第5話 灰薔薇と、距離の測り方
昨日の謁見から、胸の奥に奇妙な振動が残っている。あの方──陛下が発した、たったひとこと。
「……その目は、誰のものだ?」
記録通りの礼法。王妃としての所作も、言葉遣いも、全部守ったつもりだった。でも、目 は……わたしのものだった。
怖い。でも、少しうれしかった。この気持ちは、きっと“許されない感情”。
朝。侍女のミリィが、小声で告げてくれた。
「陛下、今朝はお庭にて……冬薔薇をご覧になっているようです」
冬薔薇。“無垢灰”──コミュニケーションのひとつとして国王ご夫妻がよく共にご覧
になっていた花。
灰色で、控えめで、誰も目を留めないその花を、今、陛下が。これ、わたしも行かないとですね。
「わたし……少しだけ、行ってみてもいいですか?」
「はい。おひとりで?」
「ええ。昨日、陛下に見られた気がして…リボンの位置は歪んでませんか?」
髪を飾るリボンも灰色。位置を気にしていると、ミリィがくすっと笑う。
「“控えめな灰色”のリボン、似合ってると思ってますよ」
控えの部屋を出ようとすると、ベルヴァルドが窓辺でじっとこちらを見た。尾の先だけ、すっと揺れる。その動きが“記録、期待する”って言ってるような気がする。
シリルは足元に近づいて、くるりと一回転してから、鼻先で足の甲をつん、と押してきた。がんばってね、のつもりらしい。
ふたりとも、言葉はないけど、何か伝えようとしてくる。……影務局より察しが早い。
王宮の庭では薔薇の前に、陛下が立っていた。姿勢は昨日より、ほんのすこしだけ“人らしかった”。
「……この薔薇の名を、知っているか」
わたしが来たことに気づくとやはり、また“問い”から始まる。昨日と同じスタイル。もはや王様の定番登場技なのかもしれない。
「“無垢灰”です。正式には“無名薔薇第十一標”と影務局では……いえ、資料にはそう分類されていました」
陛下が、短くうなずく。
「灰色は、記憶の色だな。忘れたと思っていたものほど、色を失わずに残る。……この花を見ていると、そんな風に思う」
その言葉に、わたしは思い出してしまった。
昨日、シリルが鼻をぴくつかせて言って(いや、言ってないけど)、“陛下の靴から春の匂いがした”と、わたしに向かって“雰囲気で”伝えてきたことを。
「シリ…犬が申しておりました。昨日の陛下から、“春の廊下の匂い”がしたと」
王様が少し眉を動かした。
「……犬に、匂いを評価されるのは……初めてだな」
あれ、ちょっと照れてます?陛下はひと呼吸置いてから、続けた。
「昨日より、語彙数が多い気がする。君が、“会話を誘発する力”を持っているのか?」
「それ……語彙数、測ってたのですか?」
「いや、猫が測っているような気配が」
ああ~~ベルヴァルド~~やってた~~!!
昨日の窓辺での「そっぽ向き+尾のパタパタ」コンボは、“語彙数不満”のサインだったかもしれない。
「昨日、陛下の発話量が足りないという顔をしていた気がします。ベルヴァルド、毛づくろいの頻度で“情報処理中”だと示す癖があるので」
「その情報、影務局には伝えられているのか?」
「……いいえ。もふ機密です」
王様が、明らかに笑いをこらえていた。顔には出ていないけれど、呼吸の揺らぎでわかった。
そのまま庭の奥へ。沈黙が落ちる。でも昨日のものより、ずっとやわらかい。陛下がふと、歩きながら言った。
「あの犬、わたしの靴に跡を残そうとしていたな」
「はい。肉球アートを提出しようとしていました」
「提出、とは」
「侍女のノイが阻止しました。未遂です」
「……王宮への作品申請には、用紙が必要だと思うが」
「たぶん肉球そのものが印章だったかと」
沈黙。陛下がくちもとをほんの少し上げた。その瞬間、風が薔薇をわずかに揺らした。
今日の薔薇は、“微笑みに反応した”気がする。
部屋に戻ると、ベルヴァルドが窓辺で毛づくろいしながら、尾を一回だけトン、と床に打ちつけた。語彙数評価、たぶん合格。
シリルは椅子の下から顔を出して、軽く咳払いのようなふん、を一回。肉球アート未遂の報告、たぶん伝わった。
「今日のわたし、ちょっと笑わせたかも」
ベルヴァルドは尾をパタ、と一振り。それが「“次は冗談の精度を上げろ”」のサインじゃなければいいけど。
灰薔薇の記憶は、わたしを王妃にはしなかった。でも、セリナとして、一歩だけ近づいた気がする。
“語彙数の距離”でも、“靴の肉球”でも、“花の色”でもいい。その全部が、昨日よりやさしく感じられた。
もふたちの幕間
シーン①:セリナが部屋から出る直前
シリル(肉球で足をチョン)
「行くのか……!灰色薔薇ミッション……!いってらっしゃいモード発動っ。肉球応援スタンプ、ぺたっ!」
ベルヴァルド(窓辺にて尾を揺らす)
「報告、期待しておるぞ。無言でもわしには伝わる。“語彙量・表情・揺れ率”──統計、取っておるからな」
シーン②:セリナが庭で王様と対峙中(もふたちは遠くから気配観察)
シリル(窓の下から小声)
「お……おお!?王様、質問モードに入った!?語彙数……上がってない!?くつの匂いが“春の廊下”っぽくなってるし……これは、好感度風!?」
ベルヴァルド(毛づくろいしながらメモ)
「“語彙数:昨日比+14もふ標(←もふたちの単位)”。語調に“冗談ふりかけ”混入を確認。……ふむ、“ふわっと笑い”も生まれておるな」
シーン③:セリナが戻ってきたあと、もふたちの評価会議
シリル(ぴょこんと椅子の下から顔を出す)
「セリナ、無事だったね!!王様ちょっとだけ笑ってたよね!?くつから“やわらか匂い”出てたよ!」
ベルヴァルド(尾で床をトン)
「報告、よし。演技7割、素の揺れ3割。本日評価:語彙反応値A−。但し“猫の推察力”加点あり」