◆第38話◆ 『たくさんの得』
「これコーンスープだけど飲むか? この前、食堂から貰ってきたんだよ」
「じゃあ、頂くわ」
マグカップを二つ用意した俺は、インスタントのコーンスープを作ってみた。
食欲のない沙結理を気遣い、何なら食べれそうかを考慮して思いついたのがコーンスープ。
インスタントだから味にハズレもないし、とても無難な選択だと思う。
上半身を起こした沙結理が、受け取ったマグカップを両手で持ち、口をつけて中のコーンスープをちょびちょぴと飲み始める。
それを見て俺はさすが女子だなーっと感心。
俺なら片手でガブガブと飲んじゃうね。
「......案外美味しいわね」
「案外ってなんだよ案外って。インスタントにハズレがあるわけないだろ」
余計な一言を付け加える沙結理に苦笑いを浮かべてしまう。
正直に美味しいとだけ言えばいいのに。
「......ん。確かに無料で配られているわりには美味しいな」
俺も一口がぶっとコーンスープを飲んで感想を言う。
おっと、お前も正直に美味しいとだけ言えなんてツッコミはいらないぞ。
食堂にて無料で配られていたこのコーンスープの味は、なかなかに上々のようだ。
やはりインスタントにハズレはない。
「んで、沙結理はなんか俺に話があるのか?」
「? 話ってなんのこと?」
「いや、だってさっき『やっぱりもう少しここにいなさいよ』とかなんとか言ってたよな」
そう問いかけると、沙結理は気まずそうに俺から目を逸らした。
「あ、あれは......その......」
何か必死に言い訳を考えているように見える。
ふーん、なんか様子が変だな。
「どうしたんだよ沙結理」
「え。いや、だからその......」
その様子を見て察する。
いや、まさかな。まさかなと思いながら俺は一つの考えにたどり着く。
しかしそれを口に出していいかどうかは、俺の脳内の悪魔と天使が戦うように悩み続けて――、
「――もしかして、俺がいないと寂しかったりした?」
俺の中の悪魔が勝ってしまった。
ニヤッとした笑みと共に放たれた俺の言葉は、体調が悪く頭の回っていない今の沙結理には効果的すぎたようだ。
しかし、そのせいでちょっとした事件が起きる。
「な、なに意味分かんないこと言ってるのよ!」
「ちょ、熱ッ!?」
顔を赤くした沙結理は、手に持っていたマグカップを落とし、その熱々の中身が俺のズボンにぶちまけられた。
とろみのあるコーンスープは俺のズボン越しの素肌にとてつもない衝撃を与え、一瞬何が起きたのかとパニック状態へと陥ってしまう。
意味もなく俺はその場をぴょんぴょんと跳び跳ねた。
「ご、ごめんなさい黒羽くん! ど、どうしたらいいの」
「熱い熱い熱い!!」
さっきまで顔を赤くしていた沙結理は、今度は顔を真っ青にして跳び跳ねる俺に謝罪する。
もちろんそんな謝罪が今の俺の耳に届くはずもない。
ただただ、四方八方に跳び跳ね続けて――、
「っ。だ、台所!」
ようやく思いついた解決策。
とりあえずそこで、俺はこのへばりついたコーンスープを落とすことにした。
***
本日二回目のズボンの着替えをして、俺は再びベットの横に腰をおろす。
ベットには申し訳なさそうな顔をする沙結理が上半身を起こして俺を見ていた。
「はぁ......本気でビックリしたわ」
そう言うと沙結理が肩をピクンとさせて、目を逸らす。
「本当に、ごめんなさい。思わず手が滑っちゃって......」
迷惑をかけたくないと言ったばかりなのに、また迷惑をかけることになってしまって、今の沙結理の心情はおそらく、けっこう不安定だと思う。
というか今回に関しては俺が沙結理に余計なことを言ったからこうなったわけで。
「別に気にしなくていいよ。火傷はしてなかったからさ」
「でも、私のせいで......やっぱり、私ここにいない方が――」
このままでは沙結理が自責の念で潰れてしまうので、ここは一つ手を打ってみるか。
「いや俺も悪かったよ。図星をついてすまなかった」
「......は?」
予想通り、一気に機嫌の悪そうな顔をする沙結理。
今の一言で沙結理の不機嫌オーラがもわっと再噴出するが、お構い無しに俺は続ける。
なにせ今はもうコーンスープはないからな。
「やっぱ俺がいないと寂しかったんだろ? 図星をつかれて驚いたからコーンスープ溢しちゃったんだろ? まぁ、俺はまったく気にしてないから安心しろよ」
「い、いきなり何言い出すのよ。ふざけないで。そんことあるわけないじゃない。本当にただ手が滑ってコーンスープを溢しただけよ。そこにアンタは関係ないから!」
「へぇ、そうなの? 本当に?」
「っ。気持ち悪いわね!」
沙結理の言っていることの真偽はさておき、今は沙結理がさっきの出来事を忘れることを優先する。
にしても今の沙結理はいつもの沙結理らしくないな。
言い訳がめちゃくちゃ早口になってるぞ。
しょうもないミスとか、反論の仕方とか、メンタルとか、なんかいろいろと調子が悪そうだ。
いつものクールな沙結理はどこにいったのか。
どれもこれも体調が優れていないのが原因なんだろう。
「いやー、まさかそんな俺のことが恋しかったかぁ。ちょっと俺感動しちゃうなぁ。そんな風に思われてたなんて嬉しいなぁ」
「だから違うって言ってるでしょ! ......あぁ、もう。謝った私がバカみたい」
さすがに俺も、自分の言ってることがキモいと感じ出してきた。
沙結理の方もだいぶイライラが溜まってしまったようだな。
もう、これくらいでいいたろう。
「ふぅ......いじるのはこのくらいにして、と。まぁ、そういうことだ。迷惑だとかそういうことは諸々気にする必要はないぞ。沙結理」
「何よ、急に」
いきなり態度が変わった俺に対し、沙結理が不機嫌そうに反応する。
俺は肩を竦めてから、今の茶番の解説をすることにした。
「また迷惑かけてしまったーっとか沙結理が気負いだしたら面倒だからさ。ネガティブ状態にならないようにちょっとからかってみた」
「......」
沙結理は意味が分からないといった様子で目を細める。
まあ、簡潔に言うとしたらこういうことだ。なにせ俺たちは――、
「俺たち、友達だろ?」
きらんと歯を見せてかっこつけながらそう言った。
慣れていないことをするのを良くないということがよく分かる良い例だな。これは。
「お前はいちいち迷惑がかかるだのなんだの心配しすぎなんだよ。俺たちは友達なんだから迷惑なんて気にするな。逆にもっと迷惑をかけてくれてもいいんだぞ?」
「......友達でも、親しき仲にも礼儀ありよ。私は何回も黒羽くんに迷惑をかけて、黒羽くんばっかり損してるのよ。そんなの、私が私を許せないのよ」
暗い顔をして沙結理が俺から目を背ける。
俺はその様子を見て若干口角を上げた。
今の沙結理の発言、その一部に訂正すべき箇所があるな。
「一つ訂正するぞ沙結理。さっきお前は俺ばっかり損してるとか言ってたけど、別に俺は損してないぞ。むしろ得してるんだよな」
「何言ってるのよ。外で地面に倒れてる私を見つけて、それを助けたアンタに得なんてないでしょ。ただ面倒事に巻き込まれただけなのに。見返りも何もないのよ」
それを聞いて、俺は内心でふっと笑う。
何言ってんだ沙結理。得なんてない? 見返りがない? こんな美人でかわいい女子を助けて? んなバカな。
「――寝顔」
「え?」
俺が突然出した単語に沙結理が首を傾げる。
「俺は今日、あの沙結理の寝顔を見ることができたんだ。それを得以外になんというってんだよ」
「っ!? 見た、わけなの!?」
「もちろんに決まってるだろ。いやぁ、本当に眼福だったなぁ」
「っ!!」
俺の脳内に思い返されるのは、おとなしく安らかな顔で眠る沙結理の姿。
改めて整った顔立ちだなぁと思える美貌。
つい頬を触りたくなったけれど、あのときの俺はなんとか自分を抑えることができたんだよな。
本当によく頑張った。俺。
「私の......ね、寝顔なんか見て、なんになるのよ! 変態!」
なんか余計な一言がくっついて怒鳴られたが、ここは正直に答えよう。
「いやー? 普通にかわいいなーって思った」
「か、かわ......」
「子供っぽくて」
「っ!!」
普段はツンケンしている沙結理だけど、寝顔は子供っぽくてとてもギャップを感じた。
少なくとも、俺がしばらく見とれてしまうくらいにはかわいかったな。
だが沙結理の方は子供っぽいと言われたことが気に食わないらしく、赤い顔して俺を睨んでくる。
「まあ寝顔以外にも俺はいろいろと得をしてるぞ。今日は沙結理をからかうことができたし、お姫様抱っこもすることができた。最高の一日だな」
「っ。そんなの、得なわけないわ」
「得に決まってるだろ。沙結理はもっと自分に自信を持った方がいいぞ」
俺から見た沙結理は、そこら辺の女子よりも断然かわいい。
そんな子をからかえたりお姫様抱っこできたりして損なわけないだろ。
滅多にない経験とはまさにこのことだな。
「若干話が逸れたけど、ともかく俺にならいくらでも迷惑をかけてもいいからな。俺はお前の友達なんだ。言ってること、分かる?」
「......分かりたくないわ」
俺に話の主導権を握られ続けているのが嫌なのだろう。
素直じゃない沙結理は俺と目を合わせようとしない。
これ以上沙結理と話すのは沙結理のプライドを大きく傷つけてしまうかもな。
「分かったよ。じゃあ後はもうしばらくここでゆっくり休んどけ」
「......」
けっこういろいろと言ってしまったので、拗ねてしまったようだ。
これも沙結理らしくないな。
体調が優れていない沙結理はいつものような強気な態度を保つことができないらしい。
「......黒羽くん」
「ん?」
「アンタなんか大嫌いよ」
やられっぱなしの沙結理は、最後に精一杯の言葉を俺に浴びせてきた。




