【瑞雲・三章】彌尖国周辺地理情報
【北敷道】
行政区分としての国の集まりである七道の一つ、北敷道を表すと共に、そこを貫く街道としての北敷道も示す。
行政区分としては彌尖国を起点とし、沓国を経由し海沿いに北上して行く。
道としては浩渡国の阿久津を起点に切途浦沿いを北上。彌尖国で返坂峠を越え沓国へと続いている。
【彌尖国】
敷島北西端、北敷道最西端に位置する国。国力は中国とされるが総石高は十万石程度と高くない。全域が彌尖大社の神領である。
・彌尖大社
敷島の北西端に鎮座する海神を祭る神社。国内で二社しかない大社を名乗る神社で彌尖国全域を神領としていたが、遠濱国守護佐高家の侵攻により生産力のある土地は軒並み横領されてしまっている。
現状の大社がどの様な状態となっているかは存続を含めて不明。
・早瀬川
沓前国との国境、返坂関近くに端を発し、早瀬盆地、彌下平野を南流する国内唯一の大河。
・彌下平野
彌尖国南東部に広がる平野。国内の生産力の半分以上を占める地域。中央を早瀬川と北敷道が南北に縦貫している。
・早瀬盆地
彌尖国北東部に位置する盆地。早瀬七郷と呼ばれる小勢力がひしめいていたが、彌下平野同様に佐高家の侵攻を受け、その支配下に置かれている。
・双凷山
早瀬盆地の北部に聳える山々の中で最も標高の高い山。北側は半島状に海へ突き出しているが、山が海へ直接落ちる様な地形の為に住む者は殆ど居ないと言う。
凷とは塊を意味し、頂上が二つある様に見える姿から二つの山が合わさった様な山と言う意味の名である。
・返坂関
北敷道の彌尖国、沓前国国境部に位置する返坂峠に築かれた関。現在は砦が築かれて代田盆地の国人領主、才田弘兼が詰めている。
名前の由来は、古の旅人が切途浦に面して畿内のからも左程遠くない彌尖国から、本格的な北国沓国へと入る前に都を忍んで振り返った事に拠ると言う。
【沓前国】
沓国の西部を占める国で彌尖国の東部に位置する。辰野川に沿って肥沃で水の豊かな土地が広がっており、国力は上国。狭いながらも面積以上に豊かな国である。守護代猪俣家が支配する。
・辰野川
彌尖国国との国境、返坂関近くに端を発し、代田盆地、辰野平野を北流する国内唯一の大河。肥沃な土地を潤すが、その名の通り、蛇行が多い暴れ川でもある。
・辰野平野
沓前国北部中央に位置する国内の生産力のほぼ全てを生み出している平野。辰野川沿い以外の地域も豊富な湧水で稲作が可能な土地が多い。
・曽杜湊
辰野川河口部に位置する国内髄一の湊。近年は隣国沓中国が内戦によって国力を落としている関係から、そちなから船が移って来ており、賑わいが増している。
・代田盆地
沓前国南西部、辰野川上流に位置する盆地。平地は辰野川沿いの狭い地域にしかなく、稲作の可能な地域が少ない。
【遠濱国】
彌尖国の南部に位置する国。切途浦沿いに開けた平地を持つ国で国力は上国。守護佐高家が支配する。
南の東京側勢力との争いが長年続いており、国内は荒廃気味である。
・御塔山
佐高家本拠の城、またはその城下町。遠濱国中部山沿いに位置する。




