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18 玉虫色の巨大ゴキブリ登場

 妙な男は、女将の側で話を聞いていた吾輩に気付いたが、それだけでは不足と見える。

 チョンゝと吾輩の頭を突いたと思ったら、いきなり抱え込んだ。

 不覚にも身動きが取れなくなってしまった。

「例の招き猫ですか。京都でも知られていますよ。なんでも宿に下宿している御医者さんの飼い猫と聞いてますが、大人しい質ですね」

 大人しいのではない、御前の力が強すぎて動けんのだ。ボケナス!

 程無く解放され、何時もの招き猫席で海岸を眺めていると、自衛隊の上陸用舟艇が浜に乗り上げ、中からゾロゾロ人が出て来る。

 見慣れた体型の者達である。顔まで見なくとも薄々危機感を持って警戒していたから、次には何者がやって来るのか大凡見当はついていた。

「お久ー」

 いつに成っても緊張感を覚えない者ばかりである。

 診療所の連中が、ペロン星人と隣のヤクザまで引き連れて宿泊名簿に名前を書いている。

 来る度に宴会をしているが、今回ばかりは現在進行形災害が始まったばかりの大騒ぎである。

 食材どころか、御前等の寝る所もないわい。


「非常事態宣言が布告されました。防衛大臣並びに内閣総理大臣の権限をもって、この宿を接収させていただきます。最前線は若い者に任せて、近所の怪我人・病人はここで応急処置をして、しかるべき施設への移動を私達がお手伝いいたします」

 ヤブが素面で真面な人間に見えたのは産れて始めての事態で、吾輩の幻覚でなければ正しく非常事態である。

「来る度に寝ている猫を見るとうらやましいなー」

 吾輩を見るなりヤブが戯言をほざく。

 何言っちゃってんだい、御前が一番羨ましい生態をしておるじゃろうが。 


 宿を診療所替わりにして怪我人を治療するのはよろしい

としても、どんな事情があるにせよヤブを医師団の長にするのはいかがなものか。

 ペロン星人が以前来た時に作った海底トンネルを、沖に沈めた大型宇宙船までの通路にすると復活させている。

 復活させても、シェルターのエスカレーターでは患者をスムーズに運べない。


 計画性のない救護班であると笑ってやったら、満更無計画な接収でもない。

 隣のヤクザ達がバス程の宇宙船を使って、横坑を宿の出入り口まで延長する。

 そこから地上まで立坑を作ると、患者搬送用の大型エレベーターを設置した。

 僅か一時間ばかりの早業で、宿に居た者達が拍手を贈る。 隣のヤクザ達は一旦エレベーターに乗って下に降りると、カーテンコールに応えて再びエレベーターの戸を開けて深く御辞儀をする。

 何度か繰り返すと、いい加減客も飽きて拍手が止んだ。設置完了である。


 エレベーターが出来上がると、次はエレベーターを囲うように臨時の診療所が必要となる。

 プレハブで事務所を一軒完成させているから、隣のヤクザが作るのかと思っていたら、自衛隊の大型ヘリが何処かからぶら下げて来た箱を置いて完成であった。

 トンネルやエレベターよりもっとお手軽簡単に、仮設診療所設置完了である。


 診療所が出来ると、慌ただしくトラックやヘリが資材を運んで来た。

 駐車場に次々テントが張られてゆく。

 これは仮設の病院テントで、軽傷の者は一時的にこのテントで休み、症状が安定したら家に帰ってもらう段取りである。


 ペロン星人に連れられて海底の大型宇宙船を見学すると、何とかちゃんが以前クロの治療に使った治療機械の調整をしている。

 この機械はサイボーグになっても生きたい重傷患者用で、今回は使われないだろうが調整だけはして置くのだと言っておる。


 調整が終わると、何とかちゃんが吾輩を抱え、自分の部屋にセットされている一人用の潜水艇に乗り込んだ。

 これから海底探検だと吾輩の頭をなでなで。

 何とかちゃんが頭の大きさに似合わないドデカヘルメットを被ると、潜水艇が動き出した。

 思考回路直結の操縦システムである。

 こんな時に海底探検とは優雅が過ぎやしませんかと言ってやると、隆起して出来た河口火山の調査だと説明された。

 観光ならば同行しても良いが、文字通り命がけの探検に行くなら引き返してくれ。

 熱心に訴えてはみたものの、当然願いは叶えてもらえない。

 万が一の場合に備え、道連れが欲しいのである。愛くるしく育った吾身を恨むしかない。


 思考途絶し何とかちゃんの膝上で緊張していると、辺りが濁って視界が著しく低下してきた。

 危険だからと、航行制限している範中といった生半可な海域ではない。

 警備艇がプカプカ頭上に浮かんでいるのを見たのは、吾輩がまだ何とかちゃんに抗議してジタバタする前の事である。

 過激にデンジャラスな火山海域に到達したならば、もはや吾輩の命は風前の灯。


 視界が遮られてからは肉眼での観察はできんので、レーダー信号を可視化した画像を頼りに進むのみである。

 温度分布を表示する画面では、そこら中が赤やオレンジ色になっている。

 危険・立入禁止・停まれの赤である。

 赤系の色合いが強い地域に行けば、海水が沸騰している。

 視界になくとも潜水艇が揺れるので分かる。

「うえっ………ぎぼぢ悪い」吾輩はチョットだけ危ない。

 何とかちゃんが吾輩の船酔いを「意外ー」といった顔で見る。二度見もしてくれた。三度見もしてくれた。

 船内を不快な環境に一変させたくなかったら、速やかに帰還すべきである。


「アインは船酔い猫だったんだ………変態ー」

 変態の意味を知っていて言っているのか。

 揺れに弱い猫ではあるが、吾輩は決して変態猫ではない。

 それよりもなにより、そんな事どうでもいいから早く帰ろうよ。

「自衛隊でさえ入り込まない所に、好んで長居する者の気が知れんわい」

「来て見たかったの。アインも喜ぶと思ったんだけどな。変態猫には理解できないか」

 だから、変態の意味を履き違えてるって。


 命からがら宇宙船に戻り、海底トンネルを全力疾走で宿まで逃げ帰った。

 何時もの招き猫座布団に座り、さっきまでいた火山の方を眺めると、灰だらけで煙しか見えん。

「女将さん。露天風呂の灰を積もったままにしておくのは考え物だねー。座るも入るも出来ない。灰の重みで植木や花も項垂れたままになってる」

 こんな時まで、我がままなヤブが言いたい放題している。


 ちょいと居なかっただけなのに、すでに怪我人が何人か集まっている。

 噴火の影響で通常の病院業務が麻痺して、薬が貰えないからとここに来た患者も見受けられる。

 臨時に建てられた病院テントの他に、給食テントや遠くへ避難したい人の為の相談所まで開設されていた。

 皆が忙しくしている中で、女将も髪をとかす暇なく走り回っているから、結った髪が乱れてワサワサしている。

 ヤブの相手どころではない。


「露天風呂に灰が入り込まないように囲っていいか」ヤブが言う。

 正常な判断能力が残っているならば、間違ってもヤブに好きなようにやってくれなどとは言わない。

 それが「はいはい御好きなように御願いします」と答えてしまうのだから、女将の脳内は相当なうっかりがっかりになっている。

 ヤブはそんな事には御構いなしで「女将の許可が出たから、やっちゃいな」ペロン星人&隣のヤクザに指示する。

 一緒に来た医師や自衛隊員が頼りがいのある働きをしている最中、ヤブは何をしに来たのか今になっても不明である。


 噴火と同時にやってきた妙なおっさんを訪ねて、弁護士事務所の大狸がやって来た。

 狸女も爺さんと一緒に後から来て、ロビーで話し込んでいる。

 妙なおっさんは阿弥陀と呼ばれ、大阪で弁護士をしているらしい。

 爺さんや大狸とは、やっちゃんの親分である山城の爺さんを介して、親の代から付き合いがあるのだと狸女が教えてくれた。

 四人が話している処にヤブがチョイと顔を出して、一言二言軽く挨拶をする。

 そうしてからヤブは四人に、忙しいからと言ってすぐ露天風呂に引き返していった。

 本当に何しに来ているんだか。

 単純にも複雑にも、快適な環境で露天風呂に入りたいだけにしか見えない。


「しかし少し前まであんなに陽気が好かったのに、昼間とは思えん空模様ですな」

 阿弥陀が訝しげに、火山灰に遮られ陽の射さない空を見上げる。

「まったく、御上も知っていて知らんふりですから。人間らしくありませんな」

 大狸がフラッシュメモリーを阿弥陀に差し出す。

「国が国民を見捨てるんは今に始まった事じゃありやせんよ」

 狸女の爺さんが、煙草の煙を吐き乍ら沖を見ている。

 灰皿を手前に引き寄せると、その上で煙管をフッと吹き火玉を掌に乗せて転がし始めた。

 そうしておいて、もう一方の手で器用に刻み煙草を煙管の先に詰める。

 転がしていた火種を煙草に乗せ、大きく吸い込んでまた煙を吐く。


 女将が四人に茶菓子と御茶を運んで来た。

「先ほど御嬢はんから今日は御泊と伺ってますけど、組長はんと矢羅逗はんは今日どないするんどすか? 御部屋御用意しましょうか」

「ああ、泊にしてくんな。歳とると草臥れていけねえや。ここまで来たら温泉に浸かりてえよ」

「私も泊まりますよ。皆さんとじっくり話さなきゃならない事もありますんでね。ああ、後からもう一人来ますから………と言っても、何時もやっちゃんの部屋に寝泊まりしているから、あの人の分は考えなくてもいいんですかね。一人分余計に夕食があればいいです」

「はい、そうさせていただきます」

 流れからしてもう一人はハリネズミである。

 ハリネズミなら既にこの宿で荒稼ぎをしている。

  怪しい時に関東関西の法律家二人と地回りの組長に病院の理事、加える事のハリネズミ。

 イコール悪巧み以外無しである。


「それから女将、悪いんだが外で組の若いのがボランティアってのをやってるから、後で握り飯でも食わせてやってくんなよ」

「もう御出ししときました。うちんとこの灰まで掃除してもろうて、大助かりどす」

「そりゃ良かった。ありがとよ」

「こちらこそ」

 接収されたとはいえ権限を与えられたヤブの独断で、宿の営業はそのまま続けて好しとされていた。

 ボランティアで宿周りの火山灰を片付けてもらった上に、泊り客からは宿代を貰うのだから、握り飯の十人や百人分安いものである。


 外に設営された宿泊テントは自衛隊員用のテントで、隊員でない隣のヤクザやペロン星人は寝床を宛がわれていない。宿泊費自腹で宿に部屋をとっている。

 休養はしっかり仕事もしっかりとヤブが呼びかけたから、医師も宿に部屋をとり休憩所としている。

 宿は【風が吹けば桶屋が儲かる】式の意外な展開に嬉し忙しである。



 救護所が設営されてから五日が過ぎた。

 来る者もなくなり、宿前に展開していた後方支援部隊は、昨日総てを撤収して最前線へ移動している。

 医師団も何とかちゃんだけを残し、ペロン星人の大型宇宙船で次の被災地に飛び去って行った。

 一つだけ、大きな問題を残して立ち去ったのがペロン星人である。

 昨夜、今日が最後の晩だからと、大好きな宴会を主催して羽目を外した。

 酔っているのに一人乗り飛行艇で遊覧飛行をしていた奴が、宿のロビーに突っ込みやがった。

 現場には吾輩だけで、あとの者は宴会に興じていたから目撃者がいない。

 これ幸いと、こいつが飛行艇を海岸に隠し、火山弾が降ってきたと騒いで海岸の岩を一つ宿に放り込んだまましらばっくれた。

 紛れもなく、証拠捏造と当て逃げである。

 吾輩には猫用潜水艇と飛行艇を一機くれるから黙っていてくれと言ったが、安く見られたものである。

 そんな物に騙されるほど簡単な猫ではない。

 クロの分と合わせて潜水艇と飛行艇各二機で納得してやった。


 変わった組み合わせで、赤チンが何とかちゃんを訪ねて来た。

 互いに面識のない者だから、会ってから一通り挨拶やら自己紹介を済ませている。

 赤チンはハリネズミの紹介で、何とかちゃんに野ざらしから託されたフラッシュメモリーの暗号解読を依頼しに来たのである。

 パソコンに刺されたフラッシュメモリーから読み取ったデーターは、複雑な暗号で解読できないのだと赤チンが言う。

 何とかちゃんがこのデーターを見て即答した。

「無理」天才の彼女にも出来ない事があった。

「これね、クロスワードになってるのね。もう一つフラッシュメモリーがある筈なんだけど、知らない?」

 格納されている情報が不十分では解読しようがない。納得である。

「知らない。妹がいるけど、持ってるとしたら妹ね」

「妹さんに聞いてみて」

「連絡つかないし、子供の頃別れてそれっきりだし。解読のソフトとか作れる?」

「それなら出来るよ」

「それちょうだい。妹見つかったら聞いてみるから」


 何とかちゃんが、預かったフラッシュメモリーに解読ソフトを入れて赤チンに返す。

「ソフトの使い方………分かんないんだけど、どうやるの」

「詳しい人に聞いてみて。どうしても分からなかったらこの猫に聞いて。教えておくから」

「ネコ、ねー。こいつ超おバカよ」

「んー御利口よ。この会話だって理解してるし」

「何で分かるの」

「これあげる。翻訳機、猫語の」翻訳機の大安売りである。

 吾輩が人間語を解していないと思い込んでいる者ばかりの地域だから、適当にそこら中で聞き耳を立てていたが、赤チンに真実を知られてしまってはそれもままならない。

 余計な事をしてくれるんじゃない。住み難くなるではないか。

 何とかちゃんに「ダメだって。それをこいつにあげちゃったら」と忠告したが、既に時遅しである。

「あんた、私がこれ持っちゃマズい事でもしゃべってるわけ」赤チン怖い!


 翻訳機の存在が知られてしまっては仕方ない、気になる事があったので開き直って聞いてみた。

「噴火してからだいぶ日が過ぎたが、やっちゃんが帰って来る様子がない。どうしているのか少しばかり気になるところである。御前は同じ病院の医師であるのに、ここにこうして居る。しかし、やっちゃんは出たきり帰らんというのはどういった訳だ。分かるように教えろ」

「あんた、猫のくせに生意気な言い方するのね。少しは人間に敬意ってものをはらいなさいよ」

「お互い様じゃい。ボケナス・オタンコナス・オカメナス」

「ああー‼ ムカつく猫ね。絶対に教えてやんないわよ。そのうち帰って来るでしょ」

 男の趣味ばかりか、性格までひねくれた女である。

 コヤツに何を期待してもどうにもなるまい、アホタリをかまっていても腹が立つばかりなのである。

 吾輩は猫風呂に入って寝る事にした。


 ペロン星人が割ったまま補修せずにずらかってしまったので、ロビーのガラスが一枚割れたままになっている。

 火山灰の降りは幾分大人しくなってきてはいるが、それでも半日もすれば足跡が付くほどに屋内にも積もってくれる。 

 修理を頼むにもガラス屋が避難してしまって不在とあっては、何時直るか予測がつかん。

 まったく宿迷惑な知的地球外生命体である。酒癖が悪過ぎる。


 女将は臨時に大勢の泊り客があって喜んでいたが、それもつかの間の事。

 噴火が長引くのが分かっているから、数人を残して宿の従業員には暇を出した。

 客もなく、ガランとした宿は幽霊の遊び場と化している。灰を凍らせても面白くないだろうに。

 何とかちゃんも明日の朝には帰ってしまうし、寂しいの。


 一週間ぶりでやっちゃんが帰って来た。

 部屋には吾輩の足跡が一筋あるだけで、新雪のような火山灰がふわりとタップリ積もっている。

 どこに何があるのかも分からないとぼやいておる。

 この部屋もどの部屋も悲惨な状況で、どれもこれも皆酔っ払ったペロン星人がやらかした当て逃げが原因である。

 部屋の前で茫然としているやっちゃんを女将が呼びに来た。

「やっちゃん先生の部屋は変えときました。もう御客はんもおいでにならん思いましてな、シェルターを皆で使わせてもらってます。灰が入らんのでなかなかいい住み心地どすえ。住み込みの娘らはまだ揺れていない宿に紹介状書いて越してもらいました。通いの者には家の事心配だと思って暇ださせてもらいました。残ったのは板長はんと仲居頭はんと葉瑠美ばかりで寂しい思いしてました。今日はやっちゃん先生帰ってきはったんで少し賑やかになりますなあー」

 一週間もいなかったのだからこの程度で済んでよかったとすべきで、余計な事をあれこれ考えるべきではない。

 それなのに、宿が霊の溜まり場に成っているのに気付いたか、墓場の様に静まり返っていると呟きながら辺りを見回している。

 今まで嵐の日にしか聞こえなかった海鳴りもハッキリ聞こえると言うが、窓ガラスが入って居ないのだから当然である。


「火山弾が当たって割れたままどす。もうほっときまひょ。しばらくは内も外もありませんねえ」

 やっちゃんが以前「被災地の病院から去っていく医者ってのは、意気地なしの薄情者だ」と怒りの声をあげていた。 そんな男でも、この悲惨な状況を見れば思う処があったらしく「医者にだって生活があるし、守りたい家族もいるんだ」と呟いている。

 今頃気付いたかタワケ者め。

 吾輩には鉄筋コンクリートの建物に囲まれた専用の個室付きシェルターがある。

 突然知らぬ土地に飛ばされてしまう実験的部屋なのを除けば、なかなか過ごしやすい。

 ハリネズミとクロの家は地下の分厚いコンクリに囲まれているから安全で、診療所にいた頃の様にクロはどうしているかなどと心配せずに済んでいる。


 相変わらず火山からは噴煙が昇り続けておる。

 やっちゃんがいる病院では職員の出入りは頻繁でないが、噴火前から大勢の者が他の病院に転職をして行った。

 他の病院ではひと騒ぎ有った後に、職員の数が激減している。

 火口に近過ぎる病院は、噴火の影響で閉鎖状態である。  

 今は安全圏とされている病院とて、何時噴火が激化して巻き込まれるか知れん。

 速やかに遠くの病院に転院したいと願うのはどの者も同じで、それは病院に関わりのある者でなくとも同じである。


 病人はすぐに避難出来ない諸事情があるとかで、病院や地域に深い関りを持った者は、まだ地域に細々と生息している。

 この地に長く暮らす気のない者は、噴火が起こったらばすぐさま遠くの街に引っ越して行った。

 毎日噴火口から灰が撒き散らされ、所構わず降って来る。 逆らっても到底勝てる相手ではない。

 人間が出す結論は、潔く白旗挙げてどこかへ行くしかないである。


 宿の近所でも空家が目立って来ている。

 宿に巣食っていた霊の中には空家に移するのもいて、宿の住み心地が若干よろしくなった。

 噴火の勢いがどこまで広がるかは分からない。

 今のうちに、霊達は何時までも宿に留まっていないで、増え続ける空家にさっさと吸い込まれて行ってもらいたい。 さすれば、昼間は猫語を解する人間に悩まされ、夜は猫を甚振る霊共にツンツンされる寝不足の日々から解放される。


 霊が住む家とも知らず、河口近くから避難してきた者が近所に越してきた。

 避難テントの暮らしよりは建物の中の方が幾分楽だからと言うが、灰が降って来るのは何処も一緒である。

 慣れてしまえば、どんな所でも快適に暮らせる方法が見つかるもの。

 人間という生き物は、環境への適応能力が著しく劣る。 

 急激な環境変化により、死に至る者までいるのだから軟弱である。


 やっちゃんが、赤チンに預けたノートがどうだのこうだの電話して「病院に行く」と出かけて行った。

 灰や小さな石が無休で振っているから、今日のやっちゃんはブル機能付き装甲車に乘って行った。

 この装甲車は、ペロン星人が窓ガラスを割ったのをカモフラージュする為に置いて行った車で、元はヤブが自衛隊員に一台置き忘れて行きなさいと脅しをかけて奪い取った物である。

 隊員達との花札博打で勝ち取ったと言っていたが、どうせイカ様タコ様である。

 そんな事をしている暇と金が有るなら、ガラス一枚入れろよ。

 未だに割れたガラス窓は、ベニヤ板が打ち付けられた仮塞ぎの状態である。



 河口からの避難民が、宿にも幾人かやって来た。

 寂しさは拭えたが、避難して来た者は毎日不安そうに、噴煙で曇った空を見上げている。

「猫ー、どうしてる」

「相変わらず昼寝かね」

 宿に避難して来た者の中に、吾輩の存在にいち早く気付いて暇さえあれば探しに来るのがいる。ジャリ餓鬼である。

 宿の霊が宿の周りの幽霊と結託して、雪中行軍ごっこで夜な夜な吾輩を悩ませる。

 おまけに、ジャリ餓鬼まで加わっては昼寝どころではない。

 ジャリ餓鬼が昼寝と信じている吾輩の状態は、専門用語で気絶というのだ覚えておけ。  


 やっちゃんの部屋ならばジャリ餓鬼の攻撃も受けんからと思い、のったりしていると三毛子が現れる。

 この宿にあって、やっちゃんの部屋はずば抜けた霊界スポットである。

 ジャリ餓鬼の難から逃れ、この部屋で霊と格闘するの繰り返しが続いておる。

 しかし、化け猫の憑依が解けた三毛子の霊は吾輩の味方で、唯一の利点として化け猫が残した嗅覚を使って行方不明の医師と新聞記者の足跡を辿ってもらっている。

 ようやく彼等の行方を突き止め報告に来たのだが、その場所が警察署の地下に造られた秘密の牢獄だと言うのだからベックラ驚いた。

 これは直ぐにでもハリネズミに伝えねばと思ったが、病院まで行く手立てがない。

 人間は火山の驚異を回避する為、有らん限りの知恵と設備施設を使っておる。

 我等猫同盟は灰と小石の影響で、外で用を足すのも命がけの日々である。

 何とかならないものか、電話やメールでは盗聴されているかも知れん。

 なんとしても病院まで行って報告せねばならんのである。


 どうしたものか、思案も寝不足で虚ろに吾輩の明晰なる頭脳がショート寸前の時、クロ猫マークのトラックがペロン星人からの贈り物を届けてくれた。

 荷は当て逃げ事件を内緒にする代価として提供を約束された、猫用潜水艇と猫用飛行艇である。

 素晴らしくもわざとらしいジャストタイミング。やったね。

「まあ綺麗だ事。何どすかこれは、ピカピカと大きなタマムシの様なんが四つも」女将がしきりに撫でまわす。

「女将さん、これは猫宛てに届けられているから、きっと猫の寝床ですよ。外出用の猫籠かもしれませんね」

 葉瑠美がグーの手で船の横っ腹に何度もジャブをくれている。

 吾輩がこそっと荷がどういった物か言って、四つともシェルターの中にある吾輩専用部屋の脇に置いてもらった。


 女将が「猫用の備品まで用意してくれるなんて随分と親切ね」と驚く間もなく、葉瑠美が飛行艇に腰掛けるとそのでかいケツを押しのけ扉がパカッと開く。

 中には当然の如く、吾輩の頭サイズ操縦ヘルメットが入っている。

 丁寧な仕事をしているもので、人と違って頭頂に近く付いた猫耳を納める出っ張りまである。


「防災ヘルメットもついてるわー」

 上手い具合に出来ているヘルメットを見た女将が思わず手に取って、吾輩の頭に被せると飛行艇の動力が始動した。

 音もなく飛行艇の色が七色に輝いているだけだから、女将がそれを見ない限りヘルメットが操縦システムとは気付かれまい。

 それなのに、吾輩を飛行艇に乗せたから浮かんじゃったよ、何してくれるかな。

「浮かびましたね………この船は水がなくても浮くんどすな。避難するには便利どすな。不思議どすわー、あたしも一つ欲しいわー」感心するだけか。

「外で飛ばしてみましょ」大胆且つ行き当たりばったりの発言である。


 吾輩が乘ったまま浮いた飛行艇を抱えると、女将が駆け出して海岸に出る。

 正月の凧揚げに歓喜する子供の様である。

 無邪気と云えば聞こえはいいが、この場合は通り越して無警戒が過ぎる行動と言うべきである。

 飛んではいかんと強く願っているのに、心の声と潜在意識が正反対の吾輩は、まだ飛行艇の操縦を習得しておらん。

 飛ばしてみるのは良いが、せめて墜落した時に備えネットの一枚も張っておいてはくれぬか。

 それが防災というものであろう。

 いかんゝと思っているのに、飛行艇を抱えた女将まで一緒に浮いてしまったではないか。

 何考えてんだよ吾輩はである。

 猫を乗せて飛ぶだけの馬力が有れば事足りる乗り物に、人間まで乗せて飛行できるパワーはいらんだろう。


 自分まで浮いたのに気を好くした女将が、吾輩にあっちに行け今度は上昇などと命令する。すると、言うがままに飛行する。

 完全に猫籠でないと分かったろ。危ないからいい加減に降りようよ。

「高性能猫籠ねー。便利な世の中になったわね」

 飽きずに遊ぶ気満々である。まだ気付かないかよ。

「実に丈夫で便利な籠どすな。どうしましょ」女将がしきりに感心する。

「シェルターのおまけでしょうから、貰っておけばいいんじゃないの」葉瑠美が苦しい説明をする。

「猫ちゃんしか動かせへんみたいな。ちょいと残念だわ」 

 どこまで理解しているのか、不思議なのは女将の脳内構造である。

 吾輩はヘルメットを被ったまま飛行艇に乗っていたから、女将が船を放した隙に病院に向かって飛び出した。

 後の事など知った事ではない。野と成れ山と成れ。


 ガラスを入れてくれれば許してやるつもりでいたのに、妙な所で律儀な連中である。

 クロの分も含めて四機頂戴したのは良いが、クロの分をどうやって運ぶか。

 一匹用の狭い船内に、クロと一緒に乘るのは危険である。 ア奴は食い物がなければ必要な酸素までも独占しかねん性格の者である。

 例え酸素を二等分に分けて飛行出来たにしても、悪臭が船内に充満するのは確実。

 何故ならば、先ほど吾輩がチョッとちびった臭いが船内から未だ抜けきっておらん。

 操縦に慣れぬとはいえ、広大な宇宙空間を航行できる技術をもってして製造された物であるから、飛行艇の速度は地球人の認識域を越えている。


 やっちゃんが京はまだここより安全だから、実家に帰れば良いと言って女将を追い出そうとした事があった。

 女将はこの地に旦那の墓があるし、大女将が施設にいるから動けないと宿の乗っ取りを食止めていたが、災害に直面している以上、有効な避難方法が有れば何としても欲しい所である。

 誰しも吾輩の飛行艇を欲するのが頷ける。

 なんだったら吾輩は潜水艇だけでもいいから、飛行艇は女将にあげてもいいかななどと思っている。

 ヘルメットが被れればであるがの………グフッ。



 病院に着いて地下室に行くと、クロが井戸端でボンクラしている。

 あまりにも暇で、脳機能が停滞ぎみである。

 ハリネズミの家では、やっちゃんや赤チンが難しい顔をして会議をしている。

 クロに三毛子の情報を知らせると、それなら同じ事を赤チンと看護師長が言っていたから、今更伝えるに及ばんと簡単にあしらわれてしまった。

 もう少し早ければ吾輩の手柄であったのに、残念な事をした。


 クロに飛行艇と潜水艇が届いている事を告げると、偉く感激して直ぐにでも見たい乘りたいと騒ぎ出した。

 優秀な頭脳で地を這うよう目立たぬようにコチャラに来てくれたまえと、外の植え込みに隠した飛行艇に御願いすると、一二分で飛行艇君が吾輩の元にやってきた。

「大きなゴキブリがー」

 遠くから悲鳴にも似た叫び声がする。絶対に空耳である。

 でっかいタマムシにクロが飛び付く。

 スリスリペロペロ。

 食えないから‼ 齧るんじゃない。

 高速飛行するだけあって強度は十分である。

 クロが齧っても掠り傷一つない。

 残念なのは自動クリーニング装置が付いていない。

 ヨダレがタラーリ垂れて実に不愉快である。拭いてくれよ。


 神妙な顔で会議していた連中が家から出て来た。

 難しい話に知恵熱が出るのは人間も猫も同じで、熱くなった頭を冷やしに出た所だが、バットタイミングで赤チンにタマムシ一号を発見されてしまった。

「何、これ。猫連合の秘密兵器? 教えなさいよ」

 不純異性交友対象外である猫には、飛び切り冷徹に当たる女である。

「飛行艇である。御前は絶対に乗せてやらん」

「そうだよ。人間の男にばかりいい顔しやがって、たまには俺に土産の一つも持って来いや。そうしたら考えてやってもいいぜ」

 クロにとってもこの女は気に入らん者の一人である。

 赤チンが、看護師長の持っていたノーパを開いて吾輩に見せる。

「アインさん。クロさん。言掛りはそのくらいにしてこの動画を御覧なさい。これがまたすこぶる貴重で重大な内容ですからね。これで君達も今後は私に協力したい気持になる筈よ。だからそれ一台よこしなさい」


 見せられた動画には野ざらしが映っている。

「人質をとられないようにと自分の記録は総て末梢したのだがね、組織に君の前任医師だった古賀君を人質にとられてしまってね。ここで断ってもまた他の人間をさらわれたらきりがないと思って従う事にしたんだよ」

 野ざらしは今回の異常事態が発生するずっと以前から、周囲の不穏な動きを警戒していた。

 親族の記録総てを末梢し、人質にとられないようにしていた。

 野ざらしを操る為の実行部隊の長として活動しているのが警察署長で、警察署内の半数は署長の子飼い警官で占められているとも言っている。

 実質、警察署を支配している状態だから、これから我等猫同盟を含め、病院の者達が何をやるにしても警察には頼れない状況である。


「古賀君は今、署内の地下牢に監禁されていてね、古賀君の失踪事件を探っていた新聞記者の遠山君が捕まった時は、彼も医師で使い道があるからと、古賀君と同じ地下牢に閉じ込めてもらったから、とりあえずは生きているよ」

 我等猫同盟が探っていたのは、医師を誘拐して捜査対象にならないのは何故なのかといった、事件の真相究明である。

 我等が苦労して仕入れた情報だが、野ざらしは随分と前から知っていた様子である。

 全ては、今後起るであろう世界規模の災害情報が、機密扱いであるのに部外者に知られてしまった事から始まっていた。


 幸にしてこれから我等がどう動けばいいのか、必要な情報は野ざらしが赤チンを通してこちらに伝えている様子。 

 ここに集まった医師達も、野ざらしの指示に従うと言っておる。

 野ざらしの指示イコール赤チンの発言………でいいのか?

 指揮者不在を良い事に、適当にやりたい放題されているような気がしてならん。


「動画によれば、御前が偉い人であるような伝達であるが、吾輩には人の世の権力争いなどどうでも良い事である。御前が飛行艇を欲しているのは、単純に玩具として欲しいだけであろう。ヘルメットが操縦機であるから、御前が手にしても扱える物ではない。諦めろ」

「潜水艇ならくれてやってもいいが、どうせヘルメットは被れねえだろ」

「何、その潜水艇って。潜水艦まで持ってんの。生意気ね。我慢してあげるから潜水艇よこしなさいよ」

 クロがとてつもなく余計な事までバラシて、猫同盟の貴重な資産が奪われようとしている。

 とやかく騒ぎ立てられる前にサッと逃げて、後は知らぬ存ぜぬで押し通すしかあるまい。


 クロに目配せし、いざ猛ダッシュの寸前我等を窮地から救ったのはハリネズミの一言である。

「君達も貰ったのかい。僕の所にも昨日届いたんだ、人間用がね。今度競走しよう。猫用も人間用も動力パワーは同じだそうだから、小さい分君達の方が有利だね」

 これに赤チンが強く反応した。

「何であんただけ貰ってんのよ。私にも贈れって今直ぐ連絡して。今日中に届かなかったら宇宙船爆破するから!」 

 どんな巨悪よりも危険な敵は赤チンである。

「何で僕だけ貰えたかを説明しなければいけないのかい。どうしても。絶対に?」

「だってそうでしょ、ずるいでしょ。こんなに良い物があるのに。自分達ばかり貰っておいて、教えてもくれないんだから」

「教えたくない理由も言わなければならないのかね」

「教えたくないって何よ。私を仲間外れにして楽しんでるんでしょ」

「そうじゃなくてだね。操縦機の仕様がちょっと複雑でね。君の分は新に朱莉君が操縦機を造り直しているところだよ」

「朱莉って誰?」

「君達が何とかちゃんと呼んでいる娘だよ」

 そうであった、何とかちゃんは朱莉という名であった………ような気がする。


 仕様がどうだのコウダの説明を嫌がっているのに、ハリネズミが半妖であるのを皆にバラしてやると赤チンが脅しをかけ、操縦機を見せてもらっている。

 ヘコニョロの御相手ならば、生死無機有機男女有形無形を問わず丁寧に接するのに、まっこと何がしかの御相手以外には非情な者である。

 見た目には猫耳がない人間の頭サイズヘルメットだから、我等の猫専用操縦機と同じ理屈ならばスッポリ被れば操縦できる筈である。

「それから、このヘルメットとは別に、根にちょっと細工しなければならないんですよ。もう一つ操縦機を取付けるんです」

「何処に」

「だから、根ですよ。ようがすか。この筒を根の頭へ刺し込んで、ぎりぎり廻すと別の使い方ができる。うんと突き込むと大抵は一分ともたない。苦もなく一回抜ける」

「木の根っこ?」

「違いますよ。根です。貴方の大好きな根です」

「私、根菜はあんまり好きじゃないけど」

 肝心な所で鈍い女である。


 暫く根問答をしていたが、何時までたっても赤チンが根を理解できないのに呆れて、我等猫同盟はやっちゃんの装甲車に便乗して宿に帰るとした。

 しかし、ペロン星人はいかなる理由をもってしてあのような所にまで操縦機を取付ける仕様にしたのか。理解に苦しむところである。

 単なる助平心か。

 戦士でもない者に御遊びで乗り回されない為の装置なのか。

 何とかちゃん(朱莉ちゃん)に根の機械についてと聞くのも些か恐縮するというか、御互いに恥ずかしいというか。 困った装置である。


 宿に帰ると、女将と葉瑠美が我等を早速猫籠に押し込んでの拷問である。

 葉瑠美が猫語翻訳機の存在を女将に教え、それが仲居頭から板長に伝わり、結局宿の者全員が知る所となっていた。

 人間は秘密を持ち続けるのが苦手な生物である。

 宿の中だけの秘密として、外部に翻訳機の存在が知られなかっただけでも良しとすべきか。

 籠に入れられたまま、手の届かぬ周りイッパイに茶菓子やサキイカ。ビールやら酒を並べられては、吾輩もクロも尻尾を小刻みに切り取られるより苦痛である。

 こうまで周到且つ大胆で惨酷な拷問にあっては、特別に訓練を受けたスパイでさえ真実を語り出してしまう。

 自白剤要らずネコイラズ。

 若旦那の事や、事件の事から災害に関する事まで、知る限り総てを吐かされてしまった。

 我等が白状した事は、やっちゃんにもハリネズミにも内緒にしてくれると言う。とりあえずはよしとするべか。 


「世界規模の災害を予測したのは別の組織としてもよ、この情報を入手できる奴がラスボスってのは確実でしょ」「警察署長まで操れる組織なんて聞いた事ないわ」

「やっちゃんもハリネズミも相手がどんな奴か見当もつかないって言うんだから、私達がどうこう考えたって分からないわよ」

 意外とあっさりした結論を短時間で出す者で、何事もなかったようなあったような。

 我等は自白した後に、菓子やサキイカやら酒に有り付けたから苦情など欠片もないが、これでいいのか?

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