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L.F.  作者: 河上歩
8/10

第八編 -Extra Track 01

糸に絡まり、雲に消え

情動は止まり、血は失せる

ただ待つ

その茜色の残骸を

どこかへ行ってしまった

彼女の気配を飲み込みつつ


私のまわりの人間など、誰も全く見向きもしない。

私は、いつでも孤独だ。

朝、目覚めた時から孤独は始まる。

そして、夜、眠りに落ちるまで、それは続く。

永遠に繰り返す。


「おはよう、あゆみさん」

「おはよう」

「おはよう」

何人かの女生徒たちが、私を哀れんで声をかけてくる。

いつも、仲間から外れている私を気遣って。自分の領地へ引き入れることもせずに。

私が一人でいるのは、私が望んでいることだから放っておいて欲しい。

そう言ったところで、きっと彼女達は、飾り付けられた優しい言葉で私を哀れむに違いない。

滑稽だ。下らない。嫌悪感。そして。

私は、そんな彼女達を見て、吐き気がした。

所詮、つまらない同情だからだ。

群れることのない私のことなど、彼女達にとってはどうでもいいのだ。

結局それは、自分達が「良いことをしている」という、薄気味の悪い自己満足に浸りたいだけなのだから。

木造の古い校舎。

カビの生えたような校則をいまだにひきずっている、薄暗い学校。

教室へ入っても、どんなに人に囲まれようとも、私の心は孤独だ。

 

漠然と時が過ぎ、一日が終わりへと近づいていく。頭の中には、空白という時間が詰め込まれただけ。そして、それを捨てる作業。

放課後、私は一人で小説を書く。誰にも邪魔されず、一人、空想の世界で遊ぶことが出来るからだった。生徒達は、みんなどこかへ消えてしまったように、いない。

夕方の日差しが、私の机を朱く濡らす。血の色のように、どす黒くみえる。ノートが血のりでべったりとしている。血の上に血文字を書いているようにすら思える。

…何だろうか。急に文字を書く手が止まった。

外の空気を感じたいと思い、カーテンを開けて窓辺に寄りかかった。

何にも無い。ただ、広い校庭が続くだけの、どうしようもないほど退屈な風景。

だけれど、空が茜色に染まっていて、とても美しかった。肉眼で見るとこんなに美しいのに、この薄暗い校舎の薄汚いカーテンと古臭い窓を通ってしまうと、あんなにも毒々しい色に変化してしまうのか。

いいや…私の目がおかしくなってしまったせいだろう。私の目は、素直じゃないから。いつの頃からかは知らない。ただ、気色の悪い人間が私の周囲にいらつくほどいたのは確かだ。そのせいで、私の目は物事を奇妙な角度に折り曲げて見てしまうのだ。

…まあいい。続けよう。私の小説を。

ここで下らない日々を過ごしている彼女達には、この愉しみは理解できないだろう。私自身も、下らない日々を通過していることには変わりないが。

その、束の間の、休息だった。

ブレザーの内ポケットを探り、煙草を取り出す。

別に不良の仲間になりたいわけではない。あんな群れるだけのバカどもと同一の行為などしたくはないが、今は吸いたい気分だった。愛煙家ではないが、煙の立ち上る動きと匂いが好みだった。こだわっている程ではないが、いつもたった一つの銘柄しか買わない。ただ、最初に吸った銘柄がそれだった、というだけに過ぎない。

こんなところ、教師に見つかったら停学処分になるに違いない。そうなればなったで、別に構わなかった。どうなったって構うものか。

だが、誰も現れない。

私が望むと望まないとにかかわらず、誰も私の前に現れない。

私には、本当の意味での「言葉」というものがかけられない。私を私であると認めた上での、言葉。単なるこの学校の生徒としてではなく、私”河上あゆみ”として認めた上での、言葉が。

「ゆきさん?アレ?どこいったのかな…」

邪魔者が入った。背後から、女生徒の声がする。

ゆき、という生徒のことは知っているが、別に興味は無かった。確か美術部の部長で、何度も表彰を受けている、この学校ではちょっとした有名人だ。知っていたのは”たがなえ”という珍しい苗字だったからだった。ただそれだけだ。

私は構わず、煙草をふかした。空に向って、ゆっくりと煙を吐き出す。

まるで溜息が形を成したかのように、悲しい灰色の煙が、校舎をのぼっていく。

いや、灰色に見えるのは気のせいか。

風はほとんどなく、白い煙の筋が幾重にも重なって、天へ糸を紡いでいくかのようだ。

「ねえ」

突然、背後から声がかけられた。

きっと、さっきの女生徒だろう。私は無視した。

「あのさ」

その女生徒は、窓辺に背を預けた。私と丁度並ぶ形になる。

ふん。どうせ喫煙のことを注意するに決まっている。この学校は優秀な生徒ばかりだから。取り繕って澄まして、外面だけを良くして問題の起きないように振舞っている、ずる賢い連中ばかりだ。

まるで私の母親だ。

「一本くれない?」

先ほどの女生徒が、私に手を差し出している。

意外だった。今まで、そういう風に話しかけられたことはない。

だが、面倒だ。

「……」

相手の顔も見ずに、無言で一箱渡す。

「あ、一本でいいって」

「いらない。一本で十分なのよ」

私は素っ気無く答えた。思えば、いつから私は感情や表情を表に出さなくなったのだろうか。

…その方が気楽だから。つまらない人間の相手をしなくていいから。それを始めたのは、いつ?

「ううん。私も一本で十分だから」

そう言って、私の手をとって無理矢理握らせた。

「……」

イライラする。一体、私に何の用があるのだろうか?人を探すのなら、勝手に一人で探せばいいのに。

そんなことを思っていると、彼女が話しかけてきた。

いや、一人ごとなのかもしれない。彼女は煙草に火を点けて、教室の中へと煙を吐き出した。どうやら、ライターだけは持っているみたいだった。

「…この学校ってさ、居心地悪いんだよね」

「……」

私は答えない。

「すこぶるまともな人にとっては、すごくいい所なんだろうけどね。普通で、まじめで、毎日何にも疑問を持たないで学校生活が送れる人には」

私は、短くなった煙草を校庭に投げ捨てた。ひゅるりと一回転して赤い火の粉を撒き散らしながら、3メートルの道のりを落下していく。

落ちていく煙草を見ながら、私は窓の下を見つめていた。

そんな私をよそに、彼女は、一人で勝手に喋っている。

「でもね……疑問、持っちゃったんだ。私。だから…」

彼女が、窓の桟に肘をついて、煙を吐き出す。

「学校なんて、消えてなくなればいいのにね」

ドキリ、とした。思わず彼女の横顔を見ると、とても穏やかな顔をしていた。言葉と表情がまるでかみ合っていない。彼女の特徴なのだろうか。

「…こんなところ、来たくなかったの。親が勝手に決めて、強制的に入れられただけ」

私と彼女は、視線を合わせない。

「でも…自分の意志を曲げちゃったところに、私の弱さってあるのかなあ…」

今度は窓の桟に後ろ手に両手をついて、煙草を口にくわえた。

ああ、私と同じだ。

「でも、どうしようもないよね。お金出すの親だし。私一人がいくら言っても、無駄だもん。私の言うことに首を縦に振ってくれる人なんて、誰もいなかった」

彼女も、窓の下へ煙草を投げ捨てた。

「今でも、そう」

私の投げ捨てた煙草と重なったように見えた。小さくて、よくわからない。

「ま…いまさら言ってもしょうがないけど。来年卒業だし」

私は何も答えない。

何となく、私は彼女を見た。

彼女も、同時に私を見た。

目と目が合う。この学校で、いつかどこかで見かけた顔だった。

夕焼けが、彼女の髪を、瞳を、茜色に染めている。

その瞳の中からは、何も見えなかった。偽善も純粋も、何も。ただ、美しい夕焼けを映し返す、生物的な鏡がそこにあっただけだった。

……なんて綺麗なんだろう。

ガラスのような人工物ではなく、また、人の感情にまみれて曇っていることのない、茜色の瞳。

「…ゆきさん、どこにいるんだろう。ねえ……煙草、ありがとうね」

悲しそうにまつげをふせて、彼女は教室を出て行った。

ありがとう。

私にとって、初めての感謝の言葉だった。

彼女の去った後には、煙草の匂いではなく、何故か――そう。

―――雨の匂いがした。

 

それから数日後、全校集会があった。

誰か、生徒が死んだらしい。私と同学年の女生徒だった。

聞いたことのない名前だ。

彼女の家は何か宗教をやっていたらしく、葬儀は教会で行われた。

彼女と同学年の生徒が全員、教会に集まる。

そして、一人一人、一本ずつ花を棺にいれていく。

早く終れ。

そればかり思っていた。私には関係の無い儀式だ。

私の番だ。

棺の中の少女を見る。

白い顔をした、短い髪の少女。

何故だか、夕陽の色が、そこに重なる。

彼女は―――何日か前に教室で煙草をあげた、あの女生徒だった。

(………)

彼女を瞳に映した瞬間、自分でも理由のわからない衝動が、目蓋の裏に押し寄せてきた。

―――棺の中に、雨が降っている。

いや?

違う?

これは、私の涙だ。

涙が、彼女の顔に降りかかる。

私は、気付かぬうちに嗚咽をもらしている。

棺に両手をかけて、くずおれるようにその場にしゃがみこんだ。

それでも、涙は止まらなかった。

「大丈夫?」

「大丈夫ですか?」

何人かの女生徒が白々しく声をかけ、誰かが私の背中をさすった。

触るな。

私は、走り出した。とにかく、外に出たかった。彼女の記憶と二人きりになりたかったからだ。


外に走り出て、教会の壁に背中をくっつけて、泣いた。

顔を覆い、明るい日差しを少しでも避けた。

光なんて、欲しくない。

私の頭には、彼女の顔がちらついて、どんなに頭を振っても、離れることがなかった。

何日か前に見た茜色の彼女の瞳と、今見た「死」の白い顔が交互に現れて、私を混乱させた。

ただ、私は泣くことしか出来なかった。

誰もこない。

誰も、私の様子など見に来ない。

私のことなどどうでもいいからだ。

いや、来たところで邪魔なだけだ。

そう、他人なんて、邪魔なだけだ。

でも、あの時は違った。

普段なら、とっくに私はその場を立ち去っていたはずだ。

彼女には、他の女生徒にない何かがあった。

それは、「共感」だろうか。

同情でもない、哀れみでもない。私と同じ場所に立って、同じ目線で話してくれる。

そんな人、どこにもいないと思っていた。

私は、気が付かぬ間に彼女に共感して、そして、気が付かぬ間に彼女を無くした。

どうしろというのだろう。

私は、もう彼女に会えない。

お互いを知り始めることすら、もう、出来ないのだ。

 

家に帰り、私は着替えもせずに、すぐベッドの上に横になった。

彼女のことを考える。

彼女は、私に用があったわけではない。ゆきさんに何か用があったはず。

そう。

あんな話、別に誰でもよかったのかもしれない。

顔も知らない。お互い何も知らない。

でも、だからこそ、胸の内を吐き出すことが出来たのだろう。

…いや。そうじゃない。私でなければならなかったのだ。平気で学校内で煙草を吸えるような、群れから外れた、私でなければ。

そして、少ない言葉だけれど、自分の心を表に出したかったのではないだろうか。

私は、彼女にそれをしなかった。

自分の心を閉ざしたままで、彼女を無視した。

だけど、彼女は満足そうだった。

私も満足だった。

満足だった。

話を聞くだけで。同じ感覚を持っている、ということを確認するだけで。

それだけで、私たちは深く繋がったのかもしれない。

…いいや、それは私の思い込みなのかもしれない。

その確信が持てないから、だから泣いたんだ。

本当は、もう一度彼女に会って、彼女と色々話したかったんだ。一方的に去っていったから。

そう。私は、彼女に会いたかった。そう思い始めていたことに、私は気付いていなかった。彼女に会って以来、校内を歩いている時に、通り過ぎる人の顔を何気なく見ていたのは、そういうことだったんだ。

彼女を、探していたんだ。意識することなく。

会いたい。彼女に。

だが、永遠に叶わない。

この気持ちは、どこへ捨てればいい。

わからない。


翌日。

下らない高校生活が再開した。

だけど、少し変化がある。

彼女は自殺したのだということを知った。

以前は、私も死にたい―――何度か、そう思った。

けど、私は、もう死にたいとは思わなくなった。

一方的に死んでしまうのは、ただ逃げ出すだけだからだ。

あゆみかけた友情を、踏みにじることもあるからだ。

そして、死ねば永遠に帰ってこない。

伝えたかった思いを抱えたままの人間が、きっとどこかにいるのに。

そう、今の私のように。

だから、私はここで生きる。

つまらない日常に押しつぶされて。抑えつけた感情をあらわにすることなく。退屈な日々が、これからも続くだけかもしれない。

だけど。

だけど、もう一度だけ、彼女との間に起こった奇跡を信じたい。

その時は必ず、くる。

そして、それは。

自分で、引き寄せるのだ。



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