「怪物め、覚悟しろ」と王太子に殺されかけましたが、異世界で王妃生活を楽しみます!
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「怪物め、覚悟しろ」
瀬山香の目の前の金髪碧眼の男――レオンは、そう言って剣を抜き放った。みなぎる殺気、憎悪の瞳。そして純白で華麗な貴族服。
こんな時でさえなければ、レオンの美貌は瀬山でさえ見惚れてしまうようなものだった。耳にかかる金髪は天使のようで。しなやかな肢体は豹に似ている。
だが、瀬山にとっては銀光の剣を突きつけられた衝撃のほうが遥かに大きい。
「えっ、ええええっ!?」
瀬山は情けない声を出して後ずさりする。
(こ、殺される……っ!)
なぜこんな危機的な状況に陥ったのか。異世界の地下神殿の大広間で、瀬山は焦りまくっていた。なんとかしなければならない。
幸いと言うべきか。目の前のレオンに瀬山は見覚えがあった。
(この人は『黄金剣の華』のレオン!? BLゲームのヒーロー……だよね!? どうして私が……っ!?)
生まれて喧嘩もろくにしたことがない上に、瀬山は今体調も悪かった。何の妙案も浮かばず、逃げる以外に手がない。
「あうっ!」
だが瀬山はバランスを崩し、尻から崩れ落ちた。その間にレオンは距離を詰めてくる。
瀬山の目の前に立ったレオンは、眉を寄せた。
「妙だな。これが伝説の怪物なのか?」
レオンが瀬山のすぐそばに剣を床に突き立てる。どういう材質か、剣先がバターを割くように床へ飲み込まれている。こんな剣で斬られたら、一発で死ぬ。
「どこをどう見ても、ただの人間……。我が王家は、こんなモノを斬るために儀式を行ったのではない」
レオンが柄に力を込めていた。死ぬ。殺される。瀬山は喉を鳴らした。
「ま、待って!」
瀬山は手をかざして命乞いをした。大した意味などなく、何の考えもない命乞いだ。
しかしそんな一見、ほとんど無意味な行動にレオンの動きが止まった。冷たい蒼い瞳が瀬山を射抜く。
「……なぜだ。どうして貴様が王家の指輪を着けている? 説明しろ」
♢
瀬山の家には変な言い伝えがある。
それは曾祖父に関すること。曾祖父はとある戦争中に死にかけ、不思議な世界に迷い込んだとか……。
「はぁぁ……私も死んだら異世界に行けるのかな。それも悪くないかもだけど。ごほっ」
そんなネガティブなことを考えながら、瀬山は背を丸めた。
咳も悪寒も止まらない。悪い風邪にかかったらしい。24歳の貧乏会社員、病院代も厳しい。
要領も良くなく、両親は離婚。かろうじて連絡がある程度の絆だ。何もかもついてない瀬山である。
しかも病弱で、よく寝込む。女性的な身体の凹凸にも乏しい。
真面目以外にあまり取柄もなかった。
「ごほっ、ごほっ……これ本当にマズイかも。ラーメン食べたら、病院行かなくちゃ」
テーブルの上には作りかけのカップ麺。立てかけたスマホには今、話題のBLアニメ『黄金剣の華』が放送されている。
なんでも原作はとても古いBL小説らしいのだが、ゲームになって超ヒットした。そして今現在、アニメが放送中である。
瀬山はアニメから黄金剣の華にハマった人間であった。
「はぁ……レオン様、かっこいい……」
黄金剣の華は男性しかいない異世界ファンタジー。
現実にはない設定だからこそ、華々しさと荘厳さがある――と瀬山は評価していた。
「レオン様、かっこいい……。ごほっ! はぁ……」
とはいえ、体調はすごく悪い。
保険証を入れた財布はどこにあったか。瀬山は無造作に手を伸ばし、ベッド横のテーブルを探る。こつん、と手の先に硬い感触があった。
「あ、これ……おじいちゃんの……」
先日、実家を整理している時に見つけて持ってきた、指輪。紅い小さな宝石に金文字の綺麗な指輪だ。
(おじいちゃんの遺品らしいけど、誰もよく知らないんだよね。なんだか気になってもらってきちゃったけど)
「あれ、何か光ってる……?」
指輪についている、真紅の宝石。それがかすかに輝きを放っていた。どうして光っているように見えるのか、疑問が頭を横切るけど、まず頭が回らない。
(一度も指にはめてなかったよね、この指輪)
瀬山は熱でぼーっとした頭で、指輪を手に取る。そして瀬山は利き手の右手で、その小さな指輪を左手の薬指へと着けた。本当に、何の意味もなく。
「ぴったりだ」
なんだかそれだけのことなのに、嬉しくなる。合うと思っていなかった指輪が、ぴったり合った。
そして視界が暗転する――。
「えっ!?」
そして気が付くと、瀬山は異世界の広間にいたのだった。
♢
「なるほどな……」
「ええと、それで私はここにいるわけで――はい」
瀬山の説明を聞いて、レオンは顔をしかめていた。
もちろん、この世界が瀬山の知っている黄金華の剣です――とは言っていない。
(ていうか、ここにゲームとかあるのかな? その辺りは説明しても信じてもらえないかもだし……)
瀬山が説明したのは祖父と指輪のことだけ。それでも十分なはずだ。
「……面倒なことになった」
レオンは苦々しい、という表情で一杯だ。ちらりと横を見ると、銀光の剣がまだ瀬山のそばに突き立っている。
レオンの身体からはほのかにラベンダーの香りがするが、それがなんとも場違いに華麗であった。
(剣だけでもしまってくれないかな? 怖いんだけど……)
だが、言えない。レオンが剣を抜いて瀬山に突き刺すまで、二秒あれば足りるだろう。とてもそんな危険は犯せない。
滝のような汗を流しながら、瀬山はなんとか危機を乗り切らなければと思う。
「レオン・ライハルトだ」
「はい?」
「名前くらいあるだろう。名乗れ」
「あっ、ええと……瀬山香です」
「……どちらが姓だ?」
「瀬山のほうです。香のほうが名前で」
レオンは剣の柄を握る。ひっ……と瀬山の口から情けない悲鳴が漏れた。その様子に、レオンがついにため息をつく。
「安心しろ。殺す気は失せた」
「……あ、はい」
「確かに、お前からは殺気も魔力も感じない。まるで犬猫のようだ」
レオンが床から抜いた剣を華麗に鞘へ納める。こんな間近でなければ、手を叩きなるほど見事な動きなのに。レオンがゆっくりと瀬山の前に屈む。
その筋肉質の腕が、瀬山の左腕を手に取った。レオンの温かい手が瀬山に動揺を与える。
(人の体温、久し振りだ……っ)
情けないことに、瀬山がまず考えてしまったことはこれだった。
「この指輪について、もっと調べねばな」
レオンからの鋭い視線が指輪に注がれている。撫でまわすように、レオンの指が這う。表、裏……じっくりと観察される。
「できれば、元の世界に返して欲しいんですけど……」
「……それは出来ない」
「えっ? で、でも私を殺す気はもうないんでしょう……?」
「お前を異世界から召喚したのは、王家の格式ある儀式のためだ。王位継承者である俺はこの広間で異世界の怪物を呼び、それを斬って生贄にする――そうして初めて、真の王になれる」
瀬山はぎょっとした。話の内容もそうだが、レオンの声が恐ろしいほど冷え切っていたからだ。
「征服の儀……お前はそれに選ばれた。何の手違いか、ただの異世界人がこちらに来てしまったようだがな」
レオンの話を瀬山は反芻する。レオンは王位継承者。継承の儀式として、異世界から怪物を呼んで斬るというものがあるらしい。
(で、私は生贄として召喚された……?)
異世界に召喚されるというのは、今の小説や漫画ではよくある。瀬山もときおり摂取していた。でも、生贄用に呼ばれる話なんて珍しいではないか。
「そ、それで私をどうするんですか?」
「どうもこうもない。前例がないからな。これから決める」
「そんな――」
そこで瀬山はぐらっと目まいに襲われた。熱い。身体がどうしようもなく熱くて、くらくらしてくる。
(あ、そうだ……私、風邪で……)
命の危機が去って、瀬山の体調不良が表に出てきていた。
頭が揺れ、心臓が早鐘を打つ。気分も悪い。悪寒が絶え間なく瀬山の身体に覆いかぶさってくる。
その様子を見たレオンが瀬山に声をかけた。
「どうした? なんだか震えているみたいだが」
「こ、これは……ごほっ、ごほっ!」
身体に力が入らなくなる。身体を起こしていることも出来ない。瀬山は床へと倒れた。尋常ではない様子にレオンもさすがに慌てる。
「おい! 待て、お前――」
(ああ、本当に綺麗な顔だなぁ)
どうしてそんなことを思ったのかはわからない。ただ、自分の手を取っているレオンが美しいと感じただけだ。そして瀬山の意識は、そこで途切れた。
♢
夢は見なかった。ただ、身体の熱が引いていく感覚はした。数日振りの落ち着いた気分だ。ふわふわで柔らかなベッドの感触。
「……あ」
瀬山は目を開ける。瀬山はキングサイズのベッドに寝かされていた。映画でしか見たことがないほど高い天井にきらびやかなシャンデリア。
ワンルームの自宅とは全く違う、高貴な一室だ。左手薬指に指輪の感触がある。
(夢じゃなかった。私、本当に異世界に来たんだ)
体調はかなり良くなっている。寝たことで回復できたらしい。
「目を覚ましたか」
ベッドのすぐ隣に質素なテーブルと椅子が置かれている。そこでレオンが何やら書類仕事をしていた。レオンはちらりと瀬山を見ると、椅子ごと瀬山に身体を向ける。
「たちの悪い風邪だそうだが、心配はない」
「は、はぁ……」
体感からすると寝ていたのは数時間くらいだろうか。大窓から差す太陽光が強烈だった。
ベッドのそばにある調度品、たたまれたカーテン……どこを見ても、飽きない美しさがある。
(これが観光だったら良かったのに)
しかしここは異世界。しかも瀬山は生贄として召喚されたという。レオンが少し首を伸ばし、瀬山の足元に呼びかける。
「そうだな、ベル」
ひょこっとベッドの下から茶色の猫耳が飛び出てくる。猫にしてはかなり大きい耳だ。それがひょこひょこと揺れ、身体全体がばっと飛び跳ねた。
「そうだよぉ! 僕の魔術で治療したから、もう大丈夫!」
出てきたのは快活で朗らかな笑顔がまぶしい、茶髪の少年だった。見た目は小学生高学年から中学生くらい。しかし、普通の少年ではない。猫耳が頭から生えている。
(うあっ! これってまさか獣人かな……?)
黄金剣の華にも獣人は出てきていた。この可愛らしい少年はいなかったが。
驚きながらも好奇心のほうが勝る。目がやや細いのと猫耳を除けば、人間とは見分けがつかない。彼もアイドル顔負けの美少年であることを除けば、だが。
ベルがベッドに昇り、瀬山へ右手を差し出す。
「僕の名前はベル・アステート! よろしくね!」
「あ、瀬山香です……どうぞ、よろしく」
差し出された手は無下には出来ない。社会人としては。瀬山もベッドから手を出し、ベルと握手する。手の感触は人間と変わらない。
忘れないうちに『治療』の礼もしておこう、と瀬山は思った。
「私の治療もしてくれたみたいで、ありがとうございました。おかげで大分、楽になりました」
「どういたしましてー♪」
ベルが手を離す。声もどことなく猫のような高さだ。動物が大好きな瀬山にとっては非常に癒される。
「でもでも、しばらくは安静にね? ぶり返す心配があるからさ」
「お気遣い、痛み入ります。気を付けます」
ぺこりと瀬山が頭を下げる。レオンに比べると、なんていい人なのだろうか。殺気がないというのは実に素晴らしい。
ベルが可愛らしく首を傾け、自身の猫耳を指差す。
「ねぇ、瀬山の世界って僕みたいな人ってたくさんいるのかな」
「猫耳があるって人のことですか。いないですけれど、いるとも言えるような」
うーん、どうなんでしょう……。
創作の世界ではケモ耳は珍しくもない。特に、異世界を舞台にしたモノならば。
黄金剣の華にも獣人は出てくる。
でも現実の地球にはいない。ベルを見ても驚かなかったのは、瀬山が年相応にアニメや漫画に触れてきたおかげだ。
「ふーん、なるほど……」
ベルがベッドから目にも止まらぬ速さで飛び降りる。まさに猫並みの俊敏さ。
「お大事にね、僕は他の患者を診てくるから。また診察に来るね~」
「あ、はい。いってらっしゃい」
朗らかに手を振りながら部屋を出ていくベル。瀬山は和みながら手を振り返し、彼を見送る。
「……ふむ」
見てみると、レオンが瀬山をじっと見つめていた。恐ろしいほど整っている顔立ちゆえに威圧感がある。
どういう意味の視線なのかがわからず、瀬山の背筋がかすかに震える。
「私、ベルさんに何か失礼をしま……した?」
「いいや。むしろ極めて丁寧で好感が持てる対応だった」
レオンが顎に手をやる。イケメンはずるい。たったそれだけで絵になるのだから。
「ベルのような獣人族は差別されている。だが、お前にそうした意識はないのだな」
「随分とはっきり言うんですね」
「隠してもしょうがない。この部屋を一歩出れば、わかることだ」
瀬山はレオンの言葉の意味を探った。レオンとベルの間には、信頼関係があるように見える。でなければ、自分の治療にベルは呼ばないだろう。
だが、現実としてベルは差別される。この豪華な一室に出入りして、王位継承者のレオンと気安く話せる立場なのに――理不尽だが、そういうことなのだ。
今のやり取りは『そういう場面』に出くわしても騒ぐな、ということなのだろう。
「……わかりました。私は異世界人らしく、出しゃばったマネはしません」
「ほう、素晴らしい理解力だ」
レオンが片目を釣り上げる。どうやら正しい受け答えだったらしい。多少は見返せたかも、と瀬山は胸の中で思うことにする。
「それで色々と説明して欲しいんですが」
「無論、そうしよう。今後のこともあるからな。だが、体調が悪くなったらすぐに言え。またいきなり倒れるな」
「あれはそちらが――まぁ、はい」
気遣いなのか、どうなのか。瀬山は反論を飲み込んで頷いた。
それからレオンは語り始める。
「この異世界でライハルト王国は古くから怪物殺しによって畏怖され、他国に比べて優位に立ってきた」
それゆえ、歴代の王位継承者はあの広間で召喚の儀式を行い、現れた怪物を生贄に捧げる。絶対の掟らしい。
「あの広間は召喚の儀式にしか使われない神聖な場所だ。そこに突然現れたお前は、まぎれもなく異世界の存在――ということだな」
「これまでに私のような存在はいなかったんですか。前回挑戦したのは、あなたの父上になるんでしょうけど」
「死んだ」
「……はい?」
「俺の父は召喚の儀式を行い、現れた大蛇に食い殺された。数百年振りに失敗してしまったのさ。幸いに、俺と弟が生まれていたから直系は絶えなかったが」
瀬山は初めて会った時のレオンの殺意、憎悪を思い出した。あれにはそういう意味があったのか。
「この儀式にはいくつものルールがある。俺でさえ由来もわからない謎のルールもある。しかし、ひとつだけ言っておく」
レオンの顔が凄みを帯びた。
「それほど軽いモノではない」
「……ごめんなさい」
瀬山は複雑だった。殺されかけたのは事実だが、レオンの覚悟は伝わってきたからだ。実の父が死んでいるのであれば、確かにあの儀式は危険で……そして大切なのだ。
「はぁ……お前が謝ることはない――俺も冷静じゃなかった。お前は巻き込まれただけだ。そう、多分それだけだ」
おや、と瀬山は思った。意外と話せばわかる人かもしれない。
まぁそうでなければ、風邪の治療もしないか。瀬山はベッドから手を出した。儀式のことを瀬山のほうから深掘りするのは気が引ける。一担、それは置いておこう。
次に聞きたいことがあるのだから。
「それで、この指輪は……」
瀬山が手をかざす。紅の宝石の指輪。
「王家の指輪で、これも大切なんですよね?」
「ああ、どういう経緯でお前の家にあったのか……。それも大事だが、その指輪には特別な意味がある」
「嫌な予感がします」
瀬山は眉を寄せた。この流れで自分のためになるような方向に行くとは思えない。厄介事の匂いがした。
「勘も良いな。まぁ、それがどういう意味を持つか。お前は疲れているようだし、一旦寝ろ」
「……でも」
「寝て起きて、確かめたいことがある。その後、疑問に答えよう」
「じゃあ、ひとつだけ。私はすぐ元の世界に帰れるんですか?」
「それも『確かめたいこと』の結果による。申し訳ないが、すぐには帰せない」
レオンがはっきりと言った。
瀬山自身が望む答えとは違ったが、人に言葉を信じさせる不思議な力がある。
(これが王子様ってこと……?)
「わかりました……」
「協力、感謝する」
レオンが書類仕事を再開する。なんだか色々と聞いてしまって頭が爆発しそうだ。少なくとも情報を消化する時間が必要だった。
ベッドにもぞもぞと潜り、考える。死にたいわけではなかったが、どうしようもない。運の無い人生を歩んできた瀬山にとって、これも不運のひとつなのだろうか。
(ここから逃げようもないし……。せめて殺されるにしても、痛くはしないで欲しい……)
レオンの剣はこの世ならざる切れ味だった。あの剣で首や心臓を狙われれば、苦痛はなさそうである。
(……はぁ、せっかく異世界に来たのに、やだやだ。さっさと寝よっと)
瀬山は染み付いたネガティブな思考を振り払い、目を閉じる。やはりまだ本調子ではないのだろう。すぐに眠気が、瀬山を襲った。
♢
それから目を覚ました瀬山は、レオンに連れられて王宮を歩いていた。
今の瀬山が着ているの男性用の貴族服だ。
素晴らしいことに漫画の騎士のような感じで、歩いていても苦しくない。
(ドレス着たことがないから、助かったー!)
この世界に女性はいないはず――黄金剣の華と同じならば。
女性ものの服はあり得ないのだ。
瀬山は自分の身体に凹凸が少ない、という事実からは目を背ける。
とにかくぴったりで動きやすいことはとても良い!
「体調は大丈夫か」
「お陰様で。すっかり良くなりました」
「なら、いい」
レオンの口数が少ない。
彼がお喋りなほうだとは思わないが、今はさらに静かである。
「あの……どこに行くんですか?」
「大事な場所だ。君の運命を握ると言っていい」
「ううっ……」
レオンと瀬山は王宮の大階段を上り、歩く。
重々しい扉を開くと、そこには建物内とは思えない大庭園が広がっていた。
「すごっ、綺麗……!!」
緑と花の香りに満ちあふれている。色彩豊かな花々、奇妙な形の葉をした鉢植え。
植物という植物が庭園を飾っていた。
「目的の場所はこの奥だ」
レオンが手を差しだのは、庭園の中央だった。
白い大理石の小さな円形の台がある。
そこには鷲の頭に猫の身体をした動物が寝ていた。ふわふわの毛玉、サイズも猫並みだ。ずいぶんと可愛らしい。横向きに寝ているので、お腹が無防備になっていた。
アニメでも見たことがある。
黄金剣の華でも敬われてきた聖獣だ。
「あの子は……とっても可愛いです」
「我が国の聖獣グリフォンだ。ふむ、触ってみてくれるか?」
「……危なくないですよね?」
気持ち良さそうに寝ているグリフォン。
とはいえ丸っこい頭にあるくちばしで襲われれば、それなりに痛そうである。
「危険はない。指先だけで良いから、触れてきてくれ」
レオンの眼は瀬山を注意深く観察していた。
意図が読めない。この立派な庭園とグリフォンに、何の意味があるのだろうか。
「……わかりました」
とはいえ、断る理由もない。
瀬山はそっと音が鳴らないように台とグリフォンへ忍び寄る。
「にゃうー」
グリフォンが少し鳴くが、すやすやと眠っている。
鳴き声は猫そのものだった。
(触ってこい、だなんて……ま、いいけどさ)
瀬山の特技。それは無害ゆえに気配を消すこと。
ゆっくりと近付いた瀬山は、人差し指でグリフォンの腹にちょんと触れた。
(うわー、ふわっふわで温かい!)
感動。
瀬山は数度グリフォンのお腹に触ると、そのままレオンの元へと戻ってきた。
「終わりました」
「ご苦労。そうか、やはり……」
レオンは顎に手を当て、考え事をしていた。
それだけで絵になる。見惚れてしまう。
「あのー、これにどういう意味があったのでしょう?」
「グリフォンは我が国では極めて重要な聖獣だ。しかし恐ろしく警戒心が強い」
レオンがゆっくりとグリフォンに向かって歩く。
普通に歩いているはずなのに、とても静かだ。
しかし、5歩進んだところでグリフォンがぱちりと目を覚ました。即座に顔をしかめて唸りはじめる。
「にゃああう! ふーっ!!」
「お、怒ってます!」
「俺では駄目か」
この結果をレオンは予想していたようだった。
残念そうに踵を返し、瀬山のいるところまでレオンは戻ってくる。
グリフォンは警戒したまま、庭園の隅に行ってしまった。
(ふわふわの可愛い子が……でも、どうして?)
「殿下は全然音を出してないのに、なぜすぐ起きたのでしょう?」
「魔力だ。あの聖獣グリフォンは魔力を嫌う。仮説だがな」
「あ、ああ……なるほど……。私、魔力はないんでしたっけ。異世界人だから」
その辺り、瀬山にもよくわからない。
魔力なんて意識したこともないからだ。目の前にいるレオンに魔力があるかどうかもわからない。
「だが、これで確定した」
「何がでしょう?」
「君は聖獣に触れることができる。それはこの国で、とても大切なことだ」
そこでレオンが瀬山に向き直った。
真剣な瞳。吸い込まれそうな青空の色。
瀬山の胸の鼓動が高まってしまう。
「俺と結婚しろ」
「……ええと、もう一回言ってください」
「その指輪は婚約の証だ。その指輪を着けた人間は、王族と結ばれなければならない」
「な、なにを言っているんですか? 無理です!」
「ふむ、瀬山は既婚者か」
「違いますけど! いきなり会って、結婚とか!」
瀬山は叫んだ。
少ないけど異性経験はある。瀬山も大人なのだから。
しかし結婚などは考えたこともない。
頭の中で好きなキャラクターとのアレコレを妄想する程度だ。
そこで瀬山ははっとした。ここは異世界。しかも獣人族やら魔術やらがある世界だ。王家もある。婚姻関係が現代地球と違っても当然だった。
「この世界ではもしかして、いきなり会って結婚とか当然なんですか?」
「当然ではないが、運命が選べば当然そうなる。女性とやらもいないしな」
「そ、そうでしたーー!?」
グリフォンの可愛さですっかり忘れていた。
この世界はそもそも女性がいないのであった。結婚観が地球と違うはずだった。
「なんだ、知っていたのか? まぁ、瀬山の先祖が指輪を持っていたくらいだからな……」
レオンは勝手に推測して納得していた。
「知っているかもしれないが」
レオンが節をつけ、歌う。それはこの世界の古い神話だった。
「数え切れないほどの遥か昔。流星が降ってきた。それから魔力が世界を満たし――男は南に国を作った。女は北に。両者の境には結界が引かれ、それから往来はなくなった」
「それじゃあ……本当に? やっぱり女性がいないんですか」
「女性がどういうモノかは知っている。古い書物、女神信仰はあるからな。会ったことはない」
「はぁ……」
それは知っているうちに入らないのでは、と瀬山は思った。王位継承者のレオンが会ったことがないのなら、相当レアなのだろう。
もしくは本当にいないのかもしれない。
(小説やゲームとかならまだしも……いや、私も全然この世界に詳しくないから……)
瀬山はアニメから黄金剣の華に入ったクチだ。
視聴したのはまだ序盤で、世界観の深いところまで知らない。
なので、瀬山は至極当然の疑問をぽろっと言ってしまった。
「でも、だとしたらどうやって『増える』んですか?」
「おまっ……なんてことを口にするんだっ!」
レオンが焦り、がっと瀬山の肩を掴んだ。
「はっ、ええっ!?」
「はしたないぞ!」
「えっ……あ、はい……」
「異世界人だからと言って、何でもぽんぽん口にするな! わかったか!」
「わ、わかった! わかったからー!」
レオンの剣幕に首を縦に振りまくり、瀬山はなんとか解放された。
どうやら貞操観念については地球と異世界とでかなりの差があるらしい、ということを身をもって知る。
「ふぅ……わかればいい」
「…………」
「それと今、敬語が崩れたが……」
「ぎくっ」
「言っていなかったが瀬山は今、我が国の客人という身分だ。馬鹿丁寧でなくていい。喋りやすいように喋れ」
「えっと……それでいいなら楽だけど」
「婚約者でもあるしな」
「それは――あー、えー……」
瀬山はレオンを見上げた。客観的に見ればレオンの美しさは図抜けている。これだけの美形ならいくら見ても飽きない。日本の街中で見れば、どんな人間も振り返るだろう。
そして……声も良い。聞いているだけでうっとりしてきてしまう。
(いや、でもいきなり婚約とか……)
「まぁ、婚約の件も棚上げではある。王家の指輪を着けた者は、王族と結ばれるべし。それが決まりだ。同時に召喚の儀式で現れた怪物を、俺は殺さなければならない」
「あれ……それって、両立しないような?」
「まさにその通り。こんなことは史上初の事態だ。どちらのルールが優先されるか、それによってお前の運命が決まる」
「い、今から決めるんだ」
「俺の一存で決められる問題ではない。しかし……」
レオンの視線が瀬山の指輪に注がれている。
「お前はただの人間だ。魔力はないがな。出来れば、殺したくない」
「あ、ありがとう……」
とりあえずレオンとしては殺したくはない。
その結論に瀬山はほっとした。
「ふにゃー!」
姿を隠しているグリフォンが庭園の奥で唸っている。
瀬山はグリフォンの声がする方向に身体を向けた。
「……あの子と仲良くなること。それも多分、大切なんだよね」
でなければ、レオンは自分をここには連れて来なかっただろう。
「わかるか。そうだ。お前を生かす理由として、聖獣との繋がりは使える」
「ちょっと仲良くなる動機が不純な気はしますが……」
瀬山は庭園を再び歩く。
今のグリフォンはどんな態度を瀬山に見せるだろうか。
ちらと見ると、レオンが少し後ろに離れていた。
(これなら警戒しないかな?)
瀬山の考えは当たった。庭園の奥、芝の上でグリフォンはごろごろしている。
「大変なことになっちゃったね……」
グリフォンの前に屈み、瀬山は呟いた。
まさか異世界で殺されかけて、王妃候補になろうとは。
「んにゃー?」
グリフォンが瀬山の顔を見上げる。
そこには警戒心や嫌悪はない。どことなく気を許しているように思える。
瀬山はそのままグリフォンに左手を伸ばした。
ふわっとした毛とふにふにの身体。
「これからどうなるか、分からないけど」
左手には紅の指輪が光っている。
「なんとか生き残らなくちゃね……っ!」
運がない。取柄もない。
でもへこたれない。瀬山の信条だった。
少なくともレオンは瀬山の味方でいてくれる。
結婚するかどうかは、別だが。
瀬山はまだこの時、知らなかった。
自分が歴史上初めて、この国の王妃になる運命を背負っているとは――。
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