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8 小児病棟のクリスマス

 会場は小児科病棟という所で、病院前広場の向こうに広がる広大な海を見下ろせる部屋である。

 残念なのは、今は暗がりで外がよく見えない。

 子供の他には医者と看護師にハリネズミや狸女が、赤い風神になってプレーゼントを配っている。

 吾輩にはないのか。やる気が失せる光景だ。

 本来、ジャリ餓鬼とは鬼であるから常日頃より乱暴放題である。

 奇声を発し周囲への気配りなどまったくせず、気の向くまま奔放に過ごすのが宜しいとされている。

 それがこの小児科病棟にあっては、いささか生気に欠けた者が多い。

 それもこれも病のせいであるのは言われずとも分かる。 

 以前居候していた診療所にやって来た患者も、この者達同様気力活力が微弱な者であった。


「猫、ネコ、ねこー」ジャリ餓鬼が吾輩に集中攻撃を仕掛けて来る。

 髭を引っ張ったり尻尾を握ったり、性質の悪い奴は背中の毛を毟る。

「ネコ、猫、ねーこー」ああそうだよ猫だよ。猫で悪かったな。だからどうした、いい加減にしろ。

 ついに耐えかねて肉球の間より、露天の檜風呂が角で連日研ぎ澄ましたる自慢の爪をニョキッと出した。

 すると、同時に海の方からドーンと大きな音がする。

 この地に越して直ぐの頃、宿から灯台を望むと手前の海上から打ち上げられていた巨大な花火の音に酷似しておる。 部屋にいた者達が一斉に海を見る。

 漆黒の冬空に大輪の花火が開く。

 夏の花火大会とは比べ物にならん規模であるが、予期せぬ光景に一同から歓声が上がった。

 とたんに吾輩の怒りも納まったもので、鋭利な猫爪の犠牲者は一人も出なかった。


 数発花火が上がって辺りが明るくなると、広場には大型のクレーンが腕を伸ばして立っている。

 その先からは地上に向けて何本もの綱が張られ、何千個もの電球が括り付けられている。

 花火の火が消え辺りが漆黒の闇となった瞬間、一斉に電球の灯が点されると、巨大なクリスマスツリーが浮かび上がった。

 赤や青の電球も混じってチカチカと点滅を始める。

 ジャリ餓鬼共は己の病を忘れ、奇声を発しパチパチしきりに手を叩く。

 どこにでもいる五月蠅いジャリ餓鬼が目の前で喜んでいる。

 面白い物が観られたから、こやつらの無礼は許してやった。 


 帰り際、タヌキ女に生クリームたっぷりのケーキを土産にもらった。

 その時にやっちゃんが、何でコイツがここに居るんだ? といった顔をして吾輩を見ていた。

 始めからずっといたけど………猫を見る目のない奴である。


 翌朝、何時もの如く海岸で遊んでいると、警官がやってきてやっちゃんに職務質問を始めた。

 ヤクザには警官嫌いが多い。

 それもその筈で、真っ当な稼ぎで暮らしている者は殆どいない。

 医者で御座いますと言ってはいるが、温泉宿を下宿とするほどの稼ぎが祈祷師如きにある筈がない。

 それはヤブの診療所を見れば瞭然である。

 いかなる悪事を働いたのか。

 興味本位に近寄って話を聞けば、昨夜のドデカクリスマスツリーに使ったクレーンが行方不明になっていた。

 そんな事件の動機は、昨夜の状況を振り返れば単純なもの。

 皆してぬっくい部屋の中で菓子やケーキを食っている時に、寒い屋外にて電球チカチカの仕事をやらされたら誰でも嫌になる。

 そんな悲運を嘆いたあげくの家出に違いない。

 よって、やっちゃんの味方をする気はさらさらないが、クレーンは昨夜のうちに人目を偲んで家出したと結論づけると、吾輩の読みのままである。

「クレーン、家出したんじゃねえの」やっちゃんが言うと、それを聞いた警官は「そうですかねー」と小首をかしげながら帰って行った。


 大晦日の朝。幾組かの客を送り出して終えた宿の者が、挙ってロビーで休憩をしている。

 観光パンフには、元旦を初日の出が綺麗なこの宿で過ごすとよろしいかの如きキャッチコピーが書かれていたと記憶している。

 それなりに、明日に備えて客を迎える準備をしていない。

 従業員のストライキでもあるのか帳場を覗くと、女将がやっちゃんめがけて包丁を投げつけた。

 なかなかいいコントロールだが、頬をかすめただけで柱に突き刺さってしまっては意味がない。

 もう少し、手首の捻りを早めにすれば心臓に命中したのに残念である。

 二人の命の遣り取りかと思いきや、芸能出し物の練習でもあったのか其の後の闘争展開がない。

 二人の話をチラッと聞けば、浪費癖のある御大臣が今日から何日か宿を借り切ったようだ。

 宿の者共を接待する奇妙な遊びに興じるから、やっちゃんは最上階の部屋へ御引っ越ししてね。

 と、女将が優しい口調で命令している。


 ロビーに据えられた招き猫用の座布団以外への行き来が制限されている吾輩に、今日から数日は一般の客が来ないからと館内自由出入の許可がおりた。

 からっぽになったやっちゃんの部屋で、今日は吾輩だけの部屋だとゴロングルン転げ戯れていたら、ハリネズミが何も置かれてない部屋を見てハテナ部屋を違えたかとやっている。

 やっちゃんなら四階の特別室に引っ越したと教えてやると、何だそうだったのかと言って部屋の斜向かいにある階段をかけ上ろうとして転んだ。

 いつも代金を払わず風呂に入っている者で、浴衣が借りられず洋服の湯上りが当たり前だった。

 今日は女将の機嫌がよくて、他の客は来ないから特別に浴衣を貸してもらっていた。

 何時もの様に駆けだしたから、裾が足にまとわりついてこけたのである。

 頭をぶつけてできあがったコブをナデナデ、子供と同じに照れ隠しをする。

 痛い目に遭いながらも、顔は喜んでいるのがはっきり分かるのだから単純な奴である。

 絶対にポーカーや麻雀といった顔色をうかがう博打では勝てない。

 そのくせして近所のチンピラはこの男に頭を下げるのだから、世の中は分からないものである。


 という訳で、ハリネズミは吾輩が言った事を理解したのである。

 この街には猫語を解する者は一人もいないので寂しかったが、一人みーつけた!

 話の解る者に加え情報通と噂の者なら、今日の宿を借り切った粋狂者についても知っておろう。

 この時とばかり、我が物顔に宿をうろつくハリネズミを呼び止め、あんな事こんな事イッパイ聞いてみた。

 こやつは情報通だけでなく妖怪変化の類にも精通し、親交があると自分から打ち明けてしまうほど口軽な男であった。

 吾輩の質問に何の抵抗もなくスラスラ答えてくれるのは良いのだが、どこまでが本当でどこからが嘘か判別できない。

 近隣に猫の言語を理解している者がいないのものだから、安心しきって人間には決して言えない事でも話せるから嬉しいと、聞いてもいない出生の秘密やら今日来る者の素性や宿との因縁話までしてくれた。

 話っぷりが軽快で講談話のようだと感想したら、実は代々講談の家系で育って来た者だから、今でも時々人前で物語るのだと言う。

 そんな特技があるならば、風呂で一席打ったら客が喜ぶと提案してやった。

 吾輩の招き猫人気は依然として絶頂であるが、いずれ落ちて行くのは頂点に立つ者の定め。

 そうなった時、宿の収支が債務超過になりはせんかと心配であった。

 ハリネズミが後継者として客寄せパンダになってくれれば、宿が潰れるなどの心配をせずとも暮して行ける。

 講談で人が集まればタダ風呂入りなどと蔑まされず、浴衣どころか演じた後に生ビールの一杯も出してもらえるからと言いくるめてやった。

 その気になって上機嫌な所に付け入れば、どんなディープな情報もこやつから容易く入手できるとの企みどおり、これから後はハリネズミと同等の情報通になれたのは言うまでもない。


 口軽男の情報からすれば、クリスマスの時にドデカツリーを作っていた者達が主催する催しで貸切になった宿。

 招待された客の中には、診療所の者達も含まれていた。

 去年の夏、この宿に置き去りにされたきり音信不通のままであったが、世話に成ったものでも所詮は人間。

 今会いたいのは界隈に見当らない猫族の友である。

 あおいと何とかちゃんは話し相手になるからいいとして、他はどうでも宜しい。

 残念な事に猫は何時でもついでの者だから、今回の招待客に含まれているとは思えず、何かの間違いでついでにクロがやってくればいいのになと独り言にチョロッとニャンした。

「あの車屋にいる黒猫ですか」ハリネズミが眼を丸くする。

「ええ。クロの事じゃ随分と前から会いたくなっているのだが、こんなに離れた所に幽閉されてしまってはそれもままならん。猫語を解さぬ者ばかりで、ついつい今日まで誰にも話せずにいたのだよ、ハリネズミ君」

「そりゃ寂しい」とハリネズミが大きな声を出す。

「なあに、あなたに会えて話し相手もできましたし、御客さんと適当に遊んでいれば気も紛れます。それに特別会いたいと願うのはクロだけですよ」

「クロの事だって誰の事だって、あの車屋さんは昔から親しくさせてもらっている御人だ。私が何とかいたしましょう」

 ハリネズミは勝手にクロとの再開を請け負って納得している。

「しかしあなたも物好きですね。猫の為にそこまでやる人間にこれまで御目にかかった事がない。貴方には何と言うか、ミステーリアスな所がおありで、増々興味がわいてきた。これからはもっと昵懇に御付き合い願いますよ」

 するとハリネズミは尚更に安心して、吾輩と共通の知人や知猫の名を列挙する。

「車屋さんばかりじゃありません。やっちゃんの親分にあたる山城さん。貴方がさっきおっしゃていた巫女の卑弥呼さんにあおいさんも、あとそれからヤブ先生とも長い御付き合いをさせてもらってます。これは思いもかけずに良い方に廻り会えた。こちらこそ宜しくお願いしますよ」

 ハリネズミは、誰にも言えない秘密を吐き出してすっきりする為、それからというもの事あらばここへやってくるようになった。


 これから来る者達について知ったところで何の事はない。

 頭の中で診療所の者達が来るのが嬉しい反面、元旦には客相手に晴れやか気分で遊ぶ構想が崩れ、足し引き零の勘定になっている。拍子抜けである。さてどうしたものか。

 ハリネズミは早速練習だと言って、宿の者相手に一席打っている。

 それを見聞きしてもいいが、吾輩との出会いを物語っているものだから、他の者には解らないとはいえ羞恥が先に立って行き辛い。

 静な宿内を探索すると、まったく客のいない宿というのは異空間である。

 気持ちまでもが今までと全く違ってくる。

 元旦は客相手にロビーの指定席でマッタリ過ごすと決めていたのが、水平線から昇る初日の出を拝んだら、あおいいに頼んで初詣に行って、帰ってきたら何時か上手く食えなかった雑煮の餅に挑戦してみようかなどと思いを巡らせている。


 小腹がすいてきた。

 女将の部屋で菓子でも馳走になろうと覗いてみると、珍しく神妙なやっちゃんを前に女将が小言を並べている。

 ひねくれ者だから、何時だって人様に迷惑をかけて生きている。

 ほんの少しの気遣いができないのだから叱られて当然の男だが、何を叱られているのか。

「祝言の日はえらいよろしい家に嫁げたものだと、縁談を持ってきてくれた山城の親分はんには随分と感謝したものどす。

---中略---

 こん切込みで堪忍袋の緒が切れたんが山城親分はんで、レンコン持って自分から議員はんのタマ取りに行くと言い出したんどす。

---中略---

 やっちゃん先生はえらい昔、御兄はんが御父はんからえらく贔屓されて、親ん血を引いて極道な自分を嫌っていると言うてましたやろ。

 やっちゃん先生と仲違いしたはる御兄はんの手前、今日の宴会に御父はんはみえませんが、先生ん御父はんは本心どん子もかいらしい言うてました。

 ヤクザな道歩いてほしくない一方で、山城はん所に世話になっとるんも嬉しいらしうて、なん時になったら島一つ任せてもらえるんか、なん時になったら組を持たせてもらえるんかと、会合では山城はんに随分と絡んではりました」

 異常に長い話であったが今日の客、宿には大恩人でも世間様が言う所の極道だというのが分かった。


 ヤブもやっちゃんも、どうせその様な者達と同類の人間と思っていたが、ここできゃつらの正体がはっきりと見えてきた。

 それならばたいして金にならん診療所に住まいながら、毎日宴会に明け暮れていられる理由も立つ。

 吾輩はこれまで関わってきた者達がどの程度の悪党であるのか、更に詳しく知りたくなってハリネズミに質問した。

「あの界隈に御住まいの方々についてですか」

「ヤブ医者ばかりの事ではありません」

 この宿の猫となってから今まで大量の疑問が吾輩を悩ませてくれていた。

 明晰な脳をもってしても解明出来ないのならば、この際事情を知っていて秘密の持てない奴に聞くのが一番の良策である。

 診療所に住んでいた時分は世間と言う物がよく見えていなくて、こんなものなのだなと自分なりに納得していた事柄が、ここに来てはまったく通用しない事態に何度も遭って来た。

 観光で遠くから湯に入りに来る客の話などを聞くに、世界に目を向け大きな視野で物事を見れば、この宿が人の能力を含め、総ての現象の標準的地域であると気付いた。

 これらの事からようやく、診療所一帯は特殊な地域だとこの頃になって分かった次第である。


 こういった事情であるからとハリネズミに知りうる限りを教えるよう依頼すると、彼は恐れ入ったと云う顔をして、成る程女将の言うとおり利口な猫だ。これなら言って聞かせてもいいだろうと観念して話が始まった。

「あおい先生はいやに上品ぶって自分だけ良い人らしい顔をしていますが、かなりの性悪野郎です」

「あおいは女である。野郎は御門違いです」

 ハリネズミの言葉使いが気になったので訂正してやった。

 これではまるで人の悪口を聞きたくて願ったようなものである。

 主観を抜きにして事実だけ教えて欲しいのだ。

 そこへいくと猫語を解さぬ女将の方が話の内容を解り易く聞ける。

「貴方は話すより物語った方が説得力がありそうだ、一つ講談にして聞かせてはもらえんかの」

 この提案が功を奏したもので、僅かばかりの間で多くの事を彼から学び取る事ができた。

 我乍らなかなか良い提案だと自負しておる。


 まずは取っ掛かりとしてあおいについて聞いたが、恐ろしく込み入った話になっておる。

 ヤブの手術がどうのの前に、今は亡くなってしまったあおいの叔母がヤブと婚姻届けを出していた。

 診療所で語っていた身の上話では、あおいは自分を天涯孤独と言っていたのが真っ赤っかかあーの嘘っぱちで、巫女の卑弥呼とは従姉妹にあたる。

 もう一人近所に住まう従姉妹がいて、そ奴が地下の家を持った宇宙人のおっちゃん達と仲良くやっている。

 この事をヤブは知らないが、ネギのオヤジや車屋の主人は知っていて、狭い地域の事だから公然の秘密となっておる。

 やはり、こんなところでもヤブは御間抜けである。

 キリちゃんの娘である何とかちゃんにいたっては、診療所に越して来てから猫界はおろか人間界でもその天才ぶりを発揮して、何時か行った地下世界の建設に関わっている。

 この地下世界は将来起るであろう大災害に備えた避難施設である。

 今のところヤブに内緒の事業で、診療所の中にあっても奴はエンガチョされていた。

 いささか気の毒であるが、時が来ればみな打ち明けられるのだからまあよかろう。


 あおいが性悪だと言うのは、これらの事を一切ヤブに伝えてはならないと通達しているからで、ハリネズミは根がしゃべりたがり屋だから、付き合いの長いヤブにこのように重大な秘密を持ち続けるのが辛いのである。

 吾輩に話せたので少しは気が紛れたと言うが、その様子から察するにコヤツのストレス要因の総ては、一連の診療所界隈に関する事象である。

 誰がどんな目的を持って莫大な投資をしているのかは不明である。

 非常識が常識の診療所周辺なら聞く者も居ようが、そんな話を真面に受け取る者は近所界隈はおろか旅人にもいない。

 創り話として毎夜でも風呂で語って聞かせればよいと教えてやった。

 先祖には言ってはならない事を物語って密に殺害された者もいるからと尻込みをしていたので「科学の進んだ現代でも猫の言葉が話せると言って信じてくれる者はいないだろう。ならば極秘とされている今までの話とて同じ事。誰一人として信じる者もなく、ましてそんな与太話・講談・冗談に危機感を持って人一人殺しに来る筈がなかろう」と言ってやった。

 すると「うん、言われてみればそのとおりだ、何んだか病気が治った様なすっきりした気分だ」と表情が明るくなる。分かりやすい奴である。

「そう、何も恐れる事はありません」吾輩は気合いを入れて後押ししてやる。

「それでは今日明日からでも始めてすっきりしましょうかね」

「それが得策ですよ」


 海岸で、ここらでは見掛けないジャリ餓鬼が寒さに負けず元気いっぱい凧揚げに興じている。

 一般の客はいないのだから、あの者達も今日の宴に関わりある者である。

 以前、ヤブが外国から呼び集めた者達と似通った容姿で、近所にこの様な者達が住まう所が有るとも聞いていない。 

 いかなる関わりをもって、今日の極悪連中と宿を共にするのか不思議である。

「外でじゃれている子鬼はどういった者達ですか」

 この様な疑問が生じた時は素早くハリネズミに聞けば、たちどころに答えが出てくる。

「ああ。山城さんが売られていた子を引き受けたんですよ。生半可な親切心じゃ出来ませんね。この近所に、あの子らの為に学校や住まいまで手配しているんですから」

 猫や犬・猿・キジ等はペットとして売買される世であるのは承知しているが、人間の子を売り買いしているとは初耳である。

 売買されるのは、動物では血統書の付いた者が多い。

 人間もその様にして取引されているのならば、ア奴等も血統書付か。

 やっちゃんと同じに、他の者と違った見掛けであるのも納得のいくところである。


「ならばあの子鬼はみな血統書を持った者なのですか」「血統書はありませんが、国籍は日本だし住民票もありますよ。どの子もその辺にいる子と変わりません」

「どれもこれも同じジャリ餓鬼では、売り買いする価値などないと思うのですが。誰があんな者達をペットにするのですか」

 すると、ハリネズミは少し気持を悪くしたのか吾輩との対話に慣れたのか、徐々にため口が増えてきた。

「いいや、話したからって減る物じゃなし、話してもいいがあまり他で言わない様にしてくれるかなー。あの子等に関する事実で差支えのない事は教えてやるよ。人身売買はペットにするのではなくて、昔は奴隷と言って労働力にしていたのだがね、今は臓器移植の為に売買されているのさ。適合者が見つかるまで結構と長い月日がかかるので、運良く養子にと買われれば生きていられるけど、その前に臓器の提供先が見つかれったら内臓を取られて彼の世逝きだった子供達だよ。それを山城さんが買い取って、学校に通わして一人前にしてやってるのさ」

 不幸にしてこの意味が分らんものだから「人身売買? 奴隷? 臓器移植?」聞き慣れない言葉の意味を問う。

 するとハリネズミが真面目に答える。答えながら怪訝な顔になってゆく。

 吾輩が話の内容からついつい言葉遣いを荒くして「それは人間のやっている事か」と聞き直す。

「鬼の所業としか思えないだろう。でも金の為に人間がやっている事なんだよ」不愉快そうである。

 ハリネズミが更につづけて「全部の子を助けるのは無理だけど、山城さんは戦後すぐからこんな人助けをやっていてね、組の稼ぎは殆どこれに使っているんだよ。なかなかできる事じゃないよ」


 猫の世界では己が生殖行為に至りたいばかりに、狙いを付けたメス猫の子をかみ殺してしまう雄がいる。

 これは猫科動物に共通している事で、ライオンや豹・虎であろうとも同じ行動を観察できる。

 人間が猫を畜生と蔑む理由の一で、反論の余地なき残忍な行為だから、人から何と言われてもいたしかたない畜生道と思っていた。

 しかし、今ハリネズミより学んだ人身売買・奴隷・臓器移植が現実であるならば、人とは畜生にも劣る残虐な鬼である。

 今宵の宴に集う者達は極悪非道の者達と思っていたが、

このような事情を聞くに、ア奴等がロクデナシのクズとばかりは言い切れん。

 ならばこの様に人を救わんがため奔走する者を戒める法とは如何なる物か、悪を悪とし正義を正義として貫こうとする者が、太刀打ちできない強力巨大な悪に、正直正面より対抗して人を救う悪ならば、人の世に有ってもよろしいのではないかと思うのは、吾輩が人として生きた事のない猫だからであろうか。


「話は違いますが、診療所にいた頃に餅を食べて酷い目にあったのは君じゃないかい」

「ああ、尻尾や髭に餅がくっ付いてしまった。どうしてそんな事まで知っている」

 すると、ハリネズミは急に浮かれ出す。

「随分と愉快な猫殿が遊びに来ると卑弥呼さんが教えてくれたのさ。何だって箸を使わないんでしょうと言ったので、グーの手で箸は持てないよと答えてあげたら、それもそうだとわねと大笑いしいたよ」

「今度会ったら引っ掻き傷の十本もつけてやる」

 すると、ハリネズミがくすくす笑う。

「餅では酷い思いをしてさぞ怨みが有るだろう。明日は僕と一緒に餅退治をしないかい」

 正月になったら餅を食ってやろうと企んでいたから丁度良かった。

「それはいい。今度こそ奴の息の根止めてみせるぞ」

 そうこう話していると、診療所の連中が宿に着くなりバーベキューだーと騒ぎ始めた。

 半年近くも別れて暮らしていたというのに、吾輩の事は無視かよ。なんて薄情な連中なんだ。

 死んだ牛の肉がそんなに美味いか。確かに美味い。


 悔しいからそーっと近付き引っ掻いてやろうと構えていたら、後ろから何とかちゃんに捕まってグリグリされた。

 そしてまたすぐ、あおいに抱えられイングリモングリされた。

 キリちゃんにナデナデされて、ヤブがフーフーした超レアプレーン牛肉を柿右衛門の皿に乗せてくれる。

 やはりこやつらは吾輩の良き下部である。

 外ではあるがバーベキュー会場は風よけの囲いがあって、中で火を使っているものだから良い加減に暖かい。

 ハリネズミも混じって焼き肉ジュージュー焼きそばドンとやっていたら、先ほど海岸で遊んでいた子供達が寄って来た。

 やっちゃんとその仲間のヤクザ達は、まだ日の高いうちから宴会場でチャカポコ始めている。

 診療所の者達は昼間の酒が嫌いな者ではないが、宴会場で強面の専業ヤクザと本格的に飲み食いする強者でもない。

 極道界の宴会に参加すれば、将来鬼になる為の勉強になろうものを、ここにいる子供達は鬼になる気がないのか、極めて健康的な屋外バーベキューパーティーの参加者として振り分けられておる。

 ここは女子供の集い場で、宴会場はヤンチャな男の集会場である。

 それがよかろう。

 その方が気楽に過ごせる。


 狸女が、何時か見た事のあるヨレヨレ爺をともなってやって来た。

 爺はちょいと顔を出し、ハリネズミと一言二言会話するとすぐ宿に入って行った。

 何者か聞いたら、ここら辺りを仕切るヤクザの元締めで、狸女の祖父であった。

 ハリネズミは情報通ばかりか、あちこちで顔の利く男と知っていたが、ヤクザの元締めと対等にしているのだからタダ者ではない。

 不仲にだけはならないでいたいものである。

 それに比べて救えないのがヤブで、どえらいブレーンを持つ危険な男を子ども扱いして、先程から小突き回しておる。

 それでも流石にハリネズミはできた男だ、怒るでもなくヤブの攻撃を巧にかわし、適当に相手をしてやっている。


 狸女が宴会場から酒を持ってやって来た。

 まったく酒の準備がなかったのではないが、何時もの事で始めて三十分もしないで飲み切ってしまっていた。

 今日は大晦日である。

 徹夜で飲んで初日の出・初詣と、吾輩の計画通り予定が立てられていた。誰も考える事は同じである。


 揃いも揃って大酒飲みが徹夜の宴会とあらば、酒も風呂にして余る量取り揃えている。

 しからば今宵は飲み放題で、子供達にはジュースや菓子が宛がわれている。

 囚われていた時は不自由にしていた身であったから、戸惑っている様子もあるが、遊び呆けるのは知る所のジャリ餓鬼と同じである。

 この者達は、己に科せられていたその身の行方を知っていたのであろうか。

 いかなる理由があったかは知らぬが、親元より引き離され見知らぬ地に囚われさぞ不安であったろうに、今は総て忘却し無邪気にすればよろしい。

 無益な知識を詰め込んで鬼や畜生に成る事もあるまい、そのまま人として育てばよいのである。



 元旦。初詣に行くのもヤクザな連中とは別々である。

 あの者達は全員黒っぽいスーツにネクタイで、ヨレヨレしていた爺は紋付羽織袴で大きめのステッキをついている。

 ステッキは仕込みになっていて、刀には村正の名が刻まれているとの情報が漏れているが、狸女が言うのだから当てにはできない。

 爺さんの世話焼きに来ている狸女は晴れ着姿だから、いつもと見掛けばかりか動きも御淑やかに出来上がっている。

 そんなのがゴソッと宿の前で記念撮影だと並んでいる。 

 道行く人が映画の撮影と勘違いして写真を撮り、向こう見ずな野次馬の中にはサインを求める者までいる。

 相手が誰かも知らないで、いい加減なものである。

 有名人らしいからとりあえずとやっているが、後で素性を知ったら全身から血の毛が引く事請け合いだ。

 青くなるがいい。


 一方こちらはそれなりに気取っている。

 ブランド物の子供服でがっちり外郭を固めたのはいいが、着馴れてないから動きがぎこちない。

 身成で決めつけられてはこの子達が可哀想だと、ヤクザ者達が持ち寄った服である。

 どれほど綺麗な服を着たからといって、中身が変わるのではないのだからよさそうなものだが、兎角人は見かけで相手の良し悪しを決めたがる。

 吾輩などは、一年中同じ毛皮で過ごしている。

 その点ヤブは同類で、正月だからと特別着飾ったりはしない。

 いつものままだから、回りが清涼感に満ち溢れている中にあって普段にも増して逸脱した者に見える。

 髭くらい剃れよ。吾輩の髭を切るんじゃない、酔っ払い!


 ヤクザ御一行様は猿田神社へと車に分乗して出て行った。

 神代の昔からこの地にある神社で、博徒には御利益があるとされている。

 江戸の時代には徳川家康も詣でたと伝えられているのだから疑う余地のない由緒正しき神社である。

 政治の頂点に立つ者がと思わんでもないが、今も昔も最後は神頼みである。

 昔から何も変わっていないのだから、博打どうのと言うのであれば吾輩は宿の招き猫である。

 れっきとした福を呼ぶ者として祀られている。もそっと礼をもって接してくれてもよさそうだ。


 我等は近くのこじんまりとした神社で御手軽に済ませた。

 子供達は神社や賽銭箱を始めて見たもので、あっちキョロこっちキョロして落着きなく、上まで見上げるから完全に御上りさんであった。

 賽銭を渡しても、小遣いかとポケットに仕舞い込む始末である。

 身振り手振りで説明を受けて、ようやく賽銭箱に小銭を投げ込み願いを唱える。

 声に出さなくともいいのに、でかい声で何かを御願いしている。

 しかしながら、吾輩を除いて周りの者にはまったく理解できない言語である。

 はたして神は聞き届けてくれるのであろうか。


 初詣を終えて宿に帰ると、朝風呂に入った子共達は浴衣に着替え、ロビーで女将の出す茶菓子を頬ばる。

 カステラがあったので吾輩もいただいた。いつ食っても美味い菓子である。

 ほどなく診療所の者が、御絵描きセットを各児に渡した。 海でも山でも神社でも、何でもいいから描いてみようと身振りで示せば、言葉は通じずとも絵は万国共通である。 

 早速どの子も思いゝの絵を描き始めた。

 吾輩の知るジャリ餓鬼はゲームやテレビに漫画と、遊びに事欠かない者で、一つ所に落ち着いて何かをやる辛抱が無い。

 この様に絵を描きましょうと言ったって、ものの三秒で放り投げてどこかに行ってしまう。

 それがこの子達は、他の遊びに触れて来なかった者だから、一つ遊びを教わると余計な事は一切忘れてそれに没頭する。

 一時間以上も描いていただろう。

 吾輩は既に甘い酒に酔っていい気分である。


 子供達に絵を描かせたのは遊びだけが理由ではない。

 ここに来るまでどれほど辛い思いをしたか、心の闇を知る術として描かせているのだとあおいが教えてくれた。

 宿にはやっちゃんが務める病院の精神科医が、この絵を見るのに来ていた。

 たまに遊びに来る末成と言う男で、皆からはぬらりひょんと呼ばれている。

「どれどれ。どんなのが描けたかな。見てやろう」

 ぬらりひょんが一枚目の絵を見たきり黙りこくった。

 どんな絵が描かれているのか気になって覗くと、吾輩は茫然自失し息をするのさえ忘れた。


 画用紙に描かれた父母であろう男女は、無残にも首を切り落とされている。

 残された四人の子供は縛りあげられ、車に乗せられるところである。

 吾輩はこの子等に対して甚だ同情の至りに耐えん。

 この国では女主人の家に下男として奉公している亭主やら車屋のクロやら、診療所のヤブまで到底此の世にあって人の役に立っているとは思えん者であっても平穏に暮らしている。

 縛りあげられたり、死と隣り合わせにいる者など滅多にみかけはしない。

 ところが、この絵を見てハリネズミだけがニヤニヤしている。

 昨日から貸してもらえるようになった浴衣を、今朝になって新しいのに替えてもらって喜んでいるだけでもない。

 いかに人間離れした性格でも、この絵を見てなお笑顔でいられるとはいかがな心情か。

 あまりにも無神経すぎる。

「てめえ、なーに考えてんだよ」

 吾輩が尖った爪を脛に立て、深ーい傷をつけてやる。

「いやね。この子はこれで大金持ちになれると思いましてね。感心するやら安心するやらで、思わず喜んでしまいました」

 はて、猫ゆえに金という物に無頓着且つ無一文の月日が長い。


 ハリネズミは、この子は金に不自由はしないが、まだ子供だからしっかりしたエージェントが付かない事には騙されて、いいように使い捨てにされてしまう。

 そうなっては可哀想だから、自分が絵を教える先生兼エージェントになってやると言っている。

 この子等に学んでもらう為とヤクザ者達が資金を出し合って、近くに私学と寮を作ってある。

 既にハリネズミは、そこで教師の職に就くのが決まっていた。

 ちょうどよい機会だから、子供達にたくましい金儲けの方法を伝授する予定でいたところで、この絵をどの様にして売ったら大金になるかを第一の教え始めに決めたと言われたが、この絵が金になるとも金にしていいとも思えん。

 吾輩ならば年端もいかぬ幼子に、ここまで深い心の傷を負わせた者をぶちのめしてやる方法を教えてやるところである。

 そうしてやらなくては、此の世はあまりにも不公平が過ぎる。


 ハリネズミに金儲けをするなと言う気はないが、これはただ個人の為にする親切の類ではない。

 大きく言えば残虐を好み殺戮を愛し、生き地獄を現実にする暴挙である。

 いかに子供とはいえ、許諾を経ずして親の殺害事件を描いた絵の売り買いで振り廻わす以上は、新婚夫婦の寝室に盗聴器を忍ばし夜ごとFM電波に乗せて放送するも同然。

 金の為に子らに心の闇を描かせようとするは、三流タブロイド紙のゴシップ記事以上に人の内心を軽んじた生業に他ならん。

 償いようのない害を及ぼしてなお、人の心傷顧みざる以上は猫にも覚悟がある。

 道のためには一命も捨てる気になっておる。

 ただ、病院の者や子供達の迷惑にはなるかも知れんが、けりをつけようと大決心を起してハリネズミに突き立てた爪をさらにもう一ミリ指し込んだ。

 が「待てよ」と考えた。


 吾輩は猫として進化の極度に達しているのみならず、大脳の発達においてはあえてハリネズミに劣らざるつもりであるが、悲しいかな金儲けだけはどこまでも猫なので人間のようにはできない。

 首尾よくこの子等の描く絵が売れて、充分他の子らも救えるまで裕福になったなら、かの如き悍ましき世界情勢を変えられるのではなかろうか。

 それまで見届けたところで、ハリネズミと対決してもいいのではなかろうか。

 女将にもやっちゃんにも話せない。

 猫の話を聞けるのは、あおいと何とかちゃんだけである。 明日か明後日には診療所に帰ってしまうのだから、今直ぐにでも相談せねばならんところが、ハリネズミの脛に突き立てた爪が深く刺さり過ぎて抜けなくなっている。

 痛くないのかよ。

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