1日目
落ち葉を踏みながら道路を歩く。
朝だから、気温はかなり低い。
もう少しすれば、はく息も白くなるだろう。
周りには誰もおらず、世界に自分一人になったかのように静かだ。
通い慣れた通学路はいつも通りの様子をしている。
「ん……?」
視線を感じて立ち止まって振り返る。
しかし、後ろにいるのは電柱に止まったカラスだけで、こちらを見ている人はいなかった。
最近こんなことがよくある。
なんだか自意識過剰な気がして、誰も見てないと分かっているが恥ずかしくなる。
これ以上深くは考えないようにして、大人しく歩き出した。
学校までのショートカットのため、公園の中を通ることにした。
公園の中にはチラホラと、犬の散歩やウォーキングをしている人がいた。
石造の道をすれ違う人達に会釈をしながら通る。
公園の真ん中には、大きな丸い噴水がある。
そこにはいつも、朝にしてはそれなりの人数がいて、皆ベンチや噴水の縁に腰掛けて休憩していた。
代わり映えしないし、見飽きた光景ではあるけれど、あまりにいつも通りの様子に俺は勝手に安心感を覚えていた。
公園を抜けて、住宅街を進むと高校についた。
校門を通って朝練中の陸上部が走っているグラウンドを横目に見ながら校舎に入る。
校舎の中は、階段、廊下共に非常に静かで落ち着く。
この分なら教室にも誰もいないだろうし、かなり早く来てしまったから自習でもしようかと思って自分の教室の扉を開けると……
「おはよう星埜!今日も静かで良い朝だな!」
静かで良い朝をぶち壊す大声が俺の耳を貫いた。
スポーツ刈りでガタイが良く、挨拶をおおきなこえですれば良いと思っている小学一年生から時のとまった男子生徒、誠に遺憾ながら俺の中学時代からの友人である"桑島幹彦"だ。
「ああ、おはよう。お前さえいなけりゃ良い朝だな」
皮肉を言いながらわざわざ扉の前で仁王立ちしていやがった桑島を押しのけて教室に入る。
「おや?朝から機嫌が悪いな。俺に教室到着一等賞を取られたことに腹を立てているのか?」
「そんなもんを取ろうと思ったことなんて一度もない」
入ってからは初めて気がついたが、教室にはもう一人生徒がいた。
教室後方廊下側の席に座る女子生徒。
薄紫の髪に整った顔立ち。
桑島の大声を気にすることなく読書をしている。
……うちのクラスにあんな奴いたか?
「ああ、そうか。一等賞は俺ではなく仮上だったな。星埜は三等だ。ギリギリメダルがもらえるな」
「だから、順位なんてどうだっていいって」
戯言を適当に流しつつ、もう一度女子……"カリウエ"を見る。
やはり記憶にない。
かなりの美人だし、一度見たら忘れないと思うが……
朝だから頭が働いていないのかもしれない。
とりあえず自分の席に向かうことにした。
「そもそもお前、なんでこんな時間に学校にいるんだよ。朝練は月水金だろ」
椅子に座りながら桑島に向かって疑問を口にした。
桑島は剣道部に所属している。
俺のような進んで運動をしない人間からするとアホかってくらいにやりこんでいて、今は二段だったはずだ。
余談ではあるが、桑島が声が大きいのはもちろんのこと、こいつの兄貴も剣道をやっていたのだが、やはり声がでかい。
桑島家が声のでかい遺伝子を持っているのか、剣道をすると声がデカくなるのか。
後者であった場合は駅前で募金活動をしている奴は全員剣道部に入ったほうがいい。
きっと地の果てまで募金のお願いが届くことだろう。届くだけだが。
「朝練がなくとも俺は毎朝四時に起きて素振りをしている。だか今日学校に来たのは星埜に話があるからだ」
「話?」
前半に衝撃的なことをサラッと言いながら桑島は俺の隣の空いている席に座った。
何やら神妙な面持ちである。
「北高原の方で、通り魔が殺人事件を起こしているのは知っているよな?」
「ニュースのやつか」
北高原とはこの高校がある住宅街の南高原とは川を挟んで向かい側にある、高層ビルや商業施設が建ち並んだ地区だ。
その北高原では一ヶ月ほど前から通り魔による殺人事件が三件も起こっている。
三件とも深夜に犯行が行われ、朝方になって遺体が通行人に発見されるという内容をテレビや新聞でやっていた。
うまく痕跡を消しているのか未だに逮捕に至っていない。
マスコミが通り魔へつけたキャッチコピーは"悪魔"だったか。
あまりに俗物的すぎて見た時は笑ってしまった。
「それがどうした?」
「いや、お前には充分注意しろと言いたくてな。星埜家の人間は有名人だ。通り魔が狙わないとも限らん」
こいつはバカかお人好しか。
確かに星埜家は代々続く名家であり、現当主で俺の父親"星埜業季"は複数の会社を経営する有名人だ。
そんな父親の元に生まれたわけだから、俺もそれなりには世間様に知られているだろう。
だがそんなものを"悪魔"が気にするとは思えない。
実際被害者に共通点はないと聞くし、心配するだけ無駄だ。
「はっ、そんなこと心配せんでもいい。通り魔ってのは夜に出るんだろう?なら大丈夫だ。何せうちには古の家庭内ルール、門限があるんだからな」
少々皮肉っぽくなってしまったが、それは勘弁してほしい。
何せ門限があるだけならまだしも、設定された時間は十七時、帰ることにかかる時間を考えれば学校が終わってすぐに帰路につかねばならない。
俺は高校二年生、人生で最も夕方が楽しい時期だ。
にもかかわらず俺はその時間、家に帰って自習をしているのである。
まあ、おかげさまで身の安全は保証されてるわけだが。
「念には念をだ。妹さんにも伝えておいてくれ」
「妹ならもっと大丈夫だ。俺の百倍はしっかりしてる」
どれくらいしっかりしているかと言うと、齢十六の身でありながら父親の仕事を半分ほど受け持っているくらいだ。
俺のようなボンクラとは格が違う。
門限等のルールにも文句一つ言わずに従っているから、"悪魔"さんに目をつけられる心配もないだろう。
襲われても返り討ちにしそうだし。
「そうか、まあ星埜がそう言うなら大丈夫か。……それと、これは言おうか悩んだんだが……」
「なんだ、まだあるのか?」
「……兄が言っていたんだ、その……遺体の状況について」
こいつの兄貴は警視庁の刑事だ。
今まさに通り魔事件を追っている最中だろう。
桑島はあたりを見回し、仮上がいつのまにかどこかに行っていて教室内に俺たちしかいないことを確認したら、話を続けた。
「まだ警察は公表していないから、ニュースではぼかされた内容になっているが、実は……被害者たち全員……何かに食われたようになっていたんだ」
「……は?」
食われたようになっていたって、何が?
まさか、人間が!?
「いや、何かにってまさか、通り魔が食ったってことか!?」
「違う、違う、そうじゃない。そういうカニバリズムの話ではなくて、何か……猛獣に食われたようになっていたそうだ」
猛獣?
ライオンや虎といった動物のことだろうか。
それならば事件はすぐに解決しそうなものだが。
「動物園から逃げ出したのが人を襲ってるとか?」
「それならばすぐに見つかるだろうさ。現場にはほとんど痕跡が残っていないそうでな、現状一番有力な仮説は、山から熊が降りてきた、というものらしいぞ」
「なんじゃそりゃ、あのコンクリで溢れ返る街に熊?」
俺でも可能性が薄いとわかる仮説だ。
つまりそんなものが一番有力になるくらい、捜査は難航している模様だ。
「そういえば、直近で起きた事件の被害者には刺し傷もあったとか言っていたな。ああ、あとこの話はくれぐれも内密に頼むぞ。兄に殺されたくないからな」
「わかってるよ」
話が済むと、教室に少しづつ人が入ってき始めた。
もうすぐ朝礼の時間だ。
「ではな、星埜」
「あいよ」
適当に挨拶をして桑島は自分の席に向かった。
程なくして朝礼が始まる。
教師が言うには、通り魔事件の影響でしばらくは部活動を中止にすることが決まったらしい。
帰宅部の俺には関係のないことだ。
いつもと変わらない窓からの景色を見る。
数羽のカラスがこちらを向いている。
頭の中で不穏な言葉が渦巻く。
正体不明の通り魔
食われたような痕
……"悪魔"
振り払うように頭を動かす。
大丈夫、俺には関係のないことだ。
思考を切り替えて前を向き、今日一日の授業に集中することにした。
下足箱から外靴を出して上履きと履き替える。
いくつかのグループになって談笑しながら帰路に着く生徒達。
俺はそれに続いて学校を出た。
太陽が出ている時間はすっかり短くなり、陽は西に傾いている。
部活動がなくなったせいで人が多く、しばらくはうるさかったが、帰り道が違うからしばらくすると静かになった。
公園を抜けて山道に入る。
星埜家へ行くためだけの道だ。
三十分ほど歩くと家の門に着く。
ここからまた少し歩かねばならないが、今までの山道に比べたら楽だ。
門を開ける前に振り返る。
山の上まで来たから、街を一望できた。
夕日で真っ赤に染まった街。
手前に広がる住宅街と、奥にあるビル群。
今夜は"悪魔"が出るだろうか?
もうすぐ、太陽が沈む。
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静寂と闇に包まれた木々の中に建つ屋敷。
その一室の窓がカーテンで塞がれる。
それを観察していたものがいる。
木の上に留まった二羽の烏だ。
そのうち一羽が飛び立った。
一直線に
脇目も振らず
翼を動かし、風に乗り
ある場所を目指す。
大きな川を越えて、少しすると街の中央付近にあるビルの屋上に留まった。
正確には屋上ではなく、屋上の縁に立つ少女の肩へ。
黒いコート、黒い靴、黒い手袋に黒い帽子。
夜闇に紛れてしまいそうなほどの黒。
服装とは対照的な白い肌。
セミロングの金髪に碧眼。
美しい顔立ちに加えて、ビルの屋上に立っているということからあまりに異質な存在感を放つ。
肩に留まった烏は十数秒の後に再び飛び立った。
風が少女の髪とコートの端をはためかせ、烏の黒い羽を舞い上げる。
足元には小さめの持ち運びラジオが置かれていて、そのラジオが電波を受信、安物特有の質が悪いスピーカーから音を吐き出した。
『……続けてニュースをお伝えします。高原市、北高原地区で起きている通り魔による殺人事件ですが、未だ犯人逮捕には至っておらず、そのため夜に出歩く際には十分な注意をするよう……』
雑音まみれの音を聞き流しながら少女は青い瞳で街を見下ろした。
灯りの多い場所ではなく路地裏等の暗い場所に目をこらす。
そうして何かを見つけたのか、目を細め、少女はその場を動くべく、さらにビルの端へと進んだ。
『……市民や新聞、ワイドショーではこの通り魔のことを"悪魔"と呼んでおり……』
「……"悪魔"か」
立っている場所は地上から二百メートルはあるだろう。
見える全てが離れて、遠い。
「なかなか的確じゃない」
呟いて、少女は空中に身を投げた。
なんの躊躇いもなく、ベッドに倒れ込むくらいの気軽さで。
そのまま浮いてしまいそうだった体は、重力に捕まり墜落を始める。
少女の顔には、恐怖も安堵もなかった。
黒が闇に吸い込まれていく。
今夜この街で何が起こるかは、少女にしかわからない。
読んで頂き誠にありがとうございます。
まだ続く予定ですので、機会があればまた読んでいただけると嬉しいです。
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