79.遠い血
「鶺鴒の巫女さま、あの遠き故郷の景色がせめて夢枕で見られますよう……」
「鶺鴒の巫女さま、どうか足の痛みが和らぎますよう……」
「鶺鴒の巫女さま、――」
「――」
彼女たちは膝を折り手を合わせ、私に熱心に祈りを捧げ、私に生活の苦しみを告解する。
この島での生活の苦しみそのものの話、年老いてだんだん体が苦しくなってきた話。
私は何もできない。大変申し訳ない気持ちになりながら、彼女たちの祈りを聞いていた。
――鶺鴒の巫女として、島民たちを『魔力』で癒やす事は禁じられている。
理由としては、私が信仰対象になりすぎるのもよくないのも理由の一つだが――なにより、彼らの打ち込まれた『魔力の楔』に悪い影響を与える恐れがあるからだった。
私ができることは、ひとりひとりの手を取って祝福をすることだけだ。
「ああ、鶺鴒の巫女様……」
長年の苦労でしわしわになった手を取り、私は額を押し付けて祈る。
私に信仰対象としての力はないけれど、彼女たちにどうかせめて、少しでも安らかな日常があらんことを。
一人ひとりの手を取りながら、ふと私は気づいた。
(……まって。魔力を使わないことではお手伝いできるのでは……?)
彼女たちの祈りが一段落ついたところで、私は話を切り出した。
「あの、皆さん。決まりで全てのお願いを叶えることは禁じられているのですが……私が魔力を使わずにできることでしたら、少しでもなにかお力になりたいと思います」
「魔力を使わずにできること、ですか……?」
「はい」
ぽかんとする彼女たちに、私は頷く。
「私ができることと言っても、雑用と簡単な施術くらいのものですが、それで少しでも楽になっていただけましたら。侍女としてご奉仕したこともあるので、少しは家事もお役立ちできると思います」
私は立ち上がり、巫女装束の袖を襷かけする。
そして宴で盛り上がる緋暉様に、私は声をかけた。
「緋暉様、これくらいはお手伝いしてもよろしいですよね?」
酒を壺ごと傾けながら、彼は苦笑いして私を見た。
「ここにいても斎ちゃんは絡み酒につきあう羽目にしかならねえからな。そっちのほうが俺も助かるわ」
「ありがとうございます」
私は女性陣を振り返る。彼女たちは膝を折ったまま目を丸くして固まったままだ。
「まずは火がつきにくくなった共同台所の竈の調整をいたしましょうか。案内していただけますか」
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巫女装束が袴でよかったと本当に思う。
動きやすいし、裾も踝までなので走ることだってできる。
「次はどこが気になりますか? ……ああ、そうだ。棚の上の掃除をいたしますね」
私は村中のあちこちのちょっとした雑用を片付けていった。
若者がいない村では何かと手が行き届かないところがどうしてもある。台所の調整や、高いところの棚の修繕などから、実際に暮らしている人では気づきにくい、ちょっとした導線の修正や、家具の高さの調整。
それだけで腰痛が楽になったり、仕事の手間が減ったりするものだ。
私が働いていると、護衛の武官らが私に話しかけてきた。
「鶺鴒の巫女様。もし力仕事が必要なら、俺らも手伝いますが」
「よろしいですか? ありがとうございます! そしたら、この寝台をずらしてもらえませんか? カビのお掃除をしたいので……」
飲み会に飽きてきた人々が、ちらほらと私の作業を手伝ってくれる。
もちろん、彼らが飲み会に参加するのも役目の一つなのでそちらを優先してもらうようにはしたけれど。
私達が雑務をしている間に、飲み会で泥酔した人々が、どんどん茣蓙に転がって眠り始めた。
目がさめている酔っぱらいは笑いながら相撲のような取っ組み合いをして遊んでいる。
私は空いた酒器や食器を片付け、寝転がった人々に布を掛けて回る。
「今日は助かりましたよ。片付けも早く終わりますし」
洗い場で食器を洗っていると、一緒に片付けをする島民の女性が私に笑いかけてきた。
「わかります。こういう宴の後に疲れるのって、なんだかんだ女性なんですよね……」
食器を片付け、次に使わない茣蓙をまとめていると、緋暉様がふらりと私のところにやってきた。
「随分働いてんじゃねえか、斎ちゃん」
「はい。故郷――クトレットラ領に住んでいた頃をちょっと思い出しちゃって」
私の言葉に緋暉様は目を瞬かせる。
「え? 領主のお嬢様だったころも、雑用ばっかりやってたの?」
「貧しい領地でしたので、特別扱いなんてないんです。だから若い人の手が足りない村の苦労って、どうしても知っているので……つい手を貸してしまいたくなって。余計なことをしてしまったのなら申し訳ありません」
「いいんじゃない? この島での君の信仰がますます強くなりそうだけど」
彼は手に持った酒壺の最後の一滴を飲み干し、そして唇をぺろりと舐める。随分と呑んでいる割に、顔色一つ変わらない。
「お強いんですね」
「郷の男は大抵みんな強いぜ? だから南方国なんかに駆り出されちまって、まいったぜ。あっちは酒がないとまず話についてもらえないからな……」
「そういえば……東方国の方って、もしかしてあまりお酒が強くないんですか?」
何度か宴の席を見たことがあるが、中央国の宴と比較して全体的にあまり酒が進まない印象だった。中央国は水質の良い井戸が少ないので、貴族も水代わりに麦酒を呑む習慣があるが、こちらの人は酒よりも茶が好きな印象だ。
「気づいた? そうなんだよな。うちの国は相当下戸だらけだぜ。酒好きなやつはいるけどな、量は呑めない」
「そうなんですね……」
「うちの連中が呑めるのは鶺鴒の巫女の血のお陰、なんて言ってるけど、斎ちゃんのご両親はどうだったんだ?」
「父は下戸でしたね……。祖母は魔力を使う時にお酒を口にすることもあったので、強かった気がします。母は、どうだったかしら」
――その時。
「ああ! 斎様! こちらにいらっしゃいましたか!」
どたどたと大きな足音を立て、酔っ払いの男性陣が私を見て駆け出してきた。
近づいてくるだけで酒の匂いがすごい。真っ赤な顔をして、私に突進してくる。
「斎様! どうかもうしばらく我が島にとどまってください!」
「我らが島の現状を、どうか貴女に進言したく!」
「斎様!」
「斎様!」
「うっわ、面倒くさいのが来たな」
言いながら、緋暉様が私を背にかばう。
「悪ぃな。鶺鴒の巫女はこれからちょっと俺の話に付き合ってもらう。また今度にしてくれ」
緋暉様は私の肩に腕を回し、強引に集落から林の方へ連れて行く。
「え、あっ……!」
「ほらほら、茣蓙とか置いて行こうぜ」
落ち葉を踏みしめすたすたと歩く彼の足取りは明らかに酔っていない。
しばらく歩いたところで道は途切れ、森を見下ろす崖にたどり着く。
遠い海風が、森を伝ってふわりと上に吹き上げてくる。前髪が浮くほどの風だ。
肩から腕を離した緋暉様に、私は頭を下げた。
「ありがとうございます。私を助けてくれるためですよね」
「そりゃあ、斎ちゃんは俺の将来の嫁だからね。絡まれてるのは見てられねえさ」
当然のことのように言われる。私は困惑した。
「…………あの……本気で、私を妻に迎えたいと思ってらっしゃるのですか?」
「勿論」
緋暉様は堂々とした佇まいで、私の問いかけに強く頷いた。酔った勢いには見えない、真っ直ぐな赤い眼差しが私をとらえている。
風がなびいて、彼の赤い衣が美しくたなびいた。
とても壮健で、頼もしく綺麗な男性だと思う。血筋も東方国指折りの名家だろう。
――だからこそどうして、私なんかを妻に迎えたいと言うのかわからない。
立ちすくんだ私に彼は言葉を続けた。
「陛下にも伝えた。俺は、斎ちゃんを郷家の妻にしたいって」
「どうして、私なんかを」
「言ってなかったっけ? 俺の実家、鶺鴒の巫女の末裔なんだよ。陛下から聞いていなかった?」
「え、」
私は固まる。
彼は目を細めて、その表情で彼の言葉が真実だと示していた。
「『鶺鴒の巫女の血を継ぐ男子、郷に入りて天鷲の一翼として政を佑く。一族は郷家と名乗り、その血を諸侯として遺す』……まあ、中央国育ちの斎ちゃんは知らなくて当然か」