4、白い息、まだ夢の途中
僕の吐いた白い息が、ふわっと空中に広がる。
スッ、スッと吸い込んで、ハッ、ハッと吐き出す。
川の土手の舗装されたサイクリングコース。
タッ、タッ、タッ。
僕はそこから見える、静かな街を眺めながら、走っていた。
早朝の澄んだ空気。
街灯の白い光に照らされて、ゴムチップ舗装についた露が、キラキラとしている。
「スッ、スッ、ハッ、ハッ」
日課のランニング。
同じ時間。
同じコース。
お気に入りのランニングウェアとシューズ。
タッ、タッ、タッ。
すれ違う人たちも、変わらない。
犬と歩く男性。
並んで歩く老夫婦。
三人組の奥様たち。
すれ違う。
「おはようございます」
僕は頭を下げる。
「おはよう、今日も頑張っているな」
「おはよう、今日も天気がいいね」
「おはようございます」
挨拶を交わしあう。
僕だって社会の一員なんだから、これぐらいは当然だ。
だけど、朝から挨拶をし合うのは、なんだか少し気持ちが良い。
僕は少し笑った。
そんな僕とは別に、身体の方は、血がすごい勢いで巡る。
熱を帯びる。
体の奥が酸素を欲している。
肺が空気から酸素を取り込むのに必死だから、自然と息は弾む。
「スッ、スッ……ハッ、ハッ」
着地の振動に合わせる規則的な呼吸音が、耳の中でリズムを刻む。
吐き出される息は、白い筋となって、心電図みたいに空に筋を作る。
すれ違う人たちとカラスや猫。
それらを除けば、僕以外は何もいない、僕だけの時間。
タッ、タッ、タッ。
僕の体から湯気が上がっている。
前から来た自転車の男の人が、僕をチラッと見て、すっと通り過ぎていく。
上がってきた顎を、くっと下げる。
タタッ、タッ、タタッ。
落ちてきた足の回転を戻すために、意識的に腕を振る。
流れていく景色。
東の空が少しだけ白んできて、ビルと空の間に線を引く。
照らされ始めた河岸。
桜が少し咲き始めている。
中学校の校舎が見えてきた。
灰色の箱みたいな建物。
腕時計を見る。
タイムは、いつもと変わらない。
「スッ、スッ、くそぉ」
タタッ……タッ、タッ、タッ。
「……はぁ」
思わず、その場で立ち止まった。
少し前までは、伸びていた。
走れば走るだけ、速くなった。
だけど今は違う。
「くそ……ハァ、ハァ」
ベンチに腰を下ろす。冷えた空気が、汗ばんだ体に張りつく。
やってる。
毎日やってる。
なのに。
「……意味あんのかよ」
吐き出した白い息が、すぐにほどけた。
空に登っていく。
群青の空。
裾が赤く染まり、群青が紫に侵食されている。
「それじゃあ、ダメだって。ハァ、ハァ、わかってんだよ……」
そこで、昨日の部活の顧問とのやり取りを思い出した。
部活が終わり、ミーティングの最後に顧問が胸を張る。
「お前たち、継続は力なりだぞ」
「またそれですか?」
僕が呆れ顔をした。
「お前なぁ」
顧問は苦笑いする。
「プロになれなくてもいいのか?」
「嫌ですけど……」
「なら、やるしかねぇんじゃねぇか?」
僕は答えない。
顧問が浅くため息を吐く。
「世の中ってのはさ、努力が結果に結びつかないことも多いよな」
顧問は一息おいた。
「だけどな。結局、やってるやつが残るんだよ……俺はそういう奴らを見てきたんだ」
「そんなの、誰だってわかってますよ」
「……だったら、やるしかないだろ?」
顧問が少し目を細めた。
後ろの方で、少しガヤガヤしている部員たちを見る。
「……まあ、やるやらないはお前らの自由だな」
顧問が、小さくつぶやく。
「じゃあ、おつかれ、解散」
「「ありがとうございました」」
「おう、気をつけて帰れよ」
仲間たちが、ヘロヘロと散って行く。
僕は、顧問が去って行く後ろ姿を最後まで見送った。
僕は、はぁと息を吐く。
登っていく白い息。
侵食されていく群青が、かすかに踏みとどまっている。
それを睨む。
「ハァ、ハァ……うるせぇよ」
思わず、こぼれる。
やってる。
……ちゃんとやってる。
「ハァ、くそっ。それでも結果が出ないなら、ハァ、ハァ。どうすりゃあ、いいんだよ」
自転車が、シャーッと通り過ぎる。
顔を下げると、川にスーッと波を引きながら船が通っていく。
通っていった後の川は、船が引いた波が重なり合ってぶつかる。
バシャ、バシャ。
プカプカと水面に浮いていた水鳥たちが、バタバタと飛び立った。
紫の空に消えていく。
近くの草むらから、猫が飛び出してきた。
僕をじっと見て、ぷいっと興味をなくしたように走り去っていく。
跳ねるように。
「……はぁ」
ゆっくり立ち上がる。
タッ、タッ、タッ。
僕は再び走り出した。
「スッ、スッ、ハッ、ハッ」
息が苦しい。
肺が悲鳴を上げて、口の中に血みたいな味が広がる。
手足も嫌がって、ずっしりと重くなった。
タッ、タッ、タッ。
わんわんと鳴き合う犬の声。
途中のベンチで休むお爺さん。
立ち話をしている女性たち。
東の空が赤く染まり、水面がキラキラと光る。
さらに上がる身体の熱に合わせて、心も熱を帯びてくる。
僕は目を細めて、少し速度を上げた。
「あ〜あ、マジで疲れた」
白い息が、またひとつ空に溶けた。
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※更新は22時頃を予定しています。




