表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
想星の影  作者: 塩化ナトリウム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/3

救いの手



病院の白い天井は、星ひとつない夜空よりも残酷に無機質だった。

三人の親友を失ったあの日から、一週間。十楽の身体の打撲痕や切り傷は現代の医療によって跡形もなく消え去っていた。

だが、彼を取り巻く世界は、二度とかつての輝きを取り戻すことはなかった。


「……退院の手続き、終わったわよ」


病室の入り口。母が短く告げる。決して部屋の中には入ってこない。ドアノブを握る手は白くなるほど強張っており、十楽と目が合うたびに、彼女の肩は目に見えて震えた。


「お母さん。……俺、もう大丈夫だから」


十楽がベッドから立ち上がり、一歩踏み出す。その瞬間、母は刃物を突きつけられたかのように、ひっと短く息を呑んで廊下へ後退った。


「……ごめんなさい。……なんだか、あんたの側にいると、空気が薄くなるような気がして。……胸が、苦しいの」


母の瞳に宿っていたのは、愛する息子への憐憫ではなく、本能的な「忌避」の光だった。十楽は差し出そうとした手を、力なく下ろした。

自分は生き残るべきではなかったのだ。あの日、あの森で、親友たちと一緒に肉塊に変わっていれば、こんなに胸が痛むことはなかったはずだ。

退院してからの自宅は、安息の地ではなかった。

廊下ですれ違う父は、十楽の存在を認めた瞬間に顔を背け、頭を抑え苦しそうに去っていく。

夕食の席は、ただ食事をつつく箸の音だけが寂しく響き渡り、両親は十楽と目を合わせることはなく、やはり苦しそうにしている。

家族が食卓を囲む温かな音は二度と聞こえてこなかった。


学校の友人たち、そして亡くなった三人の親友の遺族たち。彼らもまた、十楽が近づくと一様に顔を強張らせ、呼吸を乱した。

十楽には、自分の何が彼らをそこまで追い詰めているのか、全く分からなかった。ただ、自分という存在が周囲の平穏を乱す「毒」になってしまったことだけが、重く、鋭く、彼の心を切り裂いていった。

自室の暗闇の中で、十楽は膝を抱えた。

机の上に置かれた『探索師を夢見る若者たちへ」と書かれた本が、今の自分を嘲笑っているように見えた。


「……もう、全部どうでもいいや」


十楽は震える手で教本をゴミ箱へ放り投げ、外の空気を吸いに玄関を飛び出した。

誰かを救いたいという願い。英雄への憧れ。そんなものは、あの日見た「王」の暴力と、家族からの拒絶という重圧の下で粉々に砕け散った。


少し歩き、亡くした3人の友とよく集まっていた河川敷をボーッと歩いていく。


その時だった。

音もなく、周囲の空気が変わった。

拒絶、忌避、恐怖。それらで満ちていた十楽の周囲の空気が、一瞬にして「凪」へと変わった。


「相模十楽。……酷い面だな」


低く、しかし驚くほど澄んだ声。

十楽が顔を上げると、そこには月明かりを背負って立つ一人の男がいた。

仕立ての良いグレーのスーツ。無造作に流された白髪。整った顔立ちには、老いさえも気高さに変えてしまうような、絶対的な威厳と慈愛が宿っている。


「……誰だ、あんた。」


十楽は微かに声を震わせた。だが、不思議だった。

両親さえも怯えさせた自分に対して、この男は、まるで何の影響も受けていないかのように悠然と歩み寄ってくる。


「私は斎藤道隆。探索師協会の会長を務めている」


十楽は息を呑んだ。

斎藤道隆。人類最強の探索師。

数々の「王」を討伐し、今の人類の生活を守っている、全人類の希望。

なぜ、そんな「英雄」が、自分のような壊れかけの少年の元にいるのか。


「……協会長が、なんの用だよ。」


「話を聞いてな。探索師に憧れ、そして高校生でありながら王の姿をその目で見た少年がいると」


「俺はもう、探索師になんてならない。あんな……あんな思いをするなら、二度と御免だ」


「ほう。夢を捨て、このまま一生、周囲に怯えられて泥を啜るように生きるか?」


斎藤の言葉は、冷徹なまでに真実を突いていた。


「あんたに何がわかるんだよ! 俺の側に来るな! お父さんも、お母さんも、みんな俺を見て怖がってるんだ! 俺が何をしたって言うんだよ!」


「お前は何もしていない。……ただ、少しばかり運命が過酷だっただけだ」


斎藤は、十楽の激昂を柳のように受け流し、さらに一歩距離を詰めた。

驚くべきことに、斎藤の手がゆっくりと十楽の頭に置かれた。


「家族が怯えるのは、お前があの日、あまりに強烈な『絶望』に触れてしまったからだ。凡人には、お前が背負う影が重すぎるのだ」


斎藤の手からは、十楽を包み込んでいた孤独を溶かすような、圧倒的な「安心感」が溢れていた。

斎藤だけが、自分を「普通」に扱ってくれている。斎藤だけが、この得体の知れない拒絶の霧の中でも、自分を見捨てずに触れてくれている。


「相模十楽。ここで絶望に呑まれ、惨めなまま一生を終えるのも、一つの人生だ。……だが、もしお前にまだ、親友たちに見せたい『背中』があるのなら」


斎藤は真っ直ぐに十楽の瞳を見据えた。その瞳は、濁りのない正義の光を宿しているように見えた。


「死に挑戦し、自分を壊した運命を捻り潰してみせろ。勇敢に立ち向かう者は、たとえ敗れても美しい。……私は、そんな男を一人でも多く増やしたい」


その言葉は、十楽の心の奥底に沈んでいた小さな残り火を、一気に燃え上がらせた。

あの日、絶望の中で自分を助けてくれた、名もなき救世主——。その正体は分からなくとも、斎藤の中に、あの時と同じ「強さ」と「救い」の気配を感じた。


(強くなりたい……。こんな風に怯えられるだけの自分じゃなくて、誰もが頼りにする……この人や、あの日助けてくれた探索師ような、英雄に……!)


十楽の瞳に、生気が宿る。


「……強くなれるか。あんたみたいに、なれるか」


「お前の覚悟次第だ。……相模十楽、私の元へ来い。お前の『影』を、力に変える術を教えてやろう」


斎藤は、優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで微笑んだ。

十楽は、差し出された斎藤の手を、必死に握りしめた。

それは、地獄から救い上げられた蜘蛛の糸のように、あまりにも眩しく、温かかった。


「……行くよ。連れてってくれ。俺に……戦い方を教えてくれ」


「いい返事だ、十楽。……今日から、私が君の師だ」


窓の外では、星々がかつてないほど美しく瞬いていた。

まるで、新たな英雄の誕生を祝福しているかのように。

十楽は、斎藤という「絶対的な正義」を信じ、自ら修羅の道へと一歩を踏み出した。


その歩みが、どのような真実に辿り着くのかを、まだ何一つ知らないままに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ