第27話「それぞれの想い──揺れる恋心と王女の泊まり掛け視察」
「シチトラさん、少しお時間ありますか?」
夕方、王都の城内で護衛任務を終えた俺は、副団長室へ向かう廊下を歩いていた。そこへラニアが小走りで寄ってきた。
学院生としてのローブを脱いだ彼女は、私服姿で俺に話しかける目がどこか浮ついているようだ。
「おう、ラニア。どうした?」
「はい……あの、貴族になられたじゃないですか、シチトラさん。男爵ですよね」
照れ隠しに笑うラニアの言葉に、俺は苦笑いで応える。
「ああ、あれな。あまり実感がないけどな」
ラニアはそわそわした様子で周囲を見回し、それから意を決したように小声で言い出す。
「でも、いずれ家督をちゃんと継ぐとか、所帯を持つとか、そういう話が出るんじゃないですか? 貴族なら尚更……」
「家督、ね。まあ、一応“男爵”といっても爵位を継ぐのは俺が初代だし、別に義務ってわけでもない。でも、確かにいずれ結婚を考えないといけない立場ではあるんだろうな」
ラニアはそこで声を少し震わせながら、顔を赤くして言葉を継ぐ。
「あ、あの……もし、よかったら、その……わたし、あなたの、そ、その、お嫁さんになってもいいんですよ?」
一瞬、言葉が詰まる俺。ラニアは頬を染めながら必死に視線を下げている。
「え、ええと……ラニア?」
「い、いえっ、嫌だったらいいんです! でも、わたしがあなたの力になれるなら、そういうのもありかなって……! あ、すみません、変なこと言って」
恥ずかしさを堪えられなくなったのか、ラニアは半泣きでクルリと背を向けようとする。俺はあわてて彼女の腕をやんわり掴む。
「嫌ってわけじゃない。むしろ、俺なんかにそんな……。ただ、まだどうするか考えてなかったから、正直驚いてるだけだ」
「……そ、そうですか。なら、ゆっくり考えてくださいね。わたしはいつでもあなたを想っていますから……」
涙目のラニアから、まっすぐな想いが伝わってくる。俺は居心地悪そうに頭を掻きながら、「ありがとう、考えてみる」とだけ答えた。
(ベアトリクスのことだって、曖昧なままだし……)
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その夜、文官から「この国では複数の妻を迎えるのも珍しくない」という話を聞かされる。
「男爵ともなれば、正妻・側室という形で複数名を迎える例も多々ございます。実際、古くから領地経営のため、複数婚を推奨する貴族もいますし……」
目から鱗だった。俺の知る戦国の価値観とは違い、ここでは貴族なら複数の女性を娶るのも不可能ではない。
(そういや、ラニアもベアトリクスも、俺には好意を見せてくれてるし……。二人とも大切にしたいのは確かだけど……まさか同時に?)
血が騒ぐというか、戸惑いが大きい。けれど、もしそれが制度的に認められるなら、ラニアが俺に嫁ぎたいと申し出てくれたことを無下にはできない。
「……家を建てる、か。そろそろ本格的な住まいが必要かもしれない」
俺自身、騎士団の宿舎や城に寝泊まりしてきたが、貴族として領地管理をし、嫁を迎えるならそれなりの屋敷がいる――そう考え始めると、意外に気持ちが動き出した。
加えて、今回の褒賞金もそれなりに大きく手に入ったため、費用面の問題は少ない。ならば、本格的な屋敷を構えて、ラニアとベアトリクスを家に迎える形もあり得る……。
(でも、二人とまだきちんと話していないし、ベアトリクスにはちゃんと聞かないと……。まさか同時に求婚するなんて、あり得るのか?)
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一方、王女セレスティアはというと、日増しにシチトラへの気持ちが募っている。
「ああ、シチトラさま……今日も護衛をしながら、わたくしには気づかずにそっぽを向いている。でも、その横顔がまた凛々しいわ……。抱かれたいのに、彼はまったく気づいてくれない!」
部屋で侍女がドレスを整えている隙に、彼女は一人うずくまって胸を押さえる。
(こんな、はしたない想像ばかり浮かんでしまうなんて、わたくし、どうにかなりそうだわ。そばにいてくださるだけでドキドキするのに、ああ、どうすれば……)
外には帝国の混乱から生じる外交問題も多いし、王女としては公務が山積み。しかし、気持ちを落ち着かせるには、「もっとシチトラと二人きりになれる機会が欲しい」という欲求が大きくなっていた。
「……そうだ。郊外視察を計画すれば、護衛と称して彼と二人きりになる時間が増えるんじゃないかしら?」
唇に指を当て、思いついた企みを形にする。郊外視察、しかも泊まり掛けにすれば、夜の時間も一緒にいられる可能性がある……。
(わたくし、とても卑猥なことを考えているわね。でも、あなたの無自覚な優しさを見るたびに、どうしても妄想が止まらないのよ。抱かれたいなんて、王女が言えるわけないでしょう?)
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翌日、セレスティアはさっそく計画を動かす。
「わたくし、郊外の復興状況を直接見て回りたいわ。泊まり掛けで数日かけて、王都から少し離れた村や街を巡るのよ。護衛? 当然、シチトラに頼むわ」
王や重臣たちは一瞬驚くが、次期王として彼女の意思を尊重しようという空気が強い。周辺国も特に不穏な動きはなく、帝国は内乱で手一杯――今が郊外巡回には最適の時期かもしれない。
王は軽く口髭を撫でて頷き、「そうか。ならば、殿下がご希望ならば……シチトラ・ハシダにしっかり護衛を任せるとしよう」と言う。
「ふふ、よろしいですわ。彼ならば、十分わたくしをお守りくださるでしょうし」
セレスティアは優美に頭を垂れ、でもその瞳は狡猾なほどに輝いている。
(泊まり掛けともなれば、夜の時間だって一緒……。ああ、シチトラさま、少しはわたくしにときめいてくださるかしら?)
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こうして、王女の郊外視察が正式決定。
同時に俺への通達も入り、「姫の護衛として数日間同行せよ」とお達しが下る。俺は多忙だが、副団長の業務はレオンたちが代行してくれるらしい。
「泊まり掛けの視察、か……。いや、そんなに長い間、護衛しっぱなしで俺がいなくても国は回るのか?」
「やあ、シチトラ。殿下の希望だから仕方ないさ。あんたがいない間はこっちがうまく動かすよ。気にせず姫様を守りな」
レオンが悪戯っぽく笑う。何か変に含みのある笑いが不安だが、俺はとにかく命令に従うしかない。
「まあ、わかった。姫が本気で視察したいなら、俺も協力する。……でも、何で泊まりがけなんだろう?」
「さあな。まあ、殿下としては民の近くに寄り添う姿勢を示したいんじゃないか? ふふ、頑張ってこいよ、男爵殿」
レオンが飄々と肩をすくめる。俺には相変わらずピンと来ないが、要は姫が俺を指名したのだから断れない。
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翌日の朝
「シチトラ、用意はいい? 行くわよ」
馬車の前で高飛車な態度を崩さないセレスティアが俺を見下ろす。俺は軽装の甲冑を身につけ、馬に乗る準備を整えていた。
「ええ、いつでもどうぞ。……殿下、この視察は本当に数泊かけるんですよね? 危険はないと踏んでいいんでしょうか」
「あら、そんなにわたくしと長い時間一緒が嫌?」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
まったく、いつも上から目線だが、俺は神経を研ぎ澄ませて護衛に徹することにする。姫を襲う危険は今は薄いが、何が起こるか分からない。
(視察という名目だけど、本当はあなたとたっぷり過ごしたいんですもの。夜だって、宿では部屋は別でしょうけど、いつか何かの拍子で……なんて無礼な妄想かしら! けど、もし二人きりで……)
顔を紅潮させかけた彼女は、あえて顔をそむけて険しい表情を作り、護衛騎士たちに「いざ出発ですわ」と声をかける。
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「それじゃ、行ってくるよ。ラニア、ベアトリクス、それからレオンも頼む」
「いってらっしゃい、気をつけて……」
ラニアは半分うらやましそうだし、ベアトリクスはどこか複雑そうな笑みを浮かべて手を振る。
こうして、王女セレスティアの“郊外泊まり掛け視察”が始まる。俺としては警戒任務が増えるだけだが、姫の真意は当然気づかない。
(姫がやたら俺を指名するのは、人手が足りないんだろう……?)
王都の城門を出る際、セレスティアが馬車の窓から俺の姿をちらりと見下ろし、なんともいえない微笑を浮かべた。
(これで二人きりの夜が過ごせるかも。あなたは私にメロメロになったりしないの? 早く抱かれたい……いや、だめだわ、王女がそんな口に出せるわけない。いっそ誘ってほしい!)
そんな彼女の葛藤を俺は露ほども知らず、淡々と進路の警戒をしながら馬を進めるだけ。
こうして、王女の視察という名目の“泊まり掛け”が幕を上げる。帝国は内乱で揺れ、王国は再建と拡大の可能性を秘めるなか、俺と姫の距離は果たしてどう変わっていくのか――見当もつかない。




