああ。完全に、自らの意志で『バグ』を起こしていた」

優太が静かに同意する。その言葉が落ちた時、場違いなほど軽やかな、しかしどこか疲労の滲む足音がラウンジに響いた。

「よお、お疲れさん。……負けちまったな、俺たちのエース様」

現れたのは、アル=ナジールの漆黒のジャージを脱ぎ、いつもの着古したパーカ姿に戻った翔太だった。その顔には、死線を越えた直後のような憔悴と、それ以上に、重い足枷を外したかのような晴れやかな笑みが混在していた。


「翔太!よくもぬけぬけと……!あんた、自分がどれだけ無茶苦茶なことをしたか分かってるの!?」

美月が立ち上がり、語気を強める。だが、その瞳には怒りだけでなく、無事に戻ってきた仲間への安堵が滲んでいた。

「へへっ……ラグだよ、ラグ。人生にはたまに、計算できないラグが必要だろ?」

翔太はそう言って、力なく笑いながらソファに沈み込んだ。


「……翔太。君がコートで見ていたのは、HARMONIAの出す最適解じゃないよね」

優太が眼鏡の奥の鋭い瞳で、翔太の真意を問うた。翔太は少しの間、沈黙した。そして、窓の外に広がる完璧に制御された夜景を見つめ、静かに口を開いた。

「……ああ。アミールたちはさ、確かにHARMONIAに依存してる。でも、それはあいつらが弱いからじゃねえんだ。……この国の境界線の向こう側、砂漠のさらに奥にある国々の惨状を、お前らも知ってるだろ?今も飢餓と戦火が絶えず、今日食べるパンを、愛する者の命を、神に祈るしかない連中が山ほどいる」

翔太の声は、かつてないほど重く、熱を帯びていた。

「アル=ナジールは、HARMONIAのシステムを先進国に法外な値段で売りつけてる。でも、その膨大な利益で、隣の貧しい国々に無償でシステムを導入し、食料や薬品を送り続けてる。……あいつらにとってHARMONIAは、自由を奪う『支配の道具』じゃねえ。地獄のような絶望から這い上がるための、やっと見つけた『蜘蛛の糸』なんだよ」


遥は息を呑んだ。自分たちが「絶対悪」だと断じてきた管理システムの裏側、慈愛の側面。

「アミールはさ、その『蜘蛛の糸』を絶対に切らせるわけにはいかなかった。この国が、HARMONIAが完璧であることを、世界に証明しなきゃならなかった。……あいつの肩には、自国だけじゃない、近隣諸国も含めた何百万人もの命の重さがかかってたんだ」

「……だから、あいつの味方をしたの?」

遥の問いに、翔太は自嘲気味に笑った。

「俺はさ、どっちが正しいなんてわからねぇ。でも、あいつらの必死な顔見てたら、ほっとけなかっただけだ。……俺の一世一代のフェイク、効いただろ?」

翔太はいつもの調子でVサインを作ってみせたが、その手は微かに震えていた。


窓の外、完璧な幾何学模様を描くアル=ナジールの灯火。その光の下では、自由を代償に、演算の中に閉じ込められている魂がある。だが同時に、その管理によって飢えや暴力から救われ、穏やかな眠りについている命もある。

HARMONIAという名の「檻」は、ある者にとっては残酷な牢獄であり、ある者にとっては、雨風を凌ぐ唯一無二の「聖域シェルター」なのだ。


「幸福」の定義は、その国の歴史、国民性、そして今その瞬間、その人間が置かれている境遇によって万華鏡のように形を変える。

それは決して、安全な場所から眺めている部外者が「正しい」とか「間違っている」などと断定できるものではない。

正解は、システムの中ではなく、一人ひとりの心の中にしかないのだ。そしてその定義は、時の流れと共に、あるいは新たな誰かとの出会いの中で、絶えず揺れ動き、変化し続けていく。

絶対的な正解が存在しないこと自体が、人間という名の愛すべき「ノイズ」の正体なのかもしれない。


遥は、膝の上で自分の手のひらを見つめた。バスケットのリングに無情に弾かれた、あの硬い衝撃。敗北の悔しさ。それでも、最後にアミールと交わした、言葉を超えた視線の熱さ。

世界は一つにはなれない。正義も一つではない。それでも、私たちは同じコートに立ち、一つのボールを追いかけることができる。


「……ねえ、優太。次は、フルリンクの練習……もっと、死ぬほど厳しくお願いね」

「ああ、もちろんだ。……まずは、今回のログを解析して、通常時でも翔太のシュート成功率をあと5パーセント底上げする、地獄のような特別メニューを組もうか」

「うげー、マジかよ……それがフェイクの代償ってやつか……?」

翔太のわざとらしい嘆き声がラウンジに響き、遥たちはようやく、心からの笑顔を浮かべた。


戦いを終えた世界は、果たして「正しい方向」に向かっているのだろうか?

その答えはまだ、HARMONIAの様な、どんなスーパーコンピュータの中にも存在しない。

ただ、遥は信じている。システムの提示する「最適解」という地図をなぞるだけではなく、自らのノイズを愛し、迷い、傷つきながらも「自分で選ぶ」ことをやめない限り、物語はどこまでも続いていくのだと。

砂漠の夜風が、窓の向こうで未完の未来を運ぶように、静かに吹き抜けていった。





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