1.幸せまでの、途中駅
「あと何回電車に乗れば、幸せになれるんだろう」
ゴトン、ゴトン。
まだ少し眠っている街の中を、電車が走る。
毎朝決まった時間に動き出す、機械みたいな街。
僕たちは、その歯車のひとつだ。
今日も歯車は、カチッと隙間を埋め合いながら噛み合う。
会社員、学生、誰かの親、誰かの恋人。
名前も知らない人たちが、同じ車両に詰め込まれて運ばれていく。
ドア横。
僕のいつもの場所。
窓の外では、景色がサァーっと流れていく。
コンビニの灯り、閉じたシャッター、赤信号で止まる車の列。
プシュー。
扉が開く。人の流れに押されて、僕はホームに降りた。
くい、くい。
誰かが僕の裾を引っ張った。
「ん?」
振り向くと、女の人が立っていた。
片手で僕の服をつまんで、もう片方の手で自分の耳を指さしている。
ああ。
僕は慌ててイヤホンを外した。
「全然聞こえてないんだもん」
彼女は呆れた顔をする。
「どんだけ大きい音で聴いてるの? 耳悪くなるよ」
「えっと……?」
「君、降りるの、私と同じで次の駅だよね?」
「え?」
「だって、毎朝そこで降りてるじゃない」
僕は苦笑いした。
「うん。間違えたみたい」
彼女はため息をつく。
いつも同じ電車に乗っている人だ。
話したことはない。
けど、顔は覚えていた。
「会社に間に合うの?」
「大丈夫。早めに出てきてるから」
僕が頭を掻くと、彼女は少しホッとした顔になる。
「そうなんだ。それなら良かった」
そして、ふっと笑った。
「君は?」
「私も大丈夫」
「そっか。なんか、ごめんね」
「別にいいわよ」
彼女は肩をすくめた。
「勝手にお節介しただけだし」
少し首を傾げる。
「でも、降り間違えるなんて初めてじゃない?」
「うん」
「でも、まあ、ボケるときもあるわね」
「まだ、ボケてないよ」
僕がつっこむ。
「じゃあ、なに。考えごとでもしてたの?」
「……そんなとこ」
僕は少し迷って、答えた。
「あと何回電車に乗れば、幸せになれるのかなって」
一瞬の沈黙。
それから。
「ぷっ」
彼女が吹き出した。
「なにそれ」
「笑うことないだろう?」
「……だって、朝から重すぎでしょ」
くすくす笑う。
「でも、そう思わない?」
僕はホームにいる人たちを見た。
革靴の音。
衣擦れ。
小さなため息。
誰も笑っていない。
彼女も同じように視線を向ける。
「そうね。みんな、幸せになりたいと思っているはずよね」
「だけどさ」
「幸せな人が、どれだけいるのかな」
ベンチに座る老夫婦を見る。
「あんなふうに、なれたらね」
「あの人たちだって、幸せとは限らないだろう?」
「そう?」
彼女は、僕をまっすぐに見た。
「だけど、まあ、幸せは人それぞれよね」
「人それぞれ……」
「そうでしょ? 好きな人と一緒にいるとか、たくさんお金を稼ぐとか」
「確かに、お客さんが笑顔になることに幸せを感じる人もいるね」
「それに」
彼女は、線路の向こうのフェンスにかかっている広告を見る。
「夢を叶えて、幸せになる人もいる」
「プロ野球選手とか?」
「ええ、俳優とか」
「そうだね」
僕はうなずく。
彼女は眉間にシワを寄せる。
「努力し続ければ、叶わないことはないとか言う人がいるけど」
少しうつむく。
「……あれって、なんか少し無責任じゃない?」
「そうかな?」
「なによ」
ふふっと笑う。
僕は聞く。
「そんなに甘くないってこと?」
「甘くないってことにしておかないと、しんどいわ」
「そうだね」
僕はそう言った。
だけど、うなずけなかった。
彼女は目を細めた。
「嘘が下手ね」
「えっ?」
「全然そう思ってないくせに」
ガタン、と音を立てて電車がホームに入ってきた。
風がふわっと吹く。
僕たちは並んで、その電車に乗り込む。
ゴトン、ゴトン。
電車が動き出す。
揺れて、僕が持つ吊り革が小さく軋む。
窓に映った僕たちを見て、彼女が言った。
「叶わない夢はないなんて、本気で思っているの?」
「そこまでは思わないよ」
「じゃあ、なに?」
「それこそ、そんなふうに思ってないと、辛くない?」
僕が首をかしげる。
「まあ、きっと、それも人それぞれってことね」
「それは、納得できないってことだね」
「簡単に納得なんてしたら、つまらないでしょ」
彼女が、ポールを掴んでいた手に力を入れる。
「ねえ」
「ん?」
「それが、わかったらさ」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「私にも教えてよ。何回乗れば幸せになれるのか?」
「それって、本当に知りたいの?」
「だって、わかりっこないし」
僕は少しだけ考えて。
それから、首をかしげる。
「考えておくよ」
僕たちは笑い合う。
窓の外で、街が流れていく。
先のことはわからない。
だけど……。
もう少しだけ、この電車に乗ってみようと思う。
どこかで、カチッと音がした気がした。
ゴトン、ゴトン。
電車がまた駅に着いた。
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