◆第31話◆ 『終わるわけにはいかない』
――所属グループとの別行動をすると発生するペナルティ行為。
俺はそのペナルティ行為を思いっきり無視して、今一人、地を走っている。
今、見回りの先生に見つかってしまえば、俺は退学処分となってしまうだろう。
普段の俺ならこんな危険な行為を自らするなんてありえないことなのだが、今日の俺はどうしてしまったのか、山根の思いっきりルール違反した作戦に協力し、退学覚悟の意思を持っていたのだ。
いや、退学をするつもりも全くないのだが、それくらいの覚悟を持って今俺はペナルティ行為を踏み倒している。
何故こんなことをしているかと聞かれればなんでだろう――、
......友達のため、なのか。
***
――とある高い木々が無数に生え広がる場所。
「もう少しで約束の時間か」
出来る限りのポイントを集め終えた俺は、スマホで現在時刻を確認する。
どうやらもう遠足が始まって2時間35分が経過したようだ。
後25分以内に目的地であるヒヤマ平原に到着しなければタイムオーバーとなってしまう。
そうなる前に、早く山根たちと合流してグループで目的地に行かなくてはならない。
「......あ」
グループのみんなが来るのを待っている最中、ふと、俺の手に何か冷たいものが落ちてきた感触があった。
上を見上げてみると、嫌な灰色をした雲が空を覆っている。
空を睨んでいるうちに、俺の胸の中の嫌な予感は見事に的中した。
「うおっ、ヤバいヤバい」
最初はポツポツといった雨音が、だんだんとザアザアといったものへと変化してくる。
雨が降りだしたのだ。
俺はリュックサックを地面に置いて、中から学校から借りていたカッパを取り出して装着した。
「......急に降りだしたな」
天気予報は外れたと思っていたが、今になって雨が降りだすとは。
しかも雨の勢いはどんどんと強くなっていき、強風まで吹いてきた。
カッパの雨の弾く音ばかり、俺の耳に聞こえる。
......山根たちは大丈夫だろうか、そんなことを思い始めたときだ。
「――っ。地味男!」
「あ、山根か!」
不意に聞こえた俺の謎のあだ名。
それが聞こえた方角に俺は瞬時に振り返った。
暗くてよく見えないが、遠くにこちらへと向かってくる3つの人影が見えた。
その様子を見て、俺は深く安堵する。
変な足取りで真っ先に俺に辿り着いた山根が、肩を大きく揺らし、俺に視線を合わせてきた。
「はあっ......はあっ......スタンプは、集められたか?」
「出来る限りは集めれた。山根の方は? 先生に見つからなかったか?」
「舐めんな......俺の方が地味男よりも集めてるに決まってるだろ。それに先公の目なんか余裕で掻い潜れる」
いや、別に舐めたつもりはないんだが......。
というか、さっきから山根の様子が少しおかしい気がする。
どこか落ち着かない様子というか、何か違和感があるのだ。
「なんか様子おかしいけど、なんかあったのか山根?」
「......」
そう聞くと、一瞬山根は言葉を詰まらせて――、
「少し、足を捻ったんだよ。でも大したことはないから気にすんな」
「足捻ったって......それ、大丈夫なのか?」
「気にすんなっつっただろ」
気にすんなと言われても、グループの仲間として気にはなってしまう。
幸い、もうヒヤマ平原まですぐそこなので、よっぽど酷いことになっていなければ、現地で治療を受けれるだろうが。
山根は俺がじろじろと見てくるのに舌打ちをして「そんなことより」と話題を切り替える。
「破ったスタンプラリーの紙、元に戻すぞ。テープとお前の紙を貸せ地味男」
「お、おう。分かった。ちょっと待ってろ」
山根が凄い視線で睨んでくるので、俺は苦笑いを浮かべながらリュックサックに手を伸ばす。
手際良く、半分の様子とテープを取り出し、山根に渡した。
「......雨風が強いな」
俺と山根は大きな木の下に移動して、雨でスタンプラリー用紙が濡れないように用紙の修復作業を進めた。
そんなこんなで色々と作業をしている最中、遅れて残りの女子二人もこの場に到着した。
「......ご、ごめん。今戻っ...た」
宮野さんと共に現れた麗子は、どこかよそよそしい態度で俺たちに話しかけてくる。
カッパをしているのと雨が降っているのでその表情はよく見えないが、暗い表情をしていることは見なくても察せられた。
そんな麗子に、俺は出来る限りの笑みを顔に浮かべられるよう努力する。
「お疲れ。戻ってきてくれて安心した」
「え、いや、その......」
「忍と生田はどうなった?」
もじもじしている麗子に、俺は質問をする。
俺は別に麗子がグループから逃げ出したことなんか、もうとっくに気にしていないからな。
あれは麗子の精神的状態から見ても仕方ないものだったと思う。
「......学校の人が来て、二人を車で連れていってくれたよ。だからもう、安心していいと思う」
「そっか。なら良かった」
雨が降る前に学校の人が来てくれて助かったな。
忍と生田が雨に打たれたまま放置されてるんじゃとちょっと不安だったけど、どうやら杞憂だったらしい。
俺が胸を撫で下ろしているところ、急に麗子がパッと顔を上げる。
「あ、あの、優斗くん、山根くん、宮野さん......私、そのっ」
どこか掠れた声で早口に麗子が喋り出す。
この時点でもう、麗子が今俺たちに何を言おうとしているのか察せられた。
「勝手なことして、ごめんな――」
「謝んな」
「......え?」
麗子がそう言い切ろうしたところを、タイミングよく割り込んだ山根の言葉が遮った。
俺もまさかの山根の言葉に目を丸くするが、当の山根は誰にも視線を向けておらず、座りながらスタンプラリー用紙の修復作業をしていた。
麗子もまさか自分の言葉が止められるとは思っていなかったのか、言葉を詰まらせている。
しばらくの沈黙が流れるが、それがとても長い時間のように俺は感じた。
「――今俺は集中してるんだよ。言いたいことあるなら、目的地着いてからにしろ」
「う、うん。......分かった」
ようやく口を開いた山根がぶっきらぼうにそれだけを麗子に伝えた。
麗子は力なくそう頷いたが、今、麗子は一体どれだけ心に傷が付いたのだろう。
俺たちに話しかけるだけでも大きな勇気を要したはずなのに、後一歩のところで山根に遮られた。
俺はまたもや嫌な空気になったグループに「はあ」と溜め息をつく。
「ごめん麗子。山根はこういう性格なんだよ。それに、さっき言おうとしてくれてたことだけど、俺は全く気にしてないから安心しろ」
「そ、そうなんだ。ありがとう優斗くん。なんだか気を使わせちゃって」
「気にすんなよ」
力なく微笑む麗子を見て、俺は目を細める。
この言葉が少しでも麗子の救いになればいいんだけどな。
「......できたぞ」
「ん、そうか。ナイス山根」
俺は麗子から山根に視線を向けて、山根の手に持つものを確認する。
そこには、ちゃんと半分から一つにくっつけられたスタンプラリー用紙があった。
「これで後はヒヤマ平原に行くだけだな」
遠足の山場は乗り越えたも同然。
後はスタンプラリー用紙を持って、グループでゴールをするだけだ。
「よし。じゃあみんなな、ヒヤマ平原に――」
そう、みんなに呼び掛けようとしたときだ。
「うおっ!?」
「キャッ!」
突然、とてつもない突風が俺たちを襲った。
俺は突然の出来事にバランスを崩して倒れかけるが、なんとか踏みとどまる。
幸いにも突風はすぐに収まってくれた。
「急に凄いのが吹いてきたな......」
俺は咄嗟に瞑ってしまった目を開いて、一つ息をつく。
危うく転びかけるところだった。
「大丈夫か? 麗子と宮野さんと山根......山根?」
俺はグループのメンバーを確認するが、なにやら山根の様子がおかしい。
体を硬直させて、自分の手をガン見しているのだ。
なにやら嫌な予感がする俺はおそるおそる山根に声をかける。
「どうした、山根?」
「や、ヤバい。スタンプラリーの紙が、飛ばされた」
山根がそう言った瞬間、雨音が更に強まったのは気のせいだろうか。
俺は山根の言ったことが瞬時に理解できず、思わず硬直してしまう。
飛ばされた。それはつまり、さっきの突風に紙がどこかへと飛んだということか......?
「と、飛ばされたってどこに?」
「っ。知るかよ! 今すぐ探すぞ!......っ。くそっ」
「山根......っ」
山根は焦った様子で歩き出そうとするが、すぐに顔を歪めて地面にうずくまる。
捻った足が余程具合が悪いのか。
飛ぶ瞬間を見れていなかった俺は、どこに飛んでいったか見当がつかない。
そしてこんな大雨が降る中、ペラペラの紙を放置するのはあまりにも危険すぎる。
「麗子! 宮野さん! スタンプラリーの用紙がどこいったか分かる!?」
俺は大声で麗子と宮野さんに、藁をもすがる思いで訪ねてみた。
しかし麗子は困ったような顔を俺に見せてくる。
「え、えーと......ごめん、見てなかった」
「っ。宮野さんは!」
「ちょっと待ってください」
俺は叫ぶような声で宮野さんの名を呼んだ。
宮野さんは目を細めて、上の方を見ていた。
「......あ。ありました。あの木の上に引っ掛かってます」
「本当!? どこら辺に......」
急な朗報に俺は目を輝かせた。
宮野さんが指差す方向へ、視線を持っていく。
上へ、上へと、視線を上げていった。
「マジ......かよ」
――確かに、紙は見つかった。
しかし、それがあったのは高さ20メートルはあろう巨大な木の、遥か上の部分に引っ掛かっていたのだ。
***
首を大きく傾かせないと、その幹の全てを視界に入れることはできないくらいの大木。
その頂上付近といってもいいくらい高い位置に、スタンプラリーの用紙は引っ掛かっていた。
幹も予想以上に太く、揺らしてもびくともしない。
揺らしてもダメ、何か物をぶつけて落とそうにも高すぎる。
こうなったら、木登りして自ら取りに行くしかないのだ。
「危ないよ優斗くん!」
「危なくてもアレがなきゃ俺たちのグループは終わりだぞ!」
俺は止めようとする麗子の忠告を無視して、リュックサックを地面に置き、カッパも脱ぐ。
体操着が濡れてしまうが、背に腹は変えられない。
少しでも身軽になるためだ。
「ふぅ......」
俺は一度大きく深呼吸をして、もう一度紙が引っ掛かっている位置を確認する。
そうして、俺は太い木の枝に手を伸ばした。
「やっぱ滑るな......」
雨が降っていることもあり、木の足場はものすごく不安定だ。
気を抜けば一気にバランスを崩して一気に落ちかねない。
俺は一つ一つの枝を、ゆっくりと慎重に踏みしめて、木登りを始めていく。
「地味男! 絶対取れよ!」
「っ。当たり前に決まってる!」
「それと......絶対に落ちんじゃねーぞ!!」
後ろからかけられた山根からの言葉に、俺は息を飲んだ。
『絶対落ちるんじゃないぞ』と、そう言ってくれたのだから。
「もちろん分かってる。後は俺に任せろ! 山根!」
そう、俺は死ぬまでに言ってみたいセリフ第2位を解き放ち、気合いをいれて木登りを進めていく。
雨も激しいし、風も強い。
でも、心に火が付いた今の俺は、絶対に木登りを成功させる自信で満ち溢れていたのだ。
「っ。っ。......あと、少し」
何度も足場を乗り換え、ついにもうすぐスタンプラリー用紙が手に届きそうな位置まで登り詰めた。
ごうごうといった風が吹き荒れ、何度もバランスを崩しそうになるも気合いで踏みとどまる。
ここで落ちるわけにはいかないのだ。
「――っ!」
そして俺は、ついに紙が手に届く位置まで登りきれた。
俺は精一杯雨に打たれる手を伸ばし、枝に引っ掛かるスタンプラリー用紙を掴もうと努力する。
何度も、何度も、手は空気を掴んだが――、
「取っ......たぞ!!!」
苦労の末、俺は見事巨大な木のてっぺんからスタンプラリー用紙を奪還することに成功した。
手には確かに、俺と山根が苦労して貯めたスタンプの押された用紙がある。
しかし、成功したことに安堵してしまった俺はバカだった。
「これで......無事にヒヤマ平原に......」
なんて先のことを考えてたときだ。
「っ!? あっ!!」
一瞬の木の緩みで、俺は掴んでいた木の枝から手を離してしまった。
急な浮遊感に襲われた俺。
支えのなくなった俺の体は、重力に逆らえずみるみると下に落ちていきはじめたのだ。
「うおあああああああああ!!」
「優斗くん!」
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!
内心で喉が割けんばかりの絶叫をして、咄嗟に手足をバタバタさせるも、どこかに引っ掛かる気配もなし。
このままじゃ、高さ20メートルの木のてっぺんからトマトを落としたみたいにぐちゃぐちゃに――、
「......っ。おふ」
と、思っていたのだが、予想していた衝撃は訪れずに急に柔らかな感触が落ちた俺を包み込んだのだ。
あれ、おかしいな。
俺とんでもないスピードで落ちたはずなのに......
そんなことを考えて、どうやら助かったらしい俺はおそるおそる目を開けた。
「――ん?」
目を開けたらあら不思議。
何故か俺と麗子が体を密着させて抱き合っていたのだ。
「無事でよかったよ......優斗くん......」
「あー......ありがとう。麗子」
どうやら麗子が俺を受け止めてくれたことによって、俺は助かったらしいな。
うん、柔らかかったなー。カッパ越しなのにすごいなー。
......て、そうじゃねーよ!!
「っ。マジでごめんなさい! 気抜きました! でもありがとう!」
俺はすぐさま麗子の体から離れて、早口に謝罪と感謝の言葉を述べた。
感謝の内容に下心はないぞ? うん。
そんな調子の俺に、麗子は優しく微笑みかけてくれる。
「あはは。まあこれくらいのことならお安い御用だよ」
「いやでも、女子をクッションにするとか......まあ、ともかく助かりました」
「うん」
後ろめたい気持ちはあるが、まあ助かったのだから御の字か。
俺は一度咳払いをしてから、手に掴みっぱなしのスタンプラリー用紙の安否を確認する。
......うん。目立った外傷はないな。
確認後、宮野さんが俺に近づいてきた。
「用紙とケガは大丈夫ですか?」
「ああ、うん。大丈夫。紙の方もちょっと湿ってるけど問題はないだろ」
「なら良かったです」
心配してくれる宮野さんの言葉に俺は力強く頷けた。
静かな人だけど、ちゃんと心配してくれているんだなと俺は宮野さんの存在を快く思う。
すると次に、遅れて山根がこちらに近づいてきた。
「――おい、地味男」
「ああ山根。スタンプラリー用紙なら無事だぞ。心配するな」
「......そうかよ」
俺は山根が聞いてくるだろう疑問を先に潰して、山根にスタンプラリー用紙を見せつける。
だけど山根はどこか不機嫌そうな顔をして、俺の顔を見ていた。
「なんだよ、山根」
そう問いかけると、山根は一つ大きな溜め息をついた。
そしてじろりと俺に視線を戻す。
「......悪かった。俺の不注意で用紙ぶっ飛ばされて」
「ああ、なんだそんなことか」
山根の言葉から出てきたのは意外にも謝罪の言葉。
バツの悪そうな顔をしているので、珍しく素直な山根に俺は苦笑いを浮かべながらこう答えた。
「気にすんなよ。だって俺たち、友達だろ?」
「......」
そう冗談めかして言うと、山根は嫌そうな表情を浮かべたが、何故か言い返してくることはなかった。
あれ、「何言ってんだゴミ。死ね」くらいは言われる覚悟してたんだけどな。
最後まで読んでくださった方々、ありがとうございます。
少しでも面白いと思ってくださったのなら本当に作ってよかったなと思えます。
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図々しい話ですがこれからもよろしくお願いします。




