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Node 13.2:聖域のバグ

――前日、アル=ナジールの市街にて

翔太は、この国の「本当の顔」を探して独り歩きを続けていた。 HARMONIAに統制されたこの地で、人々は本当に幸せなのか。その答えを、自分の目で確かめたかったのだ。


一見すれば、整然とした街並みを行き交う人々は、巨大な機械秩序を構成する無機質な部品のようにも見えた。だが、足を止めて見渡せば、そこには確かな「生」が脈打っている。

ベンチで語らう老人の穏やかな眼差し、露店で小気味よく値切り交渉をする主婦の活気、泥だらけになって追いかけっこに興じる子供たちの嬌声。

ふとした瞬間に宿るその「体温」を、翔太の感覚は鋭敏に捉えていた。


翔太が歩を進めたのは、光の当たる表通りだけではない。

路地裏の湿った影、配給を待つ人々の静かな列、そしてHARMONIAが提供する医療ポッドの前で、祈るように縋り付く親たちの姿。

神の加護により大半の国民が安定を手にしたとはいえ、一歩裏通りに入れば、未だ貧困に喘ぐ人々も確かに存在していた。HARMONIAという名の「神」もまた、未だ進化の途上、未完の救済者なのだ。


光と影の混在する景色を前に、翔太は喉の奥がひりつくような熱を感じていた。

この地において「自由」という言葉は、あまりにも贅沢で、時に残酷な響きを帯びている。

明日、家族が爆弾で吹き飛ばされないという保証。子供が飢えに泣かずに眠れる夜。それら切実な生存を手に入れるために、彼らは「思考の自由」をHARMONIAという神へ捧げた。

その重い対価の是非を、飽食と安全を当たり前に享受してきた国の人間が、一体何の権利を持って否定できるというのか。


翔太の目に見える彼らの笑顔は、決して誰かに強要されたプログラムなどではなかった。飢えや暴力に怯える必要がない。明日の命を心配しなくていい。その根源的な安息の地平から溢れ出した、混じりけのない「真実」なのだと、彼は確信していた。


その時、広場の一角で激しい怒号と金属音が響いた。覆面の過激派集団が、移動中だったアル=ナジール代表チームのバスを襲撃したのだ。

「偽りの神を打ち砕け!」

叫び声と共に炸裂した爆弾が、街の静寂を無惨に引き裂く。しかし混乱は、瞬く間に治安部隊によって「処理」された。

過激派は無慈悲な迅速さで制圧されたが、後に残されたのは地獄のような惨状だった。

アミールは腕から鮮血を流し、その傍らには動かなくなったチームメイトが横たわっている。混乱する野次馬の中に翔太の姿を認めたアミールは、苦痛に顔を歪めながらも、突き放すような冷徹な声を絞り出した。


「……見世物は終わりだ。消えろ。これはすべて、HARMONIAが事前に算出した『計画の範囲内』の事象に過ぎない……」

「計画の範囲内だって?仲間が目の前で血を流してんのに、なにクソみたいな強がりで自分を納得させてんのか!」

翔太の静かな、だが鋭い怒りを孕んだ問いが、アミールの剥き出しの傷口を抉る。その瞬間、アミールの瞳の奥に、暗く激しい憎悪の炎が灯った。

その拒絶は、翔太に向けられたものであると同時に、逃げ場のない自分自身への痛烈な呪詛でもあったかもしれない。

アスリートとして正々堂々と戦うことさえ、この地においては「管理社会の正当性」を維持するための政治的パフォーマンスに過ぎない。そんなことは、頭では十分すぎるほど理解し、納得してきたはずだった。それなのに――。今、ズキズキと疼く腕の傷よりも深く、彼のプライドは無惨に引き裂かれていた。


「お前に何がわかる!生まれながらに自由で、安全な国に育ったお前たちに!……生まれたこと自体が『不幸』となるこの不毛な地で、我々がようやく手にしたこの平穏の重みが、貴様らにわかるものか!」

アミールは、血のついた拳を折れそうなほど握りしめた。


「HARMONIAは確かに群衆を操作している。だが、それは国民が望んだ究極の選択だ!混沌とした自由の中で殺し合うより、管理された秩序の中で愛する者を守ることを、我々は選んだ。お前たちこそ、自分たちの正義を押し付ける『悪魔の干渉者』だとなぜ気づかない!」


(こいつは、俺と同じだ。……いや、俺以上に、守りたいもののために自分を殺してやがる)

翔太は返す言葉を失いながらも、喉の奥から言葉を絞り出した。

「……明日の試合、どうするんだ」

「棄権する。HARMONIAの推進に遅れは出るが、今は反乱分子の排除を優先する。……消えろ、二度と我々の前に現れるな」

アミールは背を向け去っていく。だが、その背中には、最愛の仲間と戦場を奪われたアスリートとしての、拭いきれない絶望と無念さが漂っていた。


その夜。翔太は大樹から共有された極秘レポートで、もう一つの真実を知る。アル=ナジールは、先進国から法外な対価を奪う一方で、自国と同じ境遇にある貧しい隣国諸国へは、HARMONIAのシステムを無償で提供し、多額の援助金まで送り続けていた。HARMONIAは彼らにとって、絶望の連鎖を断ち切る唯一の「聖域」だったのだ。

翔太はホテルのベッドに寝転び、天井を見つめたまま、アミールに一通のダイレクトメッセージを送った。

『よお、腕の傷はどうだ?明日の試合、一人足りないんだろ。世界最高の「バグ」が、助っ人してやってもいいぜ。勘違いすんなよ。お前があまりに情けない顔だったから、ちょっと笑わせてやろうと思っただけだ。返信は不要。コートで待ってるわ。』

それは、救済などという大層なものではない。ただ、一人のバスケットマンとして、泥の中で折れかかっている魂を、無理やりコートという「自由の場」へ引きずり戻すための、不器用な果たし状のようなものだった。


◇ ◇ ◇


「Hare Showが、ゾーン?……そういうことか、翔太。でも何が要因?」

大樹からの報告を受けたYUTAは、深く、長く息を吐き出した。翔太はハッキングされたわけではない。彼が持つ天性の「共感力シンパシー」がアミールの孤独に同期し、その意志がメンタルパラメータを限界突破させ、己の潜在能力を極限まで引き出しているのだ。

彼らの抱いていた重い「畏怖」が、一瞬にして「最高潮の闘争心」へと変換される。

もし翔太がAIに書き換えられていたなら、それは救い出すべき「犠牲者」だった。だが、彼が自らの意志でそこに立っているのなら――彼は今、このコート上で最強の「壁」であり、倒すべき「ライバル」だ。


「これが、翔太の本当の力……。わかったよ」

遥は、熱を持ったバッシュでコートを力強く踏みしめた。キュッ、という高い摩擦音が、反撃の狼煙のろしのように響く。

「だったら――全力で、この最高の『バグ』を楽しませてもらうだけ!でも、負ける気はない。私たちは、私たちの信じるバスケを証明しに来たんだから!」

遥の瞳には、もはや迷いはない。 翔太の「共感」がアミールの平穏を守るための力なら、自分たちの「団結」は、その先にある「管理されない未来」を掴み取るための力だ。


遥がコートへ足を踏み出す。第二クォーター、真実を知った五連星が、覚醒した「最強の味方だった男」へと牙を剥く。

HARMONIAの予測を遥かに上回る、「人間ヒューマン対人間ヒューマン」の、理性を超えたゲームが始まる。



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