◆第19話◆ 『果たされる約束』
――沙結理にチャットを何度も送るも、一向に既読表示は付かない。
道を外れた草むら、岩壁を越えた先の道、人目の少ない暗い路地。
俺は無我夢中でありとあらゆる場所を走り回った。
さっき見つけた髪の毛と血痕、もしかしたらどちらも沙結理とは無関係のものかもしれない。
だが俺の中の警鐘は永遠に鳴りやまない。
一度道に落ちてた石に躓き、派手に足を擦りむいてしまったが俺は足を止めない。
歯を食い縛り、すれ違うX高校の生徒に異様な目を向けられながら俺は走った。
こういうときに限って風向きは悪く、風に阻まれて全力を出すことができない。
昔から体を鍛えていて良かったと思う。
風は逆向きに襲ってくるものの、俺の歩幅とスピードは変わらない。
頭に冷静を促し、しらみつぶしに沙結理を探す。
仮に俺が大東だとして、誰かを拐うとしたらどこに連れ込む。
寮か? いやそれは目立ちすぎるか。
ならトイレか? いやそれもバレる場合のリスクが大きすぎる。
なら、ならどこだ。
走って、走って、走って、走った。
ありとあらゆる可能性の感じる場所を探し尽くし、不衛生な場所も、立ち入り禁止な場所も。
そしてようやく、努力は報われて――、
「――沙結理!」
まず俺の目に映った沙結理は、大東に馬乗りにされ涙を流していた。
***
「お前地味男じゃねーかよ。何盗み見してんだよ」
大東は俺の存在を確認すると、冷徹な視線を俺に送る。
しかし俺は大東の言葉なんて何一つ耳に入っていなかった。
「ッ! どけお前!」
「まっ!?」
俺は怒りに身を任して大東に直進し、思いきり顔面を蹴りあげた。
短い悲鳴と共に、大東は地面を転がる。
そして俺は沙結理に近づき、その状態を確認した。
「大丈夫か! 沙結理!」
「ちょっと......大丈夫じゃないかも」
沙結理の声はか細く、いつものような覇気は含まれていない。
今にも意識を失いそうな状態だ。
一体何をされていたのか。
髪は煤だらけになって、一部は血で赤く染まっている。
しかも沙結理の制服は半分ほどボタンが外されて、下着まで見えていた。
「......全部、大東がやったのか?」
「うん。私が黒羽くんの忠告を真面目に考えていなかったせいで、こんなことになってしまったわ。本当にごめん......なさい」
「沙結理が謝る必要なんてないだろ。悪いのは全部、大東だ」
俺は自分を責める沙結理を止め、力強く否定する。
なぜ沙結理はこんなにまでなって、自分を責めるのか。
何が、彼女をここまで追いつめたのか。
俺は怒りに拳を握りしめる。
でも俺はすぐに力を込めた拳から力を抜いた。
今は沙結理を安心させることが先決だ。
「あとは任せろ、沙結理。大東に思い知らせてやる」
俺は沙結理に微笑みかけた。
だが、沙結理の表情は芳しくない。
「ダメ、黒羽くん。アイツ、カッター持ってるから。それで黒羽くんまでケガしちゃったら......」
自分が一番辛いはずなのに、沙結理は俺の心配をしてくれる。
俺は沙結理はこんなに優しいんだな、と場違いな感想を抱いた。
確かにカッターは厄介だ。
だが、動けない女子を背中に、カッターごときで日和るわけにはいかない。
「任せろ。俺、けっこう喧嘩には自信があるんだ」
「でも......!」
「あと俺、前約束したろ。沙結理がもし襲われたら助けるって」
「――」
そう言うと、沙結理は「はっ」と息を飲む。
どうやら沙結理の方もこの約束を覚えていてくれたらしい。
「だからこの場は任せてくれ、沙結理」
精一杯の自信を込めて、俺は沙結理に言い聞かせた。
沙結理の綺麗な瞳が俺の顔を見る。
「黒羽、くん」
「――」
「助けて」
か細い声は、確かに俺の鼓膜を震わせた。
初めて向けられる沙結理からの期待の眼差しに、俺は微笑みながら――、
「ああ、任せろ」
力強く頷いた。
そして俺は後ろを振り返り、大東の様子を確認する。
大東は顔を抑えながら俺を睨んでいた。
「地味男......てめぇやってくれるな」
「それは俺のセリフだな。よくも沙結理を襲いやがって」
「本当にお前はキモいな。そんなにあの女のことが好きなのかよ。本当はお前もどうせ体目当てなんだろ」
ぷつんと、俺の何かが切れる。
「大東、ちょっと黙れよ。じゃないと手加減ができなくなる」
「は? 手加減? 何俺に腹パン1つ喰らっただけで泣きわめいてた野郎がほざいてんだ? 手加減されるのはお前の方だろうが」
「黙れっつってんだろ」
「なんで俺がお前の指示を聞かなきゃなんねーんだよ。痛い目みたくないならお前はさっさとこの場から失せろ。俺はあの女と遊びたいことがまだ山ほどあるんだよ」
そう言うと大東はカッターを取りだし、俺に見せつけてきた。
ジリリと刃の擦れる音がして、カッターの刃の光が暗がりに反射する。
だが俺は一切に大東に怯む姿勢を見せない。見せてはいけない。
「じゃあ俺がお前と遊んでやるよ、クソ野郎」
「あ? お前なんかが俺と遊べんのか? あ?」
俺は冷徹に言い返す。
「しばらくはまともに歩けなくなるのを覚悟するんだな」
「......上等だよ。地味男が」
そう、どこか冷めた声を大東は発する。
カッターの刃先が俺に向けられた。
どうやら本当にアレで俺を攻撃するつもりのようだ。
俺は大東に最後の確認を取る。
「大東、最後に1つ聞く。お前は沙結理を拐って泣かせてケガさせて......心が痛んだか?」
「心が痛む? はっ、あの女の苦しむ顔見てアドレナリンが最高に分泌されたぜ。マジざまあないなって感じだよ」
ああ、そうか。
どうやらこいつは本当に『クズ』のようだな。
「そうか。――死なないように歯を食いしばれよ」
俺は地面を蹴り、大東との距離を一気に詰めた。
武器持ちの相手に素手で突進など明らかな自殺行為だが、俺は先手必勝を狙う。
「バカがよっ! この地味男が!」
予想通り、大東は工夫なく真っ直ぐにカッターを突き刺そうとする。
俺は大東の攻撃を避けるため、軽く体を左に曲げ、突き出されたカッターを回避する。
そのまま動きを止める大東からカッターを奪い、強引に奪って投げ飛ばした。
大東は攻撃を外し、しかも武器を奪われたことに「なっ!?」と驚きの声を上げる。
「おらっ!」
俺はその隙を見逃すことなく回し蹴りをかまし、大東の下腹部に直撃させる。
「おぶっ」
大東は大きくバランスを崩し、後ろによろけるが俺は逃がさない。
俺はよろける大東の胸ぐらを掴み、顔面を全力で殴る。
大東の鼻血が宙に舞った。
「お前ッ! 地味男がッ!」
「ぐっ......」
追撃を加えてる最中、大東の叫びが響く。
瞬間、俺は腹に強い衝撃を受けた。
どうやら大東の膝蹴りが炸裂したらしい。
胃のなかの物が逆流しかけるが、ギリギリのところで踏みとどまる。
「痛ぇじゃねーかよ地味男のくせしてよお!」
大東が反撃を始め、何度も膝蹴りを俺に放つ。
俺は手でガードするも、大東の連続で繰り出す体力と馬鹿力に押されてバランスを崩してしまった。
俺がしまったと思った瞬間、大東の拳が俺の顔に直撃する。
「ッ! ......やるな、大東」
「黙れよ、次は殺す」
俺は弾んだ息を整え、視線を大東に戻す。
そして再び俺と大東は殴りあう。
もう大東の手から凶器は消えたので、恐れることなく拳を繰り出した。
「このッ! 地味男、がよッ! お前さえ、お前たちさえいなければッ!」
大東は俺と戦いながら、顔を歪め、言葉を発する。
俺は戦いに集中し、攻めと避けの行動を冷静に判断していた。
「お前たちのせいでッ! 俺は退学になったんだよッ!」
大東が叫ぶ。
俺はその言葉を聞いて、心の中で溜め息を溢した。
俺と沙結理のせいで大東が退学?
いいや、なわけない。
「退学になったのは、全部お前の自己責任だろ!」
「黙れよ地味男! こんな理不尽なこと、俺は絶対に認めねぇッ!!」
水滴が散る。
大東の目から溢れたものだろうか。
だが今の俺はそんなものを見せられても同情できない。
「理不尽だからって、他人を巻き込んでじゃねーよ! なんで沙結理がお前なんかのために苦しまなきゃなんねーんだよ!」
「うるせぇ! お前なんかに俺の気持ちが分かるわけねぇだろ! この絶望がよ!」
大東の感じる絶望?
ああ、そうだな。
お前の言う通り、俺はお前の言ってることが分からない。
だってこいつは救いようのないクズなのだから。
「何が絶望だよ、全部自業自得だろうが!」
「ッ! 舐めた口聞いてんじゃねぇ!」
若干だが大東の動きが鈍くなってきている。
おそらく体力の限界が近いのだろう。
俺の方はまだ余力はある。
「おらぁ!」
「ぐッ......」
再び俺の回し蹴りが大東に炸裂し、大東は重い一撃を喰らったはずだ。
大東は俺から距離を取り、息を整える。
だがそんな隙を俺は与えない。
「逃げんじゃねぇ!」
「ッ! 黙れ地味男!」
俺は地を蹴り、瞬時に大東との距離を詰めて拳を構える。
放った拳はガードされてしまうが、それでもなかなかの手応えを感じた。
大東は再び膝に手を当てて息を荒げる。
「はぁはぁ」
呼吸を整える大東。
俺はその様子を見て、大東の限界が近いことを悟る。
「なあ、大東」
さあ、最後にお前を苦しませて、犯した罪を少しでも償わせてやる。
「正直なことを言うと、別に俺はお前に殴られたことや、煽られたことにはもう怒っていない」
「あぁ?」
「だけどな、お前が女子に手を出したことはマジで許せないんだよ! 女に手を出すイカれ野郎なんか早く退学してしまえ! この人間の底辺のクズが!」
俺は精一杯の罵声を大東に浴びせた。
その暴言は大東の心をぐちゃぐちゃに乱し、正常な思考を不可能にする。
すると、狙い通り大東の堪忍袋の緒が切れた。
「あああああああああッ!」
大東の動きが単純になる。
泣き叫ぶ声が俺の鼓膜を震わせる。
まっすぐに、分かりやすく放たれた拳。
怒りに任せて放たれた拳は狙いもきちんと定まっていない。
俺はその拳を簡単な動きで避けた。
大東に大きな隙が生まれる。
俺は過去一の力を込めて、大東の頭部を殴り付けた。
「ぐあッ!」
さすがの大東も今の一撃は大きかったのだろう。
姿勢を崩し、地面に崩れ落ちる。
俺は悶える大東の目の前まで迫り、無理やり立ち上がらせた。
「この......地味男がッ! 死ねッ! 死ねよッ! 死ねよおおおおおッ!」
大東が醜くもがき、抵抗する。
俺は大東の首を掴み、強引に黙らせた。
「俺はお前に同情なんてしないし、したくもない。お前はここでおとなしく沙結理を傷つけた罰を受けて、さっさと退学しろ」
「う、あああああああッ!」
大東の最後の叫びが響く。
俺は拳に力を込め、最後の一撃を構える。
「俺の勝ちだ大東」
俺から放たれた最後の渾身の一撃は、一瞬で大東の意識を刈り取った。
どさりと気絶した大東は地面に横たわる。
短いようで長い戦いだった。
――ここに、俺と大東との戦いは決着した。




