第20話「再び迫る戦火──揺れる策と姫の逡巡」
「まさか、もうここまで――」
騎士団長補佐の執務室を出たばかりの俺は、急ぎ足で軍議の場へと向かう。第三遊撃部隊の詰所で騒ぎが起きているらしく、国境からの新しい報せが届いたのだ。
数日前から再び動き出したヴァル・アーク帝国が、本腰を入れて戦力を集めているという情報は、すでに騎士団全体に知れ渡っていた。だが、その速度や規模が予想以上だとすれば、こちらも早急に対抗策を用意しなければならない。
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「シチトラ、待っていたぞ」
軍議の場に入ると、団長や副団長、レオンやベアトリクスたち、さらに他の隊長格の騎士たちも集まっていた。
壁には大きな地図がかかり、辺境から王都付近までの地形が描かれている。すでに一部には敵の動きが赤い駒で示され、国境付近に大量の兵が展開しつつあるのが分かる。
「ここまで整然と兵を再編するとは……。前回の侵攻で分断され、指揮官を失ったはずが、すぐに立ち直ったというのか」
副隊長のレオンが唇を引き結ぶ。第三遊撃部隊にも出動命令が下るのは時間の問題だ。
「ただ闇雲に迎撃しては勝ち目が薄い。我々も同じ手を使えば、相手も対策してくる。何か、より決定的な策が必要だ」
団長が鋭い眼差しをこちらへ向ける。「シチトラ、お前はどう考える?」
俺は地図を眺めながら、短く息を吐く。既存の奇襲や分断だけでは限界がある。かといって正面決戦で押し返す兵力は足りない。
「実は、いくつか考えている策はありますが……今ここで詳しく話すより、いざ戦場に出る段階で各隊に指示したほうがいいかと思います。もしこの場で対策をみんなで共有すれば、漏洩のリスクがあるかもしれない」
周囲の騎士がざわめく。俺のような者が“後で伝える”などと言い出すのは異例だが、団長は少し驚いたように目を見開いた後、ニヤリと笑った。
「ほう……そこまで言うなら、よほど勝算があるのか。勝手に動くのは困るが、隊長格には事前に概要だけ知らせておいてくれ。もし確実に戦果を挙げられる策なら、私も賛同する」
「承知しました。まだ細部を詰める必要はありますが、万が一“耳”のある場で喋るのは得策ではないので……後ほど、必要な隊長たちには説明します」
団長は満足げに頷き、場に安堵の空気が広がる。
「ならば、それまで偵察網を強化し、敵の布陣や指揮系統を探るんだ。シチトラの策と合わせ、こちらの機動力を最大限生かす準備を急げ」
軍議は続くが、俺は心の中で密かに複雑な思いを抱えた。
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やがて軍議はいったん散会となり、各部隊が持ち場に戻る。
廊下を出る頃、ベアトリクスがそっと近づいてきた。
「シチトラ、あの策……私にも手伝えることある?」
魔法の杖を抱えた彼女は、あの夜以来どこか柔らかな表情が混ざっているものの、戦場では冷徹に挑む覚悟を感じさせる。
「ああ、頼むよ。おまえの魔法が鍵になるかもしれない。でも、詳しい話は後日……」
そう低い声で応じると、ベアトリクスはわずかに頬を染め、「分かったわ」と微笑んで足早に去っていく。
(とにかくこちらも準備を急ぐ。王国を守れるかどうか、時間との勝負だ――)
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同じ頃、王城の奥深く。
光り輝くシャンデリアの下、白く華麗なドレスを纏った王女セレスティア・リュミエールが長い回廊を歩いていた。
両脇を侍女に支えられながらも、その美貌と上品さは揺るがない。ただ、瞳には苛立ちと迷いが同居している。
「……またヴァル・アーク帝国が軍を動かし始めたそうね。いい度胸だわ」
侍女が「は、はい……姫様、どうかお心を鎮めて……」と小声で返すが、セレスティアは鼻を鳴らすようにそっぽを向く。
「政略結婚を拒んだからといって、ここまでしつこく攻め立てられるなんて。民が苦しむことは望んでいませんけれど、そんな国に嫁ぐなんてまっぴらですわ」
彼女は王家の娘でありながら、高飛車なところがあり、自分の意思を捨てるような結婚には頑なに反発している。
「お父様は『好きにしていい』なんて言ってくださるけれど……このままでは兵たちが酷い目に遭うばかり。わたくしは王女とはいえ、一人の人間ですもの。自分を犠牲にしたくはないわ」
胸の奥に燻る葛藤――民を思う気持ちと、誇りを曲げたくない思いがせめぎ合う。
侍女が心配そうに声をかける。「ですが、このままでは国が危ういという声も……。いずれは姫様のご決断を迫られるかと……」
「面倒な話ですわ。あのヴァル・アーク帝国とやらが、いつまでもわたくしの存在を利用しようとするからいけないのよ。屈服して結婚してやるなどと、誰が言ったの?」
その高飛車な調子に、侍女はもう何も言えず、ただ平伏する。セレスティアは苛立ちを抑えるように回廊の柱に手をやり、そっと眉を寄せた。
「もし、もっと強い騎士団がいて、ヴァル・アーク帝国を完全に退けてくれるのなら……わたくしはこの国で心穏やかに暮らせるかしら? それとも、また血が流れるだけ……?」
そう呟いて目を伏せると、彼女の艶やかな髪が肩から流れ落ちる。“傾国の美女”と謳われる美貌に似つかわしくないほどの苦悩の色が浮かんでいた。
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静まり返った回廊の先、窓から差し込む夕陽が王女のドレスを美しく照らす。
セレスティアはふと足を止め、侍女が困惑するのにも構わず、窓の外に目をやる。
「わたくしがこの国に生まれた以上、民を軽んじるつもりはない。けれど、だからといって屈するなんて……。」
そう高飛車に呟きながら、彼女は再び足を進める。
嫁ぐべきか否か――。
この再侵略の行方が、自分に迫る選択を変えるだろう。敵が押し寄せれば民は苦しみ、さらに血が流れる。そんな未来を看過すれば、自分は“我が儘な姫”として責められるかもしれない。
だが、それでもセレスティアは折れたくない。高貴な王女として、自分の人生をどこかの国との“駒”にされるのを潔しとしない。
「ヴァル・アーク帝国がどんなに脅しをかけようと、わたくしは屈しません。」
美貌の奥に秘めた炎が揺れ、彼女の中で決意と迷いがせめぎ合う。民を思いながらも犠牲にはなりたくない――そういう高貴でわがままなプライドが、王女セレスティアの姿だった。




