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16 三毛子に取りついたる悪霊退散‼

 吾輩の真の能力を知らん人間が、吾輩を評価して猫揚げにしようとするのは残念乍ら仕方ない現実として見過ごすとしても、命がけで悲鳴を上げている可愛い猫を助けようともしないで、つまらん遊びに興じているとは神をも恐れぬ極悪非道の霊体共である。 

 もっとも、吾輩を含めはなから神を信じておらん者ばかりの寄り合い所帯であった。

 薄情なのは怨念ばかりで存在する霊であるから否めない。

 しからば、吾輩はこのまま皮を剥がされ胴と首は死に別れとなり、ふら付く幽霊達の御仲間にしてくださいと挨拶まわりに忙しい思いをする運命である。恨めしやゝ。


 吾輩は猫であっても、超優秀な頭脳をもって此の世に出現した。

 今世紀の救世主ベストテンに限りなく近い者である。

 今風に言うならばヒーローであるにも関わらず、これ程に陳腐な死に方があっていいものだろうか。

 いや有ってはならぬ事態である。

 猫の祟りは参代続くの諺も有る事、空腹のあまり正常なる判断能力を失い、美食の魔力に憑りつかれし者がした事とはいえ祟りは祟りとして祟ってやる。

 肉牛君ならばハンバーガーのミートに成り、ブロイラーならばフライドチキンになるのが運命と諦めもつこう。

 だがしかし馬鹿野郎。

 肉牛も鶏も豚も猫も一緒に食肉化するんじゃない。

 足の有る物は、椅子とテーブル以外何でも食う気になっているんじゃない。

 足が有るのかないのか微妙だから、幽霊は食われないと安心しているんじゃない。

 こいつ等なら、見つければ幽霊だって食うのが分からんか。


 飼い猫ならばネズミの一匹も捕えれば褒められよう、食われたりはせんだろう。

 だが、現実的視点で世情を評価すると、ここにはネズミ居ねえんだよ。

 保健所にネズミの糞見つけられちまってヤバくなったから、業者頼んで徹底駆除して貰ったばかりだから、ネズミ一匹もいねえんだよ。吾輩は絶対にネズミを獲らん。

 嫌だ出せー! とわめき散らしてやったら、ハリネズミがチキンを食いに行くのがそんなに嫌かと訊ねる。

「吾輩を唐揚げににして喰う算段じゃろ」

「君を喰ったら美味いのか? どう見たって不味そうな格好だ、とてもチキンには敵わないだろ。変な所で自信家だな。店の中には籠に入っていないと入れてもらえないんだよ。わめかず大人しくしていてくれたまえ」

 ついさっき、心に深い傷を負わされたからコヤツを先生と呼ぶのは辞めた。

 ただ、絶交はしないでいてやってもいいような気がする。


「アイスクリームの話はどうなった、やはり吾輩は籠の中でなければ店に入れんのか」

「食べ物屋さんは、基本的に動物NGなんだよ」

 動物を調理して売っているのに、当の動物を店に入れない人間の道理がどうしても理解できない。

 動物が入れない店で、如何なる手品を駆使すれば客に動物の肉を提供できる、不可解である。



 駅前という地名の場所に来たのは生まれて初めてである。

 なんと人の多い事か。

 何処からこんなに湧いて出た。

 これでもこの駅前はシーズンオフとかで、盛りの頃より格段人出が少ないと聞かされた。

 デパートという大きな建物の中には、フライドチキンにドーナツ屋、アイスクリームを売る店からハンバーガーの店もある。

 どれもこれも美味そうな匂いがする。

 ハンバーカー屋に並ぶ人の数を見るに、一日で肉牛君が一頭は食われていると推察できる。

 鶏にいたっては、近所の鳥小屋一軒でも足りんほどの鶏が油鍋に放り込まれている。

 肉になる運命の物達が見れば、ここは地獄そのものに相違ない。

 吾輩にとっては極楽にかなり近い。


 女将にピザとチキンの土産を買った。

 到底一人では食いきれん量で、宿で働く者への分も含まれておる。

 さすればいずれはこの土産が、宿で数倍数十倍の恩恵となって返って来る。

 どうせ極め付けの打算的気遣いである。


 宿に帰って土産を渡し、再び風呂に浸かって部屋でテレビを見る。

 二人の行動を見るに完全なる宿泊客であるが、まったく料金を支払っていないのは野ざらしもハリネズミに順じておる。

 つまらない所で張り合ってどうする。

 この部屋で真っ当に宿代を払って住まっているのはやっちゃんだけである。

 その者から電話があって、急患が大量に運び込まれてくるから数日は帰れないと女将が我等に伝えに来た。

 女将が部屋の二人にこんな事を伝えるのは、やっちゃんの留守中部屋を守っていてねと言いたいからではない。

 主の不在を好い事に、部屋でドンチャン騒ぎをするんじゃないと釘を刺している。

「旦那、女将があんな事言ってるがどうするね。我等に静まり返って過ごせと言う方が変な人なのではないかい」

 ハリネズが若旦那の幽霊に向って話しかける。

 霊力の強まった若旦那が見えるようになったと、吾輩に自慢するハリネズミ。

 幽霊になってまで貧弱な奴が見えているのに、強力な霊力を持った獣医や金太郎が何故見えないオタンコナス。

 見え方が間違っておるぞ。


 忠告されて直ぐに騒ぐのは流石に気が引けるとみえる。

 駅前の電気屋で買った猫型リモコンを調整して、暫し静かにテレビを見ている。

 すると、銚子沖で大型客船が転覆したと報道している。 

 やっちゃんからの連絡からするに、この事故に巻き込まれた者達が病院に運ばれて来るから暫く帰れないという事かと納得している。

 直ぐにハリネズミに電話がかかって来る。

 ヤブからで、一仕事片付けたら遊びに行くから、宿に部屋を取って宴会の準備をしておいてくれと来た。

 えらく急な話だが、泊る客もなく宴会をする客もいないから、部屋と会場は簡単に手配できた。

 ただ一つ問題は、宿に宴会をする食材の仕入れがない事である。

 そこはヤブに金の心配はいらないから、美味い物を沢山と言付かっているから強気である。

 金に糸目をつけるなと言われた板長が喜ばない筈がない。 海鮮料理屋の水槽をそっくり買い占めたか、吾輩の友である肉牛君を絞めたか、近所の畑から盗んできたか、新鮮食材が厨房にズラリと並ぶ。


 数十人が急の宿泊である。

 仲居頭が何時になくアタフタ走り回って、丁度風呂に来ていた私学のデコギャルまで手伝わせている。

 宴会となれば、余計に仕入れた食材は宿の者の胃袋に収まる。

 超が付く美味い物ばかりであるから、何時でも腹減らしの若い者が手伝いを断るには勇気がいる。まず断る者はいないがの。

 一言に銚子沖といっても、何処まで行っても、オーストラリアまで銚子沖である。

 何処等辺りでの海難事故まであの病院で受け持つのか、宴会準備で慌ただしくニュースを見る暇などない人間に変り、吾輩がテレビを見ていると、この海岸から百六十㌖も離れておる。

 百六十㌖が、ここから駅前までより遠いくらいは吾輩にも分かる。


 過激に遠くからやって来るものだから、今暫く宴会は御預けかと思っていたら、ペロン星人がこっそり部屋に入って来た。

「久しぶりだねー。元気してたー」

 彼等の宇宙船を使っての救助活動であったが、途中から抜けて宴会の準備をする為、小型船で先乗りして来たのだそうだが、訳もなくヒソヒソ話しである。

 ついでの宴会だと頑なに主張しているが、人命救助活動の為動員された宇宙人の緊張感が伝わって来ない。

 言えば言うほど嘘に聞こえるのは吾輩だけか。ペロン星人は宴会が好きである。


 もうすぐ着くからと連絡が入ったら、まさしくすぐに到着したもので、観光バスが五台ばかり入る巨大な宇宙船が宿前に着水してそのまま沈んで行った。

 それから十分ほどしたら、ロビーの真ん中にポカっと穴が開いて、エスカレーターが現れると今日の御客さん方が出てくる。

 穴は塞いでおくからとヤブが女将に謝っている。

 客の登場方法が非常識であるのもさる事ながら、手術台に向かうと手が震えるヤブは別として、何時か医学雑誌か漫画本で見た天才外科医を含め、優秀な医者ばかりがぞろぞろ出て来ている。

 感激した野ざらしが医師達に片っ端から握手を求め、ハリネズミはサインをもらっている。

 オークションにかけたら幾らで売れるか皮算用をしている。

 風呂に入りに来ていた近所の者は唖然とするばかりで声も出せない。

 ヤブが宇宙人の着ぐるみを着ていたから、ハリネズミが映画の撮影だと誤魔化しているが、信じがたき長閑さに満ち溢れている人達でも、そんな言葉を真に受ける筈がない。


 宴会が始まると、チャンチキやっている眺めと裏腹に、もうすぐ世界中が大戦争に巻き込まれる、それもこれまで人類が経験した事のない地球外知的生命体との対戦だと、話題は尋常らしからぬキナ臭さである。

 人類が宇宙に飛び出してまだ一世紀も経っておらん。

 そんな未熟な者が数十億集まったとて、到底敵う相手ではない。

 仮にペロン星人が助け船を出してくれるにしても、科学力の拮抗した者である。

 数で劣れば地球は異星人に支配される。

 吾輩は地球の猫だから、論ずるまでもなく地球防衛軍である。

 しかし、地球外知的生命体が必ず侵略者とは言い切れんと、少しばかり意見を言って見た。

 するとペロン星人が、我等の母星を破壊したのは奴等だ、したがって、奴等が地球に来る目的は侵略以外の何ものでもないと決めつける。


 異星人が地球に向かって来ているのは確かな情報で、向かってい乍らこちらに何のメッセージも送って来ないのは、友好的理由がないからだと他の者達も言う。

 なるほど、そうならば戦争の準備をせねばならんと思う。

 ところで、何代にわたっての防衛準備なのか。

 そ奴等はあとどれくらいで地球にやってくるのか気になる。

 この件に関しては、どいつもこいつもアヤフヤである。

 ペロン星人は母星を破壊されて地球に辿り付いてから、直ぐに地球防衛の計画を実行しているのだと自慢し始める。

 我々が地球にいる限り、猫の国に鼠が攻め込むようなもの。どんな外敵が襲来しても、必ずや地球を守って見せると自身満々である。

 地下の巨大ドームやリニアモーターカー等も防衛設備の一部だ、今回の災害は異星人が侵略の下準備をしている事によって引き起こされた災害も含まれているとの結果が出ていると力説する。


 常日頃の行動からして酔っているのか素面なのか、判断に困るのがペロン星人に共通する特徴となっている。

 しかしながら今の様子を見るに、しっかり酔っていると言って差し支えない状態である。

  猫の国に鼠が攻め込むようなものとは、猫は鼠よりも確実に強いと言う意味である。

 さもなくば、信じてもいない天地神明に誓って、地球の防衛は万全だなどと言うのもおかしな話になってくる。

 しかし、賢く強靭な筈の理想的姿であるべき未来の猫型ロボットでさえ、御昼寝中で油断していたとはいえ鼠に耳を齧り盗られている。

 その昔、腹が減っていた時に有袋類が如き腹の袋から、電子レンジを出してチンしてくれた飯の味は未だに忘れられない。

 有難い想い出である。

 今彼はどこでどうしている者やら、最近とんと見掛けなくなった。

 彼の様に強い猫でも鼠に敗退する事があるのだから、必ず勝てるとは言い過ぎである。


 ペロン星人が地球に漂着したのは数千年前と聞いた。

 これまで何時来るか分からない異星人の侵略に備えて幾千年。いいい

 備えあれば患いなしと言われいる。言われてはいるが、物事には限度というのがある。

 未だに完成したとの噂すらない地球防衛システム。

 サグラダファミリア聖堂でさえ、二千二十六年には完成するとの見通しが立っている。

 かように宴会漬けの日々を過ごすばかりで良かろう筈がない。

 何とかちゃんが登場するまで、露聊も進まなかった地下シェルター計画が、少しばかり実現に近付いたからと大げさに燥いでおる。

 世の中には自慢して良い事と黙っていた方が良い事がある。

 ペロン星人は見境なしの自慢したがり屋さんである。



 近所の様子はことごとく荒れて、折々の浜風に誘われて温泉の匂いが漂ってくる。

 時折花吹雪にも似た白い灰もチラホラと舞い降りて、板場の外に置かれた猫縁台の上に常設されている吾輩の食器に入り込む。

 遙か遠くで噴火した海底火山の影響などとの噂もある。  

 よくよく考えてみるに温泉の匂いとやらは、近々これまでの数倍も豊富に温泉が湧き出る現象に見舞われた結果ではなかろうか。

 この宿が、有り余る温泉をタップリ垂れ流しているからと思えてならん。


 時々茶碗に乗っかっている白い灰は、ゴミ収集が間に合わない為に、燃やせるゴミは各家庭で処理してほしいと役所からの通達があったとしている。

 これとて、ゴミの処理代が高いもので無茶な節約をして、宿の何処かで隠れてゴミを焼却しているから飛んで来ているのではなかろうか。

 板前は猫の気を知らん者だから、皿が汚れていても気付かず、毎食灰の上から飯を盛る。たまには洗ってくれよ。

 雨任せの食器洗いで、暑い日には異様な臭いがする。

 食中毒を起こさないのが我ながら不思議である。


 時々気の利く仲居が猫茶碗を洗ってくれる。

 この者、何処に行っても身寄りのない者と聞いておる。 

 名を葉瑠美と言う。

 この名さえ、近くの神社に捨て置かれていたこの娘を、大女将が見つけた季節が春だったからと付けられた名である。

 吾輩と同じ境遇で生まれ育ったのに、誠に性格が好ろしく出来上がっておる。

 人間にしておくには惜しい程である。

 葉瑠美が猫語を解してくれれば嬉しいところであるが、そこまで望むのはいささか欲張りかと思う。


 この葉瑠美が、ここのところ吾輩を見てはキャハハと笑う事が多くなっている。

 極限環境において、人間に限らず生物の精神状態はあらぬ方に向ったりするものである。

 若干他の者より精神に微弱性を持った者ならば、昨今の災害に出会って好ましからざる言動を示しても、何ら責められるものではないが、ちょいと心配である。


 なんとかして葉瑠美を救い、宿の者を驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ葉瑠美の居所を視回って行動の詳細を把握しておく必要がある。

 あちこちでの災害発生が報道されている時期である。

 殆ど宿の中で働き休む者だから、勿論行動範囲は猫の活動範囲とさして変わろう筈がない。

 部屋にしても、住み込みで働く者一人に割り当てられたのは四畳半から六畳間が一部屋限りである。

 この一間を区切って半分は寝所、半分は勉学の為の空間としているのが葉瑠美で、将来は子のナい女将の後を継いで宿を切り盛りするのが定め。

 仲居をしながらだから疲れているだろうに、修行の一環で休む間もなく熱心に勉学をしている。

 常日頃より女将にみっちりと仕込まれておる。


 机には部屋に似合わぬ立派な盾が幾つか置かれている。 

 通いで学校に行っていた頃、何がしかで優秀な者であると表彰された記念の物である。

 優秀であるから大学に行くよう周りの者から勧められ、奨学金とやらを貰って卒業した後に、仲居として宿に常駐しておる。


 夜間の勉強中に眠気覚ましの苦い茶を飲むのも、夜食を食うのも勉強机の上である。

 勉強エリアには大きな本棚があって、狭い部屋を尚更狭くしている。

 本棚の高い処には茶菓子の小皿を入れておく戸棚がある。

 この家の子同然に育って来た者だけに、やる事が女将に酷似している。

 戸棚の中にカステラやマカロンを仕舞い込んでいるのは分かっているが、高所の引き戸で吾輩には開けられない。

 したがって、泥棒猫にも成れんのがこの家の仕様となっておる。


 火災報知器なる防災設備は、消防によりきつい調査が常日頃立入って行われている。

 このためもあって、防災には積極的である。

 他には保健所の立入検査というのがあって、吾輩のような猫が宿へ立入れる場所は制限されておる。

 吾輩が屋内に住まっているのは内緒で、極秘に屋内に入れてくれるのは有難い事である。

 その有り難いを打ち消してくれるのがこの戸棚というやつ。

 人間が最も盗みたがる金目の物は無頓着に放置していられる防犯意識を持った者ばかりが住まう家にあって、吾輩は唯一の泥棒予備軍として最大限の警戒心を持って監視されている。


 吾輩の好物は数々あれど、茶菓子には飛切り目がないのは、宿に出入する者ならば誰もが知る事実である。

 魚や肉・野菜等は、簡単に出入りできる板場で無造作に並べていても、茶菓子だけはしっかり茶棚にしまっている。

 彼奴らの意地の悪い事をしみじみ感じる今日この頃、たまには戸を閉め忘れてもいいだろう。


 何気なく、思考が横道にそれている気がしないでもないが、これから作戦計画だ。

 どの様にしてどの茶棚の戸を開けるかといえば、無論茶菓子の入っている戸棚でなければならぬ。

 御手軽にこっちが乗り込み易い形状をしていようとも、茶菓子が入っていないのでは無駄骨である。

 ここにおいて、宿では絶滅した鼠の行動について研究した知識が成果となってくる。

 どの方面からやって来て、どの茶棚に向っていたか。


 板場には四方八方罠が仕掛けられておる。

 この危険地帯については、浅はかな鼠でさえ承知していた。

 空腹のあまり警戒心が壊れ、調理場に突入したまま帰らぬ鼠を何匹も見てきた。

 悪あがきは時と場所を間違えると命取りである。

 客が引けて夜も遅い。

 茶棚に菓子をしまっている女共は、風呂に行って暫くは戻って来ん。

 朝早い板場の者はとっくに寝ている。

 ハリネズミと野ざらしは、玉洗坂の店に夢中で今日は来ていない。

 やっちゃんは病院の泊番である。

 女将は昼寝をしているから夜は空が白むまで起きているとはいえ、大方今頃は居眠りをして若旦那の夢でも見ている。

 時々宿前を自動車が通るが、車の音を気にする者もない。 通り過ぎた後は幽霊が喜ぶ淋しさに宿全体が包まれる。 


 吾決心と裏腹に、吾意気とは反対に、宿全体の感じがことごとく霊界である。

 どうしても化け猫の大将としか思われない三毛子が、葉瑠美の部屋で鼠の霊を甚振っている。

 霊になってまで猫に殺されようとしているのは見ていて同情するが、三毛子に意見する勇気を吾輩は持ち合わせていない。

 ここは大人しく、他の者の部屋で菓子探しに専念すべきである。

 それが生きた猫の使命である。


 こう言う生死の境界に入ると、瞬時に異種エネルギー体へ恐怖を覚えるのは猫も杓子も同じであるが、吾輩はこの恐怖に勝る強いエネルギー体と過去に出会っている。

 ヤブの頭から毛を毟って銭ハゲを作っていたパックである。

 ヤブの周囲で非常事態が発生すると、突如現れて「御告げー」とやる変態であるが、気の力だけはこれまで出会って来た霊体のどれよりも強く充実していた。

 若旦那や獣医、金太郎といった人間の霊とやり取りするには慣れたが、未だに化け猫の三毛子とは御近付になりたくない。

 化け猫になった理由が、三毛子にも解らないというのが何より不気味である。

 三毛子でさえパックに比べれば、その霊力は一割にも満たないと感じる。

 なのに、パックには恐怖を覚えないのだから奇妙な奴である。


 綿密なる経過観察から結論付けた本日の菓子奪取作戦の決行候補地を挙げると、既に熟睡している仲居頭の部屋か居眠りしている女将の部屋か、更にもう一か所の候補として、風呂に行って帰っていない仲居の部屋は葉瑠美の隣部屋である。

 三つの部屋があるが、女将は菓子には異常な執着を持つ者である。

 吾輩が茶菓子を盗みに入れば、居眠りからたちどころに正気となり吾輩を心置きなくぶちのめすに違いない。

 菓子に命を掛けるのはタワケ者の所業である。

 となれば、残るは二部屋であるが化け猫の事である。

 霊鼠獲りが勢い余って、隣の部屋に雪崩込まんとも限らん。

 三毛子に憑り殺されるのもゾッとしない話で、隣の仲居部屋も候補から消える。

 したがって、熟睡する仲居頭の部屋が今日は手頃と決定して作戦を開始する。


 仲居頭が女将ほど茶菓子に頓着した者で、吾輩の泥棒を寝ながら察知して起きだしたならば、その時はテレビの影に隠れて再び寝入るのを待てばよい。

 あるいは冷気の使い方を未だにマスター出来ない若旦那に言って、ちょいと部屋を寒くしてもらえば寒がりの仲居頭は布団にスッポリ頭まで潜り込む。

 準備周到。逃走手段に至るまで綿密に下調べを済ませてある。


 部屋に入って戸棚を見上げると、ほんの少し戸に隙間がある。

 僅かの隙でもあれば爪が引っ掛かり、容易く戸は開けられる。

 都合の好い事に、この部屋に置かれた茶棚の戸は茶碗一つ置けるよう奥まって設えられている。

 テレビの上にヒョイッと乘り、そこから茶棚に乗り移る。

 狭い足場だが、吾輩ならば揺れもせず乘って戸を開けられる。 


 隙に鼻を付けて嗅いでみると、生クリームの匂いがする。

 気付かれないように爪をかけそっと戸を開ける。

 おお、これはロールケーキである。

 LEDナツメ電球の光で薄らボンヤリと白いのが見える。 ちょいと手を伸ばした所に、吾輩の極楽がにっこり笑顔で待っている。

 さて、計画はまんまと大成功と喜ぶと、頭の上から三馬鹿幽霊がいかんでしょうと言った風に吾輩を眺めている。

 まさかあんな高い処から襲ってくる事もなかろう、この馬鹿タレ共に対する警戒は解く事にする。

 それにしても、三方から攻撃されると逃げ場がないとの懸念がある。

 一口なら食ってもいいだろうと眼で御願いして見せたが、相変わらずダメでしょうである。

 半口ならどうか? 許してもらえない。

 平凡な猫ならば、本能的に目の前の菓子を食わずにここから降りるのは不可能である。

 三馬鹿幽霊ならば、その事は重々知っているのに意地悪な者である。


 予期せらるる危険因子は総て排除して本計画を実行に移したと自負していたが、こうなっては吾輩も手の付けようがない。

 三毛子に助勢を頼むのも、吾輩のメンタルに悪影響である。どうしたら好かろう。

 そんなこんな考えて妙案が浮かばない時は寝るに限る。 

 どうやったってまとまらない考えをいくら頭の中に巡らしても、何も出て来ないのが分かっているのだから無駄な抵抗をしても疲れるだけだ。

 色々考えて寝られないなどと聞くが、それならば考えるのを止めれば寝られる。簡単な事である。

 ここで霊達とロールケーキをめぐる攻防の揚句、夜明かして仲居頭に発見されたのでは、泥棒猫末代までの恥である。

 まず辺りを見渡し、仲居頭に気付かれないであろう所は布団の足元と見定めて飛び降りた。

 音も無く見事な着地を決めると、何事もなかったぞと言いながら部屋を出てやった。


 今生きていても明日には死なんとも限らん。

 些細な事で霊界の先輩達から反感を買っては、後々ややこしい死後の世界に誘われるのが明確である。

 しかし、吾輩は何をしたくて泥棒猫の計画を実行したのか、口には菓子の欠片もない。

 こんな事なら、女将の部屋で一日ゴロゴロしていた方が楽に菓子にありつける。

 何処かで方向が違っている。

 そもそも、本計画の段階で吾輩の目的は何であったのかを振り返ってみよう。

 さすれば必ず真の目的を再発見できる。


 菓子が欲しくなったのは、何時も締め切った茶棚の戸が原因である。

 其の棚に思考が行ったのは本棚からであった。

 本棚について考察する切っ掛けは、葉瑠美の部屋の様子からしてである。

 さらに辿れば、葉瑠美の生い立ちまで遡り、そんなこんなの思いは、葉瑠美の様子がここ数日妙にポジティブであるから。

 ひょっとしたら、脳内に崩壊因子が蔓延り始めているのではと心配したからである。

 これは、葉瑠美が吾輩を常々気にかけよく面倒を見てくれている者で、心配するに値する人類だからであった。

 そこで無駄なポジティブを正常値まで下げられないものかと思い巡らせていたら、泥棒猫をするのが宜しいとの結論に達した。

 脈絡を無視した結論である。


 どこで道を誤ったのか、見当も付けられない急激な展開である事からするに、考え過ぎてブドウ糖が不足し甘い物が食いたくなった衝動とでもしておくべき事件であった。

 いくら心配したって解決法が出て来んからこうなった。

 吾輩への三面攻撃は回避できたが、未遂事件の前歴を消すのは困難である。

 何時かまた一度、泥棒猫事件が起らんと断言出来る確証がないからには、吾輩が起こさぬと確約する方が信用を得るには近道である。

「もう二度とやりませんから、勘弁して頂戴」信用は万物に必要である。

 吾輩も信頼される猫でありたい。

 この様に深く反省する姿勢を示す事によって、今後三面攻撃は起らぬと極めるものである。

 それでもまだ葉瑠美に係る心配が取れぬから、どう言うものかとだんだん考えて見ると眠くなってきた。

 眠くなってパタリと横になると、三毛子が吾輩を葉瑠美の部屋に引きずり込む。


 一難去ったばかりで立て続けにやって来る霊の災難、逃げられないだけにもどかしい。

 三毛子は金縛りの術まで習得している。

 もはや吾輩の余生は憑りつかれる日々の連続でしかない。 悲しむべき現実である。

 三部屋のうちいずれを選ぶのが最も安全かとの問題で、当初から三部屋にも入っていなかった三毛子&葉瑠美の部屋に閉じ込められるとは、嫌な予感の片隅にもなかった展開である。

 吾輩にはこの部屋から出る策がない。

 じきに葉瑠美が風呂から帰って来る。

 菓子泥棒の謀が発覚するとは思えないが、一度も入った事のない部屋に、主の留守中入り込み横になっている。

 この姿を見られたら、どれ程図々しい猫と称されるか。 

 今後の猫茶碗清潔度にも関わって来る由々しき事態である。


「葉瑠美は風呂から上がって今ロビーを抜けこちらに向かったー! 自動販売機の前に立ち止まるー! 缶ビールのロング缶を買ったー。これからロビーで一杯飲むか、それともビールを持って部屋に直帰するのか、大いに心配されるところでありますー」金太郎が余計な実況中継をしてくれている。

 そんな余裕があるならば、吾輩をこの窮地から救い出してはくれまいか。

 名誉欲だけでこの世に居残っている霊体に、御前など知らんと言ったのを未だに根に持っている。

 根に持って呪って祟って憑りついて悪さ嫌がらせの限りを尽くすのが幽霊の本業である。

 だからやるなとは言わず、吾輩には厄介をかけてくれるなと御願いしている。

 が、お願いして利いてくれる者なら悪戯などせんわな。


 吾輩がかく無中になって言い訳をひねり出していると、葉瑠美が帰ってきた。

 金縛りに遭って身動きできず、目だけがジタバタしている吾輩をチラリと見たが、気にする風でもない。

 とうとう壊れて感情を失ったか。

 机の引き出しから見た事のある機械を引っ張り出すと、吾輩に向けて質問をする。

「何でここに居るの? 覗き? 夜這い?」

 大胆な質問だが、猫にその問いは不適切である。

 前者はいくらかそんな気分にならんでもないが、自然の摂理に反する後者は有り得ない。

 自意識過剰な者だとは、今の今まで気付かなかった。


「最近御前の様子が妙にヘラヘラしているから気になってきてやったのだ」

「そりゃどうもありがとう。あんたのアホな独り言が可笑しくて笑っていただけよ。それより一人酒もつまらないから付き合いなさいよ」

 ビールを小皿に注ぎ分け、乾き物の珍味を豪快に開けて吾輩の前に置いた。

 ビールとサキイカを出されたのでは帰るに帰れない。

 その前に、金縛りで動けない。

 たかが化け猫の俄妖術如き、ビールとサキイカの魅力に勝さるものか。

 ウンギャーっと一鳴き、満身の力を尻尾に集め圧し掛かっている三毛子化け猫に尻尾鞭の一撃を喰らわす。

 この時一瞬にして吾輩の除霊能力は全開し、恐ろしく憑依した化け猫が三毛子の霊から離れる。

 生前ノホホンとしていた三毛子の幽霊になった。

 やればできるものだ。吾輩天才猫? 


 何事もなかったかの如く、徐にビールを舐めサキイカを一本二本三本ばかり銜える。

「吾輩の独り言を笑うとはけしからん奴だ。しかしながら笑えるという事は、猫の言葉を知った者なのか? ひょっとして見た事のあるその箱は、猫語翻訳機か?」

「そう。あんたの面倒を見てやっているからって、野ざらしが私に置いて行ってくれたの。猫のくせに意外と御利口よね。変態?」

 紳士的な猫を変態とは失敬な者だが、普段世話になっているからその辺の暴言は勘弁してやる。

 この宿の者には猫語を解する者は一人もおらんと独り言を言いたい放題してきたが、いささか状況が変わってきた。

 今後はうっかりした事は言えん。


「ねえ、化け猫とか若旦那の幽霊とかって、今もここにいるの?」

 アリャリャ。うっかりした事の総てを聞かれてしまっていた。

 これ以上のうっかりも滅多にない。前言撤回し、うっかり放題の独り言もなしである。

「そんな事を聞いてどうする。宿に溢れかえっておる幽霊退治でもする気か。全部退治するには優秀な除霊師が十人寄って集って寝ずに頑張っても百年はかかるぞ」

「居たって大して邪魔でもないからほっとくわよ。女将がね、最近若旦那が帰って来たみたいだってボケてるからさ」

「若旦那か。そいつなら御前の右肩の上でボケーっとしておる」

「へー、おっどろき! 話せるの?」

「勿論」

「何で女将に姿見せてあげないの? どうしましょうって困ってるけど」

「姿を見せないのではない。そ奴は未熟者だから化けて出たくても姿を見せられないのだ」

「なーるほど、出られないんだ。他の連中も出られないの?」

「質問攻めであるな。他には出られる者もおるが、ここに化け出る理由がない。基本的に幽霊共は横着者である。まめに毎夜化け出るのは作り話の世界だけ事である」


 猫語翻訳機や宿に巣食う幽霊の話を、常識的と言われている部類の人間が信じるとは到底思えん。

 だが、この宿に住まう者の多くは非常識な部類に仕分けされている。

 宿という狭い空間は、葉瑠美が超越的与太話を熱心に語れば、半数以上が同調する社会構成となっておる。

 それが客に伝わり内容がねじれてゆけば、この宿は必ずホーンテッドホテルと噂される。

 そうなると、かろうじて食い扶持を確保できている宿の経営状態が悪化して、倒産・夜逃げにまで成りかねん。

 くれぐれも他言無用と釘を刺してやったが、さて何処等辺りで他言が食い止められる物やら。



 心地よく一酔いして、三毛子の霊に憑りついた化け猫も一時退散した静な夜。

 久しぶりに心行くまで眠れた。

 起きたのは陽もだいぶ高くなってからで、外を見ると宿の者や早くから風呂入りに来た客が、海岸やバーベキュー会場でアタフタしている。

 外にウロチョロしている者を確認すれば、宿の中に人がいないと判断できる。

 元々不用心な宿だが、誰一人として建屋の中にいないとは恐れ入った無警戒。

 徹底した御人好しには感心するばかりである。


 誰もいないと思っていると、ペロン星人と診療所にいた頃昵懇にしていた隣のヤクザ連中がザワザワしている。

 ロビーから、有朋がスイッチは天井に付けておけと言う声が聞こえる。

 何のスイッチを天井に付けるのか、吾輩には分からなかった。

 まさか温泉をロビーに引いて、飲み食いしながらの宴会風呂を作っているのでもあるまい。

 一昨日は宇宙船でやって来た連中の宴会、昨日は幽霊VS泥棒猫対葉瑠美。

 今日はペロン星人&隣のヤクザ。

 明日は何が起こるのだろうか。


 ペロン星人&隣のヤクザが宿の者を締め出し、ロビー

で何をやらかしているのか。

 宿を不法占拠して人質やテロ事件の実行犯となっていようとも、それは人間界での事。

 吾輩にとっては好きな隣人・良き友である。

 それはペロン星人&隣のヤクザも同じと信じ、絶対に見つからないよう柱の陰からコソッと様子を伺う。


 ロビーのど真ん中に、前衛的な箱が置かれてある。

 アートは時として摩訶不思議に見えたりする物と諦めるしかない構造物。

 最高の警戒レベルをもって観察していたが、この様子ではただの悪ふざけレベルである。

 何時もの如く気安い感じで、タラリンチョと御出座してやる。

 すると、吾輩を入室第一号だと笑いながら出迎えてくれた。


 何事がおきたのか。

 不思議な構造物は地下シェルターへの入口だと説明された。

 一昨日宴会の会場に成った時、宿の地下に倫理観の欠落した入場式で作ってしまった大穴を、直すついでに地下シェルターを設置していた。

 ついでの一仕事でやっちゃんに、莫大な借金を背負わせているのだから美味し過ぎる商売である。


 入口は自動ドアになっている。

 先程スイッチと言っていたのはこの扉のスイッチで、戸が開くとそこから先にエスカレーターが下に向かって動いている。

 昇りはないのか尋ねれば、避難専用だから必要ないとかである。

 自動ドアは非常時停電したらどうなるのか聞けば、手動にてお願いするしかないとの答えが返ってきた。

 ならば、下手に高そうに見える小細工などせず、たんなる階段で良かったのではなかろうか。

 すると、非常時にはエスカレーターは緊急停止するから、普通の階段と同じになるとの設計であった。

 ついでのやっつけ仕事だから、およそこの程度の物よと開き直っている。

 全部やっちゃんにばらしてやろうか。


 生憎やっちゃんはこの場にいない。

 どうしたものか、ペロン星人&隣のヤクザを脅してみた。

 すると、ヤブはやっちゃんから金を取る気がないと言う。

 もっとも、やっちゃんに支払い能力があるとは誰も思っておらんがの。

 内部はパンフレットに載っていた仕様より数段上の超豪華設備が整っている。

 こやつ等の仕入れ資金には限りがないのか。

 神々しく建て付けられた小部屋が目についた。

「これはついでではありませんから」

 小部屋を吾輩専用の空間と指定するこやつ等、災害騒ぎに乗じた加減知らずの悪徳商法で悍ましい荒稼ぎをした結果、莫大な資産取得に成功したとみえる。

 ぼったくり請求は、金の余っている者にしかしていないと言い訳している。

 時にはあくどい商売も、世の為人の為猫の為になる場合もあるようだ。

 今回ばかりは勘弁してやるとしよう。


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