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24 吾輩の日常茶飯事

 この夜、久しぶりに診療所で開かれたバーべキューで、吾輩は懐かしい家に帰った様な気分で酔った。

 家無し親無し天涯孤独の猫と信じて今日まで来たが、こうしてみると大勢の者達と知り合い、親しく遊んでもらっている。

 友の中に猫が異常に少ないのは、地域性か吾輩の特性によるものかである。

 別に猫の友は猫でなければならんという法律が有るでもない。これで満足である。


「明日からは体力造りだから、一杯食べておいてとねー」

 朱莉ちゃんが厭らしく笑いながら我等猫部隊に指示する。

 一事件解決したばかりだというのに、のんびり温泉に浸かる間もなく忙しない部隊である。

「嫌だ。吾輩は温泉に浸かりたい」正直に申告する。

 すると「俺も久しぶりに温泉に入りてえな」クロが珍しく、自分から風呂に入ると言い出している。

「ニャる程ね、いいよん。温泉に行って体力造りをやりましょ」

 朱莉ちゃんは、物分かりがいいように見えるが………ここに来た時から温泉ゝ。

 心の奥にしまって置くべき感情の起伏が、声に成ってチョクゝ出ていた事に自分で気付いていない。

 我等が言い出さなくとも、強化合宿とか何とか理由をこじつけて温泉に行く気であった。

 トランクからチラッと、マイ浴衣の裾が食み出している。


 そんなこんなはいいとして、数日離れただけなのに何ヶ月も帰っていないような気分である。

 しかしながら、朽果てかけた診療所も捨てがたい。

 どちらを別荘とすべきか、どちらを本宅とすべきか。悩むところである。



 吾輩は港屋に帰ってから運動を始めた。

 猫のくせに運動なんて生意気だと、どの猫もこの猫も一緒にして冷罵する手合も居なくはない。

 それでも海岸で毎日、朱莉ちゃん指導の元厳しいトレーニングに耐えている。

 女主人の家に居た時に主人は運動の何たるかを解せず、ただ流行りの物に飛び付きジタバタして部屋中埃塗れにしていた。

 そうしておいて「あー疲れた」と言っては菓子を食い、ヨダレを垂らして昼寝をする。

 揚句の果てに近所迷惑な大いびきである。


 最近になってクロから聴いた。

 あの女主人は社長夫人などと称し、下男の亭主が七の雑貨屋で昼夜問わず、太る間もなく働いて稼いだ金を取り上げて暮らしている。

 やれ美容体操だダイエット飲料だ。

 夏になったら日焼けすれば少しは痩せて健康的に見えるかもしれないと、微かな希望を頼りに日焼けサロンに通って浪費する。

 そのくせ外に出る時は紫外線は体に毒だと言って、日傘に日焼け止めクリームとUV対策は万全である。


 戦後亜米利加が日本国にもたらした復興と栄華はめざましく、高度成長期に人々はピカドンを使用した国に感謝までしたものである。

 猫も杓子もオタマもタマもビバ亜米利加と、西洋かぶれしたのは明治維新以来である。

 しかしながらバブルが崩壊し景気の低迷が続くと、諸外国より渡来した悪を生業とする団体と、国内の不良ヤクザが結託して力のない老人子供から金品を巻き上げる始末。


 世界に目を向ければ。

 同時に起きた世界恐慌にあたふたしている。

 元を辿るとそれこそ亜米利加が、国家を上げて仕組んだ詐欺が世界恐慌の始まりである。

 破綻するのが分かっていたサブプライムローンとかで、世界中から金を集めて踏み倒しておる。


 かと思えば、かの古代ローマ帝国と呼ばれていた国では、公職にある者達が集団で街を破壊し市民を恐怖に陥れていると聞く。

 日本においても公職にある者の為体が時たま報道される、この国の公職者が仕出かしている所業も、外国の者が起こす騒ぎも悪質である。

 市民の為に有るべき公職者とは言い難き族が、当然の権利とばかり暴れ回るのは見ていて腹立たしいばかりである。

 最近に始まった事ばかりではないが、世の中右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。


 もっとも、吾輩は三年前に生れたばかり。

 世界が経済恐慌などという性質の悪い伝染病に罹りだした当時の有様は記憶に存しておらん、のみならず、その砌りは母親の腹中に単細胞としてふわついてもおらなかったに相違ない。


 猫の一年は人間の十年に懸け合うと昔から伝えられておるが、近年では十五歳の猫も珍しくない。

 既に化け猫の年齢であるが、二俣に尾の割れた者には未だ出会っていない。

 それを踏まえても、猫の寿命は人間より二倍も三倍も短いのに、その間で猫は成長し精神発達は悟りの境地に達する。

 この事をもって推論すると、人間の年月と猫の歳月を同じ割合に勘定するのは、事実であるものの無意味である。


 人は何に付けても基準というものを設けたがる。

 己の判断によって物事を決められないからで、学識経験者なる者を頼りに決めたる基準に照らし、物事の是非を決めている。 

 それとてあくまでも基準である。

 人に限らず生物に限らず総ての物質反物質は、個々に違った性質を大量なり微弱なり持っている。

 基準は絶対ではない。

 であるのに、参考として個々の特性を見極め判断せらるるべき事柄さえ、基準がこうだからと決めつけてしまう。

 悲しくも愚かしい者達である。


 第一、三歳何ヵ月に足らぬ吾輩が世を憂いこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。

 女主人の所にいたジャリ餓鬼などは、性格の発達から言うと気の毒なほどに残忍である。

 鬼に成る為ならばそれでもよかろうが、よくよく世間の事情を聞けば、世のジャリ餓鬼を持つ親は優しい人間として成長して欲しいと願っていると言うではないか。

 なのに、猫を甚振る事と泣く事と寝小便をする事と、七の雑貨屋で万引きをする事よりほかに何も知らない。

 これが成長した結果として、己が対話調停の席につき、根気よく努力するのを惜しむ者ばかりが、国民の代表として議会の椅子に踏ん反り返っているのである。

 そればかりか、マッカーサーとかいう亜米利加人が創ったとはいえ世界に誇れる平和憲法が有りながら、法をねじ曲げようとしている。

 戦場に大切な国民の命を晒す法作りを、己が仕事と履き違える者が国家の長であり、取り巻連中に意見する者がいないのだから木偶である。


 自衛隊員と言えども大切な国民であるのに、国家が国民に対して何をするかではなく、国民が国家に対してどう尽くすかが大事だとばかりに、隊員を戦中の兵隊同様に扱っている。

 もはや平和憲法が最も嫌う軍事国家に限りなく近い国になろうと、猪突猛進しているのが今の日本国である。

 これでは何処まで行っても人間は救われまい。


 万物の平穏を守るべき者が、動乱の世に争い勝利する事こそ正義と、数の大をもって国内のみならず国外にまでも主張する。

 かような時代に憤りを覚える吾輩などに比べると、人間ほどの戯け者は他に類無き生物である。

 それだから物事の真実が全く見えんまま、大勢の者が良しとした事が正しいのだと信じ込んでしまう。

 吾輩は運動をする。海水浴もする。空を飛び海に潜る。 

 人の歴史を数日のうちに小さな脳に記憶したくらいで驚き、人類の脅威として当然といった風にしている。

 これしきの事さえ理解しようと努力しないのだから、怨み怒り敵味方。

 歴史に刻まれた事柄の真実を見つけようなどとはしない。


 人間と言う生物は、足の二本足りない我がままな鈍間に決まっている。

 人間は猫を馬鹿にするが、古代より運動神経は他の動物に劣り、俊敏さでは猫に遠く及ばぬ生物である。

 であるから、近頃になって自分の優位をひけらかしたくなって、人間は総ての生物の支配者であるかの如く振る舞っている。

 常にその中でも、自分が分類されたる国家の優等である事を吹聴して周るのである。


 吾輩などは生れて直ぐに捨てられて、人間に出会ったその時から、このくらいの事はオヤジ等を監察して知っていた。

 第一、何故に働く下男であった亭主が胃薬を飲まなければならないか、精神に著しい負荷を常よりかけられているからに他ない。

 七の雑貨屋で長としていても、家庭にあっては下男として扱われておる。

 この様なオヤジが世界には何人いる事か。

 吾輩には分からんが、あの様に束縛されし者達が挙って主人に反旗を翻したれば、此の世は阿鼻叫喚の地獄絵図と化すであろう。

 それが、誰も病気にならず日々仕事に励んでいる。

 それもこれも、我等は他の民族国家より優れており、良い暮らしを営んでいると思い込まされているからに他ない。


 思い込みは幸福の必須アイテムである。

 これにより、国民を思いのままに動かせると言う御上もまた、思い込みで政治を行っている。

 殆ど視力のない土竜が、ある日突然見えるようになったらどうだろう。

 これが海だとラッセンの絵を見せられたら、何と海は生物が豊で自由に伸びゝした世界だと思い込んで生きるに違いない。

 それが土竜にとって、海を知った幸せとして生涯を終えるのなら良い。

 何等かの拍子に海に行き、絵のまま自分も海中に入り、鮫や鯱に喰われて死んでは、幸せな生涯であったとはいい切れん。


 真の海を知ってから、己の意志によって海に中入るか入らんか決め、海に入って喰われて死ぬのならまだ諦めもつこう。

 そこには、他の者に騙されたという口惜しさが微塵もないからである。

 たとえ未来にどんな結果が待っていようとも、騙され導かれて逝き付く結果と、自分で決めて逝き付く結果は同じでも心持は違うのである。


 猫といえども相当の時期に到着すれば、みんな彼の世あたりへ出掛けるつもりでいる。

 但し今は逝けない。物事には時期がある。

 今は体力を付け試練に耐え、地球防衛軍猫部隊として、朱莉ちゃんより授かった任務をつつがなくこなしてこそ猫道の本懐成就。

 生きた証しを味わう事が出来ずに死んだのでは、産れて今まで生かしてもらって来た恩返しが出来ん。

 何処の誰に恩を返さねばならんといった義務は、吾輩には微塵もないがの………。


 とか何とか言っちゃったが、はて? 我等は何のために体力を付けているのか。

 何故にこのように厳し激しい運動を、毎日繰り返し続けねばならんのか。

 未だに朱莉ちゃんは任務の欠片一部も教えてくれん。

 訓練が終われば温泉に浸かり、上手い飯と心地よい部屋で寝られるからいいが、吾輩も何かと思い込まされている気がしてならん。



 やっちゃんが地下の施設に行ったきりで、もうこちらには帰って来ないとの連絡があった。

 吾輩の部屋だったやっちゃんの部屋は、既に綺麗に片付けられている。

 荷物も地下の病院に送られてカラッポなのである。

 朱莉ちゃんが宿に来て直ぐにガラスを入れてくれたから、今は室内に火山灰が飛ぶ事もなくなった。


 飛行艇を自由に操れるようになってからは、港屋と診療所を行ったり来たりで過ごしている。

 地下の病院に行けばやっちゃんが居るが、特に会いたいとも思わん。

 奴は退院してからそのまま病院に居座り、今では医師として地下病院に勤務しておる。

 吾輩が顔を出したとて、猫じゃらしを引っ張り出して「ほれ遊べ」とする程度の歓迎しかしてくれん。


 一仕事片付けたやっちゃんには、暫く地下の病院でのんびりしてもらえばいいと卑弥呼とあおいが話していた。

 朱莉ちゃんは我等に水泳を伝授せんがため、海岸に出ては「それほれ、海に入って訓練だびょ」とけしかける。

 しかし、以前海に浸かった時には痒さを伴い全身の毛が抜け難儀したと訴え、遠泳訓練は暫く様子を見る事となった。急いては事を仕損ずる。

 この前のようにそこら中剥げたり、痒くならないのであればやらなくもないが、結果が不明であるから無暗に飛び込む訳にはいかん。

 猫は進化の過程で、水と付き合う機能が人間と異なっている。

 海水に対して相当な抵抗力がつくまでは海には入らん。

 テレビの報道で他の猫が海で泳いでいる映像でも流れたらば、考えてやらんでもない。


 海での遠泳訓練は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取り決めた。

 どうも二十一世紀の今日運動をしないのは、ろくに飯も食っていない野良猫のようで見掛けが悪い。

 かといって、朱莉ちゃん指導特別訓練の様に、迷彩服を着て海岸を這い蹲って異動する運動は、並みの猫がやる事ではない。

 昔から猫はひがな一日適温適湿の場所を探し出し、そこでゴロゴロ昼寝夜寝をしている者と決められている。 

 したがって、我等の行動は世界的にも極めて異質である。

 当然の如く、報道が宿の部屋を借り、我等の海岸訓練を取材する。

 女将にすれば、あてにしていなかった宿泊客である。

 おまけに新聞・テレビ・雑誌で宣伝してくれるのだから有難い。

 ハリネズミの講談に押され、しばし温泉猫招き猫人気は下火であったが、ここに来て過激な訓練に耐える猫として一躍脚光を浴びた。カンバックである。

 一通り訓練を終え、部屋に入れば女将が我等にビールを馳走してくれる。

 運動の後のビールは格別に旨い! 


 港屋ではこういった日を過し、休日は診療所にあって人間の友人達と過ごす。

 人に比べ長くはない猫の一生、せいぜい面白おかしく過ごさせてもらいたいものである。


 港屋にやっちゃんと移住する以前、第二病院は立て籠もり事件の真っ最中であった。

 どういった経緯で解決したのか、気に成っていたので毎夜クロから寝物語に聞いている。

 この事件を最初から最期まで見ていたクロだが、当時は平凡な泥棒猫であったから、事件の奥深い所までは気にしなかったし気付きもしないで今日まできていた。

 それが、学習機の御蔭で知恵が付き、最近になってリゾートで荒っぽい犯罪を指示していた組織が、病院の占拠事件にも関わっていたのではないかと言い出している。


 振り返ってみれば、人質が爆破された時、クロは現場に居合わせて保護されている。

 犯人は声明で、我々は主義主張で動いているし本気だと言っていたが、其の後の動きからして立て籠もりは本意ではなく、ひたすら近くを走る鉄道に向けて地下道を掘っていた。

 ヤブが北山を通して流した情報が有るにも関わらず、警察が探知できたのは線路方向の一本だけで、列車強盗でも計画しているのではなかろうかと詮索していると、犯人から要求が出された。


「一人当たり一億の身代金と逃走用車両」

 こうなるとトンネルは逃走用と見るべきである。

 要求している逃走用車両はダミーで、人質の何人かを乗せて走らせる計画に違いない。

 しかし、仮に逃走用トンネルを包囲しても、人質が乗った逃走用車両を爆破すると脅されたら、手も足も出せずに犯人は自由の身である。

 そんなこんなゴタゴタが有って、身代金が届けられ人質は解放されたが全員ではなかった。

 これは犯人の要求を大きく裏切る結果となった政府の対応によるもので、また一人の人質が爆破された。

 この一件が有って直ぐ、犯人グループがマスコミを病院内に呼び入れた。


「我々は、極東の騎士アルトイーナである。我々は、人民の人民による人民の為の政府を立ち上げる」

 クロはこのアルトイーナという組織が、国内外で不穏な動きを指揮している組織なのではと疑っているのである。

 病院では患者と入れ替わった爺婆が、演技して時間稼ぎをしていたが、事件解決に持ち込むまでには行かなかった。 結果として列車が襲われたのだが、盗まれたのは贋作ばかりの美術品で、被害があったのかなかったのか。


 恐ろしく後になって知った事だが、アルトイーナが奪おうとしていた物は、ヤブの親父殿が探していた物と同じであった。

 この探し物が見つかって、親父殿は保管場所を病院としていた。

 警護の都合もあるのでと、正体を知ってか知らずか親父殿はシロを保管病院の院長にと指名した。

 銚子から地下の病院に移動していたシロだが、この打診を断る理由もなく、ヤブの親父殿が第三病院として開業した病院に勤務すると決まった。


 山武第三病院は患者のメンタル治療重視病院にする予定で、豪華な設備とゆったりした病室が自慢である。

 穏やかな照明に落ち着いた音楽。

 一昔前の精神科病院とは様相が違うと親父殿が言っている。

 吾輩は一昔前には生まれておらんから、酷い物だったと聞いても、昔の精神病院がどれ程のものだったのか。

 いい加減が服を着て飯を食っている親父殿が酷いという位だから、女主人の家よりも凄まじい虐待があったくらいの想像しかできん。

 そんな暗い過去を背負った性質の病院だから、患者の気持ちや近所の住民感情を考慮して、多くの診療科を併設し総合病院の体を成している。

 医療現場に出れば親父殿もそこそこやるもんだ。できるもんだ。


 朱莉ちゃんの医療教育で得た知識を総動員すると、地方では精神疾患に対する偏見差別は未だもって甚だしく、狐ツキだ何だと御払いが当たり前の地域も現存している。  

 しかしながら、ここの所の異常気象・異常現象でメンタルが崩壊寸前の患者が増えている。

 第三病院のオープンは次節にビタッとはまった形で、外来患者が後を絶たない状況が続いている。

 親父殿は恵比須顔である。


 例によって、吾輩は籠に入ってホスピス以外の病院内を見学させてもらった。

 清潔であるのは病院として当然だが、加えて美術品の展示スペースは美術館並の施設である。

 吾輩は美術品に対する知識は皆無で善いも悪いも分からんが、何処かで見た事のある絵画ばかりが飾られてある。

 アルトイーナが病院から逃げる折り、卑弥呼の地下道に置き忘れて行った物を頂いて展示してある。

 院長に大抜擢されたシロは、ここで毎日御機嫌に過している。

 院長・城嶋先生。なかなか評判がいい。

 特殊な治癒能力を持ってして初診で完治だから、名医には違いないが、恐ろしい商売音痴である。


 第三病院にはホスピス病棟がある。

 親父殿がこの病院をヤクザ並の脅迫で格安買収してから設置された。

 親父殿は前立腺癌持ちで、最近になって再燃してきた。とはいえ、急激に進行する性質の疾病ではない。

 癌で逝くより早く寿命が尽きるのは確実である。

 本人は二百才まで生きてギネス記録を塗り替える気でいるが、酒煙草を止めない。

「こんな良い物をやらないから、皆早死にするんだ」と、医師らしからぬ持論で医学界から白眼視されている。

 医者の不養生の典型、教科書どおりのダメ患者である。


 親父殿とて医師の端くれ、癌マーカーの数値を見れば自分の症状が取り急ぎ何かをしなければならない状態で有るか無いか位は分かっている。

 ただ、猫が運動するのを聞いた時は「はて、猫の運動はいかなる運動か、それは癌細胞を減らす効果が有るのか」などと頓珍漢な質問攻めに合い難儀した。

 いくら運動と言っても我等のは訓練で、親父殿が思い描いている様な体操とは違った動きである。

 勿論、ただの運動でも抵抗力の向上には繋がるが、我等の訓練を半病人がそのまま真似てやったれば、放置しておくより遙かに寿命が縮まる。やらん方がいいぞ。


 今日明日の命ではないが、ホスピスは親父殿が自分の先々を考えての事である。

 吾輩は、このホスピスなる施設で徘徊するのを特別に許されている。

 猫がウロチョロしていると、患者の心が和むのだそうだ。

 病院の中に有って、しっかりはっきり区切られた一角のホスピスは、他の病棟とはことごとく性質の異なる様相である。


 専用に設えた調理場の換気扇から流れ出る臭いは、何時も旨そうないい香りばかり。

 廂から屋根に飛びあがり、天辺にある換気口から忍び込んで食材をいただけないものか。

 外からガラス越しに見ると、厨房の真中にある調理台には麺棒が置かれている。

 まかり間違って発見でもされたら、あれでしこたま打ち据えられるに違いない。 

 仮に日頃鍛えた体力にものを言わせ、敏捷な動きで逃げ回ったにしても、天井から飛び降りて入ったのでは出口がない。

 しからば厨房に入ろうとしている者の後ろから飛び付いて、一緒に中に入るのはどうか。

 これもまた有り得ない作戦である。


 配達に来る八百屋・肉屋・魚屋の荷に紛れ込んで思ったが、ならば直接配達人を襲って奪った方が安全確実である。

 余計な手間をかけて袋の猫になるようなものだ。

 いずれの方法も成功する可能性は零に近い。

 書面を使って脅迫状を送り付け、吾輩に美味なる食事を与えよと命令したのでは、流石に御間抜けの拳銃を持った地方公務員でも、犯人が吾輩だと気付いてくれる。

 これで朱莉ちゃんやハリネズミにみつかると、永久ただ喰い券を没収されかねない。


 ファーストフード、旨いには旨いが健康上好ましからざる栄養バランスである。

 我等猫族は常から栄養学など気にしていなくとも、不足した栄養を体が求める。

 今吾輩が摂取しなければならないのは、高価なタダ食いファーストフードではない。

 ホスピスの厨房にある食材そのままの栄養が必要なのである。



 昨日は近所の物置に隕石が落ちて火事騒ぎであった。

 界隈の災害は終息傾向にあるとされているが、相変わらずに過激な状況で、予測データーと幾分異なる現象も起きている。

 世界中に迷惑な隕石が大量に降ってると報道されているのに、ヤブは松林の住人達が海岸で拾った隕石を大量に買い入れている。

 ネットオークションを見れば、隕石の価格は暴落どころか入札すらされていない。

 下手な投資などしないで、吾輩に酒の一杯もおごって見ろ。


 今朝は病院の駐車場にも隕石が落ちた。

 日頃の行いが悪いからか、停めてあった芙欄の車を直撃。

 誰が流れ星に御願いしたか、夜には芙蘭の家に隕石が落ちた。

 残念な事に芙蘭は無傷で助けられている。

 隕石ばかりかオーロラまで空に現れ、この超自然現象の原因について政府見解が発表された。

 地球地軸のズレと太陽フレアからの磁気嵐が原因だとか………?

「地軸はズレていないよ」朱莉ちゃんが太鼓判を押した。

 毎日星を眺めている視力の良い土竜がいたから、極星の位置はどうなっているのか確認してみた。

「北極星の位置は変わっとらん!」

 怒りとも恐怖ともとれる声で吾輩に告げると、慌てて穴の中に逃げ込んで行った。

 そこまで警戒してくれるな、吾輩は土竜や鼠などのゲテは食さん。


 磁気嵐とのたまっているが、これも疑問である。

 電子機器に何の異常も発生していない。

 国民の不安を和らげる目的だろうが、思い切ったこじ付けである。



 日本中がパニックになって忙しい時に、親父殿が診療所に連絡もなくいきなりやって来た。

 着くなり「バーベキューだーー」と勝手に準備をしている。 

 診療所までわざわざやって来たのだ、何か言いたい事があろうに、自分の考えを人に伝えるのが苦手な人だからとヤブは言う。

 苦手ではない、伝える気がないとしか見えん。

 無言のまま食っては呑むで時間が過ぎて行く。


「俺、ホスピスに入るわ」突然の引退宣言である。

 吞食いの合間に、御前には随分と苦労を掛けただの、これからは兄弟仲良く病院を守っていってくれだのとネチッと語っている。

 ヤブがコリャいかんと兄に電話して「親父がいかれちまったから迎えに来てくれ」と頼んでいる。

 電話の向こうから「今日ばかりは診療所に泊めてやってくれ」と突き返された。

 癌が再燃・転移・進行して、どうにも手の施しようがないほどに悪化しているとの事である。


 ヤブの兄と姉も夕刻になって診療所にやって来た。

 久しぶりどころではない。

 家族全員が一つ屋根の下に集まっての夕食を見たのは初めてである。

 家族のない吾輩は羨ま限りである。

 あおいにキリちゃんと朱莉ちゃん。第三病院の城嶋も参加して終いには宴会である。


 芙欄が裸踊り………何で御前まで居る。

 久々にへべれけになって、皆で流れ星に願った「親父殿が治りますように」

 病院関係者でなくとも、ホスピスに入るのが何を意味するかくらいは分かっておる。

 それでも奇跡を星に願った。

 これだけ多くの流れ星があるのだ、一つくらいは道を外れた奴がいても良さそうである。


「御前等これをさ、バーベキューって言ってるけど、これ正式にはグリルだからね、グリル。光る土偶持ってるだろ、持ってきなよ」

 酔った親父殿が乱暴な発言をする。

 光る土偶? それって何………土偶ってどんなの………どうしようっての。疑問が膨らんでパンパンである。


 翌日、皆でホスピスまで親父殿を送って行った。

 ホスピスの警備は厳重である。

 猫は入れても、ウィルスの一つも入れない姿勢があちこちに見え隠れしている。

 山武第三病院のホスピスで特徴的なのは、現行法を無視している点である。

 末期の痛みや不安を和らげる為、違法禁止薬物がそこかしこ無造作に置かれてある。

 これは偏に、ヤブの親父殿が世間様から良い人に思われたくて、ICPOの委託で証人保護プログラム施設に第三病院の一部貸出しを承諾している強みとでも言っておこうか。

 ヤブがヤクザ刑事を脅して、黙認させている効果と言うべきか。


「患者が好き勝手に取り扱えるほど簡単な保管状態ではないが、盗もうとすればこれ程容易い薬物保管は極めて稀だ。痛いと言われたらすぐに鎮痛剤が投与できるようにしている。それもこれも患者の負担を極力軽くする工夫だ」親父殿が説明している。

 吾輩には、どんなに斜めになってもそう見えんが、気のせいかどうか。


 法律がどうであれ患者にとって良かれと思えるならば、出来る限りの我がままにスタッフは付き合っておる。

 証人保護プログラムで保護している証人が、病院の屋上に作った温室で薬草栽培をしているのもその一環と言う。  

 が………茎に値札が付いているのはどういった原理か、説明がないまま次の見学地へと移動する。


 この病院は近未来の医療ルネッサンスを先取しておる。

 病院が扱う植物は全て薬の扱いで、風邪薬に入っている種子の粉と同じか、それよりも人体に害が少ない。

 あと僅かの余生、せめて死への恐怖を忘れてもらう為。

 ホスピスは病院施設内で唯一、喫煙が可能なエリアとなっている。

 当然だが飲酒もありだから、吾輩もたまにお零れに与っている。


 短い期間に出来るだけの事をしてあげなければならないのがホスピスだが、復讐などのように第三者に危害を及ぼすような行為について、病院は完全に否定している。

 ただ、このホスピスにあっては、隣のヤクザ有朋がコンサルタントとして出入り自由になっている。

 深くは言えない聞けない関わり合いたくない。


 有朋の国際手配は解除されたのだから母国に帰ればいいものを、何が気に入ったかこの地に留まっている。

 母国に居た時は警察に協力し、犯罪組織の撲滅に貢献していたと本人は言う。

 その実、刑事力を利用して競合相手を抹殺していたに過ぎない。

 本国では有朋が密告者であったと裏社会に知れ渡ってしまった。

「もうアメーリカには帰れないなー」とぼやいている。  

 今更母国に帰っても、懸賞金目当てのハンターから追い回されるのは楽しい事ではない。

 ならば日本でのんびり過ごした方が好いといった所が本音である。


 有朋狩りでなかなか興味深いのがある。

 有朋を追って亜米利加からやって来るハンターが、この地区に入って来た記録を最後に、次々消息を絶っているのである。

 警察は有朋が一連の事件を引き起こした主犯とみて、徹底的にマーク。

 隣のヤクザ組織は建物ごと厳重に監視されていた。

 地下の通路さえ埋め戻されてしまったのだから、建物の外に出るのはおろか外部との連絡も一切出来ない状況にあっても事件が起きたから容疑が晴れた。

 元来が法に逆らっての無理な生業だから、警察にとやかく弄られるのは当然だ。

 怒る理由にならんもので、其の場は大人しく引き下がったものの、後からつまらん事でしょっ引いたら今度は許さないぞとばかり、抗議文を警察署長に送りつけた。

 もう誰も有朋組にチョッカイを出す者がない。

 警察署の門前で立小便をしたり、パトカーに落書したり、今はやりたい放題の悪戯を警察に仕掛けている。


 それはそれで勝手にやっていればよろしい事だが、消えたハンターは何処に行ったのか気になる事件である。

 警察が発表した資料には、総ての失踪者は近所のリハビリ病院に入ったきり行方不明になっていると記されている。

 当時の警察も署員を総動員してリハビリ病院を捜索したが、捜査のヒントに成る物は発見できないままで終っている。


 猫は知りたがりである。

 この件に関してあちこち聞き回ったが、今日まで何一つ得られていない。

 もっとも、吾輩の聞き込み範囲は限られておる。

 当然警察の調査済みばかりを後追いしているのだから、この結果は致し方ないもので、かつてここまで深く調査したであろうかという所まで調べなければ答えは出て来ん。


 ホスピスで軽く貰い酒をしてほろ酔い、何気なく屋上を見ると、薄っすら細い煙が揺れている。

 火事と騒ぐ声もないから焚き火でもしているのか、ひょっとしたらバーベキューか。

 ヤブが絡むとどこでも始まる宴会が、ここでも始まろうとしているのか。

 飛行艇で屋上まで登って見ると、一人の若僧が煙草をふかしている。


 有朋に有利な証言を亜米利加でして、命を狙われている青年が証人保護プログラムで日本に来た。

 この青年が真面目で、毎日一生懸命屋上温室で働いていると、かみさんの遺影に向って親父殿が話していた。

 日本では栽培許可がなければ御法度の植物栽培である。

 余命幾何もないホスピス患者が、少しの間恐怖から解放される為に使用する。

 この病院に限って、屋上温室での栽培を見逃してもらっている。

 勿論、非公式である。

 それをこともあろうかこの馬鹿垂れは、一部を盗んで売っている。


 人間の法律は吾輩にとってどうでも良い事だが、困った加減が度を越しているから注意してやった。

「警察がエレベーターに乗って来るぞ。今直ぐ逃げた方がいいんじゃねえの」

 空飛ぶ乗り物に乗った猫が、青年の耳元で囁いてやる。

 正直な安保たれ君は実に扱い易い。

 慌てて無造作に置かれたくしゃくしゃの札と、薬草の残りをポケットに詰め込んで、階段を走って下りて行った。

 途中で転んで落ちる音が聞こえたが、アドレナリンが゜出まくっているから痛くないのであろう。


 吾輩が脅すつもりでしてやった忠告だが、青年が逃げて直ぐに黒岩と北山が温室にやってきた。

「んー………あの野郎。金と薬草を持ち逃げしやがった」 

 北山が現場を一目見て状況を把握した。

「とりあえず痛め付けてみようか」

 黒岩が青年に非人道的制裁を加えるとの提案をすると、二人がエレベーターに乗って下に降りて行く。


 草の陰に隠れてこの様子を伺っていた吾輩は、草の葉より僅かに飛散する薬効成分の影響で幾分呑気である。

 結果として二人から、身に余る暴行を受けずとも済むようにしてやったのは吾輩である。

 しかし、逃走を薦めたのも吾輩である。

 この結果がどうなるか少し責任を感じる。

 こういった場合、人は野次馬と言うが、吾輩の場合は責任感の現れである。

 飛行艇に再び飛び乗り、青年と刑事の行方を追った。


 青年は凝りもせず、逃げる車に乗って煙草に火を点けている。

 煙草は違法ではないが、点火に気をとられて前方無視の運転は固く禁止されている。

 酒酔い運転よりも危険である。

 こればかりは見逃す訳にはいかん。

 近年、高齢者が不注意や誤操作により、多くの人を傷つける悲惨な事故も増えている。

 大量殺戮も可能な機会が車だから、たまったものではない。


 法を作り取り締まっても、法の網から抜け出した者達が、無謀な運転を繰り返す。

 いっそのこと法に縛られない者が現れて、こやつらを退治してはくれんだろうかと思う時もある。

 そう言えば、吾輩には強力な知識と飛行艇に潜水艇&五本指手袋に二足歩行長靴と透明白衣がある。

 ヒーローごっこのやりたい放題アイテムが揃っているではないか。

 朱莉ちゃんに御願いすれば、レーザービーム銃や波動砲も貰える。

 いかに隣りのヤクザの無実を晴らしてやった恩人とはいえ、吾輩の恩人ではない。

 ここは一つ正義の味方になって、青年の根性を強火であぶって捩じって曲げて、トンテンカンと打ち直して真っ直ぐに焼き入れしてやろう。


 二人の乘った車が青年の車に追いついて、すぐに停まりなさいと拡声器で怒鳴っている。

 いくら怒鳴っても、まったく聞こえていない。

 窓を開けたまま、ライターで煙草の火を点けようと必死こいている。

 青年の目前は、とっくに別世界に飛んで行ったきりになっている。

 

 吾輩が青年の車の前に出て、飛行艇の中からベロベロバーとやってやる。

 吾輩の飛行艇に気付いたのか、北山と黒岩が固まって車を急停止させた。

 おや、悪い事をしたかな?

 何となく不穏な空気が飛行艇に流れ込むから、どうしたと後を見ると断崖絶壁に差し掛かっている。

 隕石が落ちた後、谷に掛かった橋が途中で途切れている。 ここへ青年の車がフラフラ入って行くものだから、吾輩は慌てて飛行艇を押し付けて車を停めようとした。


 人一人限りなら乗せて飛べる馬力の飛行艇だが、走る車を停めるのは無理がある。

 そのまま青年の車は谷底に吸い込まれ、水の少ない河の中でグシャッと潰れて停止した。

「ありゃ………逝っちゃったよ」

 北山が怖がりながら、下で空回りする車の車輪に石を投げる。

「俺達、ずらかった方がいぐねえ?」

 黒岩が車の中から北山を手招きしている。

 二人は青年の救助も呼ばずに立ち去って行った。

 あいつ等、絶対人間じゃねえ。


 正義の味方に成ると決めたが、この場合人命を最優先すべきとの結論を導き出した。

 急いで飛行艇に青年を乗せ、近所の救急病院の前に捨てた。

 一時間ばかりして様子を見に行ったら、誰も気付かないで天日に干されていたので、電話で病院の前に死体が有るぞと教えてやった。

 いかにも吾輩が殺してやった具合になって気分が悪い。

 

 翌日、診療所の者に知れるとヤブが五月蠅いので、あまり付き合いのない遙に事情を話して、青年はどうしたか病院に行ってみた。

 投げ込み病院で昨日の患者はどうしているか遙が調べると、ICUで何とか生きているとの事であった。

 それでも気になるから、ICUから出ても暇さえあればこっそり病室を外から覗いて様子を見ていた。

 幸か不幸か怪我は骨折だけで、一ヵ月もしないで退院した。

 ただ、この先長いリハビリ生活が待っているのは医学を学んだ吾輩には分かる。

 少々でしゃばっている気がしないでもないが、遙に御願いして刑事共から隠れて暮らせるアパートを提供してやった。

 足長おじさんからのプレゼントだとしたら、素直に信じていたから、若干ヤバい所に障害が残っている。

 それでも、退院してから毎日リハビリは欠かしていないのだから誉めてやろう。


 リハビリでは墜落した時に頭を強く打って壊れてしまった平衡機能を、一から調整し直している。

 容易に解決する障害いではない。

 吾輩の様にバランスが命と直結している猫ならば、とっくに此の世を引退している事態である。

 今では待ち時間に病院を散策する余裕まで見せている。



 何時もの様に病院散歩を楽しんでた青年が、見慣れない扉を見つけた。

 この日は煙草を持っていないから、隠れ煙草もできない。

 屋上から降りようとして、エレベーターの前に立つ青年。

 見慣れない扉に、美術館と書かれた板っ切れがぶら下っているのに気付いた。

 病院とはいえ美術館としているからには、本物が展示されていると踏んだ。

 安直な考えしか持たない病院の警備体制下に有る美術館は、貧しさに日々打ちひしがれる青年には歓迎される施設である。

 今の彼は盗む方法しか考えていない。

 この様に拠所ない事情があって、彼は若干設定に無理の有る扉を開けて中に入る。

 エレベーター室隣の僅かなデッドスペースを利用した美術館で、吾輩は彼より先にこの部屋に入った事がある。


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