14 丘の上リゾートと野ざらし
吾輩はこの珍事件の順序として、何時かこの辺に猫を見かけないのを嘆きクロと三毛子に会いたいと願った。
しかしながら三毛子は他界し、二度と会えぬ者である。
初詣に行き、もう一度三毛子に会いたいとチラリ脳細胞の一片に浮かんだが、現実となると空恐ろしい願いと気付き直ぐに打ち消した。
その後クロがやって来て、行動範囲の広いクロの御蔭で若干の猫友と幽霊の友を得た。
古代の神は全智全能と崇められている。
ことに初詣で拝み倒す神は二十一世紀の今日でも願いを叶えてくれると信じられているが、とんでもねえ早合点しやがって。
吾輩が真に願ったのは、全知全能の神の力を吾輩にも授けたまえである。
化け猫に会いたいではない。
今でも全智全能の面を被っている神は、吾輩からすれば無智無能とも解釈出来る。
三毛子には会いたいが、化け猫の三毛子は嫌である。
こう言うのは明かにパラドックスである。
しかるに、このパラドックスをハッキリ経験した者は有史以前より吾輩のみである。
自分ながら御間抜けな願いをした猫であると言う羞恥心に、ベッコリ凹んだまま復活出来ない。
是非共ここは不条理な賽銭詐欺に理由を申し上げ、猫を馬鹿にするな猫はどこまでいっても猫であり、馬でも鹿でもないと言う事を、高慢なる神々諸君の脳裏に叩き込みたいと考える。
天地万有はどの神か争いがある所だが、いずれどれかの創始神が作った創造物となっておる。
して見れば、猫も神の創造物である。
現に人類史上比類なき ベストセラーには、その通り明記してある。
さて、この神について我等猫族が数千年来積み重ねてきた経験からすれば、大に不思議がると同時にますます神の全智全能を疑いたくなる事実がある。
それは外でもない、人も霊も猫もかようにうじゃゝいるが、同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。
いたにしてもドッペルゲンガーである。
それであるから、この者は美形であるとか不細工であると別けられている。
同じであれば妙な差別などなくなるのに。
特に人間は、神が与えた容姿だの才能だのと、特別な者を作り崇拝したがる種である。
しかしながら彼等は皆同じ材料から作り上げられている。
酸素炭素水素窒素カルシウムリン硫黄カリウムナトリウム塩素マグネシウム鉄フッ素亜鉛ケイ素チタンストロンチウムルビジウム臭素鉛銅アルミニウムセリウムカドミウムスズバリウムホウ素ヨウ素マンガンセレンニッケル水銀リチウムモリブデンセシウムゲルマニウムヒ素銀アンチモンクロムコバルトバナジウムニオブジルコニウムランタンガリウムテルルイットリウムチタンタリウムビスマススカンジウムタンタル金ウランバナジウムトリウムベリリウムタングステンラジウムアルゴンヘリウムイッテルビウムパラジウムネオンキセノンプルトニウムガドリニウムクリプトンである。
同じ材料で作っているにも関らず、一人も同じ結果に出来上っておらん。
どれだけ不器用な創造主であるか。
そんな者を全智全能とは、チヤンチャラ猫が尻尾で茶を点てる。
もう吾輩は幽霊と関わり合いに成りたくない。
したがって、何時もの如く面倒事を放置すると決めた。
妙なもので、関わらないと決めたらすんなりスッキリ消えてくれた。
どれもこれも悪夢であったのか、そんな事はあるまいと思案してみる。
すると、幽霊が現れる時は必ずと言って良いほどクロが近くにいる。
今日もクロが病院に帰るとしてから、少しばかりしたら皆様一斉に消滅してくれた。
クロは霊に憑りつかれるばかりでなく、もはや霊界との出入口と化しているのだと結論付けた。
もっともこれは仮説だから、今後さらなる研究が必要である。
この夜、またもや秘密会議と称した飲み会が開かれた。
今回は貴重な資料を提供してくれたのでと、普段は嫌われ者の野ざらしも仲間に入れている。
それなのに彼は皆から嫌われていたい者で「ここの温泉は始めてー。一度入ってみたかったのさー」とはしゃいぎ温泉風呂で夢中になっている。
話の輪に入ろうとしないならまだしも、会議兼飲み会の進行を妨害してばかりいる。
いかに貴重な資料を提供した者でも、ここまで大雑把に邪魔な奴は放り出すのがやっちゃんである。
それが、今日に限って野ざらし野放しやりたい放題で平然としている。
野ざらしが作った資料とはどれほど重大な事柄を含む物なのか。
不行き届きの塊が作った資料を微塵の疑問も抱かず鵜呑みにすれば、病院の医師がごっそり引き抜かれる事件の全貌がしたためられている。
医者をかき集めているのは諸悪の根源クランク商事である。
丘の上の会員制リゾートに専用の総合病院を作っていた。
当然、会員専用病院だから急患は受け付けない。完全プライベート医療施設である。
災害で周囲が過激に悲惨な状況となっても、人間の中で優位に立っている銭持ってんど種のみしか受け付けないのだから、頗るえげつない商売である。
リゾートに引き抜かれて行った医師がどれ程優れていようとも、医師以上の能力は決してない者と断定出来る。
医師の数は大勢揃えたと言うが、神でもない限り画期的な治療ができるものではない。
当初から深い考えがあって会員になる者を募っているのではない。
また、猫も杓子も同じく、施設に医師看護師として囲っているだけで、とうてい旨く行かないのが既に確定している施設である。
治療し損ねて乱雑な状態に、継ぎ接ぎする事態へ陥るのが分らんとは弱った連中である。
際立って斜めに世間を見る者の如く立場を換えて見れば、猫でも解る危なっかしい広告は人間社会に際限なく溢れている。
大凡それらの広告が至極当然の表現であると慣れ親しんで、疑問にも思わん者達がつまらん謳い文句に乗せられる。
リゾートの医師は神であるとばかりに思い込んでいるから悟りようがない。
丘の上の真実を表すのが困難であるならば、施設の屋上に阿鼻叫喚酒池肉林とでも垂れ幕するが妥当である。
しかし、猫の立場から言うと「間違っても猫は診てもらえないな。フザケタ施設である」すると憤慨した吾輩の頭上から獣医の声がする。
「金さえ持って行けば猫でも診る施設とも受け取れるな」
ついさっき消えたばかりなのに、遠慮を知らん霊である。
クロが霊界トンネルになっているとの吾輩の仮説は間違っていたのか、外を見るとハリネズミ先生にくっついてクロが宿に舞い戻っている。
来るんじゃない。
彼の霊界トンネル化は、鬼や悪魔が成功の証しとみられると同時に、神仏が十万億土の大失敗とも思われる現象である。
此の世に鬼魔神仏が存在するならば、どちらの作品かはっきりしてもらいたい。
若旦那に始まり金太郎に獣医、果ては化け猫に至るまで、幽霊共に翻弄されて来た。
今改めて部屋を見渡すと、見ず知らずの霊までウロチョロしている。
その中には、どう見ても空中分解して増殖したとしか思えない、寸分違わぬ霊体が二体混じっている。
既にその一体は再び分裂に向けて準備態勢を整え、薄っすらボンヤリ二重になっている。
このままの勢いで増えたならば、明日の朝には世界中、いや宇宙がこいつで一杯になってしまう。
そこで分裂するんじゃない。
こうなってくると、行方不明になった医師や新聞記者が現れないのは何故かと疑いたくなる。
行き方知れずとなってから久しく、獣医の一件もあって当然既に死者の世界に放り出されている者と確信していた。
部長職を振って突然消えるとは不自然極まりないのに、警察は事件から一週間もしないで捜査を打ち切っている。
僅かの間に事件として始めた捜査を打ち切るのは、本人が表れて警察に事情を説明したか、遙か上層部の権力者からの圧力があったかのどちらかである。
しかしながら、本人は未だに消息を絶ったままで安否不明になっておる。
ここに霊として表れないからには、必ず何処かで生きている者として捜索を続けるのが宜しいと判断できるところである。
一連の荒稼ぎを仕切っているのはクランク商事に見えるが、リゾート開発といい専属医師の獲得にしても、クランク商事程度の三流ヤクザが資金繰りできる額ではない。
詐欺転売や泥棒の計画ならば、同業から出資を募るのも可能だが、どういったつもりかヤクザは堅気の商売に出資するのを嫌う者である。
資金提供者が絡んで、医師と記者を何処ぞに捕えていると勘ぐれる。
ならば、出資された金が何処から湧いて出た金か追及すれば、自ずと幽閉の地が判明する。
フワフワ浮いて動く者で、己の足跡も定まらぬ上に時の感覚が消失しているのが幽霊である。
去年行方不明になった医師と新聞記者の所在を知らんかと聞いても、問いの意味さえ理解しかねるところであろう。
ここで吾輩は、極度に不本意な決断を迫られる時局へ陥ったと解したのである。
もとより猫族は雑多な臭いの中から、食に適した匂いをかぎ分ける能力に長けている。
そして生死に関わらず、人間には必ず固有の匂いがある。
生身の猫では一年も過ぎた人の匂いを嗅ぎ分け、その発生源に辿り付くのは困難でも、化け出た三毛子ならば容易に辿ってゆけるに違いない。
でも嫌だ!
他人から提案されたならば、猛反対するか其の場から逃げるかすればいい。
しかしこれは、僅かばかりの問題もない完璧な計画である。
これが己の頭から湧き出た考案となると厄介で、他の者に提言するのもややこしい話になってくる。
関わり合いたくないのが先に立っているのに、ただ思った通りを繰り返し説明するよりほか方法がない。
もっとも、この部屋で猫語を理解できる生物はハリネズミ先生だけである。
他の者は総てくたばっておる。
ならば先生の提案としてとまで考えて………今、目の前で飲んだくれている者達は、幽霊の存在を伝説迷信ほどにして信じていない。
そこへもってきて、化け猫を使って行方不明者を探す計画を話しても、先生が何らかの病に侵されたのではないかと疑われるだけである。
先生の膝に乘り、コソコソとこの計画を打ち明ける。
「君は僕より霊感が強いのだね。そんな事が出来るとは思いもしなかったよ。ただね、君の計画には若干修正しなければならない所がある」
完璧な計画だと思ったのに、赤ペンが入るとは心外である。
「一番の問題点は、僕がその化け猫の三毛子に協力要請をする所なんだ。僕は猫語は話せても、化け猫語は話せないよ。それより以前に、若旦那以外の霊体が僕には見えないし、会話もできない状態だから。僕を介さないで一通り自分で全部やった方が話は早いと思うけど、どんなものかな」
先生の言うとおりである。
ただ一点、先生の赤ペンには重大な見落としがある。
吾輩はビビッて化け子と正面切って話し合えないのである。
それをここで言えば、何時か何処かで絶対に酒の肴と笑い話にされるに決まっている。
何とか事実を気取られないで、元の計画のまま事を進められないものだろうか。
純粋に世の為人の為猫の為の活動は、かくのごとく至難なものである。
従って本当に神が此の世に存在するならば、どうか吾輩の願いを叶えたまえ。
大きな声で天に向かってニャギャーと叫んだら、吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。
忘却は人間においては死の恐怖から逃れる最善の方法である。
猫ならば当然の事と大目に見て貰いたい。
とにかく吾輩は、寝室の戸を抜けて襖までも素通りした上に、ぬっと現われた化け猫に第一種接近遭遇した時、総て忘れてしまおうと自然に意識を失ったのである。
なぜ気絶? なぜと言う質問が出れば、今一応考え直して、ビビったからではない。
ええと、その訳はこうである。
吾輩の眼前に幽霊として表れた三毛子を見ると、その顔形が吾輩の範疇にない面体をしておった。
猫が神の創作であり、その出来栄は無能の結果としているが、それを一瞬で打ち消すに足るほどな特徴を有していたのである。
特徴とは他でもない。
三毛子の尾が三股に割れ、牙はサーベルタイガーと同じに巨大化していた。
自慢のカラフル三色の体毛は、魂まで吸い尽くすクリスタルホワイトである。何となくではない。
絶対に此の世の物にはない白である。
幽霊であるから、元からして此の世の者ではないのだが………。
これを神が作ったならば、神と悪魔は表裏一体。
わが親愛なる三毛子の面影など微塵もなく、まさに教科書に描かれたままの化け猫である。
悪魔の創造物としか思われない。
吾輩は無論三毛子に偏見は持たぬが、その行為の乱暴なところから霊となった三毛子は、吾輩が日々思い描いていた猫ではない。
鼻の左右に展開した一円アルミ貨くらいの眼をつけた美猫と勝手に極めたが、見ると考えるとではやると眺めるの違い、想像力は時として生命の危機までをも招く。
決して逞しく鍛えて良い能力ではない。
次に会ったら食い殺されないとも限らない。
本当にあれが三毛子の幽霊なのかとさえ思い返す。
思い出す度背筋が凍る。今も背中に氷がへばりついている程に寒気が体を覆い尽くし…おい、金太郎。
猫を凍らせる遊びがそんなに面白いか。頼むからクロでやってくれ。
部屋では極秘会議が熱を帯び侃々諤々である。
リゾートへの出資者は高台から外の災害を見物して過ごす気満々でけしからんとか、理不尽な金の使い方だが違法でない以上取り締まりようもないのが悔しいと声が大きくなる。
もはや周知の愚痴合戦、極秘会議でなくなっている。
裏でリゾート建設に精出す政府の要人とて所詮は人間。
命は惜しいし家族を守りたいのが本性である。
しかしながら、その為に金で医者や看護師を買い占めて、貧乏人の治療はしないまま死んで行くのを対岸の火事とできる精神構造が悍ましい限りである。
いつの世でもどんな政府になったとて、貧しい者が辛い思いをするのが常である。
分かってはいるが納得できない現実に腹がたつのは、猫も杓子も同じと見える。
腹がたったら無性に飯が食いたくなったと、いつの間にか秘密会議が愚痴のたれ合いになっているのだから、聞くに堪えない性悪酔っ払いの集いである。
神も似た事を幾度となく見て来ているだろうに、決して貧しく辛い日々を過ごす者を救おうとはしない。
救いの手を差し伸べるのは、何時でも苦しむ者を哀れんだ人間である。神ではない。
無能をもって神とする訳には行かぬ。
いや実際の事を言うと、神自身の精神がぶっ飛んでしまい、収拾が付かなくになっているのではあるまいかと思う。
天の下に悪の芽生えがあっても何もしないまま、悪は蔓延り世は乱れ、産れた土地は荒れ放題である。
さては神自身が、自分は神とは別者だと気付いたのではあるまいか。
したがって、何事も見えてて見えぬ聞こえてて聞こえぬで過ごしているのである。
神は好まれてしかるべき存在だから神と称せられている。
人畜にその力をもって天変地異なる危害を加えるならば、好ましからざる存在であるのは歴然たる事実。
鬼や悪魔と称されるべきである。
しかし、金太郎は言っても聞かぬ者で、まだ吾輩の背中に冷気をフーフーし続けておる。
良い奴なのか悪い奴なのか、立ち振る舞いが統一されないで気ままに過ごすばかりだから決めるに決めらない。
してみるに、金太郎も神の領域まで登り詰めた霊体とするべきか。
所詮神とはこの程度の者と思っていれば、何事が起ろうとも激昂に血圧をブッチギリまで上げる事もあるまい。
もし三毛子が金太郎の言う事を聞いて、行方不明の二人を探す手伝いをしてくれる事態になったのなら、神と同等の位をもってこの金太郎幽霊を崇め奉ってやってもいい。
ああ言う鬼っ気のある化け猫は、何でも手っ取り早く殺す性質だから、一度死んだ金太郎をもう一度殺す事だってある。
幽霊生活の長い男である。このくらいの事は猫から聞かんでもきっと分るであろう。
もう一度殺されても金太郎ならば必ずや、幽霊一年生として霊界の調和を乱してくれるに相違ない。
万一三毛子が金太郎の説得に応じ、古く微かな匂いを辿り行方不明者の居所をつきとめたらば、画期的捜査協力体制の確立である。
そうなったら吾輩は、未来の事件解決料をあてこんで探偵事務所を開き、三毛子のためには猫神社を建設する。
化け猫が天地の間に存在するのは、この世の不条理を幸福ならしむる為である。
きっと、たぶん、できればそうあってほしい。
たのもしく若旦那教育が進む中、丘の上リゾートの様子が賑やかになって来ている。
本性は性悪ヤクザの営業マンが、ヘコヘコ頭を下げて会員をドンドン増やしているのである。
花街辺りに肩で風切り歩いている者が、見た目にもひ弱な堅気の者にあそこまで諂える道理はただ一つ。
相手を騙しニッコリの裏側で、御間抜け野郎と舌を出してほくそ笑んでいるからで、定めし日当も想像以上に多いのであろう。
毎日何組もの入会希望者が騙されにやってくる。
ヤクザな商売としながらも、それだけやれる情熱と技量があるならば、堅気で商売を始めれば確実に成功する。
堅気になりたいならそうしたいと表明すればいいものを、へそ曲りな連中ばかりだからクランクなのだと吾輩は結論づけた。
部屋でノホホンうたた寝をしていると、以前にも増して激しい大地の揺れに胸懐の静寂を押し流された。
飛び起き急いで外に出ようとしたら、若旦那が悪戯で閉めた扉に頭から突っ込んだ。それきり先の事は分からない。
女将が部屋にやって来て吾輩を小脇に抱える。
「これだけ揺れてものんびり寝ているとは、随分肝の座った猫さんどすなー。何時もゝ感心するばかりー」
寝ていたのではない、気絶してたのだ。
しかし気まずい雰囲気なので、そのまま寝たふりをしていた。
殆ど物がなくて殺風景な上に乱雑で、ちょいとした物を探すのだって一苦労する不届きなのがやっちゃんの部屋である。
これと違い女将の部屋には色々な物が置かれている。
それがまた見事に按配されているから、どこに何があるのか迷わず向こうから出て来てくれる程に思われる。
吾輩を部屋に招き入れ茶菓子の時間ともなれば、先程の大揺れなどすっかり忘れて鼻歌混じりである。
茶棚を覗き、はて? といった風に自分の顎に人差し指をあて、目が点のまま天井を見上げる。
毎回間違いなく菓子は茶棚の中に隠している。
それは吾輩が保証する所で、あるべき物があるべき所にないのは不安なものである。
すると女将は、吾輩の顔を疑いの眼差しで見る。
先程まで閉鎖された空間に閉じ込められていた猫が、どうやったら女将の密室に入り込み茶棚の菓子を皿ごと盗み食いできる。
対して女将からすれば吾輩は、大揺れの最中閉められた扉の向こうで大いびきをかいて寝ていた者である。
はなはだ怪しい猫なのは否めない。
疑念を持って見れば、何事も誰でも怪しくなって来るのは致し方ないとするべきか。
「疑いを晴らしたかったら茶棚にあったマカロンを探し出しなさい」
やっちゃんに何かを頼む時と同じに激令が飛ぶ。
言われる前から既に今日のおやつはマカロンと知っていた。
何故ならば、色とりどりの小型UFO型高級洋菓子が、先ほどから仏壇に後光を放って鎮座ましましていらっしゃる。
トットットッと仏壇の前で招き猫、一鳴きニャーとやってやる。
女将が驚きを隠せず「Oh my God! 」両手を合わせ十字を切ると、仏壇からマカロンが乘った皿をコタツテーブルに置く。
若旦那が俺にも食わせろと言いたかったのだが、理解されていないようだと御立腹である。
訴えはもっともだが、物を動かせるならメモの一つも残しておけば良いだろうと言うと、そんな事をしたら女将がびっくりするだろうと言い返された。
今でも存分に衝撃を受けている。余計な心配だ。
「あたしばかり食べていてすんまへんどした。これからは毎日一緒に食べましようね」
小皿に乗せたマカロンが、仏壇に一つ供えられた。
「一個かよ。もっと食わせろ」
欲張りな幽霊である。
上げられたからとて実際に食える物ではない。
「気持なのだよ。感謝して日々幽霊やっておればよい」
一言注意して若旦那を見れば、不平不満を言いながらも顔は大層満足している。
「会長だよ。僕を殺したのはクランク商事の会長だよ」
いきなり何を云い出すか。そんな事は御前以外の総ての人類と幽霊が知っている。ここまで能力が開花しても、未だに時空の感覚が乱れたままになっている。
大声を出した後は静まり返って、フワフワと浮かんだまま寝てしまう。
会長だと言ったのは全く我知らずの寝言と見える。
若旦那はフイッと起きると、暫く仏壇の前に浮かんだまま室内の動静を伺っていたが、女将が昼寝しているのを見済して自分の部屋に戻って行った。
女将の枕元には、五寸角に作られた箱根細工の箱が大事そうに置いてある。
毎度の事で気になって仕方ない。
これが秘密箱になっていて、吾輩にはどうやっても開けられない。
新婚旅行で港屋を皮切りに温泉宿を梯子して、京都にある実家の宿まで旅した時に買った物である。
若旦那がこの旅の様子を一冊の本に仕上げている。
まるっきりの木偶男君と思っていたが、色々な意味でやる事はしっかりやっている。
東海道に入ってからは五十三次の浮世絵に描かれている宿場の宿に泊り、浮世絵と現代の同じ場所を写真に収めては見比べている。
宿の詳細はもとより、周辺地域の観光マップを掲載しているから、さながら観光ガイド写真集といった感がある。
これがガイド本と違うのは、若旦那と女将が登場人物となり旅を語る小説仕立てとなっておる。
若旦那が日本各地の御役所にある観光課と連絡し、将来は全国の街道をこのように紹介する予定であった。
束見本のつもりで作った自費出版本である。
宿の売店に置いてある本に興味を示す客があれば、何時も女将が丁寧に説明して押し売りしているこの本の中に、箱根で細工箱を買ったとの一節が残されておる。
本の山を枕元に置いて寝るのはよく聞く話だが、秘密細工箱を置いて寝る者を女将の他知らない。
大事な物を入れておくから開かない仕掛けなのに、寝る時に枕元に置くのは不用心である。
こんな置き方をしたらば「ここに貴重品がありますよ。どうぞ持って行ってください」泥棒に公言しているのと一緒だ。
置き方が悪いのだから、盗られても泣きべそ一つかかせてもらえない。逆にお前が悪いと叱られてしまう。
女将は茶菓子を茶棚に仕舞う以外は、貴重品や現金といった人間の泥棒が好みそうな物を、誰からでも見える所に置いて平気でいられる者である。
警戒心に乏しい宿の防犯責任者で、綺麗に整理された部屋の真ん中にあるテーブルの上に、給料袋をヅラㇼ並べて買い物に出てしまう時もある。
そんなものだから、この部屋にいると何が貴重で何がまがい物かが分からなくなってくる。
暇だったので細工箱を転がしてみた。
大きさは巫女に持って行ってやった密輸ダイヤ入りの箱と変わらんのに、たいして重くない。
チャイゝしていると、中でカラカラチリチリと如何にも「私軽いです」といった音がする。
たった一つ二つが中でぶつかって動いているのみである。
なんだべか。
開かないのでは仕方ない、これはいよいよ破壊する為に盗み出すしかないかと思ったら、女将が起きた。
箱を悪戯していても怒られた事はなかった。
しかし、今回は盗み出そうとした直後に発見されている。 妙な素振りを少しでも気取られると危険である。
ジッとして女将の動きを観察してやる。
やがて女将が箱根細工の箱をちょこまかいじくり回し、難なくその蓋を開けて見せた。
吾輩を見て、どうだ参ったかと言った具合に得意げである。
何が中に入っているのか覗くと、指輪が二つきりで、そのうちの一つに自分の左薬指を通す。
もう一つを仏壇にあげる。
「おかえりなさい」
何におかえりなさいなのかとあたりを見廻すと、辛い顔で若旦那が女将を見ている。
若旦那の姿は女将には見えていない。それが証しに、まったく方向違いの仏壇に向かって話している。
それを後ろから見ている吾輩の隣に若旦那はいる。
若旦那が女将の後から腕を回し、そっと抱擁する。いやらしい恰好である。
あまり女将が好く形状ではない。第一に寒がっている。
金太郎から中途半端に教わった冷却能力が全身から漏れているのだ。速やかに離れなければ女将は凍死する。
急な寒気にちゃんちゃんこを羽織って、女将が外に出て行く。
後について行けば足湯に浸かってぬっくいしはじめた。「もう足湯もお終いにしましょかね。御客はん来ませんねー」
女将が寂しそうに独り言を言う横で、若旦那が有るんだかないんだか微妙な足を湯に浸ける。
とにかく変な風情になった。
嘘だと思うなら、試しに幽霊と一緒に足湯をやって見るのがよろしい。
未熟者が冷気をだらしなく垂れ流しているから、折角ぬっくい足湯が急激な温度変化に渦を巻いている。
「ひゃ! もう冷たくなってますねー」
驚いた風な喜んでいるような、女将は複雑に笑み、若旦那が近くにいるのを解っているのか天然なのか? 困った人である。
つまらぬ物を見てしまった。吾輩には暫く休養が必要である。
のべつ幽霊の面倒見ばかりやっていたのでは体が持たない。
ぐらっと寝込んで時限爆弾型の目覚まし時計が爆発した時、弥生の空はどんよりして雪もちらりほらりと降っている。
海岸では金太郎と獣医が、若旦那に冷気の調整法を伝授中である。
おまえらのせいでまた一歩、春の到来が遠退いた。
「それでー、ここから力を入れて頭の方へ意識をもっていくんだよ」
獣医がしきりに若旦那の頭を叩いている。
「ええ」
若旦那は返事ばかりは良くて結果が付いてこない。
それを見ている金太郎が「こうやるのさ、しっかり見ていたまえ」
両手を天にかざし「天は我を見放した!」と怒鳴る。
春の小雪と見ていた雪が、突如吹雪に変わる。余計な事をするんじゃない。
「ほう、なかなかのものですなー。どれ私も一発」
今度は獣医が真似して「天は我も見放した!」とやる。
突風が吹き、金太郎の吹雪と合わさる。
海岸で雪のトルネードがグワランゝと狂喜乱舞し始めると、遙か水平線と空の境目に、此の世の終わりか赤黒い積乱雲が成長し稲妻を轟かせる。
神がお前達を見捨てたのではない、見限っただけである。
神にエンガチョされているのに、どんな悪魔と取引したらそれだけの能力が手に入る。
ちょっとでいいから教えてほしい。
一度死んだらソイツを訪ね、世間話の一つもしてみたい。
悪党共に復讐する前に、こやつ等三幽霊の暴走で地球が滅びてしまう。
一つ説教してやろうと思わなくもないが、外は異常寒波の影響により季節外れの大吹雪である。
猫が散歩するには命がけの気候。
今日は屋内待機と吾輩の髭が警告している。従うとしよう。
日頃ならば客で賑わう宿は、地震が頻発している影響でその日食っていく稼ぎをひねり出すので精一杯である。
こころなしか、近所には空家が増えて来ておる。
人が住まっていればさして心配でもないが、ポツリゝ空家があると妙な事件も起きるもので、せんだって無人の家屋から出火があって大騒ぎになっている。
一昨日は港の漁船が盗まれたと、風呂に来た客が噂していた。
用心している家なら何も盗まれる心配はない。
それが女将には用心という概念がないから気掛かりなのである。
この様に不気味な天気の日は、良からぬ事で気分を紛らわそうとする族が不用心な家を探して徘徊するものである。
この家には、女将以上に警備警戒する者はおらん。
つまりは完全無防備状態の宿である。
鉄壁の警戒心を有する吾輩が巡回をしなければ、きっと宿は明日にでも何処ぞの大悪漢に乗っ取られてしまう。
との理由から、宿泊客が途絶えて常連ばかりの宿において、吾輩は警備責任者と自負し今日も警戒怠らず、宿の上から下までしっかり視回った。
最後にロビーの指定席である招き猫お座布団にヒョイと座り、一二度招き猫の手をやって任務完了とする。
この招き猫の手は決め事ではない。食事でも遊びでも一段落付いた時に気持ちの切替え、区切りとして行う猫の癖である。
吾輩のみならず、多くの猫がこの癖を持っておる。
ただし、のべつ幕無しに拾い食いを続けるクロにあってはこの限りではない。
座布団に座り、さてもう一眠りと海の方を見て横になる。 ソファーに浅く座った女将と板長に仲居頭が、既に見慣れただらしない顔をして海を眺めている。
緊張感のない重役会議である。
客の有る時は、板前が客の前に出る事など有り得ないもので、ましてロビーのソファーに腰掛けているのは不自然な光景である。
「暇ですねー」板長が一声発する「暇よねー」仲居頭も後に続く「暇ねー………」女将が止めを刺す。
いわずもがな、無分別な暇加減である。
それもこれも震災の影響だが、この宿には更なる問題が発生している事を三人は知らん。
目を凝らして海岸をよく見てみろ。それで見えなければ心眼を使え。
貧乏神の手下と成り果てた三幽霊が寄り合って、七福神が乘った船に総攻撃を仕掛けている。
たとえこの地域全体が復活しても、上陸を頑なに拒否し続けるあ奴等をどうにかしない限り、この宿に賑わった未来は無い。
しかるに「暇ねー」と言っておきながら、先程から女将は海岸の若旦那の方をジッと見たきり視線をそのままに会話している。
見えているのだろうか? 今日明日の米にも困る状況にも関わらず、終始笑顔が絶えないままである。
そんな穏やかな女将の顔に、他の者達は特に不安を表すでもなく、何時ものとおりに暇している。平和だなー。
やっちゃんの部屋で野ざらしとハリネズミ先生がくつろいでいる。
主人の在不在にも関わらず、この部屋は病院関係者が湯上りの一時を過ごす公共の場と化しておる。
部屋の主であるやっちゃんはと言えば、ここのところ暫く病院に行ったきりで滅多に帰って来ない。
病院では先生の家がやっちゃんの部屋化している。
いつぞやは住まいの交換を先生がやっちゃんに提案し、交渉は決裂に終わっていた。
それが今になってみれば、事実上の交換成立である。
「僕ね、殆ど妖怪なんですよ」
先生が横になってテレビを見乍ら、野ざらしを見もしないで自分の正体を打ち明ける。
「だいたい察しはついてましたよ。貴方の生命力は人間として説明できる範囲を越えてますから」
これまた横になったまま、リモコンでテレビのチャンネルを替えて野ざらしが応える。
「気付かれているって事には去年から気付いていました」
今度はハリネズミ先生がリモコンで元のチャンネルに戻す。
「今更話す事でもないですかね」
再び野ざらしがチャンネルを替える。
「見てるんですから、替えないでくださいよ」先生が戻す。
「低俗ですよ。見るに堪えられない」野ざらしが替える。
奪い合いでリモコンが二つに割れて、チャンネルが引切りなしに変わって忙しない。
二人が顔を見合わせると、協力してテレビの電源コードをコンセントから抜いた。
画面が真っ暗になって両者は納得したとばかり、テーブルの前に座り直して手酌で飲み始める。
「貴方、ひょっとして猫と会話ができるんじゃありませんか?」
野ざらしが本来協議すべき不徳の事態を、先生と共謀して包み隠そうと絶妙に話題を変える。
「よく御存知で、生きた者には教えてないので誰も知らないのですがね」先生が同調して話題の摩り替えをする。
「いや、たまに猫に向かってニャゴゝやっているものでね、気になって発語パターンを解析してみた事がありまして、規則性があるまでは解ったのですが、そこから先がどうにもならなくて、途中で放り投げているんですよ」
野ざらしが猫語の翻訳に精出していたとは、なかなか見上げた心構えである。褒めてやろう。
「そうでしたか、それならいいのがありますよ。これなんですがね」
先生が何時も頭を通して肩からぶら下げている頭陀袋から、何とかちゃんが作ったのと同じ形の翻訳機を引っ張り出した。
「これね、ヤブ先生の診療所へ遊びに行った時に………あー何だっけかな。名前が覚え難い子から貰った翻訳機です」
「えー! そんな物があるんですか」
「僕も貰った時は驚きましてね。自分の知る限りの単語で試したら全問正解の優れ物ですよ。これをくれた娘が貴方も既に知っている筈の地下施設で、まったく進まないで放置されていた最重要設備を設計できるほどの天才でね。いや世の中広のか狭いのか、感心しましたよ」
「やはり、地下施設や他の情報が入った御守りは貴方からでしたか。そうかな、でも違う人に話したら偉い事になると思って。ずっと誰にも言えずにいたから辛かったなー」「どうもすいませんでしたね。でも、あれって直に会って貴方に話しても信じませんよね」
「確かにそうですね。下手したら病院送りにしていましたよ」
「僕を強制入院にしないでくださいよ」
「ははは、大丈夫ですよ。確認しましたから、とんでもない事になってますね」
「同感です」
二人はそれから暫く黙ったまま飲み続け、風呂に入ってまた黙って飲んで疲れて寝入ってしまった。
数日して、野ざらしが病院を辞めたとハリネズミ先生が教えてくれた。
ファイルを届けてくれた御礼にと、マタタビ入りの焼酎を置いて行ったよと渡された。
皆からは嫌われているが本性は此の世の道理を知った者で、とっても善良な人間であると吾輩は思う。
嫌われているとはいえ、悪事の限りに近所迷惑な医者に成り果てているのではない。
やっちゃんやヤブより数段真面な者である。
彼が病院を退かなければならない理由があるのだろうか。
野ざらしが病院を辞めて行った先は、例の丘の上リゾートだとも聞いた。
諸事情を知った上で悪党共の手下になるのか、それほどの思慮なしには見えなかった。
いずれ先生と何等かの調整があっての事に違いない。
この場合、吾輩は安心して二人に事の成行を任せるのが宜しいと判断したのである。
部屋でニョヘーっとしていると、やっちゃんが帰って来て酒を飲みだした。
久しぶりの御帰還である。
ちょいと酔ったあたりで手紙を広げた。
誰がしたためたかは内容で大凡見当がついた。
《君は馬鹿だ。私が最も嫌いなタイプの人間で、品も無ければ知性の欠片も君には見る事ができない。君は政治を知らない。ある意味それは君や君の周りにいる人にとって幸せなのかもしれない。私がERを作ってくれと言い出した切っ掛けは、君も既に知っているだろう。受け入れ病院が見つからずに救急車で亡くなった妻の一件があったからだ。
―――中略―――
医師として、人の命を預かる事・人の病や怪我を治す事を【職業】とするか己の【生きる意味】とするかは個人の自由だ。それくらい君だって分かるだろう。危険な地域に留まって災害で傷ついた人達を助けるのが医者の仕事だと君は思っているかも知れない。だがね、被災地でなくとも病気や怪我で苦しむ人は大勢いるのだよ。裕福な者にも貧しい者にも疫病神と死神は分け隔てなく憑りついてくれる。貧乏神はえこひいきが好きなようだがね。君は何か勘違いしているようだ。いずれその大間違いに気付く時がくるさ。では元気だけが取り柄なのだから病気などしないように酒は程々にしておきたまえ》あたかも喧嘩を仕掛けているような調子に書かれている。




