78.罪人の島に、巫女が向かう意味
翌日。私と緋暉様は護衛と共に、島民の祭へと参加した。
日が昇る前に聖域の滝にて禊を済ませ、正式装の鶺鴒の巫女装束に着替える。
まだ空には星が瞬く早朝の暗がり、集落の家の軒先で祈りの灯籠が赤く輝く。島中から集まった白装束に身を包んだ島民達が無言で列を為す。頭を下げて粛々と歩く彼らの姿は、まるでアリの行列のようだと思う。
暗がりに浮かぶような白装束の彼らの先頭に立ち、私は『祈花』を撒く。
今回は生花ではなく、島で用意された花びら型に切られた紙だ。
花を撒く私に導かれるように、無言の列は集落の北に広がる林の奥――島で最も小高い丘の上へと向かう。そこに、彼らの祖先を祀る霊廟があるらしい。
私は土地勘のない山道を、暗がりで歩くのに精一杯だった。
すぐ後ろを歩いていた緋暉様が、そっと近づいて小声で囁く。
「斎ちゃん。俺が抱きかかえてやろうか?」
「有難うございます。しかし、私の務めなので……できる限りは頑張ります」
「そ。後がつっかえないように頑張るんだな」
よたよたと歩く私に緋暉様は苦笑を向けて先をゆく。
どうやら、先に進んで私が歩きやすい道を示してくれているらしい。
「ありがとうございます」
小声でお礼を言うと、彼は白い歯を見せて笑い、手を貸してくれる。
武官らしい厚みのある大きな手だ。ぎゅっと握られると、弾力があって温かい。
軽々と引っ張りあげられると頼もしく感じた。確かにこれなら抱え上げられたほうが彼にとっても楽かもしれない。
しかし祈りの儀式なので、歩けるのなら自分で歩かなければ。
緋暉様の手に捕まりながら、私が思い出すのはなぜか陛下の顔だった。
(私は、そういえば……陛下の手に触れたことがない。家を焼かれた時に助けてもらったことも、馬車でよろけたときに支えてもらったこともある。……けれど、陛下は決して、すすんで私に触れようとはしない)
雪鳴様はあくまで巫女として丁重に扱ってくださる。
来夜様に頭を撫でられたり、肩を叩かれたりしたことはあるけれど、彼はどこかお父さんのような目線で私に接してくれている気がする。
春果様は、私と二人きりになることも多い。夜伽として呼ばれるたび、私は陛下の肌に触れる。
けれど陛下は、決して私に触れようとはしない――指先一つさえ、必要以上は。
「斎ちゃん、斎ちゃん」
小声で呼ばれて我にかえる。岩場に足をかけて緋暉様が私に手を差し伸べていた。
「後少しだから、頑張って」
「はい」
私はぎゅっと手を掴み、支えられながら岩場を登る。
顔を上げた瞬間、ぱっと景色が広がる。
森が開けて、青く明るくなってきた朝の空、開けた広場、そしてぽつんと建つ霊廟。
無事に、日が昇る前に霊廟へとたどり着いたようだ。
「ありがとうございます」
引っ張り上げてくれる緋暉様に改めてお礼を言う。
私に続いて岩場を次々と島民達が登ってきて、無言で法要の準備が始まった。
霊廟は小高い丘の上にあり、眼下には島の原生林と断崖絶壁、そして360度広がる海が広がっていた。東の空の端がすでに明るい。日の出までもうすぐだ。
ここからの主役は島民たちだ。
島長と島長夫人、そして代表者数名が霊廟の前に立ち、涼しい海風に吹かれながら誦経をする。
もちろん前世のお経とは違う、祖先の魂を慰める言葉が連なった独自のお経だ。
私も彼らと一緒に、昨晩教えてもらった経の内容を唱えた。隣で緋暉様が私を見つめている。
なにか間違っているのだろうかと考えたが、やはり昨日教えてもらったものと一言一句間違えていない。
後でその顔の理由を教えてもらおう。
思いながら、私は『祈花』を散らして――彼らの密やかな供養を禊祓した。
花びらの形をした白紙が海風に舞う。
太陽が登る。
――終わりに。
霊廟に供えられた紙袋を皆で分け合い、儀式はあっという間に終了した。
---
静かな供養の次はにぎやかな宴だ。
私達が行きとは別の緩やかな山道を下って集落まで戻ると、集落では祭の支度が整えられていた。
広場に茣蓙を広く敷き、座卓に様々なごちそうが並べられ、酒がたっぷりと用意されていた。
宴が始まると、先程までは大人しかった島民たちが、顔を真赤にして歌い踊り騒ぎ始めた。
先帝時代に島流しにあった人々なので、全体的に高齢化が進んでいる。にもかかわらず凄い勢いだ。
「一年に一度の無礼講なんだってさ」
緋暉様が、私の隣であぐらを描いて杯を傾けながら説明してくれる。
「『天鷲』に逆らった一族の生き残りに許されるハレの日は今日だけだ」
「そうなんですね……」
「斎ちゃんはお酒、呑まないの?」
「お神酒としても呑んだことはないです。中央国では18歳まで飲酒禁止なので……」
「へえ? じゃあ俺が試させてやろうか」
盃を向けられ、私は手のひらで軽く遠慮する。
「今日は結構です。……その、どうなるかわかりませんし」
「酔った勢いで口説かれるとでも思った?」
「そ、そういうのではなく」
「あっはっは。可愛いね。おもしろいわ」
慌てて遠慮する私に、緋暉様はけらけらと笑う。
私がお茶を口にしていると、ぞろぞろと島民の男性陣が私のところに集まってきた。
私達の前に膝を付き、深々と頭を下げる。
「鶺鴒の巫女様、ありがとうございます。お陰様で祖霊も喜んでいることでしょう」
「今後とも何卒我々をよろしくお願いいたします」
「ありがとうございます、でも頭を上げてください。そんな大したことはしておりませんので……」
「いやいやいや! 鶺鴒の巫女様が! ここにいらしてくださることが! どれだけ大きな事か!」
「酒だ! 巫女様にとっておきの酒を振る舞うぞ!」
明らかに酔っ払いだ。
顔を赤くした男性がぞろぞろと集まり、私に盃をもたせようとする。
「あの、私、お酒呑めないのですが……」
「舐めるだけでよろしいので!ええ」
「えっと……」
私は焦った。祝杯を断って気を悪くされ、面倒なことにはなりたくない。
魔力保持者は基本的に飲酒に慎重だ。うっかり魔力を発動してしまえば、魔力がない人間よりも取り返しがつかない事をやりかねないからだ。
私は両親そして祖母にきつく言われていた――鶺鴒の巫女の能力は強大。『言葉』で人を操る。だからこそ、酒は決して呑むな。呑むとすれば婚儀の誓いの盃だけにしろ、と。
「あ、あの……」
「さあさあ! 我々の奉納ということで! 是非!」
島に入った時はあれだけ穏やかだった人々が、箍が外れてとんでもない勢いだ。
「ははは、斎ちゃん大人気だな!」
私が困っていると、隣から緋暉様が大声で笑う。
後ろから肩に腕を回され、私に差し出されていた盃を奪う。
そしてぐいっと飲み干した。
「お前らも巫女サマに酒、無理強いしてんじゃねえよ。美味い酒なら俺がもらうからさ」
緋暉様の言葉に、彼らの勢いが止まる。
さすが右翼官の迫力だった。
「せっかくの酒なら呑めるやつが楽しんだほうがいいだろ? この甘いやつもっとくれよ」
「は、はい! 今すぐ!」
緋暉様が私を見て片目を閉じる。
ぽんぽん、と頭をなでて、そのまま肩が開放された。
(助かった……)
私が息をついたところで、また、島民達が私のところに遠慮がちにやってきた。
女性陣だ。酔っぱらいではなさそうなので、安心する。
「あの、鶺鴒の巫女様。……もしよければ、巫女様に祈願してもよろしいでしょうか?」





