76.陛下と緋暉
右翼官・郷緋暉は謁見にて、南方国にまつわる軍事的報告と情勢調査報告を済ませた。
その後、陛下は謁見の間から人払いをする。
同席していた要職たちはそれぞれ退出し、広間には玉座の皇帝陛下と緋暉のみとなる。
「鶺鴒宮に行ったそうだな」
「は。南方国帰りにて子細手続きを知らぬまま立ち入ってしまい、陳謝致します」
陛下の言葉に頭を下げながら、緋暉は首に刻まれた楔を撫でる。
あの時のかすり傷は治癒せず、上から魔力による楔模様が刻まれていた。
鶺鴒宮で狼藉を働けば魔力による呪詛が発動する。
それは防犯魔法を構築した陛下自身によって解呪されない限り消えないようだ。
「汝の不法侵入の件について、左翼官と予以外にはまだ口外しておらぬ。正式な処断に先んじて汝に問う。入宮許可申請も行わず鶺鴒宮に入り狼藉を働いたのは、何か考えあっての事だろう。話せ」
人払いした上で申し開きさせ、その内容に応じて処罰を定める。
通常なら即日処断されるのが当然だが、郷家嫡男を陛下は安易には断罪しない――郷家は鶺鴒宮開設に大きく貢献した一族だ。
「鶺鴒の巫女を我が郷家の妻に迎えたく存じ、挨拶に訪れました。しかしながら知らぬとはいえ陛下直属の『鶺鴒宮』への不当な侵入を侵してしまったことには違いありません」
「……そうか」
陛下は足を組み直す。
「『鶺鴒の巫女』の相手はまだ決定してはおらぬことは、汝も知っておるだろう。彼女の能力把握を入念に済ませた上、立場が定まった後に勅命を下す手筈となっている。……それでは、納得できぬと申すか」
「……」
「右翼官たるお前が浅慮で行動するとは思えない。何か考えがあってだろう」
陛下の声音が柔らかさを帯びる。
「楽にして、素直に話してほしい」
促されるまま、緋暉は言葉を発した。
「陛下。誠に畏れながら、私は尚早に相手を決定するべきかと存じ上げます」
「……ほう」
「鶺鴒の巫女は今年十六歳と伺っております。母体の体力と安全を考慮し、三十歳までに子を五人産ませるとして――初産が十八、それから一年おきに二十、二十二、二十五、二十七。死産の恐れも踏まえると血を保つためにはこれだけの出産は必要かと存じます。男子と違い、女子は肚で子を為す。子を為した後でも彼女の魔力も立場も変わらず有用であるならば、婚儀と出産は早めにとりかかったほうがよろしいかと」
「すでにその懸念については考えておるよ、右翼官」
ため息と共に陛下の声が、玉座から降りてくる。
「まだ『鶺鴒の巫女』は中央国から来東したばかりで立場が不安定だ。新設した鶺鴒宮にも課題は残っている。彼女の持つ『鶺鴒の巫女』の知識は経年で途絶える可能性が高い。すでに全てを焼却処分されていて、頼れるのは彼女の記憶だけだからな」
「……何度うかがっても耳を疑います。我が国が友好的に譲渡した領地の歴史文化遺産を焼却するなど」
中央国で『鶺鴒の巫女』がどんな処遇だったのかは緋暉も把握している。
現在隣国は南方国との対立問題が最優先課題なので、東方国と縁の深い『鶺鴒の巫女』の処遇については些事だったのであろう。
加えて中央国で権勢を増していた聖騎士団による南方国制圧論への機運が増していた時期なだけに、聖騎士団内部の腐敗を全て背負う都合のいい『異物』は必要だった。
その人柱に『鶺鴒の巫女』を使ってしまうというのは、愚策としか思えないが――それはあくまで、東方国の武人としての緋暉の見解だ。あちらはあちらの考えが多分、あったのだろう。多分だが。
「彼女の有益性は『血』だけではなく、先代より脈々と引き継がれてきたその『知識』にある。――彼女の記憶が色褪せぬうちに、技術や知識を鶺鴒宮、神祇官を始めとする各所に引き継ぐ事が急務だ。それは将来彼女の為す次世代の『鶺鴒の巫女』の育成のためにも必要だ。『鶺鴒の巫女』の子孫をどの家柄の男子とするのか――慎重な判断を要すると、予は考えている」
「子細理解いたしました……浅学ゆえの差し出がましい進言、お恥ずかしい限りでございます」
「良い。……それだけ汝が、『鶺鴒の巫女』の処遇を案じているという証拠だ。これからも遠慮なく進言して欲しい」
陛下が、すっと指を前にかざす。祓うように空を切ったとたんに緋暉の喉元が熱くなる。
楔の模様が黒い霧になって消えていった。
しんと静まり返った空間で、陛下が再び語りかける。
「今回の事は不問とする。今後も左翼官と共に双翼として予を支えてほしい」
「寛大なご配慮、有難きことに存じあげます」
「せっかくだ。……他に、なにか予の耳に入れておきたいことはあるか」
「――は。それでは、お言葉に甘えて申し上げます」
緋暉は再び、頭を下げて口を開いた。
「我が郷家は既に『鶺鴒の巫女』を妻として迎える準備を整えております。陛下が彼女の身柄を我が国で保護する旨をご決断なさって以降、郷家は陛下の念願を達成すべく尽力いたしております。その一環として郷家での身元引受も勿論視野に入れております」
「感謝しているよ、右翼官。郷家の我が国における寄与、予も重々受け止めておる」
「勿体ないお言葉でございます」
「……ただそれを考慮に入れた上でなお、鶺鴒の巫女の処遇は熟考が必要だと理解してほしい。いずれ郷家、そして右翼官の力を借りることになる。その時は、宜しく頼む」
「御意」
陛下は郷家に『鶺鴒の巫女』を与えないつもりだと、内心緋暉は確信していた。
最有力の婿候補と目された自分――右翼官緋暉は、いざ『鶺鴒の巫女』を迎える段階になって急に南方国に派遣された。戻ってくればすっかり『鶺鴒の巫女』にまつわる事情は話が変わっていた。
――ここで、郷家嫡子である緋暉は状況に易く身を委ねられる立場ではない。
「陛下。私は当家より他に『鶺鴒の巫女』の夫として的確な血はいないと考えております」
「大胆だな」
陛下の声は笑みを含んでいた。緋暉は続けた。
「『鶺鴒の巫女』は我が郷家の誇りでもあります。――かつてこの国に鶺鴒県が属していた時代……『鶺鴒の巫女』の男系の血を引いておりますのは、我が郷家でございますので。噂では……陛下が『鶺鴒の巫女』を后にお迎えになるという話も広まっておりますが……」
くく、と声を上げて陛下は笑う。
「噂に耳を傾けるようになったとは、南方国の酒が抜けておらぬのか」
「残念ながら素面の耳にも入ってきますほどに。……陛下がどのようなご決断をされるとしても、私は郷家の者として『北方国の奸狐』の再来とならぬよう、尽くさせていただきます」
「狐ではなく鳥だ、あの娘は。……まあ良い、今後のためにも、そなたと巫女の取り計らいもしておこう。本人を知らねば、仮に郷の妻とするとしても困るだろう」
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謁見を済ませ、緋暉は大股で執務室まで戻った。単純に時間がないので飛ぶように戻り、そして従者が起こしに来るまで仮眠する。
備え付けた仮眠用の寝台にごろりと横になり、はあ、と息をつく。
「疲れた。ああいう腹のさぐりあいは俺には無理だ。……親父の真似ごとしかできねえな」
緋暉の父である郷家当主は右祐――右大臣職に就いているが。
立場上表立っては陛下に進言しない姿勢をとっている。
先帝時代『北方国の奸狐』により政治が乱れたことを憂う右祐はできる限り慎重な姿勢を保っているのだ。
だが内心として郷家はぜひ『鶺鴒の巫女』を嫁に迎えたいと考えている。
皇帝は錐屋家の女から生まれ、左翼官は皇帝と近しい関係にある。
鶺鴒宮に左翼官の妹も出入りしているらしい。
皇帝が今錐屋の血をひいているのなら、『鶺鴒の巫女』は郷が貰うほうが無難と考えているのだ。
「さあ、どうなるんだろうね……いい加減、俺もさっさと嫁を迎えて落ち着きたいんだけど」





