27 磯家とヤブの秘密
「似顔絵の目………あれね、閉じちゃったんだけど」
今ここにいる目的を思い出し、ヤブが久蔵の動きを止めて聞く。
「あー、あれね。俺が差し替えた。店、暇なもんでサー。客引きに」
流石に泥棒の貧乏神に憑りつかれた者で、人様の家に忍び込むのは慣れている。
僅かばかりの日銭欲しさに、人の生死に関わる弱みに付け込むとは、医師や坊主にも勝る悪党。
人騒がせな者で、どんな解釈をしても住居不法侵入と脅迫である。
しかしながら、ヤブは久蔵を嫌えないものだから「マスター、昼飯食ってくわ」
誰に言わせても、ここは怒ってやる場面である。
それを、犯人の思惑どおり店の売り上げに貢献するとは、ヤブの御人好しも極まっている。
この事件以後、ヤブの散歩道にどんぐりでの昼食が加わった。
吾輩は店に録音機を設置して、二人の会話を記録している。
さすれば久蔵の秘密、少しは分かろうというものである。
録音を解読する様になって、町の裏事情が薄っすらと見えて来た。
今まで謎だった事件は、細い糸一本で繋がっていたのである。
事は、あおいが医の道を志した頃から始まっていた。
この件に関して、吾輩に疑念を抱かせる不思議話は織り込まれていないが、普段なら久蔵の話には迷信だ神話だ言い伝えが現実の出来事として混じっている。
真顔で話されても信じ難い事ばかりである。
去年の吾輩なら、これらの話を頭から否定していたに違いない。
今はペロン星人を筆頭に、現代科学では説明できない事象と頻繁に遭遇している。
信じて解釈すれば、総ての説明が付く話ばかりである。
ヤブがあおいの手術に踏み切ったのは、震災であおいの母親が担ぎ込まれてきたからである。
検査をした時点で母親は既に脳死状態であった。
母親以外に連絡の付く身内のいないあおいもまた危険な状態だった。
母親の臓器を移植すれば、あおいだけなら生きていける可能性があった。
野戦病院よりも悲惨な災害時の医療現場で、医師達を働かせていた動力源は、一人でも多く助けたいとの思いだけである。
ヤブが全責任を負って行った移植手術。
成功はしたものの、違法の限りを尽くした手術である。
結局、関係者は全員責任を負わされ、ヤブは懲戒解雇。
医療行為二年間の禁止処分を受けていた。
有らん限りの無鉄砲。
違法手術を行った割に、処分は軽いものである。
手術が失敗していたら、間違いなく全員殺人罪か共犯の罪に問われていた。
これは法の指し示す方向からして、疑を挟むべき余地はない。
医師が手術と称して、実験的殺人をした事を無罪にされないのは当然である。
一概に考えると、誰の承諾も得ずに行うリスキーな手術は損あって益なき行為である。
しかし、そうばかりと速断してならん場合がある。
職業によるとリスクはよほど大切なもので、リスク回避ばかりしていると何も出来ない事がある。
その中でもっともリスクを重んずるのは外科医である。
外科にリスクが付き物なる事は、救急車にスピードが欠くべからざるようなもの。
この速度が一時間でも途切れると、搬送している救命士は応急処置以外なんら能もない凡人になってしまう。
もっともリスクは利益の異名で、何等かの利益を得ようとするならば必ずリスクが付いてくる。
それでは世間体が悪いから、医師の仲間ではリスクの名をもってしない。
申し合せてリスクを確率と呼び、手術の成功確率とする。
さも勿体そうに称えているのは、彼等が世間を惑わすために製造した言い回しで、その実は正に逆である。
成功の確率は、返せば失敗の確率でもある。
ヤブ自身は処分された時、かように軽いものでもさして気にしていなかった結果だが、今、吾輩が聞いても裏で何等かの力が動いたのは間違いないと感じる。
一連の手術記録を入手したのが、卑弥呼の一族だと久蔵が教えている。
昔から権力の有った一族である。
あおいは磯家の一翼であり本家筋の者と考えれば、造作も無なく当然の干渉である。
処罰を審議した者達に、有り余る金を握らせ操っている。
あおいが卑弥呼と同族の者と理解していないヤブには難解であろう。
ヤブは二年間の停職中、近所の学生を引き込み本気でロックバンドデビューを目指していた。
今のルックスからは想像できない暴挙である。
その間、アアダラコウダラ四の五のあって、一族の後押しを背中イッパイに受けたあおいは医師を志した。
あおいが医師になり、ヤブの診療所に勤務した理由となると、吾輩にも全く分からない。
こんな経緯だから、卑弥呼があおいやヤブについて詳しく知っているでもなく、卑弥呼の両親まで辿っても、その理由は分からないと久蔵は言う。
両親まで辿ろうとしても、とうの昔に他界しているとの事情も有って、歴史的背景は不明瞭この上ないもの。
しかし、この辺りの話しは、久蔵がヤブに本当の事を教えないでいると思えてならん。
吾輩の知る範囲でも、磯一族と久蔵の一家は古くから深い付き合いが有る。
その久蔵が此れしきの事を知らん筈がない。
しかし、鰻重の種が絶滅危惧種であるごとく、糖質零でもカロリーのあるごとく、フォアグラの材料が脂肪肝であるごとく、新なるコンビーフの肉が馬肉であるごとく、何時の時代も真実は残酷である。
真実を知ってもヤブが正気でいられるようになったらば、真相を話す気でいるやもしれん。
吾輩が知っている事を、総て話してしまっていいものやらどうやら、暫くは様子を見るとする。
第三病院へ入院せずに済んでいるのは、単に何も知らないからである。
精神の絶妙なバランスを保つのは意外と困難だ。
一生涯乱れたままのメンタルで過ごすのも難しいが、一生涯乱れのないまま過ごす者は、巧者な神様でもなかなかこしらえて見せない。
神が作ってくれん以上は、自力でこしらえなければならん。
そこで昔から今日まで、ストレスの発散術は大に学者の頭脳を悩ました。
至極単純な解決法が有るのに、学者はつまらん事で悩む者である。
酔っぱらいは管を捲いて憂さ晴らしをしている。
ある人は安らぎを得るために、毎日ビールを十二本ずつ飲んだ。
酒を飲めばアル中になる。
アル中になれば何時かは病院の御世話になる。
これでは元も子も失う。
またある人は、大酒を飲んで海へ飛び込んだ。
海の中で揺れていれば、もっと酔えるに極っていると考えたのである。
その人の説によると、これで成功しなければワインの湯をわかして入れば一返で功能があると信じ切っている。
しかし金がないのでついに、実行する前にどざえもんになって浮かんだのは気の毒である。
いつの間にか酒飲みの話しになってしまっている。話しを戻すか。
久蔵から少しばかり知識を貰い受け、何を思ったかヤブは毎日隠れ散歩をしている。
それにもいい加減飽きた頃、親族の提案で親父殿の墓を作る事になった。
しかし、親父殿を葬るとしても納骨する骨がない。海に総てぶちまけてしまっていた。
「遺灰を入れていたツボが残ってる。中に少し遺灰がこびり付いてるし」ヤブ兄の御粗末なこじ付けである。
こじ付けついでに親父殿の葬儀は、ロックバンドのメンバーが今でも住むヤブの持家で行われ、遺灰の一部が防空壕の御墓に納められる事となった。
葬儀の日、二間続きの座敷の奥に遥と卑弥呼、その向こうには久蔵が居る。
この家は大昔にヤブが婚姻届けを出した彼女から貰い受けた物で、彼女とヤブがしきりに言う女人の名は磯琴音。
磯家はこの辺りに古くから有る名家である。
ヤブが子供の頃に琴音と病室で仲良く遊んでいたと、ヤブ兄が昔話を披露している。
吾輩も参列者に混じって酔っていると、卑弥呼と遙にあおいが三人してヤブの前に正座した。
三人とも普段は見られない和装喪服。
家紋はそれぞれに違う鳥居紋。
あおいの家紋は、この家の屋根に有る家紋瓦と同じである。
「お久しぶりです。その節は叔母共々大変御世話に成りました。本日は遠い所、叔母の追善供養においで下さいまして、ありがとうございます」
ヤブはようやくここで、目前に居る三人と自分の関係を知ったのである。
三人は磯家に大騒動が有ってこの地を離れ、成人するまで別の地で育てられていた。
あおいとヤブは震災・手術と、既に交流が有った。
琴音の双子の姉である彩華があおいの母親で、再婚して野馬良姓になっていたから、ヤブは気付かず今日まできていた。
遥の母親は、磯家直系三家の一【磯神】の家に遥家から嫁として来ていた。
磯一族が絶えたとまで言われた大火の時は、其の場に居なくて助かっている。
半日ばかりは葬儀で人が大勢だったものの、夕刻になって残ったのはヤブの兄姉だけで、住人は気を利かせたつもりか、今日から二泊三日で温泉旅行である。
兄姉が交互に話す内容は山武家と磯家の関係で、恐ろしく複雑怪奇なものである。
先祖代々の因縁話がズラズラと有って、結局ヤブが行った移植手術であおいは生き続けた。
余命数年と宣告され、臓器の提供を決心していた琴音も摘出手術を受けずに済んだ。
琴音とあおいを、ヤブは同時に救っていた。
間接的な命の恩人となったヤブの為、琴音は残り少ない人生を使った。
こんなつまらなん男の為に使い果たしのである。
もったいないくもいじらしい。
琴音が亡くなると、遺言からあおいが磯家を引き継いだ。
この家周囲はヤブ名義に成っているが、その他の磯家の土地建物はあおいが管理している。
記録上は火災による焼死とされている磯一族の死因は壮絶な物で、一連の死亡診断書を他殺ではなく焼死としたのがヤブの御爺ちゃんである。
ヤブ爺ちゃんは虐殺事件を隠し家を燃してあげた御礼にと、金属製の土偶を譲り受けていたが、何時からか行方不明になっていた。
以前、アルトイーナ―が列車から強奪した盗品の中に混じっていた土偶がこの時の物で、話しを聞いたヤブが土偶をひっくり返したら、足の裏に久蔵作と刻印されている。
何か知っているのではないかと思ったのは吾輩だけではない。
兄姉からこれらの事情を聞いたヤブが、久蔵にもっと詳しい事情を聴くのだと、翌日どんぐりに昼飯を食いに出かけた。
ここまでヤブが事情を解って総てを話す気になったか、久蔵の顔が何時になく真剣である。
「御前は今日まで色々見て来たから、今なら俺の話を納得できるだろう。教えてやるが、聞いたからって御前の未来が変わるってもんじゃねえよ。心して聞きな」
いきなり久蔵は、自分が人間ではないと告白した。
これはペロン星人を筆頭に、病院スタッフを見てきているから特に驚くほどの事ではない。
オフザケが過ぎているのはここから先で、生物でもないと言い出した。
「兎に角聞いてくれ、そこから始めないと取り留めのない話になって、俺でも収拾がつかなくなる」こう言われ、ヤブが仕方なし久蔵の身の上話から聴いている。
久蔵本人は初代磯家当主の時代から使えていると主張している。
それ以前の記憶はあまりにも古いので薄っすらと残っているだけだとかで、意志を持った知的エネルギー生体が自分を創ってくれたと言っている。
【信じる者に証明は不要、信じない者に証明は不可能である】と誰かが言っていた。
信じないヤブに、無理矢理久蔵が聞かせる理屈がこうである。
エネルギーは信仰の対象だった。
世界中に太陽神や炎を司る神が存在する。
仮にこの神と称されるエネルギー生命体をエネさんとする。
知的な意志を持ってはいるが、物質を動かす事は出来ても加工して道具を造るのが苦手で、何かを創ろうとしても数千年単位の年月を要する。
人とのコミュニケーションに問題ありの生命体である。
このエネさん。
長い年月をかけて有機物を移動してぶつけ合わせ、一つの塊を創った。
既に地球上に生物が誕生しており、起源からすると全く違う物体の発生である。
この塊にエネさんの一個体が憑依して、内部から分裂を繰り返して発生したのが久蔵。だとか、つまりエネさんの産物。
エネさんといっても一個体ではなく、全人類の数より多いが、エネルギーだけの存在だからたいして広い空間は必要ない。
頑張ればピンポン玉程度まででも固まれる。
ただし、小さくなるとちょっとした衝撃で核分裂同様に膨大なエネルギーを放出してしまう。
よほど強固な鎧の中に閉じこもらなければ、何時か爆発してしまう。
放出と同時に、彼等の個性を構成しているエネルギーは熱に変換され消滅。
このような現象を、彼等は自身の死と定義している。
このエネルギー生命体と意思疎通できる個体が久蔵である。
エネさんの力も借りて独自に進化し続けた結果、色々と訳の解らない能力を身に着けて来た。
似顔絵もその一つだが、どんな毒にも耐性を持っている。
卑弥呼が子供の頃、毒を盛られても平気になる訓練をしたのは自分だと威張っている。
磯家で代々顧問弁護士をしている天戸家の初代弁護士も、久蔵が現代社会で都合良く生活して行く為に育て上げていた。
正体不明の芙欄もまた、久蔵に育てられた人間の一人である。
昭和会から、可哀そうな子だから面倒見てやってくれと頼まれ育てていた。
親父殿がER建設と偽って、家屋敷を銀行の抵当に入れて金を作り、芙欄に土偶探しを依頼していた。
土偶探しが芙蘭と久蔵のライフワークだが、現在は病院に有るので暇している。
家を手放してまで探さなければならない程に貴重なものだったのか、それにしては見つかった時の親父殿の対応はいい加減だった。
そんな事より、ヤブは土偶についてもっと詳しく知りたくなった。
久蔵がヤブの問いに答える。
土偶は、久蔵がエネさんに頼まれて作った工作の中でも飛び切りの傑作である。
一部のエネルギー生命体が地球から離脱して宇宙を旅していた時、別の天体で手に入れた超々々レアメタルで作ってある。
二度と作れない貴重な物だが、幕末の動乱期に行方不明となった土偶を久蔵は探し続けていた。
能力として言い伝えられているのは、命と引き換えに何でも願いが一つ叶うだが、実際に叶えられる願いは何でもではない。
物質をエネルギーに変換したり、エネルギーと物質の組み合わせで別の物質を創ったりだけだった。
エネさんの得意分野であるエネルギー操作を、増幅して強力にする増幅器だったのである。
隕石を消したのもこの機構で、分解してエネルギーに変換した後にオーロラに変えていた。
増幅前のエネルギー源は、人の生体エネルギーである。
このエネルギーを土偶まで運ぶ時に、エネさんが手伝っている。
人間に憑依したエネさんが人の願いを聞き入れれば、エネルギーを少し貰って土偶に入る。
その後にダークエネルギーを吸収増大させて願いを叶えると言った仕組みである。
エネさんは頑張り過ぎると消滅してしまう。
使い過ぎれば人も死に至る所から、命と引き換え伝説が生まれていた。
「人間に分かり易く説明すると、電気パワーの代わりに人の持つ生命力を使ったテスラコイルだと思えばいい」と久蔵は言っているが、ヤブにはテスラコイルから説明する必要がある。
久蔵は北山が茨城県警から千葉県警に移動した理由も知っていた。
自身に関わる事だから知っていて当然である。
栃木で刑事だった北山の祖父が生涯かけて追ったのが久蔵で、家へ泥棒に入られたのを不覚と恥じ、意地になって久蔵を追い回していた。
祖父は群馬の山奥で、相手が化け物だという現場を見て追うのを諦めたが、久蔵が訪ねて来た日に死亡している。
殺されたものと決めつけた警察官が、北山の父親である。
執拗に久蔵を追い回すが、やはり似顔絵を描いてもらって暫くしてから変死。
祖父と父親の死にざまを祖母から教えられた北山は、一族の復讐とばかり、正体を知らないまま似顔絵描きという手掛かりだけで千葉まで久蔵を追ってきていた。
どんぐりにも聞き込みに来たが、予想していた年齢と見掛けが違うので別人と判断している。
彩華の元旦那からの情報で、土偶の存在は知っているアルトイーナも、作者が久蔵だとは知らない。
山武病院立て籠もり事件で、アルトイーナの真の狙いは土偶だった。
それならば今は病院に展示してあるから、何時でも簡単に奪えるだろうに、何をモタモタしているのか。
この答も久蔵は知っていた。
親父殿が土偶に願ったのは隕石阻止ではなく、土偶が誰にも奪われない事で、ヤブ爺ちゃんの願いは土偶が磯家山武家以外の者に渡らない様にであった。
貴重な物と知っているアルトイーナは過剰な土偶強奪計画を実行したが、実行犯は拍子抜けしたであろう。
頗る軽率な移送体制を見て、土偶は無価値なガラクタと判断して放り出し逃げたのである。
奪い取られたにしても得体の知れない土偶。
正確な情報がなければ、使い方すら解らない物である。
悪用される心配はないし、願いによって盗まれないとなれば理屈はどうでもよろしい。
爺ちゃんが土偶を質屋に託し亡くなった後、ヤブは発熱で数日入院した。
この時、ヤブはエネさんに憑依されている。
「今でもそん時のエネさんが付いたままだよ」久蔵が指さすのはパックである。パックが何度も頷く。
そんなこんなと今まで秘密にしていた事柄を、久蔵がヤブに総て話すのは、ヤブが磯家の一員として認められたからだと言う。
久蔵が磯家の従者として仕え始めた理由は、本人も知らない。
エネさんがそう仕向けたのだから、磯家とエネさんの間には何かがある。
ヤブがこの件を知っている全員を、どんぐりに召集してもらった。
騙され続けていたのが癪に障るものだから、一言詫びを入れてもらいたくて集めたのだが、思っていたよりも多い。
久蔵がいるのはは当然で、兄姉は親父殿から聴いていたから知っている。
芙欄・天戸弁護士は、久蔵の弟子だから知っていてもおかしくはない。
城嶋と看護士薬剤師の三姉妹までもとなれば、ペロン星人も知っている。
土偶の秘密を知っている者はまだまだ大勢いて、ここまで来ると知らない奴の方が希少である。
吾輩もつい昨日までその希少な生物の一であった。
それでも、車屋とネギのオヤジが来たのには驚いている。
琴音の事があって、ヤブが医者に戻ってからひょんな事が切っ掛けで土偶の秘密を知った車屋。
ネギのオヤジは先祖十数代も秘密と付き合ってきていた。
今はペロン星人と共同の事業展開をしているとか、戯けた現象が巷では流行っておる。
ペロン星人は、久蔵からエネさんが常々気にしている巨大なエネさん団の事を知らされてから随分に成る。
将来起こるであろう重大な地球の変化に対応する為、エネさんに協力している一派である。
何が悪で何が善かなどと決められんが、我等の命はパックと同類のエネさんに握られているのは確かな事実である。
となれば、地球のエネさんを吾輩は善とする立場にある。
ゆえに、地球に迫りくる巨大エネさん団は悪であるという結論から、この一団をこれから悪エネと呼ぶ。
エネさんからのメッセージをそのまま伝える久蔵曰く。
アクエネの目的は地球の資源、主に金属を奪いに来る。
宇宙空間には多くの鉱物が有るが、そこから取り出せる金属は鉄が殆どである。
希少金属も有るにはあるが、地球程豊富ではない。
精製した金属の状態で存在する天体は、非常に珍しい。
アクエネは集団で宇宙を移動している。
より小さくまとまれば高速移動が可能となり、エネルギーの節約にもなるのだが、凝縮した状態での移動は微弱な衝撃でも銀河を一つ消滅させるほどの爆発を引き起こしかねない。
衝撃から一団を守れるのが、強固な保護膜となる超合金の船である。
いくらエネルギーを操作できるといっても、土偶のように増幅する装置を持たない彼等には、地球のレアメタルは喉から手が出る程欲しい物となる。
一度アクエネが狙いを付ければ、金属と言う金属総てを回収するまで地球に留まり続ける。
採取する為なら、アクエネは地球人を奴隷のように扱うであろう。
金属と労働力を奪われた人類は、絶滅寸前まで追い詰められるというのが、エネさんの危惧する未来予想であった。
アクエネの襲来に対抗する準備は数万年前、人類が道具を持ち始めた頃から始められていた。
時の権力者・支配者には警告が続けて発せられて来たが、その警告が現実の問題として受け止められたのは近代になってからである。
日本では久蔵とペロン星人が中心になって、シェルター建築を進めている。
世界政府公認の極秘計画は、シェルターが総て完成しても一割の人類が生き残れる程度で、残りの数十億は外での生活を余儀なくされる事となる。
避難できるのは、アクエネと戦う意志のある者だけとされている。
戦闘能力のない者は外というのが世界各国の動きで、日本も例外ではない。
今では世界各地で兵器を備えたシェルター建設が極秘プロジェクトとして進んでいる。
こんな事が一般に知れたら、シェルターを巡って暴動が起こる。
アクエネ飛来の前に人類は滅んでしまう懸念がある。
各国で活動の指揮をとっているのが、エネさんが創った久蔵タイプの人間みたいな奴。
こいつの様な怪しい奴が、世界中にゴロゴロしていると思うと不気味でならん。
世界の動き同様に、日本でも各地にシェルターを造ってはいるが、朱莉ちゃんが関わっている地下都市ほどの規模ではない。
このままでは、シェルターは万民の為ではなく、ごく限られた者のノアの箱舟でしかない。
どんぐりで色々と知ってしまった。
戦うか避難を続けるかはその時に考えるとして、直ぐそこまでアクエネが来ているという情報もない事だし、とりあえず安心しようとしたら久蔵が皆さんに御報告。
隕石の原因は、アクエネの調査団が地球に来た影響であった。
船がレーダーで捉えられない程の高速で地球に着水。
船に引き寄せられた浮遊小惑星が降って来たと判明したのである。
そう遠くない将来、アクエネ群団が襲来するのは確実となった。
「御前も覚悟した方がいいよ」
凄まじく酔ったヤブ兄が、琴音の手記を持ってきていた。
「読んでないけど、多分、色々と知りたい事、書いて……うっ……」
ヤブ兄はそのまま駆け込み、トイレジャックを続けた。
現今地球上にどれだけ真実を知った者があろうか。
吾輩が交際の区域内において打算して見ると、真実を知ったる猫はクロだけである。
人間にいたっては、たったこの地に生息する僅かばかりの数である。
診療所に帰り、ヤブが手記を読み終えると、パックが琴音の姿で横に座っていた。
親父殿には、このエネルギー生命体が見えていたのだろうか。
それにしても、ヤブは琴音に随分と嘘をつかれておる。
ヤブはまだ何か考えているのか、下手の考と言う例えもあるのに。
後ろから覗き込んで見ると、机の上でいやにピカピカ光ったものがある。
吾輩は思わず、続け様に二度三度見をしたが、こいつは変だ。
まぶしいのを我慢して、じっと光る物を見つめてやった。
するとこの光りは、机の上で動いている鏡から出るものだと言う事が分った。
しかしヤブは、何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。
鏡と言えば風呂場にあると決まっている。
現に吾輩は港屋の風呂場で、この鏡を素通しして釜の生態を見た。
当家に参ってから今に至るまで、ヤブはいかなる大事があろうとも綺麗に髭を剃った事がない。
このような不細工が鏡を見るとロクな事がない。
手記の内容も内容である。
自己嫌悪に陥って、そのまま立ち上がれなくなったか。
無精に伸びた髭をジッと見て「俺も歳取ったなー」独り言を言っている。
剃り残しがあったり斑だったり、それを今になってどうするつもりか。しみじみ撫でまわしている。
これは悪い病気の徴候かも知れん。
脳の濃霧状態は一年に二度ほど追突された事故から変わらぬ現象であるが、ここの処連発する超常現象とそれに関わる連中のいい加減さで疲れ気味の様子である。
自分で疲れているだけだと診断して、特に治療もしないまま幾つかの病気を悪化させている。
ちょっとした事で忙しい病院の医師を煩わせるのも気が引けるからと、自己診断し誤診し薬漬けの日々を過ごす。
まぎれ無きヤブ医者である。
そんなこんなしていると、青年行きつけの病院から呼び出された。
M&Aの時、あまりにも危なっかしい病院だとして、親父殿が候補から外していたくらいの病院である。
料金の未払いならば、とっくにヤクザが殴り込みに来ている。
呼び出される心当たりが全くないと言いながらも、至急おいでくださいとされ、そのまま病院の院長室を訪ねた。
透明白衣で吾輩も同席してやる。
院長にしては若い感じで、小柄な女医が椅子に埋もれるように座っている。
大きな机からようやく頭が出ていて、動いているからまだ生きている。
絵画世界の婆は、代々病院の院長であったと聞いている。
狼に喰われていない院長なら三代目院長である。
「久蔵が何時も御世話になってまして、ゴニョゴニョ」
滑舌が悪いのか話が手書きカルテと同じなのか。
末尾の発言が不明瞭だが、言いたい事は勘で分かる。
「久蔵さんの御家族の方ですか?」
ヤブは琴音の手記で久蔵に家族が居るのは知っていたが、この者が何処に位置した人物なのか判断出来ないから聞いている。
「あー、久蔵のばあちゃんだーよ。ゴニョゴニョ」
久蔵の婆ちゃんとなると、初代二代目はいったい何歳なのか……初代ばかりか二代目も掟破りの長生きである。
狼が食っても問題ない族であった。
婆がゴニョゴニョ言い終るや、ヤブはいきなり絵画世界への入口が現れる特別室に強制入院させられた。
入院とはいうものの、症状が悪化したのではない。
体中からチューブが出ているのでもなく、食事制限もない。
テラス付の広い個室である。
ヤブは上機嫌でいるが、どういった事情かは吾輩にも分からん。
待遇は非常によろしいが、防弾ガラスの窓が開かない。
おまけに刑務所並の鉄格子がガッチリはまっておる。
出入口の戸は分厚い鉄扉。
加えて面会謝絶とあっては、入院というより監禁である。
「テラスでバーベキューやってもいいですか」ヤブが御願いしている。
いきなり隔離病棟の意味説明は全くないのだから、猫の訪問とバーベキューくらいは許してやってほしい。
強制入院から数日。面会謝絶が解除された。
親しい御付き合いの皆さんが見舞いである。
テラスへ出る御許しも出た。
見舞い客の度、テラスでバーベキューをやる。
少し太り気味のヤブ。しかし普段から丸いので誰も肥えたと気付かない。
ヤブがこの病院に閉じ込められたのは、普段は何かと険悪な雰囲気の遥と卑弥呼が、あおいの気遣いで頻繁に会うようになった事が発端である。
琴音が他界してから、協調して能力を使う機会のなかった二人が、御遊びでやった未来透視で、ヤブが暗殺者の手にかかる場面を見てしまったのだ。
あおいがバーベキューを食いながら笑い話にしている。
ここで一つ、大きな疑問が有る。
こんなにボロボロになった死にぞこないを殺しに来る必用があるのかである。
ほっといても暫くすれば、この世界から消えてなくなる。
今更殺す意義など何処にもない。
不可思議なのは暗殺者の来訪だけではない。
病室からの景色が不自然なのに気付いたのは昨日である。
水中から外界を見ているように、景色が陽炎の向こうに揺らいで見える。
『んんん、そっなんだよね。ここはね、異次元と現次元の中間でね。異次元に行っちゃうと帰れなくなっちゃうからね。注意してね。ゴニョゴニョ』
最近見掛けなかったが、何処に居るのか。
狼に喰われたかと思っていたら、声だけはしっかり聞こえて来る。
『そこにチョクチョク行くと疲れるんだよね。ゴニョゴニョ』言われて気付いた。
ここ数日特に激しい運動をしたでもないのに、異常な疲が残っている。
ヤブが誰かに殺される前に、病院性疲労に吾輩が殺されそうである。
気に成る事はまだある。
病室前のガードマンや、この病室のみ担当しているという看護師と医師である。
そんな事をしてたら経営が成り立たないだろうと思う。
『そいつらボランティアだから、給料払ってないのよ。ゴニョゴニョ』
「ボランティア……医師が五名・看護士十五名・警備にいたっては二十数名。全員が無給で死にぞこないヤブの為に働いておるのか?」
『生甲斐ってね、死に甲斐かね。ゴニョゴニョゴニョ。そこを運営してるのは、死にかけと生き返り損ねだよ。ゴニョゴニョゴニョ』ハッキリ言えば幽霊である。
吾輩はもう幽霊とはかかわり合いたくないのだよ。
暗殺者からヤブを守ると言いながら、霊界に送り込む気が溢れておる。
これでは今の吾輩も殆ど死んじゃった状態である。
ヤブの病院生活も一ヶ月の頃になって、突如厳戒態勢が解除された。
昨夜、警戒心の欠片もなく熟睡していた時、刺客の一団が病院に入り込み病室の前まで来ていた。
地球をアクエネから守るとしているエネさん一派に対抗している地球解放派が、独自に造り出した久蔵タイプ生命体の襲来である。
並の人間なら容易く追い払えるが、事この手の刺客を蹴散らすには少しばかりのトラップが必要だった。
ヤブの病室からチョイと先は異次元。
総攻撃を仕掛けて来た刺客を、この異次元空間へと押しやってしまう作戦。
同時に、解放派のエネさん達も異次元に行ってもらっていた。
詰まる所、ヤブはオトリ・エサ・人柱・生贄であった。
一歩間違えば吾等まで異次元空間の餌食である。
異次元と言っている絵画世界について、吾輩の調査である程度の事は分かってきたが、まだまだ解明されていない生物空間である。
その先が何処に繋がっているのか、誰も知らないとされている。
その空間に入って戻って来た者が今まで一人も居ないからである。が、吾輩は例外を知っている……。
エネさんが戦う理由は殆どの場合が地球解放か閉鎖かで、明治維新に似た混沌とした争いが人類誕生以前から続いていた。
生物に生きる力を貸してくれているのは、パックと同じ側のエネさんである。
正しいのか間違っているのか、この先の歴史が示してくれる。
既にヤブはパックに命を預けてしまっている。
我等にしても似たり寄ったりである。
したがって、あっちの考え・こっちの考えと動ける立場にない。
ヤブを殺しに来た一派が将来、歴史的には正しい考えなのかもしれん。
一時的にはアクエネの支配下に成っても、優れた科学力と引き換えに貴金属を差し出すだけである。
人類だけでなく、地球の生物総てが驚異的な科学力の恩恵にあずかれるならば、純然たる商取引といえなくもない。
ここまで事情が分かってくると、エネさん達の代理戦争に地球が巻き込まれているのではないかと勘ぐりたくなるのは猫ばかりではない。
何故戦争になったのか、エネさん達自身も忘れてしまっている。
ハッキリしているのは、我等を守ろうとしているエネさん達は、人間を地球に必要な生物と考えている事である。
パックと反対の考えを持ちヤブを殺そうとしたエネさん一派は、人類は地球にとって黴菌の様な存在だと思っている事である。
アクエネは地球の生物などどうでも良く、金属が欲しいだけ。
金属が手に入ればいいのだから、交渉の余地がある。
敵に回せば地球に存在する開国派エネ軍団と一緒になって、人類は奴隷の様な生活へと追い込まれる。
一方、味方に付ければ人類存続の可能性どころか、飛躍的な科学の進歩を遂げられるかもしれん。
アクエネは悪者ではないのか?
人類をばい菌扱いしているエネさんは少数派で、地球に集まったエネさんの中でも危険な過激派と聞いた。
人類をアクエネに差し出そうとしている過激な開国派だが、この一派だけに地球を操られる心配はない様である。
将来的には、アクエネ次第の地球と思える。
今回、過激派がヤブをターゲットにしたのは、磯の総代々行に成ったからとかだが、ヤブが総代々行に成ったとの話しは聞いた事がない。
いかなる経緯でそうなったのか不思議がっていると、遥・卑弥呼・あおいの三人が挨拶した時点で、自動的に代行の立場に置かれたようである。
磯家総代とは御旗の様なもので、チームのシンボル的存在である。
唐変木だろうが木偶の坊でも、たとえ盆暗だとしても勤まる。
確実に標的となる危険職だから、直ぐに暗殺されてしまう。
簡単に替わりが見つかる程度でなければならんのだ。きっと。なんとも的確な人選である。
この上ない選択なだけに笑いが止まらない。
ヤブでも勤まるではなく、ヤブでなければならなかったと言っておくべきか。
名誉なような不名誉なような。
この病院の特別室は狼になった化け物の兄弟分といったところで、部屋自体が入院患者を欲している。
取り込んで食ってしまうのではないが、いささか不気味な奴である。
入院して住まう必要はないものの、居住名義人を常に求めていて、住人が何等かの事故なり疾病で他界したら、弔いが終わった後に次の住人を指定する。
ここ十数代は総て磯家の当主。
琴音の野辺送りにヤブが出席しなかったので、葬儀は完了していないと判断し、十数年間待っていた気の長い奴である。




