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11 ハリネズミ先生の暗殺計画

 三十分ばかり吾輩と獣医の布団を廻る攻防が続いた。

 ハリネズミ先生が突如、歓声とも悲鳴とも聞ける奇声を上げる。

「ゲビャー! 何じゃこりゃ。丸出しだよね」

 獣医はノーパの画面を見るなり慌ただしく自分の鞄をあさると、一個のフラッシュメモリーをハリネズミ先生に指し出す。

「ダウンロードしてよ。ここに入れて」

 何をそんなに慌てているのかノーパの画面を覗けば、大胆にも無修正のスコパコへコニョロが、ありゃりゃそんな事まで。

 商事会社というのは、売れる物なら何でも仕入れて売るのが仕事である。

 それがヤクザとなると、売れる物が非合法であろうと儲かれば売るのが基本。

 売買が合法である地域から輸入して、非合法の商品を国内で売ったりもする。

 コカの葉が煙草屋で売られている国で大量に仕入れ、精製してコカインとして売ったり。

 タバコと称して麻の葉やキノコのきざみを売っている。

 今ここに写し出されているアへパコニョキプニュ動画などは、危険な税関を通らずともインターネットを使って丸出し合法の国よりファイルを送ってもらい、テレビで使えるようにファイル変換して街角で売ればリスクの低いボロ儲けとなる。

 俗に海賊版などと称されている音楽CDや映画のDVDなども同様で、逮捕されても懲役実刑は麻薬や大麻に比べて軽い上に、損害賠償請求をされても金はないと言いきってしまえば取られようがない。

 人間とて突き詰めれば生物である。

 生物学的に生きる意味は生殖である以上我等とさほど変わらんのが本当。

 なのだが、人間の生殖は大人しいものである。

 人間はいつでも知識や良識といった頭の中身に頼ってばかり。

 本能さえも、らしさの監獄に封じ込めている。

 それを銭金に拘る族が食い物にしてガッポリ稼ぐ。

 すると今度は法律という物を作り、本能を縛って身動きできんようにする。

 その法をこれまた逆手にとって商売をする。

 どうしても猫には理解できん仕組みであるが、人間にはその事がまた面白味の一つとなっている。

 獣医の如き低能の者は、かような動画にだらしなく鼻の下を伸ばし、違法と言われようが御構いなし。

 時には大切な金を払って入手する。

 そんな回りくどい事などせずに、近くにいる婦女子に御願いしてみる努力を怠っているくせに、さもその行為が正当であるかの如き振る舞いである。

 愚かとしか言いようのない者であはるが、これが人という生き物である。

 めんどくせえ奴だ。


「体柔らかいですねー。体操かバレーでもやっていたんですかね」

 獣医は既に自分が何の為ここに居るのか、当初の目的を完全に見失っている。

「そうですね。巧妙ですね」

 ハリネズミ先生まで本能の虜になったかと嘆いても、すでに取り返しのつかん事態である。

 今宵の調査はこれまでと諦めるしかない。

「動画の中に複雑に組み込まれた暗号ですね。これならばたとえ没収されても本来の情報には辿り着けませんね。いや本当に見事ですよ」

 おやおや、ハリネズミ先生はこの動画を獣医とは別の見方で理解している。

 ダウンロードしてフラッシュメモリーにバックを取ると、早速動画暗号の解読を始めている。

「あのさ。このデーター預かっていいの」

 どういった未練なのかは言ってくれなくても想像が付く、そのままの動画が見たいだけであろう獣医が、ハリネズミ先生の暗号解読の邪魔にならない程度の小声で問う。

「お願いします。貴方が持っていれば誰もこのデーターが極秘情報を隠したファイルだなんで気づきませんから」

 吾輩でも分かる。ハリネズミ先生は獣医に対し、遠回しにスケベ野郎の称号を与えたのである。


 この日から、やっちゃんが泊番の日はハリネズミ先生が部屋にやって来て、クランク商事のパソコンに入り込むを繰り返している。

 ピー動画をダウンロードしているこの部屋が、今では誰の部屋か分からなくなっている。

 あれっきり獣医が部屋に来る事はなく、たまに風呂へ来た時ハリネズミ先生からフラッシュメモリーを預かっていく。

 危険だからと、毎回仕事を終える度、丁寧にやっちゃんのパソコンからデーターと通信記録を削除している。

「十年後に地球があるんだろうか」

 先生の顔がひきつったまま固まっている。

 吾輩は側で、一部ではあるが解読された内容を見聞きするに思う。

 人間の世というものは酷く込み入っていて、猫には難解な物である。

 一部の解読資料には、これからこの街で何が起きて世の中がどう変わるのか予言が記されている。

 先の事など分かりはしない。

 したがっておみくじや占いと同じであるが、これを信じてクランク商事は事業を起こしていた。


 今までは当たっていたから、信じて大金を投入して来たのであろう予言だが、吾輩がここに来る以前に住んでいた診療所辺りで地震があって津波があって、ふむふむ、ここまでは当たっている。

 次の災害は、我等の住むこの地域に地震があってと続く。ふむ。

 しかし、川でナマズが暴れているのをまだ見ていない。

 地震があるなどとは思えない。

 これから先の事となると、ありえねーと言いたくなる大ぼらである。

 このような災害が起こると事前に分かっているのなら、誰も知らない筈もない。

 既にこの地域は、国家政府が住民を避難させている筈である。

 それが成されていないのだから、信じるべき情報とは言い難い。

 このような戯言に、先生ともあろう御方があたふたするとは不可思議である。


 情報量が膨大であるから、ダウンロードにも時間がかかるもので、まだ冬だと寒がっていたのが何時しかもう春だねと挨拶が変わる。

 先生は総てのダウンロードを終え、あとはじっくり解読作業をするだけだと言う。

 珍しくパソコンも開けずに風呂に入り、一席打った後の生ビールを部屋に持って来てのんびりしている。

 吾輩は予想屋如きのくだらん情報よりも、蒸発した医師の行方の方が気になっているのだが、手掛かりがこのピー動画しかないのでは付き合うしかない。

 生きているのか死んでいるのか。自分で消えたか誰かに消されたか。はてさてどのような事になるのであろうか。


 と、ガラスに石っころが当たったのか、ビシッと音がして先生が倒れた。

 女将がけちって古いビールを出し、それが急遽当たったのか、倒れて腹を押さえていたかと思ったら、抑える手に浴衣にみるみる血が滲む。

 これは一大事である。誰も周りには居ない。

 吾輩が救急に電話をしても取り合ってはもらえない。

 全速力で女将の下へ駆けて行き、着物の裾を銜えて唸ってやる。

 すると異変に気付いてもらえた。

 どうしたのかといった顔で吾輩を見るから、もう一度裾を銜えて部屋の方に引っ張る。


 天性のもので、女将の勘はこんな時に野生の獣よりも鋭い。

 即座にハリネズミ先生の異変と気付き部屋に駆け入る。

 腹から血を出す先生を見ると、すぐさま救急に電話をした。

 五分もしないで救急車がやってきて先生が運ばれていく。

「やっちゃん先生のERに担ぎ込まれたから、これから行きます」仲居頭告げ女将が宿を出て行く。

 入れ替わりに宿へ警察がやって来れば、板長があたふたと対応する。


 鑑識がくまなく部屋の中を調べている。

 石が当たったのかと思ったガラス窓には、銃弾の貫通した跡が残っている。

 その他に銃痕がないのだから、銃弾は先生の体の中にある様子。

 獣医が、下手したら殺されちまうと騒いでいたが、まさかそんなと馬鹿にしていた。

 事態を知らせるべく吾輩は、急いで病院に行きクロに伝えた。

 吾輩はへとへとになっていたのでかえって足手まとい、クロが事態を獣医に伝えんがため走に走った。


 手術が続いている中、獣医が地下にあるハリネズミ先生の家にやって来た。

 何時もここに屯している医師達も心配そうな顔をして待機しているが、何もしてやれない 

 そんな中に、危機感があるのかないのか、赤チンが「血ー!」と叫びながら入ってきた。

 いきなり、床の間の大きな繭玉の上に乘っていた魔ネズミを抱えた。

 と思ったら、そのまま走り抜け、ササっとどこかに消えて行った。

 酷く混乱している様子であった。

 無理もない。何時も仲良くしていた者が殺害目的に銃撃されたのである。



 ハリネズミ先生の回復力は人間離れしている。

 昨日は出血多量で意識不明であった。

 特殊な血液で輸血もままならん状態であった。

 このまま失血死してしまうかもしれないと地下室にも連絡が入ったが、どこのどいつかから譲り受けたと赤チンが適合血液を持ってきて、それを輸血したらば立ち所に回復。

 腹を三百ウィンチェスターマグナム弾で撃たれたというのに、今朝には起き上がって病院の飯をおかわりしている。


 明け方まで、いつもの汚い白衣で地下室にいた獣医が、いったん帰って着替えてきた。

 ボサボサ頭を綺麗にまとめ、何時行っても閉店セールをやっている服屋のスーツを着込んでいる。

 首には、純金細工で鳳凰がデザインされたループタイをした体裁である。とても同一人物とは思えない。

 獣医のドッペルゲンガーじゃ!


 データーのダウンロードが終わったら持って行く約束をしていたので、東京まで行く前にハリネズミ先生の所に寄ってからと、病院をあちこち探し、元気ついでに地下室まで遊びに来ていた先生を見つけた獣医。

「こんな物までぶら下げなくちゃならんようになってしまったね」しきりにループタイを気にしている。

「そりゃ本物かい」ハリネズミ先生は無作法な質問をかける。

「純金だよ。肥後象眼」

 獣医は笑いながら答えたが、声は沈んでいる。

「君も大分年を取ったね。たしか小供があるはずだったが一人かい」

「いいや」

「二人?」

「いいや」

「まだあるのか。じゃ三人か」

「いや、三年前に一人娘が病気で亡くなった」

「余計な事を聞いてしまったようだね。すまない事をした」

「いいんだ。誰にも知らせてないから」

「君はそれでいいだろうが、奥方は嫌がったろう」

「女房は親戚知人に知らせていたよ。別れてもう七年になる。これも誰にも言ってないから知らんで当然だ。気にするな」

「そうか。何だか色々とあったみたいだね」

「そんな事より、これから東京に行ってあの先生に会うよ。君の暗号解読はたいしたものだけど一人では時間がかかるし、このまま続けたら今度こそ殺されちまうだろ」と言って、ハリネズミ先生から預かったフラッシュメモリーを見せた。

「まさか俺まで監視されているとは思えんが、少しは慎重にやらんとな。とにかく金の為なら何でもする奴等だ。心中する覚悟でやらないとな」

 用心の為にコピーを作って、銀行の貸金庫に預けてあると鍵を置き、静かに地下室から出て行った。

「あいつは馬鹿だ」ハリネズミ先生が呟いた。


 獣医と入れ替わりに、やっちゃんが地下にやってきた。

「安静にしてろって言ったよな。殺されたいのかよ」

「助けておいて殺しはしないだろう。なかなか矛盾していて面白いよ。それより何時になったら退院できるかね。病室は明かる過ぎて落ち着かないんだよ。それより、君には大きな貸しを作る事ができたね。これからは恩返しに励んでもらおうかね」

 意地悪な薄笑いを浮かべながら、やっちゃんの顔を見て続ける。

「あの宿舎は危ないから、暫く僕と入れ替わったまま生活するといい。恩の大安売りだ」

 先生のこの言葉に、やっちゃんがフリーズする。

「いやいや、一度しくじった山を二度踏みするマヌケも居ないから、あの宿はもう安全だよ。俺はもう帰っているし、その後怪しい奴も見掛けていないから大丈夫だ」

 心なしか、やっちゃんの声が上ずって聞こえる。

 温泉宿の部屋一つかけた攻防がしばらく続いたが、先生は病室で一週間ばかり過してから、地下の自宅に帰る事となった。



 自宅静養していた先生の所に、小さな荷が届いた。

 一週間前に獣医が付けていた肥後象眼のループタイである。

 手紙が添えられ、獣医が先生と言った人物と会うのに出かけた日、途中で線路に落ちる事故で亡くなったと記されている。

 データーとハリネズミ先生の居所は、先生と呼ばれる人物へ事前に送られていた。

 獣医はダミーのフラッシュメモリーを持って、暗号解読までの少しばかりの時間稼ぎの為、待ち合わせてもいない相手に会いに出かけていたのである。

「利口な男なんだよ。とっても利口な男なんだ。彼奴は馬鹿じゃない」

 ハリネズミ先生が独り言を言う。


 銃撃事件があって、以前から月一で見掛けていたぬらりひょんが頻繁にやって来るようになった。

 私学の子供達を治療がてら面倒見て、ERの患者も診ているのだから忙しいのに、毎日通ってくるから妙に心配になる。

 青白い顔をして風呂に入り、やっちゃんの部屋へ遊びに来る時はボーとしているが、幾分顔色はよろしくなっている。

 ハリネズミ先生と違ってぬらりひょんは特別待遇ではないから、毎度金を払って風呂に入る。

 こやつの風呂代一月分で、吾輩の一年分の食費が賄えるとあっては感謝すべき人物である。


 地域の裏事情なら、ぬらりひょんも恐ろしくディープな事まで知っているのに、先生の講談を聞いて関心している。

 彼は先生の芸を見る度、事件があってから芸に磨きがかかり人間国宝級の演者になったと褒める。

 それだけにしておいて歓迎されるべき御客様でいればいいものを、世間様がやっちゃんを狙った狙撃事件と受け止めている銃撃を、本当はハリネズミ先生がターゲットだったのではないかと疑っている。

 なかなか鋭いものの、勘ぐる方向を間違って自分で自分の首を絞めている。

 危険な状態である。


 組織の秘密を知られては困る誰かがハリネズミ先生の暗殺に失敗したと、やっちゃんに分かってもらいたくて努力しいている。

 普段から被害妄想に取り付かれている者の言う事である。それが事実であっても信じてはもらえない。

「病院の裏話を語って聞かせた程度で殺されていたんじゃ、今頃此の世に生きている奴はねえよ。考え過ぎだ、もう一度風呂に入ってボーとしてこい」と追い出された。

 暫くすると慌てて部屋に戻って来て「病院の事じゃなくて………じゃなくて、病院の事だけど、医師が行方不明になった事件の事まで語ってるんですよ」とわめき始めるぬらりひょん。  


 ハリネズミ先生が、獣医の事故は他殺だと訴えているのである。

 誰かに怒りをぶちまけたい気持は分からんでもないが、一度殺されかけたというのに先生までいかん事態となっている。

 これまでの経緯を語って聞かせたのでは、狙っている者に対してさあ殺せと挑発しているのも同然。

 かといって、今の先生を止められる者は何処にもおらん。

 獣医が彼の世で先生の身を案じているのなら、今宵しっかり化け出て暴走を戒めてほしい。

 やっちゃんはぬらりひょんを適当にあしらって帰したが、この地に来てからずっとヤクザ医者と一緒の生活で、大分この男の正体が見えて来た。

 腹の内から嫌って帰したのではないと吾輩は知っている。

 人を嫌ったならば、言葉で言うより先に拳で語る人間である。

 言い聞かせて帰すのは案じているからに他ない。

 しかしながら、このように乱暴な性格を知って、尚且つ親しく付き合おうなどという者はなかなかいない。

 こうなってくると、ヤクザ医者にとってハリネズミ先生の仁徳は得難い親交である。

 それにも関わらず、この医者は何かにつけて己の愚である事を知ろうとしない。

 何時でも主役であるかの如き立ち振る舞いであるが、実の所は先生に便利に使われている時があると気付こう筈もない。


 ぬらりひょんが帰り夜遅くになってから、ハリネズミ先生が遊びに来た。

 やっちゃんが、ぬらりひょんはああでこうでと今日の様子を話して聞かせる。

 すると先生は「なるほど、困った人ですね。僕が何とかしてみましょう」と言って、吾輩を抱えて部屋から出る。

「やっちゃんには、これからやってもらう事がありますからね。余計な事は教えないでくださいよ。もっとも、彼は貴方の言葉が分かりませんがね」


 そのまま吾輩は先生に抱えられ、病院の地下まで行った。

 当然そこにはクロが居るのだが、何時もの元気はない。

 身近で仲良くしていた獣医が死んで間もないから沈むのは仕方ない。

 ただ、先生が敵討ちだと寝る間を惜しんで計画している横で、酷く疲れていられると戦意が失せる。

 先生の説明では、やっちゃんが病院立て直しでER部長として呼ばれたのは表向き、既に病院はヤブの出資ですっかり健全経営になっていた。

 やっちゃんが赴任したのには、蒸発した医師が絡んでいて、後釜に入ったやっちゃんが病院で派手に振る舞えば、蒸発医者に関わった者達の動きも院内で活発化するだろうと、副院長の野ざらしが山城の爺さんに頼んで呼び寄せていた。 

 事件の首謀者が誰であるかは依然不明だが、やっちゃんがERを軌道に乗せたのは予想外の出来事である。

 今回我等猫同盟が発見したクランク商事と蒸発医師の関わりも加わって、周囲の不穏な動きが活発化してきている。

 相手が尻尾を出すのも時間の問題であった。

 先程、宿でハリネズミ先生が蒸発医者の話を語ったのも、一連の事件首謀者に揺さぶりをかける為であった。


 大騒ぎした日を境にここ数日、ぬらりひょんが病院どころか風呂にも現れない。

「欠勤届も出さねえであの野郎、完全にフケやがった」

 やっちゃんがあちこち電話で問い合わせている。

 重い病気を抱えているとはいえ、重責にある医師が無届けで消えては他に示しがつかない。

 日頃から引籠りで、行動範囲が限られている上に狭い街の事、すぐに見つかるだろうと探しているが、見つかる筈がない。

 ぬらりひょんは既にハリネズミ先生の手配で、吾輩が何とかちゃん達と以前探検に行った地下施設の病院に保護されている。



 山城の私学に通う学生が病院にやってきた。

 ぬらりひょんが暫く留守にするからと、患者の容体とケア体制を教授し、引継ぎして何処かに消え失せたと生徒は言っている。

 が、これもハリネズミ先生の段取で、実際は何もせずに急遽雲隠れしている。

 狸女はその事を知っている「またあいつの病気が出ちゃったね。ハイ、君達今からボランティアって事で、がんばってね」名札を作って授与式の後、患者や医師に紹介して周っている。

 院長からの命令で、ぬらりひょんの逃走先を捜査していたのは赤チンである。

 もとからのいい加減な性格だが、狸女から事情を聴いたから輪をかけて適当になっている。

 頑張ってますと言いつつ、インターネットを駆使して出会い系サイトに登録の嵐をかけているのは見なかったことにしよう。

 今でも両手両足に余る御付き合い名簿があるのに、まだ足りないのだから凄まじい体力の持ち主。

 その情熱と体力、他の事に使えないものか。どうなのか。


 ぬらりひょんが恐れていたとおり、誰かにさらわれたか殺されたかならば一大事だからと、やっちゃんはハリネズミ先生にまで捜索協力を願っている。

 まんざら御門違いでないところに御願いしているが、さだめて協力はありえん。 

 やっちゃんが警察に捜索願いでも出したら厄介だと提言したが、そんな心配は無用ですよと先生は平常のままである。

 かように落ち着いていられるからには、何か訳があるのかクロに問うと「ヤクザは警察には行かねえもんだ」

 吾輩のうかつに呆れた面持ちである。


 ぬらりひょんの失踪について、やっちゃんと野ざらしが大ゲンカをしたと病院内で噂されている。

 ならばどちらが入院しているのか探ったが、どちらも入院などしていなかった。

 今までならば、やっちゃんの大ゲンカというのは、誰かが入院しなければ終わらないものだった。

 入院していないならば野ざらしは死んじまったか、いよいよヤクザ医者は殺人犯かと思ったら、何の事はないただの口喧嘩であった。

 つまらん期待をして損をした。


 宿に帰れば帰ったで、やっちゃんがハリネズミ先生に今日あった野ざらしとの口喧嘩を愚痴っている。

 獣医の一件について先生は何も語ろうとせず、ただやっちゃんの愚痴を聞いてやっている。

 一通り話を聞くと、今まで黙って聞いていた先生が奮然として起ち上がる。

 すると何を思ったか、やっちゃんが先生を引き留める。

「大丈夫だよ。僕はぬらり君の事を友人だと思っているし、その友人が大変な時に彼の足を引っ張るような事はひかえるくらいの良識は持ち合わせている人間さ」

 風呂に入ると言って部屋を出て行った。


 部屋にいると、先生が即興で一席かけるからと、息切らせた女将がやっちゃんを呼びに来た。

 一旦外に出て帳場の横にある猫用縁台を見ると、クロが皿に盛られた残飯を、わざわざ皿の外に出して食っている。

 縁台が汚れるから皿の上で食えと、何度言ってもきかない。

 一度毒でも盛ってやろうかと考えたが、生憎クロに効く毒が思い浮かばずに企画倒れに終わった。


 縁台から海岸側の犬走をつたい、猫用露天風呂に行く。

 この露天から先生の演台が見える。

 今日はどんな話を聞かせてくれるのか見ていると、さっきやっちゃんが話した愚痴をそっくり物語っている。

 話の中にも野ざらしは野ざらしで、ぬらりひょんはぬらりひょんとして出て来る。

 怪談話にあだ名が都合良かった二人は、先生の話にしょっちゅう出て来る。

 吾輩とクロはそれを知っていたから、始めから面白く聞けた続き話の一編に仕立ててある。

 風呂で何話かしているうちに客にも正体が見えてきて、話に尾ひれ背びれが付いて伝わって行くのが街の潮流となっておる。

 先生の話は、悪漢を退治しないで次回に続くとなる。


 御約束でこの講談以後、野ざらしを支持するER反対派の医師は、連日患者からのクレーム攻撃を受ける事態に陥った。

 肝心のぬらりひょんだが、普段から影の薄い男である。 

 このまま発見されなくとも十日もすれば皆の記憶から消え、そんな奴いた? となってしまう。

 それを思うと些か可哀想である。

「これでアタフタしないでぬらり君を探せるだろう」

 先生はやっちゃんに自慢するが、ぬらりひょんが帰って来たら何と説明するつもりか。

 吾輩はこの期に及んで、今回の講談は仕損じに思えてならん。


 ぬらりひょんが計画的家出をして十日過ぎ、ヤブからやっちゃんに電話があった。

「ぬらり君は家で預かってるから、身柄を受けたいなら一億持って診療所に来なさい。警察には絶対に言うなよ。言ったら御前の恥ずかしい動画をネットで流すからな」 

 やっちゃんから一億絞り出すのは、海水から金を作るより難しい。

「ふざけてんじゃねえよ、あれでも必要な医者なんだから帰って来るように説得してくれよ」

「んー。無理!」

 何処の病院かは教えられないがと言って、動画が送られて来た。

「ぬらりひょんを変な薬の人体実験に使ってんじゃねえのか、目付きがぶっ飛んでるじゃねえかよ」

「活き活きしてるとか、目が輝いているとか言えないかなー」

 ぬらりひょんがそれで良いと言っているのだ、無理強いするんじゃない。

 自由意思による家出である。本人が元気なのがなによりであろう。


 後日、顛末をハリネズミ先生が講談にしてくれた。

 それによると、やっちゃんが一連の成行を院長に報告し、翌日の会議で他の職員にも事情を説明した。

 行方不明の患者が見つかって、社会的問題を起すでもなく次の職場で元気にしているから良いだろうとしていたところへ果せる哉、野ざらしが直接の上司であるやっちゃんの問責だと騒ぎ出した。

 ぬらりひょんの事で、やっちゃんは一度副院長室にねじ込んで行ったから、今でもその事を根に持って此の時とばかり反撃に出たのである。

 まさに再び大論争の開戦かと思われしその時、狸女が会議で意見した。

「本来この様な場では中立であるべき立場でありますが、議論の焦点が些かずれている様ですので修正の御願いも含めて発言させていただきます。―――中略――― 今回の事件をどなたかの過失とするならば、全責任は私共人事権を持った運営にある事。運営サイドには当然の事ながら副院長も含まれるところで御座います。本件は理事長である私を含め、運営の不徳の致すところであり、一切の責は運営にあるものとすべきであります。この場で皆様方には多大なご迷惑をお掛け致しました事、深く陳謝いたします。院長共々このとうり御詫びする次第で御座います。どうかお許しください」

 院長が起立して、狸女と二人してオデコが赤くなるほど机に頭を押しける。

 ところが、運営の一人と指摘された副院長の野ざらしは意見するでも謝るでもなく、不機嫌な顔をして座っているいるだけである。

 議長になっていた外科部長の一声ですぐに会議は終わりを遂げ、これから先この件に関しては誰一人としてやっちゃんを責めなくなったのであーる。

 めでたしめでたしの一席。御粗末!

 拍手の嵐でやっちゃんがヒーローに祭り上げられた。

 ここまで持ち上げられると、やっちゃんは単純正直な男で、先生にやれ吞めそら食えの大盤振る舞いである。

 もはや町内で誰を生かし誰を殺すかまで、先生の意のままとなっておる。


 事有るごと何度も思う、先生が戦中にあったなら必ずや独裁者となり、世界を私物化していたに違いない。

 やっちゃんの機嫌がいい所でハリネズミ先生が、面倒を看ている山城の子供達の描いた絵について、鑑定を引き継ぐ医者はいないかと聞いている。

「それじゃ今度ぬらりひょんの後釜が来たら、子供の絵も診るようにさせるよ。当人が出来ないと言ったらぶっとばすしかないがな」やっちゃんが安請け合いをする。

「ぶっとばすなんて君、やっぱり普通の話の際にそれとなく頼んでくれないかなー」

「頼んで見る?」

「うん、頼むのが嫌いなのは知っているけど――でもね。上司であっても仕事以外の事だから、そこは御願いになるのだよ。堅気の世界はオンオフがはっきりしているからね」

「御前にゃ分るかも知れねえが、俺にゃそのオンオフってのが分らん。上の者はどこまで行ったって上だ、嫌なら殺して自分が上に立つしかねえのが俺の知っている世界だ」「分らなけりゃ、まあいいさ。しかし君のように単純な者も珍しい。余計な事を言って、真っ直ぐな人間を壊すのは善くないと思うからこれくらいにしておくよ。次の医師が来たらなるべく早くに伝えてくれ給え」


 ぬらりひょん代理の話を聞いていると、噂をすれば陰の喩に洩れず、赤チンと狸女が砂嵐の如く舞い込んで来た。 

 状況を正確に伝えるならばば、殴り込んで来たとした方がよろしいかと思われる騒がしさである。

「いやーん。もう、ぬらりの後釜いいわー。私みたいに面食いになると、つまらないのは目に入らないんだけど、あの子は目の中に入れても痛くないわよ。わよ!」

 赤チンが面食いなどと、事実無根のうわ言に酔っている。

「もう。御人形さんみたいなのよ。のよ!」

 狸女まで、柄にもない言葉を吐いている。

 どんな後釜であろうとも、吾輩の愛らしさにかなう者などいるものか。

 つまらん話を聞いていてもラチが明かない。

 クロと一緒にクランク商事を探るのである。

 と、部屋に備えられた出入り口が、赤チンのでか尻で塞がれている。

 女共は後釜の話しに夢中で動こうとしない。


 仕方なしに遠回りして出ようとして女将の部屋の前に差し掛かると………女将がマカロンを無雑作に頬張っている。

 クロはそれを外から覗いてモジゝしている。

 女将はにやにやしている。

 クロは口をもがもがさせている。

 一生ゲテの拾い食いが性分かと思ってたいら、いつの間にか美味い物の見分けがつくようになっていた。

 長生きはしてみるものである。

 いかに自炊の仲間でも、格別に美味い物はそれなりに価値ある物との等価交換が猫族の鉄則である。

 どんな僥倖に廻り合わんとも限らん。

 吾輩はクロに対して何か頼み事をするのに、優位に立てる物を持っていなかった。

 それをここで得られた。


 女将の部屋に入りマカロンをねだる。

 外をジッと見つめる吾輩の目線の先には、偉いのだか馬鹿なのかちょっと見当がつかぬクロがいる。

「クロちゃんの分も欲しいの? 偉いわね」

 女将がいつもより大きな塊を吾輩に分けてくれた。其れを銜え外で待つクロの所に行く。

「このマカロンという菓子を君にあげるのはいいのだが、はたして君にこの菓子の味わいが分かるか心配だ。分かるとなると、一度食べたら必ずや病み付きになる。人間も罹るマカロン中毒というやつで、そうなってしまってはこの菓子なしには生きて行けない体になってしまうが、それでも君は食すかね」

 吾輩はクロに対して暗示をかける。

「なんぼ田舎者だって――これでもカステラを食って中毒になっていない。マカロンてえのかい、そいつを食ったからって死んじまうってんじゃあるめえ」

「そりゃそうだね。馬鹿を退治する薬が入っているのではないから死にはしない。僕は八回ほど食したが、惜しい事に完全に中毒になってしまい、今じゃ女将のいいなりさ」

「相変らず要領が悪い奴だな。そう言う菓子は年々高くなるばかりだから、そのうち貰えなくなる。今から隠し場所を知っておいていざとなったら盗むんだよ」

「それは考えたが、女将は倉の中にある金庫に菓子をしまっている。君も僕もたとえ石川五右衛門だって盗み出せやしないさ」

 マカロンの方を見ると、クロは迷わず食い付いている。 

 少しは考えろよ。

 このままでは吾輩にまでクロの食意地が伝染し、女将の茶菓子皿に手を出してしまう。

 世の中万事積極的が優れた者と偏った評価をされるが、泥棒猫は精力的に展延すると痛い目に遭う。


「クロ君が食中毒になろうがマカロン中毒になろうがどうでも構わんが、吾輩は先程君にマカロン中毒だと宣言したよね。一度でそれを全部平らげる勢いは何とかならないかな。独り占めはいかんよね」

 吾輩が食い欠けたマカロンの歯痕を撫然として眺める。

「おお、そうだったな。あんまり美味いもんでよ。気が付かねえで悪かったな。それ食いなよ」

「マカロンを食い過ぎて死んだ猫もいると聞く。気の毒だがね。君は利口だから食い過ぎないとは思うが、精々用心してくれたまえ」そう言うとクロは直ちに信じて「頭はいいが、旨い物を食う時は何だか知らねえがカラッポの真っ白になっちまう。僕あ何時でもおめえの言うとおりにするから、コイツを食う時は見張っててくれるかい」

「そうさせてもらうとしよう。ほんとに君には瞠目するよ。すでにマカロン中毒仲間だ。手に入ったら必ず君と一緒に食べるよう心掛けておくよ」とクロの食意地本能をくすぐってやる。

 あとは吾輩の願いをづらゞと並べ立てるだけで、メッチャ好ましい結果が得られる。

 好い友を持てて、吾輩はずんと幸せな猫である。



 朝から部屋でやっちゃんがゴロゴロしている。

 このようにして一緒にいると、必ず猫じゃらしを持ち出してくるのがコヤツの悪い癖である。

 どんな猫も猫じゃらしで遊ぶと思うんじゃない。

 不愉快なのでそらとぼけて、今日は一日ハリネズミ先生の家で過ごすとした。

 非番であるから部屋でくすぶっている。

 病院ならばコヤツの相手をせずとも済むであろう。

 平穏な暮らしを毀損されてなるものか。


 地下では先生とクロが霊妙オーラを垂れ流していた。

 遊びに来たと告げると、それどころではないぞと呼び込まれる。

 吾輩の願いを叶えてくれたクロが、昨夜クランチ商事の事務所に忍び込み、貴重な情報を聞いて来てくれていたのである。

 クロの忍び込むとは、野良猫になりきって周辺のゴミあさりをする事で、濃淡はあるが体にくまなく生ごみ臭がこびりついている。

 クロの情報と一部の解読された暗号を突き合わせると、近く我等が住む地区が激甚災害に襲われるとの予想が出されていた。

 以前住んでいた所では地震や津波にでくわした。

 クロは波に飲まれて死ぬ思いをしておる。

 ここは安住の地と思い安穏としていたのに、またも災害に遭わねばならんとはアンビリーバボー! である。


 これより更に不測の事態を目撃したのは、吾輩がムンクの叫び顔になっていた時である。

 非番だというのに、やっちゃんが他の医師達と共に地下室に降りて来たから、叫びの顎がガクッと外れてヨダレがダラダラ。

 クロに蹴りを入れてもらい、やっとの事で修復した。

 防災訓練というやつで病院に呼び出されたが、やる事がないまま時だけが過ぎているのだとぼやいている。

 暇つぶしに、山城の私学から手伝いに来ていた者も混じって花札が始まる。

 やっちゃんは参戦しないでいたから、当の然ハリネズミ先生の独り勝ちである。

 身ぐるみ剥がされた者が泣きべそをかいている。

 勝負の世界は非情である。これしきでくじけてはいかん。


 ぬらりひょんの後釜に入ったシロと呼ばれる男は、色白なのに女共から色男と云われている。

 しち面倒くさい者である。

 やっちゃんが、藪から棒にシロを問う。

「ぬらりと入れ替わりだったなら、あいつが今は地下の病院て所で医者やってるのかい。その病院てのはどんな所なんだよ」シロは黙って何も言わない。

 赤チンがシロの顔をジーっと見ている。

「あんた、よく見ればいい男だわよね。ちょっと奥に行かない? それとも全部白状する?」

 それともと付け加えているが赤チンは本性剥き出しで、地球が三角になろうとも白状して欲しくない身構えである。

「話します! 話しますから勘弁して頂戴」赤チンから逃げてやっちゃんの後に隠れた。

「アハハハ、そうきつく坊主頭を握られては折角寝ているこの子が起きてしまう。よしてくれって言ったって勘弁してもらえないから話しますけど、国家機密扱いの情報ですからね。他で話さないでくださいよ」

 如何なる情報かは知らんが、いくら赤チンが恐ろしくても、女人の誘いを断りトップシークレットをいとも容易く明かすか。

 この男は系統の異なる恋愛以外受け付けない者か。

 極度の潔癖症であるか。

 こんな軽い奴に対外秘を託す病院の管理者も、どうせロクデナシに決まっている。

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