25 絵画列島の婆島
開けると直ぐに壁が有って、横には本革のソファーが置かれている。
どんな物が飾られているのか。
乗っかってぐるっと見回したが黒い壁しかない。
これから青年が盗み出すならこの椅子しかないが、如何せんリハビリ中の身には無理な仕事である。
透明白衣を被って後からついて行くと、椅子には重みで壁を動かす仕掛けがしてあるのか、青年が座ったらば黒い壁が上にスライドして、分厚いガラスの向こうに一枚の絵が現れた。
美術品には興味がないから良し悪し等分からない。
どうせガラスの向こうではどうする事もできん、つまらないから吾輩は美術館から出てそれっきり忘れていた。
中で何が有ったのか。
青年は翌日のリハビリが終わってから、ガラス切りとハンマーと削岩機を持って屋上美術館に入って行った。
あそこにはコンセントがないから削岩機は使えない。
電気の有難さを思い知れ。
翌日。アセチレンのボンベを持ち込んだが、大汗をかいて出てきた。
それだけの体力が有るなら椅子を盗め、リハビリなど受けなくともいいだろう。
翌日。C4で爆破を試みたが、ドアが吹っ飛び中に有った椅子が粉々になって飛び散っただけである。
だから、椅子を貰っておけばよかったのだよ、だよ、だーよ!
それでも青年は通い続ける。
中で何をやっているのか、透明白衣を着て観察する事にした。
青年があらためて絵をじっくりと鑑賞している。
と、一つの島に人影が描かれていると独り言を言い出す。
ついに本格的な脳崩壊が始まった症状である。
米粒ほどの中に描いた島の中に、人など描かれている筈がない。
この考えはイカレた青年も同じとみえて、発破をかけた時に備え付けの双眼鏡が壊れたのかと、翌日になって高倍率の双眼鏡を買った。
双眼鏡で絵画を覗いては一人で納得している。
こんな過ごし方をして何日か通ったある日。
サイドテーブルにソリドゥス金貨が一枚むき出しで置かれていた。
何処から湧き出たのか、当の青年は置かれている状況を不思議とも思わず通い続け、数ヶ月後には大量の金貨を手に入れた。
今では完全に絵画の中に生きた人間が住んでいると思い込んでいる。
生活習慣の影響か事故の影響か、それとも両方の影響による合併症か判断に悩むところである。
青年がサイドテーブルに有った金貨を持ってエレベターに乘り、下の階に降りて行ったきり箱から出て来ない。
中で消えて居なくなってしまったのである。
遙に超常現象を見たと教えてやると、有朋を追ってやって来たハンター連中も同じ様に姿を消しているのだと教えてくれた。
聞いてはいたが、目の前で消えるとは思わなんだ。べっくらこいた。
消えた者が発見されたとの記録がない以上、青年はもう二度と此の世に現れないという事だ。
生死はどうでも良いとしておけば、タップリ貯め込んだ金貨の持ち主は今後永久に登場しないとして扱える。
したがって、吾輩がそっくりいただいても何かの罪に問われる事はない。
これは良い具合である。
アパートで金貨を探していると、でっかい男とひょろっとしたのが二人して部屋に入って来た。
一瞬泥棒かと思ったが、しっかり鍵をかけて家探ししている。
こやつ等も合鍵で入って来ている。
とりあえずこの場は隠れるのが宜しいと、透明白衣を被って二人の挙動を観察した。
でかい男がひょろっとした男の策略に従い、絵画世界から青年と入れ替わり出てきたついでに金貨まで手に入ったし、暫くはここに住んでやると語っている。
さて、ここで完全にイカレタと思った青年のお頭が、極めて正常であったと証明された。
それよりも重大なのは、絵画世界というのがこの世に存在する事である。
「入口は何処にあるのだ、教えてたもれ」
好奇心のあまり、隠れるのを忘れ二人に問い掛けてしまった。が………別段驚く様子はない。
「非常口」軽く答えてくれた。
でか男は絵画の中から、美術館でウロチョロする吾輩を観察していた。
そんじょそこらの猫と違うと、こちらの世界に居たひょろ太に教えたから、吾輩の日常はすっかり調べ上げられていた。
吾輩にも三分の一は金貨の所有権があると主張したが、猫に金貨は要らんだろうと軽くあしらわれてしまった。
吾輩が持つ本当の恐ろしさを、こやつらは微塵も解しておらん。思い知らせてやる。
早速匿名電話をかけ。黒岩と北山に青年が隠れていると、アパートの所在地を教えてあげた。
やはり正義の味方は悪党を退治するのが本業である。なんだかとってもスッキリした。
所詮猫に小判。吾輩とて金貨にさほど執着はない。
それより、青年が行った絵画世界という所が面白そうである。
二人より入口は非常口と聞いた。
しかしながら、病院には非常口が沢山有る。
とりあえず、外から非常口の数を数えて地図を作ってみた。
地図に従って一つゝ扉を開けて行く。
全部開けたが何処にも別世界への入口などない。
まわり損ねたのがあるかと、もう一度上から順に開けていくと地図には載っていない扉が一つ。
特別個室の先に、古びた非常口の表示が有る。
先程回った時にはこんな所に扉はなかった。
これは異次元への入口に違いない。
開けて覗くと足元は白い砂浜で、すぐ先には細波チャプゝの海が広がっている。
入口は分かったが海となると迂闊に入れない。
遙の未来科学研究所に行って、預けてあった潜水艇を飛行艇にぶら下げ、全部まとめて非常口に向かおうとしていたら、遙が吾輩を引き止める。
「あんた、全財産持ってどこへ行く気。まだ機械の解析終わってないんだから、勝手に持ち出しちゃ駄目!」
青年の事では色々と世話になっておいて、黙って家出では怒るのも当然である。
言ったからとて損も得もない。正直に一切の事情を説明すると、あそこに行くのかと分かった風で、それなら一つ頼みがあるときた。
飛行艇・潜水艇搭載カメラの信号を、未来科研に通じる仕組みにしてくれた。
これで吾輩とこの基地の通信もできるという優れ物である。
そのまま透明白衣を被せて病院の中に潜入し、扉を開けると飛行艇で近くに点在する島まで飛んだ。
潜水艇を岩場の影に繋いで、飛行艇で上昇する。
上空から海を撮影すると、程なくしてこの世界の縮図が吾輩に送られてくる。
多分、この島に青年が住んでいるだろうと、地図に若葉マークが付けられている。
飛行艇では目立ちすぎるので、ここからは潜水艇で若葉島へと向かう。
回りを珊瑚礁で囲まれていて、島の縁と平行して珊瑚の林に成っているから、大きな船は近付けない。
周囲ぐるっと一㌖ばかりの小さな島だ。
島には焼いた丸太を柱にして桟橋が作られてある。
その先には、無理すれば四五人乗れそうなヨットと、手漕ぎのボートが一艘係留されている。
ちょっと隣の島へ行くのには便利である。
桟橋の下に潜水艇を停めて、青年に気付かれないよう島へ上陸する。
今、青年は畑の中で野菜を食うか、それとも食わずに我慢するか悩んでいる様子である。
始めて見る植物でもあるのか、こんな島に飛ばされては毒草でもありはせんかと疑いたくもなる。
出がけに大変な所だから用心するようと遙に言われたが、難無くここまでやって来られた。
帰るにはまだ日が高いので、島を一通り探検してやろう。
とぼとぼ歩き出すと、住居として建てられた家の屋根から鶉ほどの鳥が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正して止まった。
猫の前に立ちはだかる勇気は認めてやるが何とも邪魔な奴で、吾輩の進路を塞いでおいて羽でシッとやって帰れと言う。
今着いたばかりの客に対して、理由も言わずにいきなり帰れは失礼である。
どういった了見だと怒って見せたら、説明などしている暇はない慌てて逃げろと言い終るや否や、真ん中の一羽が突然現れたでっかい犬にバクッと一噛みゴックンとやられて地上から姿を消した。
残った二羽は、でか犬の左右の前足で地面にきつく押し付けられて身動き出来ないでいる。
一羽が吾輩に向かって「だから、早く逃げろって」と言っている。
吾輩に忠告する前に御前達が逃げるべきだったのではないか? 行き過ぎた親切は命とりである。程々が一番。
でか犬は両の前足を動かせないから、吾輩を直ぐには襲えない。
避難警報発令によって一命を落とした一因は、他所者の吾輩が無警戒に島をうろついていたからである。
正義の味方としてここは一つ、恩義を感じる鳥達の残った二羽だけでも救ってやらねば猫が廃る。
「おい、犬っころ。一羽で十分であろう。残った二羽を食うのは暫し待ってやれ」
「猫が偉そうに何を言うか。我は犬ではない。フェンリルである。凛々しいフォルムをよく見よ」
フェンリルって何?
ひょっとしたら狼の事か、犬など足元にも及ばぬ凶暴な奴と噂に聞いていたが、とっくに絶滅したとも聞いている。
何はともあれ、間違っても友田津にはなれない相手に絡んでしまったのは分かった。
鳥さん達の命は諦めて、ここは忠告どおり素直に帰った方がよさそうだ。
「言われて見れば、何とも勇壮でありゃせらりる。失礼のカスカスおゆるひねぎゃいたい。ではこれにて失礼つかまつまつかする」吾輩が狼様に丁寧に別れの挨拶をして帰ろうと後ずさりしていると「待て、これは御裾分けである」右に抑え込んでいた鳥の頭をガブッとやって一飲みすると、残りを吾輩にくれた。
吾輩は今、苦汁の決断を迫られている。
ここで下手に断って気分を害しては、生きてこの島からは出られない。
かといって、目の前に生肉の塊となって横たわっているのは、身を挺して吾輩を助けてくれようとした鳥である。
それをはいそうですか有り難く頂戴しますと喰って見たらこれが実に旨い。
「どうかの? オヌシが今までに食した事のない美味であろう」
「はい、これは実に旨い。なんという鳥ですか」
「不死鳥である。この島にしか生息していなかった絶滅種で、これが最後の一羽となるかのー」
左に抑えていた一羽をガブリとやって半身を飲み込むと、今度も吾輩に残りの半身を差し出す。
さっきの奴が恐ろしく旨かったので、今度は迷わず頂いた。
「ところで、オヌシは何処から来た。この島では御目にかかった事がないと思えるのだが」
「はい、病院の非常口からここに入って来ました」
「ほー、あそこからか。どうりで消毒臭いと思った。我は消毒の臭いが苦手でな、オヌシを食う気にはなれなんだ。残念であった。もっとも、猫は好みでないがな。ファハッハッハー。今度は別の所から入って来てもらおうかの。そうしたら食ってやらんでもない」
絶対に消毒液の風呂に入ってから来る。
病院の非常口以外の入口も知らん。
これから暫く会話もないまま、鳥の余韻を堪能して狼は林の中へ、吾輩は桟橋から潜水艇に乘り飛行艇を停めた島に帰った。
ここならば狼がやって来る心配はないし、小さな島だからゴロンと一転がりすれば島全体を監視できる。
合せて一羽分の鶏肉を食ったから眠くなって来た。
潜水艇からビーチマットを引っ張り出し、パラソルを広げてをやっていると、ゲッブッとでかいのが腹から上って来て口から出る。
随分と大きなゲップだったが、量を食ったのだから仕方ない。
さて一眠り。
横になると、枕元で何かがチョロゝしている。
眠い目を開けてそちらを向くと、不死鳥が吾輩の頭を嘴でツンツンする。
先程のが最後の一羽と言っていたが、あの島で最後だったのか………。
「あんたさ、命の恩鳥をよくも食えたね。結構痛いんだよ、 食われるのって。あんたも食われてみな」
嫌だ。食われたくない。
「痛いって、さっきの鳥か? おまえ」
「そうだよ。不死鳥は死なないんだよ。学校で教わったろ」
「あー………吾輩、学校には行っておらん」
「およよ、そりゃ悪い事言ったかね。家が貧しかったとか?」
「いや、親が夜逃げをして、吾輩は置き去りにされた」「そりゃまた、酷い親もいるもんだね」
「吾輩もそう思う」
猫が辛い身の上話をしているのに、話途中だというのに、不死烏は知らん顔をして何か空に向かって話をしている様子である。無視かよ。
喰っちまったのは申し訳なかったが、それでも癪に障る。
こいつの身の丈がもう一回り小さかったら、とっ捕まえてもう一度食ってやるのだが、残念な事に、いくら怒ってもノソノソしていて反応がない。
ようやくこちらを向いたかと思ったら、それじゃあまたなと言って飛び立つ。
一二米飛び上がったが、突如吹いた横風に煽られストンと落ちた。
これはしくじったと笑って見ていると、御前に食われ復活したばかりで上手く行かないのだと詰め寄られた。
今更食ってしまった事を叱られても吐きようがない。
それよりも、生き返ったのだからもう良かろう。
何度かやって空高く上がっていくのを見上げると、三羽が遙か上空から嘴を揃えて吾輩を見下ろしている。
図太い生命力の持ち主である。
睨めつけても唸っても一向利かない。
飄々と辺りを飛びながら、吾輩の真上に来ては糞を落とす。
パラソルの陰に隠れたら、急降下してきて三羽で突きに来る。
なんとも懐の浅い連中で、食われた位で復讐の攻撃が始まった。
敵機の数を見るに、俊敏なる吾輩でも素手ではとうてい勝てぬと見て取ったから、素早く飛行艇へと乗り込んだ。
そこまでは良かったが、糞攻撃にあい窓が汚れて外が見えない。
レーダーで 捕えようにも、スリーディー攻撃をかけられたのでは対処しきれない。
だから、自動洗浄装置付けてって言ったのに………これではいかん。
今度は潜水艇に乗り込むべく、一旦外に出た途端に総攻撃を仕掛けられた。
たまらず逃げ込んだのが海の中である。
行き場のない小島で右往左往していたのでは、そのうち突き殺されてしまう。
海水に長く浸かれば、痒くなって剥げるかもしれんリスクなど問題視する程のものではない。
命あっての剥げである。
幸い操縦ヘルメットは防水仕様で健在。
少々深みまで泳いで、潜ったまま潜水艇を呼んで乗り込む。
吾輩と一緒に入り込んだ海水を排出して、大きく息を吸い込んだ。泳げたよ。
何事でも命がけとなると、アドレナリンの急上昇により期待以上の成果を出せるものである。
一先ず未来科研の基地に帰って、飛行艇を一生懸命洗ってやった。
異次元世界は危険と鳥糞が一杯である。
帰って直ぐに風呂で体に着いた海水を洗い流したら、懸念していた痒みも出て来ない。
毛が抜ける事もなく、剥げたのは化け猫の悪戯との疑惑が更に高まった。
何日かあけて絵画世界の観察をしていると、魚と肉だけの食生活は体に毒と気付いた青年。
畑の野菜を収穫している。
何処から持って来たのか、いかん植物栽培まで始めているから懲りていない。
純粋に繊維を取る気は更々ないようである。
初めから吸う気満々で、まだ芽が出たばかりの苗に名前まで付けている。
ここまで救えない奴は珍しい。
野菜を取ってすぐに火をおこして煮焼きする風だったが、上手く火が点かないのに苛立ち、海水で洗ったきりの生で食い始めた。
空腹は最高の調理人である。
トイレらしいトイレのないこの島で、完全無欠の有機肥料で作られた野菜はさぞ旨かろう。
狼が青年と仲良く野菜を収穫して、採りたてを美味そうに頬張っている。
この世界総てが例外であるから、何が有ってもいかんとは言わない。
しかしながら、狼がトマトに塩つけて食っている姿は情けなくさえ思えてならん。
肉食えよ肉。目の前で大きな肉の塊がトマト食ってるだろ!
四足を屠殺解体して食糧にするのに抵抗があるようだ。
釣った魚ばかり食っているが、魚ばかりだとそのうち狼が青年を食ってしまいかねん。
不死鳥をやっつけると報復が怖いので、鳥はやめて野原をうろついていた豚に電撃を喰らわして狼に届けてやった。
「あの野郎、解体できないんだよ。それ持って行っても食えないから、我がここでいただくとしよう」
でっかい野ブタ君をペロリたいらげて平然としている。
どれだけ食えるのか、一度試してみたくなる大食いである。
航空写真を基に作ったこの世界の地図には、大小合せて三千近くの島が載っている。
青年が狼に出会ってもこの島から逃げ出さないのは、ここが気に入ったからに違いない。
家の近くには船もヨットもあるし、出入口のある吾輩の島まで行けない距離でもない。
ただ、若干の問題がないとは言い切れんのがこの世界で、ここには月も星も太陽もないから方角がまったく分からん。 吾輩の様にレーダーを見たり、上空から全体を観たりが出来ない青年では、ちと出入り口に辿り付くのは難しいかの。
隣のヤクザ有朋を捕まえに来たハンター達は、この世界に迷い込んでいるとされているが、青年以外の人間に未だ出会えていない。
三千からの島の何処に居るのかも分からないのだから、一日二日の調査で見つからないのは当然と分かっていても、毎日収獲無しでは張合いがない。
先程、野良豚一頭丸ごと食って悠々としていた狼が、海岸でゲーゲーやっている。
吐き出すのは丸呑みした豚肉の塊である。
誰にも見られていないだろうなと辺りを見回して、上から砂をサッサとかけて知らん顔して去って行った。
吾輩が上から見ていたとも知らずに、大食いのくせして物持ちの悪い奴である。
波打ち際でゲーしたものだから、かけた砂がすぐに波に洗われて肉だけが海岸に転がっている形になった。
ちょいとすると、そこへ野菜を抱えた青年が通りかかり、肉の塊を発見した。
天の恵みと大はしゃぎしているが、どこから降って湧いたか知ったら、食う気に成れんだろうに幸せな奴だ。
太陽がないからいきなり真っ暗になるこの世界の夜、拾った肉を焚き火で焼いて狼にも食えと青年がやっている。
しかし、その肉を狼は食わずに火の前でゆったり寝ている。明らかに狸寝入りである。
いかに貪欲な狼でも、ついさっきまで自分の胃袋にあった拾い肉は流石に要らんとみえる。
青年の家には小さいながら、太陽光発電器と風力発電器が設置されている。
太陽はないが、光が有れば太陽光発電は電気を作ってくれる。
テレビは有るにはあるものの、難解な放送局が一局のみで、悪ふざけとしか思えない放送内容である。
これは地下世界の放送局が、非常時に備えて試験電波を常に発信しているからで、他の通信電波とまったく違う質の物である。
青年は、テレビが映るのだからと、携帯電話やインターネットを試したが、これは使い物にならんかった。
拾い豚肉に味をしめて狩に出るようになった青年の留守中に、詳しく家宅捜索をさせてもらった。
前の住人が書き残した大学ノートの山の中に、絵画列島攻略法というタイトルのノートがある。
この世界と常識的世界の間で、唯一貿易港として使えるのは小さなサイドテーブルだけ。
むこうとこっちの世界を行ったり来たりしている。
ところが、こいつはあちらの美術館に行ったきりこちらに来る気がまったくない。
両世界間の往来は非情なまでに困難とも書かれている、ならば、吾輩がこの世界に自由出入していられるのはいかなる事情が有っての事か。
攻略本には、何を置いても絵描きの婆を探せ、さすれば此の世は天国と有る。
狩りに慣れて生きるのに余裕が出来た青年。
このノートを見て、婆の島まで行く準備を始めたようである。
婆の島までの海図はあるが、順調に風を受けても一週間から十日の距離にある。
吾輩が調査した資料とほゞ同じ結果である。
誰かが行って帰って来たのでなければ、ここまで詳細な情報は得られていない。
有朋を追って来た者達が書き残したのかとも考えたが、記録の日付がどうにもでたらめになっていて収拾がつかない。
太陽も星もなく、いきなり朝ー突然夜ーの世界だから、我等の住む世界と時間経過が掛け離れているのは既に分かっている。
どんな進み方をしているのか、ノートの日付と吾輩の調査記録を照らし合わせたが、全く規則性のない時間経過だとの結論しか出せていない。
絵画世界から出て美術館側に回ってみると、デカ男が中で青年と文通していた。
デカ男が今日の出来事を、手に持ったスケッチブックに大きく殴り書きしている。
「危ない御兄さん達に捕まってボコられたんだけど」
顔が半分違う人になっている。
吾輩が通報してから随分と日がたっている。
ようやくこいつ等に警察の手が回ったか、何時も乍ら遅すぎる動きである。
でか男の訴えを無視して、青年は旅支度で日々忙しくしている。
牛肉でビーフジャーキーを作り、豚をハムにして、鳥や魚は丸ごと燻製にしている。
島に残されたノートで、サバイバルについて書かれた物があった。
日本語がほとんどである中に、英語で書かれた物は有朋を追って来た者達が書き残したであろう。
日付はいい加減だが、ノートの具合がまだ新しい。
どこからノートが湧き出ているのか。島の七不思議の一つである。
しかしながら青年、字が読めるばかりか英語まで堪能とは、ラリパッパ人生のわりに優れた者で、海水から真水を作れるように昼夜の温度差を使った蒸留装置まで作った。
吾輩は体力作りの訓練が休みの時は、必ずこの世界に探検に来ている。
地図も有るし上空からの写真も有る。
婆の島には何時でも行けるとばかり挑戦してみたが、どうやっても行き着けずに断念した。
それからかれこれ三度ばかり挑戦したが、未だに婆の島には行けていない。
どう回っているのか、普段は目的地に簡単に着けるのに、婆の島に向かうと、気付いた時には必ず吾輩の島に戻ってしまう。
諦めてさっさと帰りやがれといった具合である。
なんだかんだと1ヵ月ばかり忙しくしていた青年の所に、でか男が手土産を持って現れた。
「おうボゲ、手伝ってやるよ、婆の所に行くんだろ」
青年は、でか男が土産に持って来た体に悪そうなインスタント食品の束と、安っぽい3ℓウイスキーに感激している。
感激したのは土産に対してだけで、でか男には来てほしくない様子である。
「来るなよ指名手配! 御前何やったんだよ」
でか男はやっちゃんと同じく指名手配になっているらしい。
青年自身も警察と亜米利加ヤクザから逃げ回る身であるが、いかに同類でも氏素性の分からん指名手配犯とは御近付に成りたくない様だ。
「指名手配とダチになる気ねえから。帰れよ!」
「オマエ、帰れねえから困ってんだろ。本格的な馬鹿だなー。俺だって帰れないんだよ」
どっちもどっちの御馬鹿である。
隠れて聞いているので言いたい事が沢山有っても言えないのが辛い。
「御前の事ボコッたあいつらな、ダチじゃねえから。どうしょうもねえ汚職刑事だよ」
「なに、オメエ刑事のハッパかっぱらったのかよ、とことん危ねえ奴だなー。それによー、オマエ警察みたいな動きするよなー」
「元刑事ってやつだったからしゃーねーよな。体に浸み付いてんだよ」
青年が元刑事とは、やはり警察とはヤクザの中でも性悪の者が多く所属している組織である。
グダグダに付き合っているのに飽きたか、青年が出航の準備を始めると、でか男が突然此方の世界にやってきたサイドテーブルに金貨を乗せた。
以前、青年が集めていた金貨で、これで向こうとこっちの貿易契約が成立するのだと自慢している。
サイドテーブルが彼方の世界に金貨を運び消える。
数分して、テーブルが機械のパーツらしき物を運んで来た。
これを何度も繰り返している。
金貨がなくなって、あちらから最後のパーツだろう物が送られて来た。
すると一時間もしないで、以前でか男と一緒になって吾輩を騙したひょろ太もやってきた。
いよいよ出発の前夜。焚き火を囲んで狼も一緒の夕飯である。
丁度夕飯前に偵察に入ったので、吾輩は空腹でクラクラしている。
物陰から狼にサンプル回収用の容器を渡し、食い物を少しばかり持ってきてくれと頼んだ。
直ぐに持ってきてくれたのはいいが、犬の習性で容器を砂で埋めてはいどうぞときた。
余計な手間をかけて意地悪をするんじゃない。
そうこうしていると、ひょろ太がこの世界について知っている事を語りだした。
待ちに待った情報である。
これで吾輩の乗り物に取付ける何か良い物を貰える。
この世界に来たばかりの頃は、二人とも出入自由だった。 それが、ひょろ太が難破船から金貨を外に運び終わると絵の中に閉じ込められ、でか男は現実世界に締め出されていた。
でか男へ島にテンコ盛りだった色物を送り、交換に金貨を絵画の世界に戻してみたら、最後の一枚で二人が入れ替わった。
ここは逃走が常だった裏世界の住人にとて、実に都合のいい場所である。
金貨の移動が出る為の条件だと分かってからは、二人が互いに危ない一仕事を終える度に、交代して現実世界と絵画世界の二重生活をしていた。
そこへ青年が現れた。
丁度いい具合だとばかり、巧みに騙して絵の中に引き込み現実世界で金貨を手にしていたのである。
今回は青年を追って来た刑事から逃げるついでに、一度も行った事のない婆の所に行くのだ言っている。
どうやって現実世界に帰るんだよ。
現実世界から送った機械のパーツを組み立てて作ったのは船外機で、嵐の海を突っ切るのだと言ってボートに取付けている。
二人とも非常口の扉を開ける前から帰る気満々で、美術館から非常口へ引いたロープを、さらにサイドテーブルを使って絵の中へと伸ばし、絵画世界と現実世界の間にループを作ったが案の定、辿って行くと元の位置に戻ってしまって外に出られなくなっていた。
どうせ暫く逃げ隠れするつもりで来たから、たいしてあせるでもなく、青年と一緒に婆の処に行っての暇つぶしの様である。
三人が狼を連れて婆の島へと向った。
船には発信機を取り付けたから、彼等の後を追って行けば婆の島に辿り着ける。
遙が探検の御褒美として、飛行艇にレーザービーム・潜水艇には海釣りセットを取り付けてくれた。
波動砲が欲しい身としては、何が何でも婆島への行き方を調べねばならん。
人生の総てをかけて脇目もふらず、真っ直ぐ悪の道を突き進んできた三人らしく、何度も嵐の海に向っては別ルートへの進路変更を繰り返しいてる。
潜水艇に気付いた狼に、船で何が起っているのか尋ねると、進路を巡って嵐を突っ切って行くと主張する二人と、迂回すると主張する一人が争っているのだと教えてくれた。
気に入らんから三人まとめて食ってやるかと狼が苛立っているので、頼むから一人だけは残して婆島まで行かせてやってくれとお願いしておいた。
あまり内部抗争が激化するのなら、吾輩がどうにか処理して、食って良い奴と残しておくのを振り分けるからと船内に盗聴器を仕掛けてもらった。
亜米利加から証人保護プログラムによって日本に来た者だから、青年は亜米利加で刑事をしていたとばかり思っていた。それが、以前は日本の警察官であったと盗聴によって知った。
島を出て十日目。
狼に一人も食われず婆島に着いた。
三人が上陸しても婆は驚く様子無く、来るのが分かっていたかのようである。
影に隠れている吾輩にも、不味い生温ビールを出してくれた。
絵画世界の成り立ちは、思い描いていたものといささか食い違いがある。
展示された絵画世界の入口は、病院の特別室に現れる非常口まではいいが、この世界は異次元ではなく、意志を持って自由に移動できる空間の体内だときた。
妖怪ではなく、有史以前から地球に生息している【れっきとした生物】だと言っているが、どのみち性質の悪い化け物である。
狼はこの意志ある空間が具現化した者だとも言っている。
恐ろしげに貴重な情報である。
この会話を影から盗撮している吾輩のLIVE映像が、未来科研で話題になっていると遙から連絡が入った。
帰ったら潜水艇に波動砲を付けてくれると約束してくれた。
これで総てはもうすぐ吾輩の物。世界征服も夢ではない。
三人は自由出入の割符を後から送ると言われ、何で作ったか分からない微妙に不味いビールをもらって元の島に帰って行った。
島に帰ってから一ヵ月。
この上なく気まま気楽に過ごしていると、遙か沖合から一隻の帆かけカヌーがやってきた。
島に上陸したのは、美味いが直ぐに腹を壊すビールとハムを手土産に持った若い女である。
ビールとハムはもらったが、肝心の割符を貰えない。
三人はどうしたものかと不安なっていると、夜のキャンプファイヤーで飛び切りの薄着になった女が、青年に割符だと言ってカサカサになった人間の指を三本差し出した。
「生きた生物を頭から食えば、その生物と同じ生物に変身できるのですよ。一ヵ月前までの私は狼だったのよ」ニッコリ語っている。まことに性悪である。
何時か吾輩は狼と不死鳥を共に食した。あれで吾輩は自由に出入り出来ていた。
今頃に成ってなるほどね、である。
この話、美味いのに直ぐ腹を壊すビールを飲み過ぎて畑に行ったきりのでか男は聞き逃してした。
青年とひょろ太が一人で三本食ったらどうなるのか、でか男に内緒で聞いている。
「三本食べた方と御一緒でしたら、同時に三人まで出入が可能だと思いますわ」
三本を骨入り肉団子にして食ったらどうなるか、でか男に内緒で聞いている。
「たぶん結果は同じだと思いますわん」
他の肉と混ぜこぜしたらどうなるか、でか男に内緒で聞いている。
「やはり結果は同じかと思いますわん」
青年とひょろ太の期待どおりである。
二人がもらったハムと指三本を丁寧にすり鉢で混ぜこぜミンチにして、特性スープを作ってでか男に味見させている。
「美味えなー。おめえら料理上達したよな。ここに来てからよ」実に上手そうに食っている。
でか男がしきりに感激するものだから、二人が調子に乗って「全部食っても良いぞ」と薦める。
「わりいなー、遠慮しねえよ」遠慮などしてほしくないのが二人である。
「いいさ、体でかいんだからさ。イッパイ食わねえと持たないさ」
ひょろ太が鍋をでか男の目の前に置いてやった。
有難い事に間抜けな事に、でか男は肉団子鍋をガツガツ一気にたいらげた。
それから三人は、何時も仲良くあっちとこっちの世界を行ったり来たりしている。
訓練で港屋に行くと、大浴場の隣りにある部屋からステンレスの煙突が出ていて、そいつが目にしみる煙を吐いている。
ここはボイラー室という部屋で、何時もなら油を燃やして宿で使う湯を供給する施設である。
客は少なくとも、住んでいる者の生活がある。
電気の供給は制限されているものの、宿に設置した太陽光発電と風力発電の併用で何とか使えている。
ポンプで汲み上げる水は確保できても、煮炊きシャワーなどに使う湯を沸かす燃料は自前で何とかするしかない。
目に染みる煙をどの様にして製造しているのか、ボイラー室を覗き込んでみる。
ここの所の世界同時災害の影響で、燃やす油が入り難くなっている。
女将が恐ろしく旧式の薪ボイラーを引っ張り出して、倒壊家屋の廃材をぶち込んでいる。
左の方に柱を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには可燃ごみが丘のように盛ってある。
なぜ薪が山のようで、可燃ごみが丘のようかと聞くでない、意味など何もない。
ただちょっと、この一節を使って見たかっただけである。 気にするな。
人間は米を食い鳥を食い肴を食って獣まで食う。
どれも命あるもので、殺生なくして生きてはいけない。
加えて自分に便利な生活と引き換えに、自然をことごとく破壊し続けてきた。
いろいろの悪をしつくしたあげく、ついに燃料なくしては生きて行けなく成るまで退化したのは不憫である。
吾輩は行き当たりばったりの生活が常の猫だから、燃料などなくとも、暑ければ日陰に隠れ、寒ければ籠って丸くなっていれば過ごしていける。
女将の向側でしきりに人間の声がする。
いわゆる洗湯は、この声の発する辺に相違ない。
薪と可燃ごみの間に出来ているコックローチ通りを抜けて前進するとガラス窓があって、その向こうに丸桶がピラミッド積みされている。
丸い物でも三角に積むと、別物に例えられるから不思議である。
ひそかに人間の観察力のいい加減さを感じる。
小桶の先には風呂の椅子があって、その上に座った股間には見たくもない物がプラプラしている。
竿の長さは平均より著しく短く、以前眺めた景色を思い出すには十分な効果である。
これ以上見ずともよろしいから、ひらりと身を返し租なる一物に背を向ける。
このガラス窓はハリネズミの講談台と同じくマジックミラーに成っていて、風呂場からは此方が見えない仕掛けである。
誰も吾輩がガラス一枚隔てたこちらから、女湯男湯構わず見ているとは気付いていない。
此の世で何が恐ろしいといって、一度見て二度と見たくないと思っていた物に突如遭遇した時程不幸と感じる時はない。
いかに美形揃いのナイスバデエーが揃っていても、釜が茹でられている女湯には入りたくない。
奇怪だ! 何が奇怪かと聞かれても、理由を言うとマイノリティーに対する差別だと叱られるから言えない。
だがしかし奇怪だ。
今、女湯に入りウゴウゴガラガラ騒いでいる連中は、隅から隅までことごとくスッポンポンである。
風呂だから当然の出で立ちと言われればそれまでだが、せめて恥じらいをもって前にプラッと揺れるちんこい竿を何とかしてほしい。
そんな女湯にあって、居てはいけないオ・ト・コ! が一人混じっている。
診療所で貧乏神に憑りつかれ、不平不満を言いたい放題言っていた久蔵である。
似顔絵描きの事であるから、風呂に入ってまで紳士か淑女か不明瞭なる者達を写生している。




