第26話「王女護衛と帝国の余波──隠された想いと新たな展望」
「――まったく、こんなに暇だとは思わなかったな。」
王女セレスティア・リュミエールの専属護衛に就いてから数日。
俺は城の回廊をゆっくり歩きながら、微妙な退屈さに戸惑っていた。かつては戦場を駆け回り、第三遊撃部隊を率いて敵を翻弄してきた身だが、王女護衛となると動きも制限されてしまう。
一応、王女の護衛だけが俺の任務ではなく、騎士団副団長としての仕事も並行しているのだが、姫が外出する予定のない日は“護衛の出番”はあまりない。結果的に、補佐官時代より手持ち無沙汰に感じるのだ。
---
「シチトラさま、殿下は今、謁見の間で貴族たちと会合されております。夕方にはちょっとした市街視察があるかもしれないとか……」
側仕えの侍女が小声で教えてくれる。
「視察ね……分かった。じゃあ、あまり離れずに待機しておくか」
「はい。よろしくお願いします。姫様は自ら“シチトラさまを呼ぶかもしれない”と仰っていましたので……」
侍女はどこか含みのある笑みを浮かべて去っていく。この護衛の仕事は、姫本人が“呼びたいときに呼ぶ”という形式になっているらしく、呼ばれなければ俺が行く意味もないらしい。おれは近くの詰所でウロウロしているだけだ。
---
一方、ヴァル・アーク帝国は、敗北によって威信を失い、国内の反発が爆発しているそうだ。
「内乱が起こっているらしいな。前線を失い、兵士が大量に討ち死にしたことで、帝国民の不満が一気に爆発してると聞く」
副隊長のレオンがそんな話を持ってくる。
「国を出た民が再び戻ってきたうちには朗報だけど、帝国が崩壊に近い状況だと……どう動くかね。王国としては放っておくか?」
ベアトリクスが興味深げに言葉を継ぐ。王国内では「分裂した帝国を取り込み、国をさらに大きくする好機では?」という声も一部で上がっているが、それを実行するには相応のリスクがある。
「そう易々と介入しては、逆に他国との軋轢を生む可能性もある。今は国の再建に集中するほうが賢明だろうけど……」
俺は地図を眺めつつ首をひねる。
まだ王国も荒れた領土を回復する途上だし、変に帝国へ手を出して吸収すれば、新たな対立が生まれるかもしれない。王としては慎重な判断を要するだろう。
---
そんな雑務を処理していると、侍女が駆け込んできた。
「シチトラさま、姫様が市街視察へ向かわれるそうです! すぐ護衛のご準備を!」
「おう、やっとお呼びか。分かった、すぐ行く」
俺は書類を片付け、急ぎ鎧を軽く身につけて城門のほうへ向かう。王女護衛という名のもと、姫が外に出るときは必ず付き添わねばならない。
待ち合わせ場所に行くと、そこには黄金色のドレスを纏ったセレスティアが、傲慢なまでに気品を放ちつつ佇んでいた。
護衛騎士が周囲を固めているが、彼女は俺を見つけるや、わざとそっぽを向きながらも、表情がどこか嬉しそうだ。
「遅いわよ、シチトラ。わたくしを待たせるなんて何様ですの?」
「は、はあ……申し訳ありません。すぐ呼ばれたので、支度が手間取っただけで……」
「ふん、まあいいわ。さっさと行くわよ。今日は街を軽く回って、民の様子を見たいだけだから――暇なんでしょう? あなた」
高飛車な言い方をされるが、表情は柔らかい気がする。俺が苦笑すると、彼女は目を伏せてわずかに笑ったようにも見えた。恐らく、これが彼女なりの“嬉しさ”を隠すやり方なのだろう。
---
セレスティアはシチトラに密かに思いを寄せていた。
(ああ、シチトラさま、今日もなんて凛々しいのかしら……。その渋い声に、鍛え抜かれた体……。はしたないけれど、抱かれたいと思ってしまうなんて、王女としてあり得ないわ。でも、あなたが私を守ってくれるというだけで胸が高鳴るの――)
表には出せぬ妄想をかき消すように、彼女は「あら、まだ行かないの?」とやや強めに言い放つ。
「すぐ行きます。姫様、どうぞ馬車へ」
シチトラ本人は、その好意に気づく様子もなく淡々とエスコートしている。セレスティアは「まったく、気づきなさいよ……」と内心で苛立ちつつも、その不器用さが余計に愛おしく感じたりもしていた。
---
王女と一緒に王都の大通りを馬車で回る。この道はつい先日までは廃墟に近かったが、再建工事の進展と戻ってきた民によって活気を取り戻しつつある。
道端では人々が姫の馬車を見つけ、口々に感謝の言葉を叫んでいる。
「姫様のおかげで国が守られました!」「お帰りなさい、姫様!」
セレスティアは窓から顔を出し、誇り高い笑みを振りまきながら軽く手を振る。その姿に民衆は歓声を上げるが、彼女の内心はもうシチトラのことばかりだ。
(シチトラさま、こんなに近くにいるのに、どうして気づかないの? 私を守る姿が本当にかっこいいのに……。あなたが照れてくれたら、私もう……!)
馬車の座席に座りながら、セレスティアはちらりと隣のシチトラの横顔を盗み見る。
しかし、シチトラは真面目な表情で周囲を警戒中で、全く彼女の想いに気づく気配がない。むしろ「危険はないか?」と集中しているのが分かる。
---
しばらく巡回して城へ戻る途中、彼女はわざと声を低めてシチトラに話しかける。
「ねえ、シチトラ。あなたは護衛として退屈じゃないかしら? だって普段は副団長として忙しいのに、わたくしと一緒のときは特に何も起こらないでしょ?」
「まあ、確かに暇と言えば暇ですね。でも任務ですし、殿下が安全であることを確認するのも重要かと……」
やはり気づかない。彼女は少し頬を膨らませ、窓の外を見たふりをする。
(ああ、もう、なんでこんなに鈍いのよ。少しは私の気持ちにドキリとしてくれないの? ……けれど、それもまたシチトラさまの“素朴な魅力”かしら)
馬車は城門を抜け、やがて中庭に入る。兵士や侍女が出迎えると、セレスティアはいつもの通り高飛車な態度で「ただいま戻りましたわ」と言い放つ。
シチトラは恭しく馬車を降りるのを手伝うが、その隙にも何らときめきの言葉は交わされない。
(ああもう……! 私、あなたに抱かれたいなんて、王女として軽々しく言えないし……でも、せめて向こうから気づいてほしい。これが恋というものだなんて...。恋愛って、どうすれば進展するの?)
胸の奥で焦れるような情熱を抱きつつ、セレスティアは表向き「ふん」と鼻を鳴らして見せるだけ。
---
帰路の途中、侍女から耳打ちされる。「帝国の内紛がさらに激化し、いくつかの領土が独立を宣言した」とのこと。
セレスティアは馬車から降りたばかりの姿勢を正し、「ふうん、それで?」とやや素っ気なく言う。だが、内心は大国が自滅している現状に複雑な感情を抱いている。
(国を出た民が戻ってきた私たちの王国とは対照的に、帝国は分裂して混乱している。今は干渉せず放置が賢明でしょうね。でも、もしかすると彼らを吸収して国を拡大する道もある……)
王としてはどうするか。既に王女の即位は確実視されているし、“次期王”になるという話もある。彼女としては、国力増強に惹かれながらも、余計な戦火は望まない。
(まあ、いずれ父上や重臣たち、それにシチトラさまも含めて意見を聞こうかしら。私の王国を創るためにも……)
想いを巡らせながら、目の端でシチトラを捕らえる。相変わらずまじめに護衛の立ち位置を守り、少しも隙を見せない。
(ああもう、何てかっこいいのかしら……! もし二人きりで夜を過ごせたら……いえ、だめよ、私から言い出すなんて王女ができるわけないじゃない。でも、でも……抱かれたい、なんて、口に出せないわ)
内心の欲望に赤面しそうになりながら、彼女は軽く咳をして気を取り直す。
---
夕暮れ。
一日の護衛任務を終えて、セレスティアが部屋に戻るのを確認すると、俺は恭しく一礼する。
「では、失礼します。殿下、また明日」
「ええ、そうね。――そなた、今日もお疲れさま。……悪くなかったわ」
どこか素っ気ない声の中に、微妙な温度が感じられるが、俺は気づかずにまた深く頭を下げる。
「ありがとうございます。何かありましたらすぐお呼びください」
ドアが閉まり、セレスティアは中で一人、息をつく。
(もう! 本当に気づかないのね……私がこれほどまでにそなたに惹かれているというのに。いっそ誘ってしまいたいけれど、そんなこと、王女の口から言えるはずがないわ)
そう、緩い吐息を漏らしながら、ベッドに腰掛ける。美しいドレスを侍女が外してくれるのを待ちつつ、瞳を薄く閉じると、シチトラの背中と横顔が脳裏をよぎる。
(ああ、シチトラさま……今日も凛々しかった。あなたの腕に抱かれたい。そんな卑猥な妄想ばかり浮かぶ私が嫌になるわ。でも……この想いはどうすれば……)
誰にも言えない想いを抱えながら、セレスティアは“王女”としての立ち位置を崩せずにいる。
恥ずかしさと焦れったさで胸を締めつけられる夜が、また始まるのだ。
---
王国としては巻き込まれる必要はなく、むしろ今が国を拡大する好機だと言う者もいるが、セレスティアもシチトラも、当面は動かずに成り行きを見守る方針を取っている。
今は国の復興が最優先。外に目を向ける余裕は薄いし、そもそも帝国がどう分裂しようと、それを強引に併呑するのはリスクが大きい。
王女護衛として日々付き従うシチトラの姿を見られることは、セレスティアにとって喜びでもあるが、同時に“恋心を自覚しながら伝えられないもどかしさ”との戦いでもある。




