少女は復讐のマッチを放つ
雪の降る大晦日、少女はマッチを持って大通りにいた。
それは、街で一番大きな“オーブン”に火を入れるための、少女が用意した地獄の種火。
「マッチはいりませんか……」
大通り沿いにそびえたつ、豪邸の窓から響く笑い声が、少女のかすれた声をかき消す。
屋敷の主は、慈善家として街では名が通っていた。
しかし裏では人の命や生活が壊れていく様子を肴に、ワインを飲むような男。
マッチを売る少女に、寒ければそのマッチで自分に火をつけたらいいと嗤ったのを、
一日たりとも少女は忘れたことはなかった。
少女は震える指で、一本目のマッチを擦った。
シュッ、という乾いた音が闇に響き、小さなオレンジ色の炎が踊る。
その小さな光の中に浮かぶ”幻”を、少女は見た。
今頃、仲間たちは手筈どおりに動いているはずだ。
街一番の資産家の屋敷の厨房。
メイドが、オーブンに何かを押し込んでいる。
メイドの目は笑っていない。
押し込まれたものは、七面鳥ではない。
油を染み込ませた大量の古布を詰め込み、温度設定のツマミを力任せに引き抜いた。
一度火が付けばもう、熱を止める術はない。
最後に暖炉に火を入れたあと、メイドが窓の外を見て、小さく頷く。
少女は満足げに微笑み、息を吹きかけてマッチを消した。
少女は二本目のマッチに火を灯す。
闇を切り裂く小さな光の中に、少女の瞳はまた別の”幻”を捉えた。
庭園の暗がりに潜む、一人の男。
屋敷の広大な庭を管理していた庭師だ。
彼は今、剪定バサミではなく重い鉄槌を手にしていた。
男は冷徹な手つきで、屋敷の正面玄関と非常用の裏口の鍵を叩き潰していく。
内側からも外側からも開かなくなった屋敷は、逃げ場のない檻へと変わった。
屋敷の大広間。
忙しなく動き回る給仕が、祝杯用のボトルを運んでいる。
だが中身は、芳醇な赤ワインではない。
重厚なベルベットのカーテンの裾や豪華な絨毯に、無色透明の液体を撒いていく。
まるで聖水を撒くかのような敬虔な仕草で。
給仕の口元が、歪な形に吊り上がるのを少女は静かに見ていた。
少女は二本目の火を吹き消す。
消えた後の匂いが心地よく感じられた。
「暑い! 誰だ、暖炉をこんなに焚いているのは! 窓を開けろ!」
屋敷の二階、ひときわ豪華な窓が乱暴に開かれた。
顔を真っ赤に上気させ、首元を緩めた資産家の男が身を乗り出している。
「おい、そこの薄汚いガキ! 何を笑っていやがる!」
傲慢な瞳が、屋敷の入り口に立つ少女を捉えた。
少女は黙ってゆっくりと、最後のマッチを擦った。
シュッ――
闇を照らす鮮烈な火花。
少女はマッチを高く掲げ、男の瞳をじっと見つめ返した。
「これが最後のマッチ」
少女の口角が、緩やかに上がる。
彼女の足元に這う一本の”黒い紐”。
仲間たちが屋敷の中から外まで密かに繋いだ導火線。
火は蛇のように地を駆け、屋敷の中へと吸い込まれていく。
数秒の静寂。
次の瞬間、ゴォッという重低音を響かせ、豪邸は巨大なオーブンへと変貌した。
「な、なんだ!?」
屋敷はオーブンから燃え広がり、カーテンや絨毯を這い、炎に飲み込まれていく。
「扉が開かない! 窓も熱くて触れ……ぎゃあああああ!」
男の悲鳴は、建材が崩れる音にかき消された。
黙って炎を見つめる少女の背後から、庭師、メイド、給仕が近寄っていく。
かつて屋敷の男に全てを奪われ、凍える夜を過ごした者たちが、
少女の隣で赤々と燃える炎を見つめていた。
轟々と燃える屋敷から放たれる熱気が、雪を溶かし、彼女たちの頬を赤く染める。
少女は汚れたエプロンを脱ぎ、仲間に差し出された厚手のコートを羽織った。
「……火って暖かいわね」
母の尊厳を奪い、父の人生を狂わせた男の最期を、少女は笑みを浮かべることなく見つめていた。
「もうマッチはいらないわ」
マッチの箱をその場に放り投げると、少女は屋敷に背を向けて歩き出した。
仲間たちも、それぞれ別の方向へと散り散りに歩き出す。
街一番の金持ちで、贅と悪の限りを尽くした男のことを、もう二度と振り返ることはなかった。
ご一読いただきありがとうございます。
誰もが知るマッチ売りの少女を、「もしも少女が復讐するとしたら」という視点で再構築してみました。
短いお話ですが、最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。
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