◆第16話◆ 『胸騒ぎ』
――午後の授業のクラスの様子は、以前とは激変していた。
真面目に聞いているかはさておき、クラスメイト全員が自身の席に付き、勉強道具を机に置いている。
授業中に歩き回っていた前と比べれば、まさに圧倒的な変化だ。
久々の快適な授業に、微かな違和感と緊張を抱きながらも、俺は少し安堵していた。
これが、本来あるべきの授業環境だ。
ただ、この状況が一時的なものであってしまわないようあってほしい。
そのためには、少しずつクラスがこの環境に慣れることが必要だ。
「......アイツ、帰ったのか」
授業中、ふと大東の席に視線を向ける。
席には何もなく、机の中も空っぽだ。
まあ、明日には退学なのだから、確かに今日授業を受ける意味は薄いのか。
......今頃、大東は何をしているのだろう。
おとなしく寮で荷物をまとめて退学の準備を進めているのだろうか。
それとも、悔しさに泣きじゃくっているのだろうか。
大東の考えていそうなことは、一体なんだろう。
「――はい、それでは今日はここまでにしましょうか。では皆さん、さようなら」
考え事をしていたらいつの間にか授業が終わったようだ。
隣の席の沙結理が勉強道具を片付け、そそくさと帰る準備を始める。
「あ、沙結理」
「なに」
「......いや、なんでも」
とっさに名前を呼んでしまったが、歯切れの悪いことしか言えなかった。
沙結理は訝しむように俺を見るが、すぐに俺から視線を外す。
そしてそのまま、沙結理は教室から出ていってしまった。
「はぁ......別に大丈夫だとは思うけどな」
俺は一体何を悩んでいるのだろう。
勝手な妄想が俺の脳内でどんどん膨らんでいき、それが俺の胸を締め付ける。
大東が沙結理に対して見せた、あの殺意を含んだかのような眼差しが忘れられない。
あの眼差しは一体、何を考えてのものだったのか。
――なんでこんなに、胸騒ぎがするんだ。
***
今日、私――遠藤沙結理はいつもより早足で寮へと向かっていた。
その理由は、黒羽くんから聞かされた忠告に従って、彼――大東に絡まれないようにするためだ。
本当は大東よりも早く教室を出て、より安全に帰るつもりだったが、大東は午後の授業には参加をしていなくて、学校から姿を消していた。
帰り際、黒羽くんが私を心配するような目で見てきたが、おそらく大丈夫だと思う。
というかあの男子は私のことを心配しすぎだ。
「――」
テストでは全教科で私に勝ってくるし、本当にイライラする。
これじゃ自信満々にテスト勝負に挑んだ私がバカみたいじゃない。
しかも私のこと勝手に呼び捨てにしてきたし。
本当馴れ馴れしい。
「はぁ......」
でも、私に話しかけてくれて嬉しいって少しは思ってる。
認めたくはないけど、黒羽くんはこの学校では今のところ一番の話し相手だ。
私は人とのコミュニケーションが苦手だから、相手の方から話してもらえるのは助かる。
まあ、そんなこと彼に悟られたら嫌だから、そっけない反応するって心に決めているけど。
「絶対に、次は勝ってやるから」
私は今日の敗北を思いだし、誰にも聞こえないような声でそう決意する。
次は見返してやるんだから。
「.......ん」
急に私の持つカバンからジジジと何かが震える音が聞こえた。
なんだろうと思いカバンを開けば、音の正体はスマホだった。
私は機械音痴なので、この状態が一体何を示しているのか分からない。
とりあえずスマホを起動してみる。
「黒羽優......あ」
通知という欄に、見知った人の名前が表示されている。
私は黒羽くんの名前の部分をタップした。
すると画面が変わって、黒羽くんとのチャット画面が開かれる。
そこには『大丈夫か?』という、シンプルな文が私宛に送られていた。
「......どんだけ心配性なのよ」
初めて送られてきたメッセージに少し嬉しさを感じつつも、私は「はぁ」と溜め息をついた。
だってさっき彼とは別れたばかりなのに、もう連絡を送ってくるなんて。
私は呆れながらも黒羽くんに返信するため画面からキーボードを出した。
さすがの私も既読機能くらい知っているので、なるべく早く返信をする。
「......」
さて私、黒羽くんになんて返そうか。
ここは普通に『大丈夫』とだけ送ればいいのかしら。
いや、本当にそれでいいのか。
うーん、チャットでやり取りなんてしたことないからなぁ。
ま、『大丈夫』でいっか。
「大丈夫、と」
私はそう打って、黒羽くんに送信する。
すると私の送ったメッセージはすぐに既読の表示が付いた。
再び黒羽くんからメッセージが飛んでくる。
『そっか。ならよかった。また明日』
とのことなので、私も『また明日』と返しておく。
短いやり取りではあったが、初めて私はチャットでのやり取りということに喜びを感じていた。
なんか、JKって感じがして良い。
まあ初めてのチャット相手が異性ってのは少しアレかもしれないけど。
「――」
さて、そろそろ寮が見えてきた。
私の部屋番号は『539』。
部屋の中は必要最低限の物は揃っていたので、案外快適に過ごせている。
今のところ特に不自由はない。
ここら辺は、さすがX高校だなーって思う。
「......え」
あともう少しで寮、というところで私は何か違和感を感じた。
その違和感は、何かに監視されているような不気味な感覚。
唐突にその違和感は現れたのだ。
この違和感はなんなの。
私の勘違い? いや、でもいきなり感じたこと。
何が、違和感の正体なの。
「......早く帰らないと」
私は黒羽くんに言われた忠告を思いだし、今もなお感じる違和感を無視して帰路を小走りする。
大丈夫、だってもう寮は見えているし、すぐそこだ。
私は寮へと繋がる道の最後の角を曲がった。
「――やっほー、沙結理ちゃん」
「え」
角を曲がった瞬間だ。
聞き覚えのある声がして、見覚えのある顔が見えて。
ただそれが誰なのか、頭の処理が追いつくことはなかった。
「ちょっと、俺と一緒に遊びに行こうぜ」
「――うっ!?」
瞬間、男の手にあった、硬い棒のような物が私の頭に直撃した。
痛みを感じる暇なく、その衝撃は私の意識を刈り取ってしまう。
何も思考することができないまま意識が深いところに落ちようとして――、
「――地獄を見せてやるよ」
私の意識が飛ぶ直前、そんな声が聞こえた気がした。




