19 丘の上リゾート急襲
「女将さん、騙されたと思ってチョット覗いて見て。笑っちゃうから」
葉瑠美が潜水艇を持ち出してきてハッチを開け、女将にも見学するように薦めている。
持ち主である吾輩でさえまだ見ていないというのに、猫の物は私の物私の物は私だけの物がここでもまかり通っておる。
女将は覚束なげに潜水艇を持ち上げて、開いたハッチに顔を塡にして中を覗き込む。
飛行艇に比べて潜水艇は幾分大きく出来ている、住環境はよさそうだが、何分まだ中に入っていないので様子が分からない。
「どうです」
「何だか真黒どす」
「真黒じゃいけませんね。も少し奥の方へ向いて、そう船を寝かさずに、そうそう、それなら見えるでしょう」
「おやまあテレビどすなあ。どうしてこんな小さなテレビを取り付けたんでしょう」
「そこが面白いところですよ」
葉瑠美と女将がしきりに問答をしている。
最前から黙っていたクロはこの時急にテレビが見たくなったものと見えて「おい、俺にもちょっと見せろせろせろ」と言うと潜水艇の中に入り込んで行く。
ダァー! この時点でここにある潜水艇はクロの所有物に決定した。
「実に具合がいいなー。裸だよ。それも飛び切りの別嬪」と言ってなかなか出て来ない。
「おいちょっと吾輩にも見せろ。見せてよ、ねえ御願い」
「まあ待ってろよ。少し仰向けになっていて恐ろしく背の高い女だぜ。しかし美人だなー」
「おい見せろと言ったろ。大抵にして出てこい」吾輩がクロを急かす。
「へえー毎日風呂で女の裸を見ている御前でも見てえもんなのかい、自分の船で見ればいいだろ」クロが潜水艇から顔を出して言う。もっともである。
かの如き仕掛けによってハリネズミに寄贈されし飛行艇並びに潜水艇の操縦機が、いかなる理由によって根にまで装着せらるるべき仕様であるのか理解した次第である。
かような事態にまでなって、世の中がキナ臭い緊張感に満ちているというのに、冗談をエネルギーにして生きているのかペロン星人である。
作戦に使う機器からは計画の重要性が伝わって来ない。
本にペロン星人は助平である。
それでは早速、吾輩も潜水艇にて動画を楽しむべく、シェルターに入って潜水艇のハッチを開ける。
同時にテレビの画面に、見たくもない映像が映し出される。ハリネズミである。
テレビはモフアへ動画以外、通信にも使えるのだよとのたまい、ヅラヅラ聞きたくもない話しを始める。
そんな事はどうでもいいから、ニョロクチュ動画見せろよ。
「野ざらし達は、テロリストに扮した自衛隊員と協力態勢を築いていてね。自衛隊が警察署を襲って、二人の人質を救い出すのと同時に、医師達はリゾートにいる出資者達をシェルターに閉じ込めて、保管されている関連資料を総て没収する計画になっているから。分かったかな?」
医師の救出計画も進んでいて、特殊部隊がリゾートまでの地下道を完成させていた。
我等には飛行艇と潜水艇を使い、この救出作戦の援護に当たるとの任務があると伝えてきた。
「女将さん、これが僕達自慢の地球防衛軍ですよ。猫ねこネコって馬鹿にしないでくださいよ。彼等はとっても優秀なんですから」
ハリネズミが、通信システムを女将とのテレビ電話代わりに使っている。
いつから我等猫同盟は地球防衛軍とかいう組織になったんだ? 勝手に猫の身の振り決めるんじゃない。
「あたしらも飛行艇とか潜水艇がほしいのどす。聞けば赤チンはんはもらえるとか。あたし達もその地球防衛軍というのに入りたい」
「貴方達なら僕は当然入隊を認めますよ。でも、審査するのは朱莉ちゃんですからねー。あの娘の人を見る目はかなり個性的ですから。今の所はなんとも言えません。聞いてはみますけどね」
朱莉チャンがヘッドならば尚の事。
女将と葉瑠美が変に希望を持ってしまう前に、朱莉ちゃんは人見知りが激しくて、簡単に船は貰えないよとはっきり教えておくべきである。
地球防衛軍とか言うフザケタ団体は、朱莉ちゃんが創ったのならば、我等としては隊員となるに決まっている。
今回の任務を拒絶する気は微塵もない。
ペロン星人制フザケたシステムを朱莉ちゃんが真面目な機械に作り変えているのだから、女将も葉瑠美も朱莉ちゃんの判断待ちと言われれば納得したと見える。
「待ちましょう」軽く返事をした。
地球防衛軍などと、アニメの世界にしか出て来ないイージーな組織ネーミングだから、二人は御遊びの御友達団体、幼稚園のサークル活動程度にしか思っていない。
二人の頭上にフンワリ浮かんでいる獣医は、地球防衛軍の殉職第一号であると教えてやろうか。
怖がるから止めておこうか。
教えたところで見えない者だから信じない。
信じないくせに怖がって、脅かした吾輩を悪者にするに違いない。
若旦那の事を話した時もそうだった。
やはり、見えない者共について、二人に語るのはひかえた方が得策だ。
クロはようやく動画の世界から出てきた。
ハリネズミからの通信を切ってまでして見ていたから、我等への任務がいかに重大であるか認識しておらん。
「クロ君はこの緊急時に、モッコリ動画に夢中でいられるのだから肝っ玉が座っている。たいしたものだね」
「そうでもねえが、ちっとやそっとの事にゃ動じねえくれえの鍛え方はしているな。しょうもねえハリネズミの御託聞くくれえなら、好きな物を見ていた方がいいや」
皮肉の通じない奴である。
「ハリネズミはかなりシビアな話をしていたが、いざって時に君は支障なく任務を遂行できるのかね」
任務についての理解が中途半端に切れているのを、何とか繋いでやろうと頭の中を掻き回して見る。
「おめえ、そんな大真面目になって考えてると、この前みてえに体中銭ハゲだらけになっちまうぞ。適当にやっときなよ」
クロは向けようとする方向とはまるっきり逆に、吾輩までをも同類に引き込もうとする意見を述べる。
「世界が危ういのだから、協力して悪と戦うのが物語の本筋ではないかな。君は周囲の現状を嫌っているのかい。それとも、まったく状況が飲込めていないのかな」
「俺は俺だあな。嫌いは嫌いで好きは好き。誰にどうこう言われて決める事じゃねえ。いざって時には自分の考えで動く」
「作戦というのは、指揮官の命令に総ての部下が従って、正確に任務を遂行してこそ成功するものだ。それが君の様に作戦を無視してやりたい放題に動く者が出て来たら、成功する筈がない」とクロを諭す。
すると、フンといった態度でこちらを睨み付ける。
「何が作戦だよ。能書きダラダラ垂れてる暇のうちに、悪い奴等の総本山に爆弾の百個も落してやれば話が早えだろ。四の五の言ってねえで、その辺に転がってる爆弾集めてこいや」
公式にはやっちゃんの飼い猫クロである。
非公式にハリネズミの猫となっても、猫は公式の飼い主に似てしまう者なのか、お頭の出来上がり具合がやっちゃんのままである。
「爆撃すべき相手が何処に居る何者かを探り出す為の作戦じゃろが。何処の誰かも分からん相手をどうやって攻撃すんだよ! 徹底的に馬鹿猫だな。真っ先に討死にするぞ」
思わず心の叫びが口から出てしまった。吾輩とした事がはしたない。
吾輩の剣幕に驚いたのか、発言に真実を見たか。
きょとんとして暫く動かない。
クロの脳は完全にフリーズしている。
解凍レンジに入れてチンしても、この場合の冷凍は解けない。
時間をかけてじっくり待つしか術はないと分かっていても、あまり長くフリーズしたままでいると冷凍焼けを起して鮮度が落ちる。
落ちるどころか水分が流出して、冷凍焼けのスカスカ脳になってしまう。どうすべか。
フリーズを解消する為、これまでのデーターが保存されないリスクを負うのも致し方ない。
強制終了すべく、ジッと固まったままのクロめがけ、吾輩の右足を頸背部に左足を後頭部に〇.〇一秒という驚異的な時間差でぶち込んでやった。
衝撃は一瞬でクロの脳を前後の頭蓋壁に叩き付け、意識を数秒失った後にクロが再起動した。
「さて、我等はこれよりどういった訓練をすればよいのかね。ハリネズミ先生に聞いてくれるかい。アイン君には何時も迷惑ばかりかけてすまないと思っているよ。これからもよろしくお願いしますね」
クロに変な奴が憑りついた様子はない。
今の強制終了・再起動で、若干制御系統に問題にも成らん軽度の障害が発生したかの如き発言であるが、取り敢えず危害を加える風ではない。
間違っても障害ではないとしておこう。
厚生労働省も吾輩の意見に賛成して、裁判になっても後押ししてくれる事例である。
シェルターの吾輩専用カプセルで昼寝をこいていると、朱莉ちゃんから連絡が入ってきた。
女将と葉瑠美を呼んできてと仰せつかる。
過日、飛行艇と潜水艇についてハリネズミが連絡したから、その返答だろうと伝えた。
ところが、シェルターのテレビを使った通信内容は、今後の災害情報をヤブが売り出しているから買わないかという連絡であった。
何事も銭儲けに繋げる連中だから、斯様な事態を予想しなかったではないが、あからさまに人様の弱みに付け込む悪徳商売である。
良心がないのか、気が咎めたりしないのか。
鬼畜並の精神力である。別の意味で見習う必要を感じる。
今ならオマケに飛行艇と潜水艇を付けてくれると言っている。
すでに赤チンは買ったと宣伝しているが、いったい幾ら払ったのか。
月賦でもいいからと薦めるから、女将にヤブのローンは踏み倒しありだと耳打ちしてやった。
途端に二人して買いの手を上げ、値段など聞きはしない。 手を上げたまま月賦ゝゝと連呼している。
なんだかんだ言って、朱莉ちゃんは全部タダで我等に届けてくれるとしている。
やはり朱莉ちゃんは別格である。
知っているのに国家が災害情報を公開しないから、ヤクザな情報屋が荒稼ぎをする。
本当の事を言ってしまうと、救済する為の予算がないとか、学者先生の意見が分かれていてまとまらないとか始まる。
くだらない理由で、何も知らない者達はいつの時代であっても、無情に見捨てられてきた。
どの世も御上は、立場の弱い庶民や猫の事情は二の次三の次である。
一度権力の座に身を置いた者は、時として庶民や猫が存在してこその国家であるのを忘れてしまう。
幾世紀幾千年言われ続けて来た事でも、いざその立場になると忘却するのだから、人は鶏より物忘れが得意な生き物である。
そうでなければ政治家にはなれんなどと皮肉る者もいる。 それとて、クロと同じに皮肉の通じない者には格言に聞こえてしまうのだから始末に悪い。
金も力も名誉も存分に従えた者に、我等ごとき猫が歯向かい声をあげても、渚の細波ほどにも聞こえない訴えであるのは重々承知している。
それでも、一言も思う事を言わずに死するより、言うべき事を訴え続けて力尽きる方が気分がよろしい。
鬱陶しい猫と罵られようと知った事ではない。
どうせ吾輩は親にも疎まれた者である。
今更誰が何と言おうと、これ以上に痛い目はなかろう。
朱莉ちゃんに頼まれた今日の御使いも、問題なく無事こなせたのでもう善かろう。
そろそろ猫縁台に置かれているだろう刺身クズ定食でも食おうとしていると、朱莉ちゃんが吾輩だけ残るようにと言う。
何か叱られるような事でもしでかしたか、吾輩のみならず、近頃はクロの事でも色々と注意を受けている。
直接ア奴に言ってくれれば余計な手間が省けるのに、必ず吾輩を通して伝える。
完全な縦社会の一員に組み込まれてしまった。
クロがやる時は自分の意志で動くと言った気持ちが、今頃になってヒシヒシ全身を蝕んでいる。
ああ、中間管理職。胃薬をください。
「君達の訓練日程が決まったよ」
軽く言っちゃってくれているが、その日程のままクロが従って訓練に参加するとは思えない。
「何か餌がなければクロは訓練など受けんぞ。これだけは保証してやる」
クロの予測不能行動パターンの中で、数少ない確定因子である。
「だいじょうぶだよ、マカロンが山ほどあるって言ってやれば」
「嘘がばれたら一生遊んでもらえなくなるぞ」
「嘘じゃないもん。マカロン製造機作った。ハリネズミさんが、こっちで御菓子屋さん始めたから、食べ放題だもんね」初耳猫耳である。
ハリネズミの事だから、災害情報商売に便乗して防災グッズの安売りでも始めるかと思っていたら、なんとも的外れに平和的な商売を選んだものだ。
今後の災害事情を詳しく知っているから強気の投資が出来るとは言え、基本的に悪党路線を突き進む者が、この時期ケーキ屋菓子屋といった事業に手を染めるとは………全知全能の神より決断力が必要である。
やる時はやるもんだ。
「それは凄いのー。ア奴は完全にマカロン中毒と思い込んでおるから。マカロン食い放題ならば二倍三倍辛い訓練にも耐える」
「訓練、辛いかな? きっと楽ちんだよ。耐えられるかどうかは別として」歓迎したくない発言である。
転送装置の動物実験的設置といい、ちょっと危険な臭いのする絶えられない楽ちん訓練発言といい、朱莉ちゃんは科学者ばかりか、政治家にでも成れる。天才恐るべし。
翌日、吾輩とクロは転送装置で地下の訓練施設に運ばれた。
以前見学した最下層地下空間の一階上に造られた病院の庭に、ヤブの診療所を模した建物が建っている。
この診療所で我等猫同盟改め、地球防衛軍所属猫部隊は訓練を受けるのだと説明された。
アホな訓練が眼に浮かぶ。こんな事していていいのかよ。
「こいつは旨いな、どうだいもう一つ。この甘さ加減がたまんねえな」
クロは袋イッパイのマカロンを貰い、頭を突っ込んで食っている。
吾輩は「呑気なもんだな」と呆れて返事をする。
「この緑の奴、抹茶のアイスに薫りが似ていてなかなか良い味出してるものな」
「確かに、美味である」
吾輩も一つ食ったが超美味かった。
菓子に釣られてここまで来てしまったが、さて訓練とはいかなる試練が待っているのか。
訓練所とされた診療所モドキの建物からして、世間一般に言われる筋肉オンリーの訓練には不向きである。
いかにも小柄な猫部隊だが、そんな猫でさえ診療所程の広さで体力作りはちと狭い気がする。
それよりも、今更筋肉を鍛えた所で、武器を持った人間に猫が太刀打ちできる筈がない。
診療所の中に入ると、吾輩が居候していた所と同じなのは外見だけであった。
スーパーが付くコンピューターがズラゴソッと並び、人気もロボット気もない。
勿論、アンドロイドやサイボーグの気配もない。
こんな施設で何を鍛えるのか。
嫌な予感は的中するもので、吾輩とクロは小さな猫用ベットに括り付けられ、頭にコードがみっちりつながったヘルメットを被らされた。
人間に体力で格段劣っている猫は、これから鍛えた所で体格に埋めきれないハンデを背負っておる。
しからば、我等がこれから鍛えて人間に太刀打ちできるのは、頭脳しかないと薄々勘付いていた。
ただ、頭を鍛えるにしても、並の勉強をしていたのでは数代に渡る英才教育が必須。
遺伝子に基礎知識を無理矢理詰め込まなければ、到底人の頭脳に勝れるのは吾輩だけである。クロには無理。
この頭脳を短期間で人に勝る臓器に改造するには、恐ろしく過激な詰め込み学習をしなければならないくらい猫でも解る。
詰め込むと言っても、注射器やプレス機で頭蓋骨の中に直接知識を押し込むのではない。
コンピューターを脳に埋め込む方法もあろうが、朱莉ちゃんはそこまでやる人間ではない。
自分の能力に絶対の自信持って疑わないだけである。
マッドサイエンティストなどと言う者もいないではないが、吾輩は朱莉ちゃんをそんな目で見た事は数回しかない。
事前に我等より小さな動物。例えば鼠とかネズ公とかラット・マウス・モルモット・ハムスターなんかで実験したのか尋ねる暇もなく「一番初めに使う超偉大な生物が君達だよ」ベットに縛り付けておいてから表彰してくれた。
クロは素直に喜んでいる。
吾輩もあんな性格に成りたいとしみじみ思う今日この頃である。
みなさま御元気ですか 。ではさようなら。
一日目。我等の思考はビタッと止まったまま全く動かない。
動かなのか動けないのか、いずれにしても無理からぬ事である。
脳に直接手術を施したのではないから痛くも痒くもない、体が筋肉痛で辛いでもない。
猫脳は一日分のデーターとソフトのダウンロードに成功した。
ただ、何分ハードの容量と処理能力は猫のままである。
一気に流し込まれて混乱している。
吾輩は今少しこの様に思考する力が残っておるが、クロはひたすら菓子を食ってはゴロっと寝る。起きては菓子を食って寝るを繰り返している。
明らかにブドウ糖が不足している。点滴してよ。眩暈してるし。
食欲のみ残りゾンビ化したクロが、ニャァゝと猫語にもならぬ泣き声を上げ乍ら部屋中グルグル歩き回る。
大好きなマカロンが豊富にあるから、吾輩まで喰おうとはしない。
今の所はただの猫である。
とりあえず警戒はして見ていると、突然日本語で話し出した。
「停滞した脳内活動の活性化に関する一考察ってえのは、どうにも納得できねえ論文だったな。俺ならもうちっとましな事捻るが、おめえだったらどうする?」
猿の惑星の弐の舞じゃ。
朱莉 ちゃんのミスによって、人類は絶滅の危機にある。
性格と食欲の不作法は相変わらずだが、話す内容がクロではない。
言わんとする事は分かるが、はてさてこれほど簡単に生物の基本生態を根底から覆す訓練があっていいものか。
我等は知識の悪魔に頭脳を乗っ取られ始めている。
このまま行くと数日後には自分が失われ、誰が見ても吾輩ではない吾輩が吾輩で、本来あるべき吾輩は吾輩でなくなって、吾輩はそれでも猫である。
訓練と銘打った動物実験に参加して、百年かかっても憶えられない知識を一日で細やかな脳に詰め込んだ。
次には、猫の手も借りたいがグーの手では具合が悪いと、気持ち悪い五本指の手袋を付けての訓練である。
意識を肉球と爪に集中し、人間が指を動かすように手袋を自在に操れるまでやらされた。
主に医療機器の取り扱いに優れた手袋で、頭に叩き込まれた知識も総て医学に関するものである。
日本語が話せるようになったのはちょっと嬉しかったが、英語の医学論文は読めても話せないのがもどかしい。
ここで学んで一つ驚いたのは、今の今まで祈祷師と思っていた医師という仕事。
太古には祈祷師であったが、そこから枝分かれして来た者達の総称であると知った。
現代医学は、祈祷とはまったく異なる独自の学問とされておる。
現代人にもこの二つの学問を混同しておる者がまだまだ沢山いるのだから、猫が勘違いするのも致し方ないのである。
最先端の医学も十年経てば常識となり、二十年過ぎれば更に新しい研究結果が示される。
いつでも医師は勉強を続けていなければ、医学の進歩から取り残されてしまう。
努力を惜しみ銭儲けにばかり走っている医師は、やがて学生の頃に学んだ古い医学知識を絶対だと振りかざし、新に知れた事実を否定する。
医学界にとって、とっても厄介な存在になってしまうのである。
こうなってくると医師とは名ばかり。
太古に枝分かれした本家の祈祷師と何等変わる事ない。
自分の知る医学以外は医療の参考としないのだから、己が総ての者である。
間違っていようが見当違いの診断治療をしようが、自分が神の領域で治療する者とばかり、周りの者の忠告など聞かずに総てを否定する。
患者はたまったものではない。
こんな医者に治療してもらうくらいなら、祈祷師に頼んだ方がましである。
吾輩は猫ながら、人の切り開いた医学という道の成り立ちを知るに、人間の愚かさはこれほどまでに救いようのないものであったのかと嘆くばかりである。
人様の命や生活の質までも左右する職に有りながら、我がまま放題に己の説を病人に押し付ける医師の何と多い事か。
その様な医師に限って何とかの長であったり、大先生であったりする。
悍ましく医学界を牛耳る医師は、人から医学を学ばず己の思い込みを押し通す。
それが正しかろうが間違っていようがお構いなしに、政府の予算がなければ患者の数を減らせばいいとばかり、病の者を病ではなく、気の迷いによって体調が悪いなどと騙すのを当然の生業とする。
まさしく医は算術である。
御上の思うままに医学を捻じ曲げ、地位と金を手に入れて医学界で権力を振りかざす。
人にあるまじき外道共は、尻尾を振って飼い主に諂う御犬様にも劣る族である。
猫にも分かる外道の所業を、知っていても面と向かって言えないのが患者で、病に侵された時に誰を頼るかと言うと、ロクデナシの医師でも頼らなければならんのが患者の弱み。
したがって、ヤブの様な人の弱みに付け込む商売が得意な、医師なのか悪魔なのか分からん様な奴の所にも患者がやってくる。
人間界の余計な知識ばかりを得て、吾輩ばかりかクロまでもが頗る不愉快な思いをした。
さて、我等が何故にこの様に嫌な思いまでして訓練を受け、余計な知識と技術を得なければならんのか。
「そろそろ計画の真実とやらを教えてくれてもよい頃ではないのか」朱莉ちゃんを問い詰める。
答えはいたって簡単明瞭なものであった。
診療所から宿に居候替わりしているが、医療に関わる者達に囲まれてこれまで生きてきた。
今回も診療所モドキの建物にあって医学知識を詰め込み、医療機器の取り扱いを覚えたからには、どの道医学に関わる作戦であるのは分かっていた。
しかし、今直ぐ転送装置で丘の上リゾートに新設された病院に飛び、野ざらし達が救出した患者の治療にあたってくれとは、大胆かつ無鉄砲な作戦命令である。
できるわけねえだろ! 猫だよ、猫。
はっきり「我等は猫だ」と告げてやった。
それも日本語、加えて標準語だぞ。
それでも朱莉ちゃんは、猫だからこそ出来るのだと言い張る。
野ざらし達が病院に保護した患者は、臓器移植のオークションにかけるために生かされている者達だと言われた。
山城爺が作った私学の子達も、臓器移植絡みで売り買いされた者達である。
人は己の命の糧に食する動物ばかりか、同族である人間の命まで奪う。
これでは共食いと同じである。
生物界広しと言えども、ここまで困った行動をとる連中は極々希である。
リゾート病院にいる患者は意識がなく、臓器だけ生きる脳死状態とされているが、その実、治療すればまだ回復する可能性のある者も含まれている。
野ざらし達は災害現場に潜入し、極力治療されるべき者を病院に送ったが、監視され続けていてはそれにも限界があった。
リゾートの医師が治療をするのが最良だが、それも許可されていない。
監視の目を掻い潜って患者の治療に当たれる者は居ないかと探した時、我等猫部隊に白羽の矢が突き刺さっちまった。弓を射ったのは誰だよ。
近々に救出作戦が決行される予定になってはいるが、治療は早ければ早い程好いに決まっておる。
したがって我等に無理をさせたいのだが、我等が死んじまったら元も子もねえだろ。
「手加減しろよ」怒ってやったが、加減している猶予はないとあっさり断られた。
見ると、クロの両目から涙のような目ヤニのようなヘドロのようなものがデロッと目じりに滲み出てへばりつき、そのまま流れ落ちる様子もなくこびり付いている。
「クロ君、流涙症でも患ったか」
「見て分かんねえかよ、泣いてんだよ。トウヘンボク」
人間界の無情についうっかり涙してしまったのだと言うが、よく考えて見ろ。この世界にあっては人間より猫の方がよほど可哀想な生き物の部類に入っている。クロは知識を詰め込み過ぎて、もはや自分が猫で有る事まで忘れてしまったと見える。
二足歩行を可能とする長靴を履かされた。
腰に剣をぶら下げ羽毛の付いた帽子でも被れば、まるで何処かの御間抜け猫と同じ絵面である。
「これは光子屈折布で作った白衣」
何とかちゃんが我等に制服をくれた。
解り易く言えば、魔法学校で体育の時間に使う透明体操着と同じである。
消えてしまうのに白衣か黒衣かも分かった物ではない。
第一に、これはと渡されても其の物が見えない。
何処かに置き忘れたら永久に行方不明の白衣じゃ。
「それからこれは瞬間異動ヘルメット。猫耳つけたよ。これで潜水艇と飛行艇も操縦できるから。船のヘルメットは予備にしてね。普段はこれを被っていてね」
ヘルメットのアイシールドを使うと、白衣を着て透明になっていたクロが見える。確かに白衣である。
「感心だなあ。よくこんなに非現実的な発明がポコポコ出てくるもんだ」
クロは思慮無く感心するばかりである。
「確かに御見事としか言えん物ばかりだが、実験は何でやったのかね。朱莉君」
吾輩はここにきて、些か疑念を抱く機会に恵まれている。
我等は都合よく、生体実験されている気がしてならん。
「名前覚えてくれたのー。感激ー! はい。マカロン」「ありがとう」
「俺にもくれよ」
「はいクロちゃん」
マカロンを食すと怒りに似た感情が治まり、何故か疑念が消えフワリとした心持になる。変な薬入れてんじゃねえのか、とか言う気になるのはほんの数秒である。あとはグネグネ。
マタタビか?
我等がちょいと寝ぼけた人間よりも数段優れた生物に進化したのは極秘だとか。
しかしながら、ついつい心の声が日本語になって出てきてしまう現象は制御困難でどうにもならない。
今から条件反射とも言える心の叫びを掻き消す訓練をするには時間がない。
そこで、朱莉ちゃんがヘルメットにクイマなる装置を取付けてくれた。
発した声が消音される装置で、小型のハンドフリーマイクにクリソツである。
単純にマイクをひっくり返したと言えなくもない。原理も似たり寄ったりである。
クイマを取付けたところで、クロ君がどう言う了見か満身の力を声帯にかけて奇声を発している素振り。
朱莉ちゃんの発明効果を疑っているのか、率先して生物実験に協力しているのか、マカロンが欲しいだけか。
何時もならば鼓膜を破る凶器の大声がまったく聞こえてこない。
装置の効果は完璧である。
一声叫んで終わると、クロが何とかちゃんの前に行儀好く猫座りをして物欲しそうな目をする。
マカロンが置かれると、ペコリお辞儀をしてから食い始めた。
医学知識を学びながら人並みの常識礼儀というのを覚えたまでは良いとして、芸をして何がしかの報酬を得ようとするのは見た目に卑しく低俗である。
もそっと猫としての威厳をわきまえてもよろしいのではないか。
何で吾輩にはマカロンが回って来ない? 食わせろ!
思わず心からの叫びが日本語の声となって飛び出したが、誰にも聞こえていない。
コソッと朱莉ちゃんの前に座ると、吾輩の目前にもマカロンが置かれた。
自分では骨振動によって発している声が脳に伝わって来るが、他の者には届かない仕組みになっている。
どうやってクロと意志疎通を図ればよろしいのか。
困っていると、朱莉ちゃんがヘルメットのボッチをポチッと押す。
クロと吾輩間でのみ会話が出来るのだから、優れ物ー。
明日にはリゾートに飛んで患者の 治療に当たろうという日になって、ようやく我等は一時帰宅を許された。
敵地に突っ込んで行く特攻隊の気分である。行きたくなーい。
明日に成ったら、あの丘の上に行かなければならないのかと思いリゾートを眺めていると、ジャグジーで野ざらし達がのんびりくつろいでいる。
そんな暇があるなら、病院の患者を治療してやれと言いたいが、患者を生かさず殺さずするよう監視されていてはそうもいかんのだから歯がゆいところである。
久しぶりの我が家でゆったり湯にでも浸かろうか。
その前に腹ごしらえー。
猫縁台の方に出て行くと、駐車場がやけに賑やかだ。
客が途絶えて久しく、バーベキュー会場はすたれておった。珍しく好い匂いも漂っている。
ここは一つお零れに与らんがため顔を出すと、でっかい穴ッぽこに湯が溜められ泡がブクブクいっている。
悪さの限りに釜茹での刑になったか。
やっちゃんと赤チンとハリネズミと狸女と其の他大勢が煮込まれている。
よくよく見れば、珍しい物に無条件で飛び付く軽い性格の者達ばかり。
丘の上リゾートに造られたジャグジーを真似て、ここにも作り互いに自慢しあっている。
上空からは火山灰がチラホラ降ってきている。
壊滅的状況下でも、見栄の張り合いを怠らないのだから感心するばかりの人種である。
何日この怠慢な生活を続けていたのか。
我等が猫であるにも関わらず、人間の為に厳しくも恐ろしい試練に耐えていた時を同じくして、人間の、それも我等の飼い主などと威張っている者達がかような体たらく。
「テメエら猫じゃねえ、叩き切ってやる」
思わず昨夜テレビで見た時代劇の台詞が口から出てしまった。気付いた時にはもう遅い。
「随分古いのを知っているじゃないか」
ハリネズミが何時もの調子に、猫語で吾輩の怒りを抑えんが為ビールと生肉を差し出す。
「俺、ちっと飲み過ぎたかな。猫がしゃべったよ」
やっちゃんがビールを一杯飲んで酔いを醒まそうとしている。
こやつ等にとってビールは清涼飲料である。酔う為に飲むのではない。
キツイ酒を飲んだ後のチェイサーでしかなく、時々酔い覚ましにも飲むのだから、何時に成っても醒める訳がない。
医者のくせに、こればかりの理屈が分からんのだから、一年生からやり直した方が患者の為である。
我等もブクブクを眺め一杯舐めて生肉を食い、して今日を今生の別れと楽しんでいると、やっちゃんの顔ににチカチカ光が当てられている。
リゾートから鏡の反射を使ったモールス通信で「噴火X」だと教えている。
我等は既に朱莉ちゃんから教わっていたから解読できたが、訓練を受けた筈のやっちゃんは通信を解読できず、他の者に意味を聞いている。
医学に限らず、やっちゃんは総ての学問を一年生からやり直すべきである。
それこそ世界平和へ一番の近道と吾輩は思う。
翌日、夜の明けきらんうちに我等は瞬間異動装置によってリゾートの病院に潜入した。
人間の出入りは厳しく管理されているが、猫ほどの小動物まで締め出す警備ではない。
病院の出入り口にこそ警備員が立ち塞がっているが、中での移動は制限がない。
しかし、我等が治療すべき患者が囲われている病室だけは別である。
内外ともに監視カメラで常に見張られている。
我等は室内監視カメラの映像をループにし、一人ゝの症状をモニターして本部に通信する。
すると、治療に必要な物資が転送されてくる。
薬を投与するのなら隠し様もあるが、転送された機器を設置するのが一苦労である。
ループになっている画像の死角になる位置に機器を設置し、そこから患者に使えるようにセットしなければならない。
何度も監視映像と現状を比較し、寸分違わぬ形にしなければならないのである。
スパイ教育を受けた優秀な者でも至難の芸当。
それを、僅か数日の訓練を受けた猫にやれと言うのだから、当然目立つ荒が出て来る。
我等が設置完了すると、野ざらしが病室の点検にやって来る段取りになっておる。
其の場であれこれ野ざらしが動かしてしまえば、以前の設置との違いは何とか誤魔化せる。
あまりにも桁違いの間違いには、医師達がカメラの前に立ち、その間に透明白衣を着た我等が修正する。
グランドキャニオンで命綱なしの綱渡りをするのと同じである。
危ねえの何のって。生きた心地がしなーい。
何日も危険この上ない任務をこなし、いよいよ救出作戦決行の日。
我等が病室で治療に当たっていると、外でサイレンがけたたましく鳴り響いた。
再び火山が噴火した。
次の噴火がXデーとの指令で、我等は今日に照準を合わせ行動して来た。
患者の移動準備は万端である。
リゾートに来ていた者達が挙ってシェルターへ避難して行く。
外に残っているのは、最近まで最前線に実践配備されていた傭兵帰りの警備員ばかりである。
何時もの好奇心で彼等の素性を聞いてしまったが、今になって後悔している。
知らなければこんなにビビらずに済んだ。
リゾートであり病院なのに、現行法上有ってはならない銃火器が充実した施設である。
突入して来た急襲救助部隊としばし銃撃戦が続いたが、後からゝ突入してくる救助部隊員に対し、いかに屈強な傭兵でも多勢に無勢と白旗を上げ投降した。一安心である。
警戒区域に指定されている地域の住民は避難した後で、野ざらしの指示で患者が救急車で搬送されて行く。
行先は作戦どおり自衛隊が接収した病院。
そ こには、やっちゃん達ERの医師が待機している筈である。
患者を送ると医師達は救助隊の誘導に従い、用意された大型バスに分乗して何処かに行ってしまった。
丘の上からは街の様子が手に取るように覗える。
警察署は既に陥落し、不良警官達が護送車に乗せられている。
そのまま上陸用舟艇に乗り込み、更に沖に停泊しているフェリーの向かって行った。
島流しの刑にでもするのか。
南の島なら毒蛇や毒虫・コレラなどの伝染病に気を付けていればそこそこ快適な流刑ライフを楽しめる。
しかし、北の端にある島では、トナカイの様にコケを食って生き延びるしかない。一年と持たないであろう。
死刑と同じである。
上手い事金鉱でも掘り当てれば、金の力で生き延びられるかもしれない。頑張れ。
これで我等猫部隊の任務は一段落である。
堅苦しい長靴や手袋やら白衣を脱ぎ棄て、捨てると叱られるのでしっかりトランクに詰め込み飛行艇を呼んだ。
これから宿で任務完了の一温泉である。
我等の飛行艇と一緒にハリネズミも飛んで来た。
既にリゾートは白旗が上がっておる。
突撃部隊も撤収し、医師と人質になっていた家族も解放され何処かに行ってしまった。
残っている者は組織の全貌を掴まんがため、関係資料を片っ端から段ボール箱に詰め込んでいる。
税務署か検察か公安か、もしくは訳の分からん連中である。
ハリネズミが到着すると訳の分からん連中の親玉が、いち早く敬礼をする。
周りの連中も、忙しくしていた手止め親方に準じて敬礼。
この場景からすると、ただの強欲助平と思っている男は、武装スーツ族に敬礼してもらえる立場の妖怪となる。
ハリネズミが真面な者に見えるから不思議である。
つまり人類の未来は、ほぼここらあたりから真っ暗闇に突入した事になる。
「連絡して頂いた資料は二階の事務室に総て揃えておきました」
「有難うね。上には内緒だよ」
「はい? 上の承認は既にとってあります『どうせそんな事だろうと思っていた』と伝えてくれと言われました」「なんだよ、バレバレかよ」
「そのようであります」
ハリネズミが、帰ろうとしている我等を引き留め、二階の事務室に付き合わせる。
何か良い事でもあるのか。
つまらねえ用事だったら、この場で手術して脳ミソ掻き出してやる。
「このリゾートは今から僕の物だ。どうせ君達は宿に帰って風呂に入るつもりだったのだろ。そんな面倒はしなくていいから、ここの施設を存分に使ってくれたまえ。今日は猫フリーデーにしよう」
直ぐ近くで火山が噴火しているのに、何処まで行っても、何が有ってもポジティブシンキングでいられる者だ。




