3、君がきれいと言った世界
すっきりと晴れた空の下。
雨の日とは違って、世界がくっきりと見える。
セミがケケケっと鳴いて、ざわざわと揺れる葦の上をトンボがスーっと飛ぶ。
僕は河川敷のミシミシと鳴るベンチに、君と並んで座る。
ガヤガヤと騒々しい街を見ながら、汗をかいたラムネを飲んでいた。
ゴクゴク、ゴク。
僕の喉を、ラムネがシュワシュワと通り過ぎて行く。
君の喉も、ゴクゴクと鳴っている。
「どうしたの?」
「なにが?」
「落ち込んでる」
夏の終わりの風が、すーっと葦を撫でる。
葦がまた、ざわざわと答える。
「またうまくいかなかった」
「そう、残念だったね」
「うん」
ゴクゴク、ゴク。
街の向こうの空の隅に、夏を惜しむ積乱雲。
近くの木で、セミがまたケケケと鳴いた。
「やめるの?」
「いや、もう少し頑張ってみる」
「そっか」
ゴクゴク、ゴク。
「無理しないでね」
「うん」
「そんなに頑張りすぎなくていいんだよ。きっといつか、わかってくれる人が現れるから」
「そうだといいな」
ゴクゴク、ゴクゴク。
ぷはっと飲み終わる。
「ねぇ」
「うん?」
「これ、欲しい」
君が空き瓶を、僕に向けて突き出した。
細くて白い腕に、薄く青い血管が浮かんでいる。
「ビー玉?」
「そう」
小さくうなずく。
僕は、ガラス瓶をくるりと回す。
底に残ったビー玉が、カラコロと転がる。
その音に、君がクスクスと笑った。
瓶の口のプラスチックの縁に指を当てて、押し出す。
だけど、なかなか動かない。
「むり?」
「いや、ちょっと待ってね」
「うん」
僕がもう一度、ギューッと力を込める。
君が肩を揺らして笑う。
瓶の中でビー玉が、またカラコロと鳴った。
まるで一緒に笑っているみたい。
僕は、ぐっぐっ、ぐっともう一度指で押す。
プラスチックの縁に指をかけて、ぐっと押し上げる。
カチリ。
瓶の中でビー玉が小さく鳴く。
その音に合わせて、プラスチックの口も少し動く。
「ほら、動いた」
「ほんとだ」
君が顔をぐっと近づけてくる。
ラムネの甘い匂いがふわっと混ざった。
もう一度、指で押す。
少しずつ、少しずつ押し上げる。
ポン。
ガラス瓶からプラスチックの口が飛ぶ。
「とれたぁ」
僕が君にガラス瓶を渡す。
「ありがとう」
受け取った君がガラス瓶を傾けると、ビー玉がカラコロと鳴る。
瓶の口に、透明な丸がのぞいた。
「でる、でる」
君が声を弾ませる。
次の瞬間、つるりとビー玉が転がり出た。
慌てて手のひらを差し出す。
コロン。
小さな音を立てて、ビー玉が僕の手の中に収まる。
その音に、君がまた笑った。
ガラス玉は、夏の光を受けてひんやりと光っている。
「ありがとう」
君がまた言う。
僕はビー玉を、そっと細い君の手に乗せた。
君はそれを両手でつまんで空にかざす。
片目を閉じて、ビー玉を覗く。
「きれいだね」
つぶやいた君は、ビー玉を覗き込みながら、またクスクスと笑った。
「見てみて」
「うん」
君の手のひらからビー玉を摘み上げて、僕もビー玉を覗き込んだ。
ビー玉の向こうで、空も、川も、街も、全部ひっくり返っていた。
「そうかな?」
僕は首をかしげる。
そしたら。
「みんな逆さまで、きれいだよ」
君がクスクスと笑う。
僕はそのきれいな横顔を見ながらギュッと眉を寄せた。
「この街がきれいなんて、ちょっと思えないよ」
彼女は首をかしげる。
「だって」
言いかけて、やめた。
でもさ。
「逆さまだから、きれいなの?」
「うん」
君がにんまりと笑う。
「……そうだね」
ビー玉の中では、川も空もゆらゆら歪む。
川に掛かる鉄橋も、ビルが立ち並ぶ街も、河川敷の横にある病院も、すべてがひっくり返って。
その中で光だけが、キラキラと転がっている。
僕がビー玉を返すと、君はそのビー玉を大切そうにズボンのポケットに仕舞う。
「宝物だね」
満足そうにうなずいた。
それから何年か経った。
僕はまた、この川原でギシギシと鳴るベンチに座る。
僕はまた夢につまづいた。
少し風が吹いて、葦がざわざわと揺れる。
「やってられないよ」
僕はポケットの中でビー玉を転がす。
指先に押された小さな二つのガラス玉は、カチリとぶつかり合って止まる。
それでも僕は、また指で弾く。
『またそんなこと言ってる』
って、君に笑われたくない。
『頑張りすぎなくていいんだよ。きっといつか、わかってくれる人が現れるから』
それでも……。
「ねえ、どこまで頑張れば、報われる日が来るの?」
僕はつぶやく。
「なんてね。笑っちゃうだろ?」
右手でヒョイっと、つまんだビー玉をあの日みたいに覗いてみる。
ビー玉の中の逆さまの世界に、もう映らない逆さまの君を探す。
「……やっぱりきれいじゃないや」
歪んだ世界を睨んで、あははって笑う。
それでもまた、ビー玉を覗く。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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短編集ですが、物語同士が静かに繋がっています。




