第1話 忠犬と気まぐれ猫、そして影の袖
動物大好きなんです!最後まで書けるかわかりませんが(←突っ込んでやってください)、できるだけ完結目指して書いてみます(^_^;)
山の朝は、冷たい。陽が差してくるのに、空気の端々に夜の名残が漂っていて、吐く息がかすかに白い。
わたしは一人、薬草の葉を撫でながら、地面に膝をついていた。
いつもの仕事。静かで、誰にも見つからない。誰にも見られない。
足元にしゃがみ、根から丁寧に掘り起こす。指の爪に土が入り込むのも、今は気にしない。 崖すれすれのこの場所でしか採れない“夜乾草”は、肺の弱い祖母の薬に欠かせないのだ。滑る岩肌を手で押さえながら息をのむたび、ふと思う。
「世の中には、これに“危険手当”とか付けてくれる人、いないのかなあ……」
希少種の薬草摘みは危険を伴うためそれなりの報酬を得られるが、思わず愚痴がこぼれる……そうして世界の片隅で暮らしていた───はずだった。
「……セリナ・カーヴェイルさまで、間違いありませんか?」
その声が届くまで、わたしは自分の名が王都の誰かに覚えられているなんて思ってもみなかった。
振り向いた先にいたのは、黒衣の女たちだった。三人。
背筋をまっすぐに伸ばし、ひとつも乱れのない所作で立つ彼女たちは、ただの従者ではなかった。
空気が、揺れていた。まるで山ごと息をひそめるかのように、周囲から音が消えていた。
「私ども、《影の袖》より参りました。王妃陛下のご命令です」
影の袖。その名を聞いたとき、わたしは思わず息を呑んだ。それは噂にしか聞いたことのない、王宮の“裏”。誰もその正体を知らず、存在すら疑われている、影のような存在。
そんな方たちが、なぜわたしを。
なぜ、没落したカーヴェイル家の名など、今さら。
問いを口にする前に、わたしの視界は馬車の揺れの中へ飲み込まれていた。
連れてこられたのは、王都のはずれにある迎賓館だった。おそらく、表向きの記録には残らぬ用途に使われる部屋。
錠のかかった扉の奥に、わたしは通された。
その奥にいたのは───
「……あなた、わたくしと……似ているのね」
金のレースをまとい、彫像のように静かに座る女性。わたしと、どこか似た面影。けれど、まなざしはまったく違っていた。
遠くを見ている。自分の居場所を、この世界に持たぬ者のように。
彼女は、王妃だった。
「少しの間だけ、わたくしの代わりを、演じてくれませんか?」
意味がわからなかった。
けれど、彼女が語った言葉はあまりにも簡潔で、あまりにも現実離れしていて、それゆえに、恐ろしく真っ直ぐだった。
姿を消さねばならない理由があるという。その間、彼女が“居る”必要がある。だから───。
「あなたに、影になっていただきたいのです」
「……そんな!荷が重すぎます!なぜ、わたしなのですか?」
わたしは、声を震わせながら問う。すると彼女は、どこか遠い調子で言った。
「わたくしとあなたは遠縁になるの。顔立ちが、少し似ている。影の袖にかかれば瓜二つに仕立てられるでしょう。でも、それだけじゃなくて……あなたの目に、嘘がないと思ったの」
嘘をつくために、選ばれて。その理由が「嘘がない」だなんて、皮肉にもほどがある。
───迷っていた。迷わないわけがなかった。
影の袖の筆頭───クラリスと名乗る女が、私の前に紙を差し出した。
「ここに署名を。王妃の影となる間、あなたの生活と、家族への援助は保障されます」
祖母の咳は、ひどくなっていた。母の薬は、もう切れそうだと手紙にあった。 弟の学費は、次で滞れば退学になる。
わたしは、拳を握った。震える手で、ペンを取る。と、そのときだった。
「……わん」
控えていた扉の隙間から、ひょこりと顔を出したのは───ふかふかとした、見事な白毛の犬。
まっすぐな瞳で私を見ると、すたすたと足元まで来て、ぴたりと座る。
「え……」
「……シリルさま……?」
背後で誰かがぽつりと呟いた。
「まさか、自分から懐くなんて……」
混乱するわたしの膝に、さらにふわりと重みが加わる。今度は黒白ぶちの猫が、無言で膝に乗り、そこでくるりと身体を丸めた。
「……ベルヴァルド伯爵まで……」
ベルヴァルド伯爵。どうやら『伯爵』はこの猫の通称らしい。
どちらも、王妃には決して懐かなかったという。それが、今。
わたしは、目の奥が熱くなるのを感じた。
なんの言葉もなく、ただ温度を分け与えてくれる彼らの存在が、この場において、あまりにも優しくて───。
「……引き受けます」
わたしは、そう言った。
「王妃陛下の影、わたしが務めます。だから……家族を、お願いします」
ペンを走らせると、二匹は同時に小さく喉を鳴らしたような気がした。
“私たちが見てるよ”とでも、言ってくれていたのかもしれない。
こうしてわたしは、影の王妃となった。
笑顔の筋肉痛と、礼法の地獄と、忠犬と気まぐれ猫の“正体バラし寸前の愛情”に囲まれた日々へ。静かな山から、光と嘘に満ちた王宮へ。
セリナ・カーヴェイルの、新しい人生が始まったのだった。
【もふもふコメントコーナー:第1話】
シリル「……ふふっ。みなさん、読んでくれてありがとうワンっ!セリナさまが『がんばるしかないんです』って言ってたとき、ボク、正直泣きそうでしたっ」
ベルヴァルド「まったく。王妃の影とかいう面倒な仕事、あの娘がやることないのに。膝の座り心地、確保されてたらそれでよかったのにニャ」
シリル「でも、それでも笑ってたでしょ? ベルヴァルド伯爵」
ベルヴァルド「ぬ……うるさい。次回、筋肉痛と鬼訓練と……わしの出番もちゃんとあるんだろうな?」
シリル&ベルヴァルド「それではまた次回!『礼法の地獄と、作り笑顔の稽古場で。』でお会いしましょうワン&ニャ〜」