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ここではない人よ

 僕は23歳まで幽霊なんて存在しないと信じてた。

 二十三歳で幽霊と対面した。学校のピアノを弾く幽霊だ、そいつはつるんとした坊主頭で上半身肌、首から下がタトゥーびっしりと存在感が強い。彼はビートルズのLet it Beをずっと弾いている。巡回中の僕と対面すると見た目とは裏腹な、しとやかな会釈をする。


 僕は大学は出たものの就職に失敗し警備会社の派遣社員になり、中学校の夜間警備をしている。

 もろにコロナ禍の影響を受けた。

 幽霊のピアノ演奏はまろやかだ、聴いていて心地よいが、Let it Beと言われてもな、ともやもやした。パンデミックで僕の人生はなるようにならない。好きなブランドの店員になりたくてがんばったのに、ブランドはコロナの影響で倒産した。


 毎日毎日、警備員の制服を着るのが嫌になる。

 バイト増やして買ったブランドの服が仕事着になるのが夢だった、社割で好きな服を買いたかった。


「どうにもならないんだよね」


 僕は暇があれば音楽室でタトゥー男のピアノを聴くようになった。幽霊相手でもひとりぼっちではない、と思うと気が紛れた。

 マリア、薔薇、十字架、虎、般若、観音様、タトゥー男の統一性のない肌の模様。


「僕はビートルズのアルバムならラバーソウルが好きなんだけど」


 言うと、ぴたっと男がレットイットビーの演奏をやめた。Nowhere manを弾き始めた、ジャスアレンジだ。


「そんな演奏もできるんだ。あんた、ピアニストだったの?」


 タトゥー男は首を横にふった。


「ピアニストになりたかった?」


 タトゥー男がうなずいた。


「そうなんだ。でもピアノで食ってくなんて、ほんとうにごくわずかの人なんだろう。あんたは夢叶わず死んでしまったのか」


 音が止まった。タトゥー男は鍵盤の上で指を停止させている。


「ごめん。嫌なこと言ったな」


 僕が言うと流れるような演奏でレットイットビーが始まる。夢破れて「なるようになるさ」と答えてくる幽霊の気持ちが僕はわからない。


 僕は音楽室から出て、見回りを再開した。

 教室を見ると嫌でも学生時代を思い出す。

 中学生から教えて欲しかった、社会人とは資本主義の奴隷だと。願ったことがどうしようもない理由で叶わないことを。

 望んだ人生を選択できる人間なんて、社会の半数にも満たないのではないか、みんな仕方なく与えられた人生に従っているのではないか。

 僕はこのまま、警備会社で働き続けるのだろうか。

 展望を漠然とした不安が塗りつぶしていく。

 Nowhere man、居場所のない人々、まさに僕はそうなんだ。警備員詰所に戻ってモニターを確認してから、僕はまた音楽室へ行った。


「深夜にここに1人でいる僕は、あんたと同じ幽霊みたいなもんだな」


 僕が言うと、坊主頭は鍵盤から指をひっこめて、僕の方を向いた。正面の顔を初めて見た、目鼻立ちはぼやけているが穏やかな表情をしているのがわかった。


「俺は音楽で世界を変えられると信じていた」


坊主頭の幽霊が低い声で話はじめた。


「自分を変えれば世界が変わる、たしかに最初は変わったが限界があった。俺はクソみたいな世界を変えるために音楽をやったさ、でも売れねぇんだな、そういうのはさ。俺は冷笑して仕方ねぇとか言いたくなくてさ革命家になりたかったさ、本気だ。でも行き詰まって自分が情けなくて自殺した」


 幽霊が僕を指さした。


「おまえはさ、生きてんじゃん。おれはNowhere

 manのおまえに祝福があるように願ってLet

 it Beを弾いてた。でも今日で終わりさ。俺はそろそろあの世に行く」


 坊主頭が立ち上がった。

 僕は寂しくなった。


「もうピアノが弾けなくなってもいいのか?」


「俺は弾きたいだけ弾けた」


「祝福ってなんだよ」


「死ぬな、生きてればなんとかなる。俺は自殺して後悔してる。なんとかならないなら、変えればいいさ」


「……変えられないだろ」


「変えられると信じることだ、クソみたいなことが多いが生きろ。死んで行くあてがない俺には、もうあの世しか行ける場所がない。行くあてのない生きてるおまえはどこにでも行ける」


「待てよ!」


 坊主頭は消えた。マリア、十字架、薔薇、般若、観音さん、すべての色彩が消えた静かな音楽室に僕は佇んだ。

 自殺した革命家の弾くピアノっての毎日、聴いてたことに、僕は鳥肌が立った、怖いとか感動とも言いきれない、ぞわっとしたんだ。



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― 新着の感想 ―
現実の厳しさと夢の優しさが交差する世界観に、時を重ねる旋律が時計の針のように響いてきたような感じがしました。 なんとも云えない気持ちに包まれます。
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