閑話・アレクセイという愚かな男
端的にいえば、アレクセイは全てを失っていた。
クトレットラ領主『鶺鴒の巫女』サイ・クトレットラ冤罪の事件の責任を取り聖騎士団長の身分を追われてしまったアレクセイは謹慎期間を終え、聖女護衛長の役目を与えられていた。
聖女護衛長。名前ばかりは大層なものだが、実質的に聖女のお目付け役だ。
聖女リリーは彼女のために新設された聖廟に籠もり、そこで自堕落な生活を送っていた。
今日もベッドで半裸の彼女は、どこから招き寄せたのかわからない少年聖職者をあられもない惨状にして、アレクセイにぽいと投げ渡すように差し出してきた。
「飽きちゃった。他の子に変えて」
「……リリー。いい加減にしてくれ。お前がこうして攫ってくる少年たちは皆貴族の子弟。君の淫蕩がどれほど重大なことなのか分かってくれ」
「なによ。あたしで知ったくせに、お説教?」
リリーはピンクブロンドの髪だけをまとったしどけない姿で、アレクセイにぺたぺたと裸足で近づき、そして体を絡ませてくる。
赤い瞳と笑顔を見ていると、ダメだと分かっていても彼女に骨抜きにされてしまう。
振りほどくこともできない。
アレクセイはただ彼女の言いなりになって、呆然と座り込む少年聖職者に服を着せて外に追い出した。
外はまだ太陽も高く昇り、秋風がアレクセイの金髪を揺らす。
逃げるように聖廟を後にする少年の姿が見えなくなるまで見送ってから、アレクセイはため息を吐いた。
――聖女リリーが人心を操り、人の理性を崩壊させることはすでに一部の有力者の知るところとなっている。
しかし彼女を誰も止められない。彼女は国家の威信を賭けて召喚した伝説の聖女だからだ。
彼女を批判することはすなわち王家、議会、司法、教会全てに対する批判となる。
ただでさえ南方国との紛争の長期化で民衆の政治不信が増しているこの時期に、召喚した伝説の聖女が淫奔で考えなしの悪女だとバレてしまえば、中央国自体が崩壊しかねない。
アレクセイは知らなかったが、古来より土地が痩せ貧しい国だといわれてきた東方国は製薬業によって外貨に富み、魔力に依存しない農地改革で国力を増しているという。
西方国は同盟国だが、中央国よりずっと気候が安定した農業国である西方国が反旗を翻せば、中央国はただではすまないだろう。
そして南方国。少数部族が点在する未開の土地だとばかり思われてきた場所だが、近年「南方国王」を名乗る男が樹立し、一定のまとまりを見せている。戦争は長期化する一方だ。
リリーは魔法国家である中央国の威信をかけて召喚した伝説の聖女。
彼女の甚大な魔力を持ってすれば、解決する問題も多い。
けれど彼女は魔力を扱う術を学ぶことをせず、ただ眼差しで人を惑わして破滅させ続ける。
彼女の能力に、最初は誰も気づかなかったが、宮廷で数ヶ月も破滅していく人間が後をたたなければ流石に気づく。
アレクセイも騎士団内外、家族から詰問された。
婚約者サイ・クトレットラに辛く当たり、彼女を冤罪に陥れたのはリリーのせいではないか、と。
――しかし。
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「アレクセイおかえりなさい」
聖廟という名の牢獄に軟禁された彼女は、しどけない姿のままアレクセイを見て微笑む。
胸が苦しくなり、アレクセイは彼女に向かって駆け出す。
寝台に飛び込むように押し倒し、彼女の胸に顔を埋める。
「ふふ、どーしたの、アレクセイ」
この思いが魔力に惑わされているものならば、どれだけよかったか。
胸の柔らかさも、肌の甘さも、ピンクブロンドの髪もか弱い指先も。
「……愛してる、リリー」
「愛してるなんて、言っちゃっていいのかしら」
家もプライドも人生も全て捨てたアレクセイの恋心を、リリーはけらけらと笑って、抱きしめて有耶無耶にした。
何百回も、何千回も繰り返した告白も抱擁も、リリーの本心には、届かない。