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15 バーベキュー会場の肉牛君

 ここまでこき下ろされると根が短気単純な者だから、野ざらしに対抗して勝ち誇る為なら何でもするのがやっちゃんである。

 野ざらしとハリネズミ先生が共同して、やっちゃんに上手い事使い走りをやらせる企みと観たが、どんな事になるやら。

 当のやっちゃんは「何が言いたいんだか分かりやしない。やはり俺の悪口ばかりで直に言えない事だらけだ。悪口さも陰で言うか人に頼んだ手紙でするしかできないとは、最後の最後まで女々しい奴だ。どこかで見かけたら絶対にぶち殺してやる」しきりに独り言を吐いて怒りを鎮めようとしている。

「あらまー嫌どすー。いきなり君は馬鹿だなんて、そないな喧嘩腰で手紙を書く人がいるんどすねえ」

 酒と肴を運んで来た女将がどっかと腰を据える。

「人の手紙を読むんじゃないよ。俺にだってプライバシーってのがあるんだよ。ノックくらいできないかな」

「やっちゃん先生部屋ん戸は、なん時かて開けたままどす。見たくへんモンまで見しておるんはせんせどす。それになんぼ声かけてもブツブツ念仏さん唱えていて、せんせにはうちん声が聞こえてまへんどした。これで悪るければ自分で御酒と肴作って下さいましな。広げたまんまの手紙の最初が読めてしもたからて、何や盗ったんのでないのやし仕方がないのと違いますか」

 若旦那の後押しを知ってか知らずか、今日の女将は恐ろしく威勢がいい。やっちゃんもたじたじである。

「そないな事よりどんな意味なんどすか、その手紙は」

 好奇心が人一倍の女将には勿論の質問である。

「意味も何にもあるもんか」

「教えて下すってもええやおまへんか、人が医学を知れへんとおもて、先生はあたしを馬鹿にしていらっしゃる」「つまんねえ事言ってんじゃねえよ。俺を馬鹿にしたい奴が悪口を書きなぐっただけの手紙だよ。早く肴を食わせてくれねえと食う前に腐っちまうだろ」

「どうせ今から喧嘩をしに行ったって間に合いやしません。それよりか、野ざらし先生はどこへ行ったんどすか?   

 おせて頂戴」

「うるさい女だな。あいつの行き先知ってどうするんだよ」

「御風呂に来た時に飲んだ生ビールの御代をまだいただいてませんので」

 両人共一分ばかりは何にもせずに黙って障子を睨め付けている。

「飲み逃げかよ」

「重罪どす」



 浮世の大局に無頓着な男だったやっちゃんが、この頃はテレビを点けて取り敢えずニュースを見るのが御決りとなっている。

 箱の中では環太平洋火山帯の活動が活発になっていると大騒ぎしている。

 日本はこの火山帯にスッポリ入った地域だそうで、活動の影響で災害が発生すると、今までの様な地域限定の揺れでは済まされないと、大げさに民衆の不安をあおっている。

 この影響から逃げようとすれば、大西洋に面した地域か南半球まで行くしかないが、どの地域も何らかの災害に見舞われておる。

 ジタバタしても何の解決にもならん。

 どうせ死ぬのは一度きり。いずれ必ず訪れるこの身の結末ならば、せめて生有る内はのんびりまったり過ごしたいものである。

 これまでの地震発生原因は太平洋に面した活断層の影響とされている。

 更に広く世界を見れば、環太平洋火山帯の活動がその根源にあるのは容易に推測できる。

 これらの活動を活発にしているのが火山帯の中心付近にある巨大な海底火山で、今回の活動データー解析で分かったなどと放送している。

 何を今頃である。

 我等猫族代々の言伝えで、その様な事は祖先が神と共存していた頃から知れ渡っている。


 この時、やっちゃんはフーンと言って解ったふりをしていたが、再び同じ事を病院の会議とやらで院長に言われてもまだ本当に理解できていなかったと見える。

 後になってハリネズミ先生に何の事だか聞いていた。

 これから恐ろしい災害が始まるといった内容だと説明されると「それなら今頃説明しなくたって、とっくに地震が起って怪我人が何人も入院しているぞ」と言い返した。

 すると先生はあきれ顔になって「君は平和でいいね」と言う。吾輩もまったく同意見である。

「俺もここのところ揺れが治まっていてくれて、世界が平和でいいと思っていたところだ」平然とやっちゃんが言う。

 永久に救えない男である。


 こんな事が有った晩、威勢よくタヌキ女と赤チンが教科書を持って宿に押し掛けてきた。

 院長が会議で言っていた事をまったく理解していない木偶の為に勉強会である。

「あんたが分かってなくて、どうやって私学の学生に事情を説明するのよ」

 二人とも凄い剣幕で教科書を広げて見せている。

 今回の一大事は、やっちゃんが私学の生徒に教えてやる事になっているのだが、そんな面倒はやめて二人が生徒に教授したら無駄がないと思う。

 この晩やっちゃんは、翌日の授業に備え徹夜の勢いで猛勉強させられ、授業前に三時間ばかり寝て私学に行った。 


 暫くしてやっちゃんと入れ替わりに、温泉の後部屋でごろ寝していたハリネズミ先生に電話がかかってきた。

 私学で講談一話語ってもらいたいとの依頼である。 

 先日の院長の話にハリネズミ先生も「これは皆に伝えるべき事だと物語を練っていたところだ。ちょうどいい頃合いだ」と勢いつけて出かけて行った。

 吾輩ならば包み隠さずはっきりと、日本の沖にある月くらいの火山が噴火しそうだから、色々と災害がおきてるのだと言ってやる。

 どうせ逃げ場など無い。

 さすればこの地で、何とか災難に遭っても大事なく過ごせる手立てを思案するというものである。

 何時か診療所で食糧の備蓄を試みた時は、クロにことごとく食い尽くされて未遂に終わったが、人間ならばそこまで愚かな者も少なく思える。


 ここで、獣医の家に行く時に道を教えてくれた肉牛君がふと頭に浮かんだ。

 美味そうな友であったが、今頃どうしているか。

 食糧危機となると奴は真っ先に食肉化され市場に出回る身の上だから同情などせんが、あそこで出会ったのも何かの縁。

 晴れて食肉となった暁には、吾輩が最初に一口の恩恵に預かりたいものである。

 この天気の好いのに、内にじっとしているのも陰な者で、あれから獣医の家がどうなったかも気掛かりである。

 最も気になっているのが肉牛君。

 まだ食われていなければ良いが、ちょいとばかり今日は遠くまで散歩すると決めて、猫縁台で腹ごしらえしてから出かける。

 途中病院に寄ってクロを誘うかどうか迷って辞めた。

 ア奴に諸々伝えると、勘違いして肉牛君の足に喰らいつかんとも限らない。

 そうなっては、我等が肉牛君を喰いたいばかりに御友達になる様で妙な関係になってしまう。


 気の向くまま寄道しながらノッペリ牧場に向かう。

 歩き始めは満腹で重たかったのが、一時間も歩くと軽快になった。

 たまに小走りしてみたりすると、連れなどなく歩いてみるのも気軽でいいものである。

 牧場について見回しても肉牛君が見当らない。

 さて、既に御昇天あそばされたか、薄情な奴である。

 一言別れの挨拶もなかった。

 屠殺前にちょいと「あなたが連れ出して下さい。ドリトル先生は諦めなさいと言うばかりで、私の言う事は決して聞かない人ですから」とでも嘆願してくれれば、逃亡の手配をしてやったのに。

 尻の肉一㌕も貰えれば吾輩はそれで満足する。

 命までくれとは言わん。


 獣医の家はどうなっているものやら、主が居なくなっては汚い家が尚更凄まじい状態になっているに違いない。

 そのまま放置していれば、貴重な失踪医師の手掛かりさえも消失しかねん。

 家の様子を見てハリネズミ先生に報告するべく、記憶のまま歩き回ったが獣医の家が見当らない。

 はてさてどうなっているのか、吾輩の記憶が混乱しているのか記憶脳にスが入ったか。

 困った事態にきょろゝしていると、聞きなれた声がする。


「この頃霜降り食べてないのよー」

「ええ私もです」

「先生は居酒屋で魚ばかり食べてますからねー」

「いやねー理事長さん。何でそんな事を言うんですかー。ひょっとして、海鮮料理の店長から居酒屋の店長に乗り換えようなんて考えてる?」

「私はどちらとも御付き合いする気はありません」

「あんた早いとこ何とかしないと、ヤクザ医者に操たてたまま御婆ちゃんになっちゃうわよ」

「それでもいいんです」

「そりゃ少しは応援したい気がないのではないのね。でもねー、彼奴鈍感の上に超が付く馬鹿よ。舐めなさいよ。そうしたら私が頂くから」

「ハハハハ、そうだろうと思った。泥棒はダメよ。あの芋ばかりは食べさせないから」

「芋に不自由はしてないのよ、私。貴方が諦めやすいようにと思っただけよ」

 芋が食いたいなら美味い焼き芋屋を知っている。

 ちと屋台は遠い所に有るが、あそこまで行って食う価値のある焼き芋である。

 なんだったら吾輩が案内してやらんでもない。


 声の方に向かうと、何時か見た黒い塀が白くなっている。 見違えるばかり綺麗にされ、塀も動物病院も見過ごしていた。

 以前錆びた缶詰を食わされた庭で、悍ましき魔女達が生贄の儀式に遭遇した。

 赤チンと狸女に私学の生徒達が、集ってバーベキューの準備をしている。

 その横には、紐で繋がれた肉牛君がニコヤカに待機している。嬉しいやら怖いやら。

 下等な書生の内には、猫を食うような野蛮人がある由はかねて伝聞した。

 吾輩が儀式の場に姿を現しても、彼奴等に食われない保証はない。

 いわんや、肉牛君は既に生身を剥ぎ取られ、焼き肉とされる寸前であるにも関わらず、目前に置かれた干し草に夢中である。

【人を見たら猫を食うと思え】と言う格言が猫界にある。

 吾輩も肉牛君の御蔭によって、始めて感得した真理である。

 長く生きていれば、知らない方が好い事まで知ってしまう。

 真実を知るのは嬉しいが、時には危険が伴う真実もある。 日にゝ世界が怖くなる。


 莫連にもはしたなき表裏無き者達が集いの結果として、これ以上年を取るを罪とされた肉牛君は、これより血祭りの主役となろうとしている。

 吾輩は今のうち彼に別れを告げ、無事成仏してこれ以上霊友が増えんようにする。

「切られて素のまま焼かれるのはさぞ辛かろう。焼かれた後には更に屈辱的であろう。そのままでは食するにも値しない愚肉とされ、我等猫には毒とされている強烈なニンニク臭のタレにビタッとつけられるのである。できれば鍋の中で白菜と共に成仏するスキ焼の方が得策かも知れん」

 こう言い聞かせ、庭の方に小さくなっていると、魔女の一員がその声を聞きつけ後ろから吾輩をむんずとつかみ上げる。

「先生、泥棒猫がいますよ」

 吾輩の頭を人指し指でツンツンする。人だけ指していろ。猫を刺すんじゃない。

「鍋に入る具は御前さんらしいな」肉牛君が笑う。

「鍋に入る具が吾輩ならば、御前はもうすぐ網に乘って焼かれる」

「おいは図体がでかかで命まで取られん。じゃっどん御前さんみたいに小さくては削って食う所がなかで、丸ごと鍋に放り込まれる」

 肉牛君が今度は吾輩を脅しにかかる。


「しかしお馬鹿な猫です。どう言う了見ですかねー。牛糞の上に座ってましたよ」

 吾輩を捕えた書生がケラゝ笑うと、他の者もつられて笑っている。

「だってその猫、やっちゃん所の猫だもの。お馬鹿に決まってるでしょ。首輪に発信機が付いてるでしょ。猫扉のカギ」

「ふーん、本当だわ。どうりで」

 そしてまた皆して大笑いする。

 やっちゃんを愚弄するのは構わんが、吾輩を目の前にしてその発言はなかろう。

「放してやって。どうせ御肉が出て来たらここから動きゃしないわよ。食意地はってるんだから」

 赤チンは吾輩とクロの性格を混同しておる。

 しかし、解放した上に肉肉肉ーを食わせてくれる様子である。

 口は悪いが善人の部類に振り分けておいてやる。


「先生は学校を卒業して何年になりますかか」

「それを言ったら歳が分かるでしょ。言わないわよ」

 赤チンは私学のデコギャル軍団と若さで張り合う様子である。無謀としか言い様がない。

 狸女ならば赤チンの年を知っているが、個人情報だからとして若いともババぁだとも言わない。

「一年二年では部長になれないとだけ言っておくわ」中途半端な言葉で御茶を濁した。

 少ししたら肉やら海鮮・野菜が網に乗せられ、丁度いい焼き加減でタレに漬けてが始まった。

 話の所々を掻い摘んで聞けば、生徒達は逃げ場がないのだから何処へ行っても同じだと、親元に帰る事はしないでここに残ると言っている。

 吾輩は肉を食うので忙しくて、そこから先がアヤフヤになってしまった。


 隣の肉牛君は、同族の犠牲の御蔭で今日のところは肉にならずに済んでいる。

 吾輩に宛がわれた焼き肉を見てヨダレを垂らしている。

 肉骨粉何ぞ喰わせるから、こんなグロテスクな牛が出来上がってしまう。草だけ食わせとけよ。


 よくゝ諸氏がする噂話を聞けば、巨大な火山と言っても以前噴火したのは何億年も昔で、猫の寿命が何千万回も尽きる年月かけて変わって行く自然現象である。

 その始まりが今回の群発地震だとか。

 地球にすれば準備運動だと軽くくっちゃべっているが、既に何件かの家が倒壊する被害が出ておる。

 本格的に活動が活発化した時の事を考えれば、並の神経では落ち着いてバーベキューなどやっていられない。

 いかに巨体の肉牛君を非常食として確保しているとはいえ、凄まじく呑気な連中だ。

 吾輩は既に悟った猫であるから、今更ジタバタ慌てたりはせん。

 しかるに、こやつ等も別の方向から悟りの境地に達したとするべきか。しかし、肉は美味い。


 物心ついて直ぐに捨てられて、生死の境界を幾度も彷徨った経験があるからか、己の生き死により他者の方が気に掛かる。

 所詮野良猫の身である。何処まで行っても野良は野良で、血統書の付いた猫とは世間の見る目が違う。

 血統書の付いた猫は、今回の騒ぎで避難した人間と一緒に連れて行ってもらえたが、吾輩のような雑種はそこらへんにポイと捨てられている。

 腹が減って道端をふら付いて歩いていた猫が、車に撥ねられても誰も助けてはくれん。

 己の骸を晒す恥を嫌い、最後の力で道より林に入りて死するのを待つばかりである。

 無情ではあるが、強く撥ねられた猫が助かる術はない。 

 その様な場面に出くわしたら、我等に出来るのは精々末期の水を与えてやる程度である。


 バーベキューに招かれていい気分でいたので、肝心の様子見を忘れていた。

 動物病院がリニューアルされたのは歓迎される変化であるが、何故に肉牛君までここに居るのか。

 本当に非常食として配置されているならば、彼も呑気に焼き肉によだれを垂らし、我慢して草を食っている場合ではないと分かっている。

 ここに吾輩と意思疎通できるのは肉牛君しかいないし、自身の事ならばいくらか知った事もあろう。

「おい、肉牛。今日は焼き肉にされなかったが、尻の肉をはぎ取るにも限度がある。いずれはその体全部焼網に乘る運命だ。今のうちに言いたい事があったら吾輩が聞いておいてやる。そこでだ、取っ掛かりとしてこちらから質問してやる。御前さんはどうしてここにいるのかな?」

 ここに来るまでの経緯を、出来うる限り丁寧且つ肉牛君の気持ちになって尋ねてみた。

「おいは肉になる予定はなか。そこのお姉ちゃんがこの家を買いに来やった時に、ペットによかなと農家からおいを買い取ってここに住まわしてくれた。愛玩動物を食う者はおらんじゃっどが。おいの事より自分の心配でもしてろ」 

 そこのお姉ちゃんと言って赤チンの方を見ている。

 とうとう人間に飽きて、牛の♂にまで守備範囲を広げたか。欲望に正直すぎる女である。


「んー、買われてきたのか。いったい幾らで買われた。君なら肉付きも良いし美味い具合に霜降り状態が外見で分かる。さぞ高かったんだろうね。百万もしたかね」

「百万出ぎいなA5ランクが買える。普通なら七十から八十といったとこいが相場だ」

「相場ではない。君は幾らだったのかと聞いている」

「恥ずかしながら五十万じゃった。おいを育てた爺さんが、食わなか約束でその値段になったのじゃっ。毎月五万ずつ爺さんに小遣いくれて、おいは爺さんに今までどうり世話してもらう事になっておっ。十月たったらおいはお姉ちゃんの物じゃっ。そいからは世話代が毎月二万きりの払いになると言っていた」

「君、御前、肉牛。いったい何歳になった。年齢がちと気になる」

「おれじゃっか。今年の春で一歳になっで」

 一歳未満の去勢牛を二十ヶ月ほど肥育するのが和牛である。

 肉牛君の話を総合するに、今吾輩の目の前でバーベキューをしている女共は、単純にこの肉牛君を爺さんから月賦で先物買いしただけである。

 真実を知らずに女共をとってもいい人だと思い込んでいる肉牛君に本当の事を話して聞かせたら、今夜にでも夜逃げをするから黙っていよう。

 さすれば二十ヶ月後には、新鮮で安全なレバ刺しに廻り合えるかもしれない。


「そんな御金があれば、何も君を喰わなくても肉屋から買って来ればいいのだからね。君はここで一生安泰だね」 「これも皆ハリネズミ先生の御蔭じゃっ。ほんのこて有り難い事で御座います」

「うん、確かに有り得ない事だわな。吾輩はハリネズミ先生の一番弟子である」

 先生が絡んでいるなら、コヤツは確実にA5ランクにしてもらえる。安心して肥え太るがよかろう。

「そうでございますか。せんだってここで開かれた宴会で先生に逢いましたど。先生と御話をぎいな。僕も君とは昔から知り合いの様に思えてならん。小石川の寺で自炊をしておった事がある。今度自炊する時は宜しくたのみますよ。と言っちょったど」

 宜しく頼みますよの意味が分かっているのか、主役として登場願うという事である。

 肉牛としての自覚を今一度呼び覚ました方がいいぞ。


「先生は近頃東京へ行って来た。先生が東京で君を気に入って爺さんに預けていたとは思えない。君はどこから来たのかね」

「ええと、ここに来るまで九州のかごっまにおりましたど。九州の草も美味かったどん、ここの草もなかなか美味いじゃっね」

「草の味など知らん」

 ハリネズミ先生のような地主でも、金銭の観念は普通の人間と異なるところはない。

 災害によって病院が潰れ、地代が入って来ないなどといった事態になると、人一倍困窮するだけに尚更余分な金が欲しいのかも知れない。

 同じ牛の肉を食うにしても買って食うのではなくて、売った利益を食うといった感覚なのである。

 些か俗っぽい感がしないでもないが、これからの世の中は酷く落ち込むのが分かっている以上、先生を見習い吾輩も何等かの備蓄を心がけるとする。



 揺れが小康状態になってから、宿の客が増えている。

 相変わらず観光の客は滅多にないが、女将が思い切って宿代を格安にして宣伝したら、病院関係者や近所の者の間で泊まり込んで遊ぶのが流行りになった。

 病院同士の競争で、やっちゃんが務める病院は、ここ数カ月で一番暇な月になったと嬉し悲しんでいる。

 そんな状況をハリネズミ先生が講談で語っていて、こんな時でも笑える話だと評判になっている。


 大揺れした時に怪我をした者は、チョットの揺れでも恐れたりするものだが、鉄筋コンクリートで造られた宿の中にいる分には大騒ぎにはならない。

 時々横にちょいと動いたくらいでは、揺れが毎日の暮らしだから誰も動じなくなっている。

 シロ先生の指導をそのままハリネズミ先生が宿で伝授しているのも手伝って、風呂から帰った晩はよく眠れるとありがたがられている。

 宿の評判を多少大げさに吹聴しても、そこは宣伝であるから誰も咎めたりはせん。

 人間という生き物は人に嘘をついてはいかんと教え、詐欺罪なる罪まで創って反した者を罰している。

 それなのに、宣伝広告ならば嘘は良しとしているのだから不思議である。

 また、霊の御利益があると言って壺を百万で売ると詐欺になるのに、当たりもしないおみくじや御利益のない御守りを百円千円で売ってもお咎めなしである。

 どんな事にも例外があり、どんな決りにもギリギリのグレーゾーンがある。にもかかわらず、どれが善くてどれが悪いのか決められる事が不思議でならん。

 今回の災害発生についても同じである。

 誰が正しくて何が間違っているのか、皆目解らなくなっている。

 政府が住人のパニックを恐れ、災害の詳細を発表しないまま、今度は震源が東海に移動して大騒ぎである。


 診療所やこの宿周辺のように一度大きな揺れがあった地域は、その後震災に見舞われないと根拠のないデマが広がっておる。

 リゾートの会員になる者が急に増えている一因である。 

 銀行も無条件に融資をするのだから、ヤクザぼろ儲けである。

 詐欺絡みの商売であるならば、自分で流した噂でもう一稼ぎしてからドロンするのが業界の決りとなっている。

 出資者達が今後どう振る舞うかは不明だが、クランク商事はもうじきにリゾートから手を引いて別の商売を始める気である。

 次にはどの様な商売を企んでいるのか、どんな事業であっても真面な稼ぎをする気などない連中である。


「先生のところへクランク商事の会長が来たよ」

 クロが新な情報を携え、吾輩にマカロンをくれとやってきた。

 上手い具合にマカロンを貰ったばかりだったから、半分分けて話を聞いてやった。完全に中毒になりきっている。

 このままマカロンを与えずに放置したらどうなるか、一度試してみたいものである。

「えー? 先生と会長のツーショットって、いくらなんでもそれは妙な話になっておるのー」

「だろー。それでよ、丘の上リゾートを買わねえかって話になってるんだよ」

「先生は地主で他の人間より幾分余計な金は持っているが、あの施設をそっくり買えるまでの貯えはないと思うがの」

「だろー。ところがよ、買うって二つ返事したもんだ。てめえ何考えてんだよってな具合にな、張飛ばしてやったら笑っていやがるのさ」

「先生を張飛ばすとは、乱暴な事をしたものだね」

「そうか? オメエには先生でも俺にはただの知り合いだからな。いいだろ」クロにしては大真面目である。

「何故クランク商事の会長は先生を知っているのだ」

「せんだって或る人から紹介されましたと言って来たけど、ソイツがどんな奴かは言ってなかったなー」

 クロは聞いた先からすぐに忘れる癖があるから、実際は聞いているかも知れんが覚えてないなら仕方ない。


「ハリネズミよりよほど偉い男だ。先生からの紹介ですかって、あいつが先生って言ってたからな」

「ハリネズミ先生が先生と言うのは診療所のヤブ医者しかおらんぞ」笑いもせず怒りもせず、ぶっきらぼうに吾輩が言う。

 これが、クロの脳内で閉まったきりだった記憶の引き出しを抉じ開けた。

「そうだ! そのヤブだよ」

「診療所の前に事務所があったろ。あの連中がシェルターってえのを作ってぼろ儲けしてるって噂が広まってな、丘の上リゾートに作った時に恐ろしくぼったくったんだな。こんなにボッタくれるなら噂は本物だろうってんで、下請けやらせてくれってよ、クランクの会長が診療所の隣のヤクザん所へ挨拶に行ったんだってよ」

「やっぱり馬鹿ですなあー。挨拶に行ったって、そんな美味しい話を見ず知らずの奴に任せたりしないのが分からんのだからねー。欲をかくなんて十億年早い。もう少し切れる人物かと思ったら、なんと御粗末な者だね」

「相変らず、偉そうじゃねえか」クロが笑いながら言う。

「下請けにしてくれたら、リゾートを格安で売るとか売らんとか言う話にまでなったんだってよ」

「そんな馬鹿があるか。他人が作った施設を勝ってに売り払うまで行ったら完全に金の持ち逃げだ。そんな人物ならいくら隣のヤクザでも信用するまい」

「だよな。俺に下請けやらせた方がよほどましってもんだろ」

「だれに」

「俺だよ」

「クランクじゃないのか」

「いいや、俺だって。まあそんな事はどうでもいいや」「御前さんは勘弁だね。家なんぞ作った事ないだろ。大変威張っても掘立小屋の一軒も建てられないだろ」

「ああ、そうだよ。俺に建てさせたら危ねえよ」素直にクロが己の未熟を言う。


 丘の上リゾートは繁盛し、今が一番良い時である。

 この時期に抜けるのが詐欺師やヤクザの常套手段となっている。

 調子に乗っていつまでも濡れ手に粟と付き合っていると後で痛い目を見る。

 海千山千の商事会社のやりそうな事で、出資者を裏切って自分だけ助かるのはまだまだ初級である。

 もっと性悪になってくると、出資者に無断で全部売り飛ばして逃げる算段である。

 クランク商事の様に長く地元で裏稼業をやっていると、そこまではやらないだろうと思っていたが、やる時はやるもんだ。


「暫くしてからクランクに連絡があってな、下請けにしてもいいが、付き合いがない会社といきなり直取引ってのが引っ掛かるってんで、隣のヤクザの仲介にヤブが入って、ヤブからの紹介でハリネズミがこっちの仲介役として入ったって事らしいぜ」

 クランクを陥れようとするならば、辻褄のあう面子が揃った勘定になる。

 これからどうなる事やら、実に巧妙で面白い展開になってきたものだ。



 クランク商事の動きを気にしていたら、大々的に家庭用シェルターの格安工事業者になった。

 アメリカの特許技術を導入した短期間工事で、建設コストを従来の半分に削ったとの宣伝文句を並べ立て、在来工法シェルターの三割引きで工事を請け負っている。

 それでもヤブとハリネズミ先生に配当を出してのぼろ儲けになるのだから、原価はいかほどのものか想像するのも恐ろしい設備である。

 吾輩は何があっても、彼奴等の建てたシェルターには避難しないと決意した。

 災害時に、紙粘土も買えない原価で作ったシェルターの中に逃げ込むなど自殺行為である。

 どんな商売が儲かるかと言って、人の弱みに付け込んだ商売程確実なものはない。

 医者も坊主も金貸しも、占いだの防災グッズだの保険等々、皆同じにいざという時に人が頼りにしたり拠り所とする商売である。

 真っ当に商う者の多い中で、時として法外な金子を騙し取る。

 商品がまがい物であるにも関わらず、知らぬ存ぜぬを押し通し、終いには逃げ隠れしてしまう族の多い商売でもある。

 そんな中で確実に売り上げを伸ばしているシェルター事業は、リゾートに設置したシェルターの小型版となっている。

 関わっている者が別人ならば、吾輩も一つ二つ欲しい施設だ。


 そんなこんなで悩んでいたら、何種類かのパンフレットをやっちゃんが貰ってきた。

「サバイバルしているなと実感できる設備設計になってるなー。災害抜きにして浪漫とでも言うのか、ウズウズと野生の本能を刺激されるなー。金はないが一つ欲しい」

 やっちゃんが呟く言葉に、すさまじく同感である。

 諸事情あって、表立って設置出来ないのが酷く残念なのであろう。

「山城の家にも一つ欲しい。宿にも一つ欲しい。金を工面してくれないか」ヤブに相談を持ちかけた。

 金の工面どうのこうのの話ではない。

 元締めがヤブだとも知らずに、真っ正直に頼むのだから御間抜け丸出しである。

 まんまと千年月賦で設置してやるからと丸め込まれた。


 クランク商事が手堅くシェルター事業に鞍替えしてからも、丘の上リゾートは順調に会員数を伸ばしている。

 経営を引き継いだのが【ロイズコーヒーハウス】とかいう、外資系大手飲料メーカーだべーとの噂が巷にダラデレ流れ出しておる。

 裏事情を知る会員や出資者は、内部で何が行われているか知らない能天気な企業が、クランクに騙されて買い取ったと馬鹿にしている。

 実の所このコーヒー屋は名前だけのダミー会社で、ハリネズミ先生が創った企業。

 必要悪とでも言うべきか、しっかり詐欺である。

 組織の実態解明が進む中、いずれは手入れがあって潰される運命にある施設。

 ヤブと結託してシェルター事業フランチャイズ契約保証金の代わりに、施設の全権利譲渡契約を取付けていた。


 リゾートでは会員を増やす為、ER並の救急医療体制などと謳っている。

 実力のある優秀な医師もいるし医療機器もある程度揃っているから、この広告に関しては詐欺ではない。

 この広告を提案したのが野ざらしである。

 野ざらしがリゾートの医療施設長でいるから安心安全と、写真入りで所属医師も紹介している。

 どんな時でも自己PRに抜け目のない者である。


 病院とは縁が切れたが野ざらしは宿の温泉が頗る気に入ったと、やっちゃんの留守を狙っては風呂に入りビールを飲みと頻繁にやって来る。

 表向きは入湯としているが、その実目的はハリネズミ先生との打ち合わせで、今日も昼から生ビールを飲みやっちゃんの部屋で御機嫌である。

「ピザでも取りましょうか」先生が言う。

「それより出かけましょう。駅前にしませんか。玉洗坂ヘ行ってフライドチキンを食いましょう。あそこのくさやチキンが格別で、酒も焼酎も飲ませてもらえます」

 野ざらしが例によって打ち合わせにならない与太話を揮っている間に、先生はもう頭陀袋を肩へ引っ掛けフライドチキンゝと鼻歌混じり。

 野ざらしの鞄まで持っている。


 吾輩はまだ少々休養を要する。

 先生と野ざらしが駅前でどんな真似をして、玉洗坂でチキンを何個食ったか。

 その辺の戯言は調査記録の必要もないし、また尾行する気にもならないからずっと飛ばし、その間は御昼寝をしなければならん。

 昼寝は太古より生物のDNAに刻まれた本能である。

 この世にてチョメへコをする者は、反映の義務を果すために休養を得ねばならぬ。

 神でさえ何だ、そのそれなくして自ら分裂したりはせん………と思う。

 単独でも分裂可能なのは、ミミズか無理してプラナリアくらいの者である。


 汝は働く為に生れたのだから、死ぬまで働いてせっせと納税しなさいと言うならば、吾輩は寝る為遊ぶ為に生れたのだと言わねばならん。

 あえて義務を示すのであればチョメへコのみである。

 ハリネズミ先生の如く、何気なく不平を吹き込んだ講談など出来ぬ者で、多感なりし思春期に多恨にして日夜心神を労する吾輩如きは、猫ゆえに殊更人間以上に休養を要するは勿論の事である。

 ただ、先刻野ざらしが猫の大好物であるアイスクリーム屋もフライドチキン屋の近くに有ると、コッソリ吐いた言葉が気になって敵わん。

 吾輩を目して寝るばかりで何等の能もない飼い猫の如くに蔑んじたか「一緒に行こうよ。ねえ、アイン君」の一言誘いもない。

 とかく物欲に翻弄せらるる俗人は、味覚嗅覚の刺激に飛び切り振り回されやすい性質なのが厄介である。 


 犬でも猫でも一緒くたんにペットとし、学も力もないから働いていない者と決めつけている。

 世の中には座布団の上でちょいと髭を撫でるだけで、福を招く猫と有り難がられている猫もいる。

 吾輩だよ。少しは敬え。

 頭の中は常に活動して、昨今の諸事情から推し量る最善の方法などを常に考え込んでいる。

 脳内は人一倍猫三倍に活性化しているのである。

 ただ、外見上は暇に任せて大あくびをする穏やかな生態であるから、目の前の凡人は吾輩の昼寝をもって野生が欠如した怠慢な堕猫としか見ていない。

 コヤツは吾輩を無用の長物とか石潰しとか、気に入らん事ばかりを考えているに相違ない。

 この凡人は見掛けばかりが総てと思い込み、世の現象総ての真理を見ないでバックレルのが得意な男であるに違いない。

 幾分害した気分が安眠の妨げではあるが、とりあえず寝る。


 野ざらしが部屋を出て行って数分もしないで戻ってきた。

 女将から猫入れ籠を借りて、眠かろうが何だろうが、何が何でも同伴せよとの命令口調で吾輩を籠の中に押し込む。 このままフライドチキンの店に連れて行き、吾輩をチキン共々唐揚げにして喰う気である。

 猫と人間を差別した野ざらしを吾輩が恨むなら本道だが、筋を違えた野ざらしに、とやかく甚振られるのは我慢がならん。

 そればかりならまだしも、吾輩が尊び敬愛するハリネズミ先生までもが、軽薄な野ざらしのする動物虐待下準備に異論を唱えもせず笑うのみである。

 しかし、しばし冷静になって考えるに、ここまで彼奴等が吾輩を軽んじるのも、あながち無理からぬ事である。


 獣医が大声を出しても聞こえず、若旦那が不慣れな術で室内に雪を降らせているのも見えていない。

 我が目に見えるものしか信じないウツケに向かって、これ等の霊が織成す術を体験せよとしたところで出来よう筈もない。

 スキンヘッドの遺髪を求めるが如く、鯛をセグロ程の価格にせよと望むが如く、銚子電鉄に鉄路レール入り饅頭を作れと言うが如く、やっちゃんに堅気になれと勧告するが如く、ハリネズミにヘコヘコを考えるなと言うが如きもので、どの辺りに転んだとて無理な注文である。

 しかしながら、猫といえどもこの部屋の主である。

 その主が人間に捕獲され、これより熱き油(およそ百七十度がからあげ油の適温とされておる)に放り込まれようとしている最中。

 雪中行軍ごっこで盛り上がっている幽霊共が許せん。

 何とかしろよ。助けろよ! 


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