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転生人語 ー紫の語りー 紫式部は現世も見て物語を書いていたのかもしれない!?  作者: 岩田 ヒロ
明石の君(あかしのきみ)

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許されることに慣れた僕

 男というものは、女の優しさに寄りかかるのが器用だ。


昔の明石の君のように、痛みを見せず受け入れる女がいればいるほど、男は自らの弱さを省みず、ただ赦されることに慣れていく。優しさは光であるが、同時に影もつくる。男はその影に気づかぬまま、今日もまた、女の静かな許しに身をゆだねるのだ。


  ***


 僕の彼女は、優しい。怒らない。責めない。悲しんでも、その悲しみを見せない。ただ、受け入れてくれる。その優しさは、時にこわいほどだ。


 彼女と出会った頃、僕は自分が思っている以上に未熟で、浅はかで、弱かった。彼女はそれを知っていたはずなのに、何も言わなかった。ただ、僕の言葉を聞き、僕の癖を見て、僕の沈黙を受け止めていた。その静けさが、僕には心地よくて、同時に怖かった。


 ある夜、僕は仕事の疲れを理由に、彼女との約束をすっぽかした。駅前のカフェで待ち合わせていたのに、僕は連絡もせず、家で倒れるように眠ってしまった。気づいたときには、約束の時間を二時間も過ぎていた。慌てて彼女に電話すると、彼女は「大丈夫だよ。疲れてたんだよね」と言った。その声は、怒っていない。悲しんでいる気配もない。ただ、静かだった。


 翌日、彼女は笑って言った。

「寒くなかったよ。あなたが来ると思っていたから」

 その言葉は、僕の胸の奥に刺さって、今も消えない。彼女は寒かったはずだ。寂しかったはずだ。それでも、彼女はその痛みを見せなかった。僕の前では、いつも通りの優しい笑顔を保っていた。


 別の日、僕は酔った勢いで、彼女の大切にしていた陶器のカップを割ってしまった。彼女の母親が贈ってくれたもので、彼女はそれをとても大事にしていた。割れた瞬間、僕は酔いが一気に冷めて、どう謝ればいいか分からなくなった。けれど彼女は、破片を拾いながら、

「新しいの買うわ」

 と言った。僕が「ごめん」と繰り返すと、彼女は首を横に振った。

「そんな顔しないで。怪我しなくてよかったわ」

 その声は、少しだけ震えていた気がする。でも、彼女は泣かなかった。僕の罪悪感を先に癒そうとするように、静かに微笑んでいた。


 そして、もっとひどい話をすれば——僕は一度、浮気をした。言い訳の余地もない。弱さとか、寂しさとか、そういう言葉で飾れる種類の過ちではない。ただの裏切りだ。彼女に打ち明けたとき、彼女は長い沈黙のあとで「そうなんだね」と言った。泣くでもなく、怒るでもなく、責めるでもなく。ただ、受け止めた。その沈黙は、僕の心臓を掴むようだった。

「私のこと、嫌いになったわけじゃないんでしょう?」

 その問いかけは、僕の弱さをまっすぐ見ていた。僕は必死に否定した。彼女は少しだけ目を伏せて、「なら、もういいよ。あなたが戻ってきてくれたなら、それでいい」と言った。その夜、彼女は僕の手を握りながら眠った。僕は眠れなかった。彼女の優しさが、僕の罪を包み込むたびに、胸の奥が痛んだ。


 さらに、彼女を悲しませたことがある。僕が彼女の誕生日を忘れた年だ。仕事が忙しいという言い訳を盾にして、彼女の大切な日をすっぽかした。彼女はその日、ひとりでケーキを買って、ひとりでロウソクを灯したらしい。それを知ったとき、僕は自分を殴りたくなるほど情けなかった。けれど彼女は、

「あなたが覚えてくれてる日があるだけで嬉しいよ」と言った。

 その言葉は、優しさというより、静かな諦めの言葉に近かったのかもしれない。でも、彼女はその痛みを見せなかった。僕の前では、いつもの優しい笑顔を保っていた。


 彼女の優しさは、時に残酷だ。僕の弱さを照らし出してしまうから。僕がどれほど甘えているか、どれほど彼女の優しさに寄りかかっているか、突きつけられるから。


 彼女は、僕の間違いを責めない。僕の欠点を数えない。僕の過去を掘り返さない。ただ、僕が戻ってくる場所を静かに待っていてくれる。


 そんな彼女を前にすると、僕は自分が小さくなる。彼女の優しさに甘えている自分が、情けなくなる。それでも、僕は彼女を抱きしめる。すると彼女が言う。

「あなたはあなたのままでいいよ」と言う。

その言葉は、救いであり、呪いでもある。


 彼女は痛みを見せない。見せないまま、受け入れる。僕はその優しさに守られている。

そして同時に、試されている。彼女の優しさは、僕の弱さを許すだけでなく、僕の弱さを見つめさせる。逃げ場のない優しさだ。


 それでも、僕は彼女を愛している。


 彼女は今日も、僕の帰りを待っている。きっと、あの優しい笑顔で。僕はその笑顔に甘えながら、また彼女のもとへ帰る。それがどれほど幸せで、どれほど怖いことなのかを知りながら。


 ***


 優しさに甘えるたび、「僕」は彼女の沈黙の深さを思い知らされるであろう。


 そもそも、光の君は明石の君の痛みをどれほど理解していただろう。嵐の夜に結ばれた縁を思いながらも、都での栄華を優先し、彼女を海辺に残した。


 明石の君はその寂しさを見せず、静かに受け入れ、光の君の未来を支えた。男は、女の優しさに寄りかかるとき、その影をどこまで見ようとするのか。あなたなら、どう向き合うだろう。

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