◆第4話◆ 『旅立ちの時』
―――4月1日、朝。
俺は布団から体を起こし、カーテンを開け、朝の日射しを確認する。
雲一つない青空には輝く太陽以外何も視認することはできない。
素晴らしい朝だ。
俺はカーテンを閉じ、昨日寝る前に準備しておいた荷物を手に取り部屋から出る。
しばらくはお別れになるであろう自分の部屋を名残惜しく見てから、階段を降りていった。
リビングに行けば香ばしい匂いが俺の鼻を擽る。
「おはよう、優斗」
母さんがフライパンを手に持ちながら、にこやかに俺に微笑みかける。
どうやらいつも通りの朝食だ。
でも、それがいい。いつも通りの朝食が今は恋しい。
「うん、おはよう。母さん、父さん」
父さんは椅子に腰を掛けて、新聞紙を読んでいる。
この光景も、もう何回見てきたことか。
俺は父さんと対になる位置の椅子に腰かけ、ゆっくりと深呼吸した。
「―――いよいよだな」
「そうだね、父さん」
父さんが新聞紙越しに短く喋る。
俺はもうこの声が聞こえなくなるのかと思うと、急に胸が締め付けられるかのような感覚を覚えるも、気持ちを強く持ち、精一杯元気な声で答えた。
「必要な荷物はすべて持ったか? 3回は荷物の確認をするんだぞ」
「分かった。でも昨日の夜、何回も確認したから大丈夫」
「そうか。なら身だしなみを整えておけ。今日は入学式。俺たちは参加することはできないが、一生に数回しか体験できない特別な式だ。お前のビシッと決まった姿を入学式で見せつけてやれ」
「うん、分かった。任せといて」
「あとトイレにも行っておけよ。X高校は遠いからな。バスで約8時間くらいはかかるだろう。トイレ休憩は途中で多少挟まれるが、万が一があったらいけないからな」
「うん、分かったよ」
「その他にも―――」
父さんが言葉を続けようとすると、母さんの力の入っていないげんこつが父さんの頭をポンと叩いた。
母さんはどこか呆れた様子で父さんを見下ろしている。
「そんなにあんたが心配しなくても、優斗は分かっているわよ。なんてったって、優斗はあんたよりも優秀なのよ。だから大丈夫に決まってるでしょ」
「う......それもそうだが......」
父さんの不安そうな声が漏れている。
めったに見ることのできない父さんの過保護に、俺は思わず頬を緩めた。
「父さんの教えてくれたこと、必ず活かしてみせるよ。だから任せといて」
「優斗......」
そう言うと父さんは何故か新聞紙を上に持ち上げ、顔をより隠してしまう。
母さんはそんな父さんに「はあ」と一つ溜め息。
「あんた、気持ちは分かるけど、最後くらい笑顔で優斗を見送ってあげなさい」
ここで俺は状況を察する。
どうやら父さんは思いの外、涙脆いらしい。
そうして俺は、家族との最後の食事を終えた。
***
ぶおんぶおんと、機械的な音が家に鳴り響く。
その音はどんどん家へと近づいてきていた。
どうやら、いよいよその時が来たらしい。
ピンポーンという軽快なチャイムの音が鳴り響いた。
「―――はい」
俺は短く返事をし、玄関の扉を開け放つ。
そこには一人の小綺麗な男と、その後ろに巨大なバスが停車していた。
「黒羽優斗さんですね」
「はい」
「国立X育成高等学校よりお迎えに参りました。今回の運転手を勤めさせて頂く、三島と申します。準備が整い次第、バスに御乗車ください」
そう言葉を告げると、三島と名乗る男はバスの中へと戻っていった。
どうやら、ここで本当にお別れのようらしい。
俺はゆっくりと後ろを振り返る。
「母さん、父さん。いってきます」
短く、強く、そう言った。
「ええ、3年後に待ってるわ、優斗」
優しい母さんの声。
今までにないくらいに優しい声だった。
「お前ならきっと大丈夫だ、優斗。俺は信じてる」
力強い父さんの声。
真剣な瞳で俺を見つめてくれている。
そんな親の声を聞いて、俺は背中を向けた。
家の外へと、足を踏み出す。
「「いってらっしゃい」」
俺はもう後ろに振り返らない。
振り返ったらきっと、俺の何かが崩れてしまう。
だから、俺は後ろを見ずに右手を上げて、ヒラヒラと手を振った。
「―――」
バスの無機質な機械音が大きくなる。
俺はバスの入り口に足を伸ばし、短い階段を上った。
中を見渡せば、俺の他にも沢山の人が乗車している。
この人たち全員、X高校の入学者なのか。
「―――うし」
俺は近くの席に座り、荷物を隣に置く。
長時間バスに乗ることを考慮してのことか、椅子はバスの物とは思えないくらいふわふわだ。
沈むような感触を身に感じながら、俺は窓を覗いてみる。
窓の奥に、こちらに玄関から手を振る母さんと父さんの姿があった。
俺は微笑みながら窓越しに手を振り返す。
「―――それでは、発車致します」
車内アナウンスが鳴り響く。
それと同時にバスのエンジン音が大きくなり、バスが揺れ始めた。
バスは少しずつスピードを上げ、俺の家から離れていく。
「......ふぅ」
もう、母さんと父さんの姿は見えない。
そう思った矢先だった。
「―――応援してるぞ!」
小さく、くぐもった声だった。
でも、確かにその声は俺の鼓膜を震わせた。
反射的に窓を覗けば、バスを追いかける父さんの姿。
「ありがとう!」
俺は周囲の迷惑を気にすることなく、元気にそう答えた。
俺の父さんはなんて心配性なのだろう。
でも、とても嬉しかった。
そしていよいよ俺の家も見えなくなっていく。
もう、頼れるものは自分しかいないのだ。




