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75.右翼官・郷緋暉という男

 私は人払いをして、頭の『スイッチ』を入れ、情報整理を行った。


 女官たちが纏めてくれていた書類や各商人との商談内容、仕入先情報など、仕事に必要な情報を頭の中に取り込んでいく。

 文面をそのまま記憶し、続いて、各案件と照らし合わせて判断していく。

 私が行うべき仕事は、各部署の状況を把握して指示を行うハブ的役割だ。

 本来の私ならば人の上に立って指示できるほどの能力はないけれど、魔力で頭の計算領域が増えた状態なので、全ての情報を踏まえて状況判断することができる。


 あらかたの情報整理と指示内容の確認を済ませたところで、私は立ち上がり、自らお茶を入れて『スイッチ』を切る。


「ふう……」


 気持ちの切り替えをすることで消費魔力を最低限度に留める。これは来夜様からの助言アドバイスだ。


 そんなとき、ふと窓の外を見るとひときわ目立つ人影に気づいた。

 真っ赤な衣に黒い短髪、背筋の伸びた長身の美丈夫が、従者たちと共に資材入れを運んでいる。

 私は思わず立ち上がった。


「右翼官様!?」


 慌てて立ち上がれば、彼は私に気づいたらしい。外から片手を上げてにっこりと笑い、こちらへとやってきた。

 私は慌てて扉を開き礼をする。彼は笑って礼を返してくれた。


「右翼官様まで、運んでくださっていたのですか?」

「通りすがりだったからな。まあ、俺も暇してたからちょうどいいってことさ。それに資材の中には。南方国輸入の原料もあっただろ? それなら俺も簡単には目を通しておきたかったからね」


 右翼官様の快活な声はよく通る。錫色のように声を張り上げているわけでもないのに、遠くまでしっかり聞こえるような声だ。


「つか、右翼官なんてかたっ苦しい呼び方いいよ。緋暉ヒアキでいいよ、緋暉ヒアキで」

「緋暉様……ありがとうございます」

「ん、サイちゃんもお疲れ」

「ありがとうございます」


 右翼官様――もとい、緋暉様は陛下や雪鳴様や来夜様とは違う、すごく男性的な魅力の漂う美丈夫だ。背が高くて体も分厚くて、笑顔は柔和ながら、赤褐色の双眸はぎらぎらとして強い。

 彼がしばらく滞在していた南方国は、現在も中央国との衝突が絶えない地域だ。戦争の前線に赴く武官はみな、このような雄々しい雰囲気を纏っているものなのか。

 ほんのすこし、元婚約者の覇気を思い出す。


「斎ちゃんは何してたの? ああ、お茶呑んでたんだ、一口もらっていい?」

「あ」


 緋暉様は私に断るなり、私の飲みかけの蓋碗をひょいと手に取り、一口に飲み干した。


「申し訳ありません。飲みさしのものではなく、すぐにお淹れいたします」

「いいの、俺ちょうどこれ呑みたかったから。焙茶を呑むとうちの国に帰ってきたって気分になるなあ。南方国では男はみんな昼間から蒸留酒を煽りながら仕事をしている有様でね。素面でいられるのがありがたいよ」

「すごいんですね……」


 私は言いながら、取り急ぎ侍女を呼んでお茶の準備をしてもらう。

 そんな私を緋暉様はじっと眺めている様子だった。


「斎ちゃん、元の名前は何ていうんだっけ。中央国時代の名前」

「サイ・クトレットラと申します」

「あー、それで鶺鴒宮斎、ね」


 緋暉様は私が東方国に来てから陛下に名付けられた名前を口にする。


「そのまんまじゃん。もっと変えてほしいとか思わなかったの?」

「陛下が私の元の名前を尊重してくださった、有り難い名前ですので……」

「もっと可愛い名前にしてもらったらよかったのにね。サイ、なら彩色あやいろとか」


 彼の言葉に、私はずっと気になっていたことを思い出す。


「そういえば、こちらの女性って名前に「色」が付きますよね」

「うん」

「何か理由ってあるのですか?」

「さあね。俺は詳しくは知らないけど、この国って冬は雪景色でつまらないだろ? それに髪色とか目の色とかも、『東方霞色』ってわけで、黒いか灰色がかってるかで地味だし。だからせめて、女の子には鮮やかな色合いをってことで、名前に「色」をつける風習がうまれた……とはよく聞く話だな」


 なるほど、と私は納得する。

 中央国育ちの私としては、東方国の人々の髪色も瞳色も落ち着いていてとても綺麗な色だと思うのだが、そこに長年住んでいる人々にとっては受け取り方が違うのも確かだろう。

 朱塗りの鮮やかな建物が多いのも、雪の白に負けない景観を保つためだろうか。


「それ以外の説もあるけど」

「以外、ですか?」

「昔は女子の生存率がすこぶる低かったから、死装束の色を生まれたときから決めとこうって意味で名前に色がつくようになった――とか、目についた物の色から適当に命名した、とかね」

「……そ、そうなんですね……」


 苦笑いする私と彼の間に、侍女がお茶ときなこ餅を持ってきてくれた。彼は侍女にも人懐こい笑顔でお礼を言う。貴人にしては珍しい態度だと思った。


「でも斎、ねえ……。これ、陛下がつけた名前だろ?」

「はい」

「『神に仕える、カミサマのもの』ってねえ」

「……え?」

「悪趣味というか、独占欲が強いというか」


 彼は意味深げに笑みを浮かべながら、私を眺めてお茶を傾けている。

 もしかして、私に用事があってここに来たのだろうか。

 そう思い至った矢先、彼は唐突に立ち上がる。つられて立ち上がった私に、近づく。


「え、」


 距離が近い。無意識に後ずさったところで背中に壁が触れ、彼に覆いかぶさられるようになる。

 とんと壁に肘を付き、緋暉様は私を見下ろした。


「……緋暉様……?」

「ねえ、斎ちゃん。これは真面目な話なんだけど」


 彼は柔らかな笑みを浮かべている。しかし眼差しはぎらぎらと強い。

 私はぞくっとして――身動きがとれない。


「俺の妻にならない?」

「え――」


 思った瞬間、彼の指が私の頬に触れ――唇が、近づいてきた。


 ドスンッッ!!!!!


 一瞬の寸のところで、私達の間に何かが飛んできて壁に刺さる。

 小刀だ。

 彼の首から、つ、と血がにじむ。


 その鮮血の色をみて、私は我にかえった。


「緋暉様! お怪我を!」

「ははあ、これが鶺鴒宮の貞操帯ってね。こりゃ確かに、俺じゃなかったら首が飛んでいた」


 彼は一人笑いながら首を撫で、壁に刺さった刃物を抜き、その銘を確かめる。


「これは錐屋家贔屓の刀匠のものだな。左翼官殿は優秀だ」

「あ……」


 私は鶺鴒宮に案内された日に受けた説明を思い出す。あのとき雪鳴様は言っていた。


『――元後宮の各所に魔力を張っている。何かあれば即時、侵入者の首は飛ぶので、安心してほしい』


 この防犯装置が作動したらしい。


「大丈夫ですか、すぐに手当を」

「いや、平気平気。これくらい、舐めれば治るさ。……それよりも」


 彼は面白そうにくつくつと笑う。


「斎ちゃん、唇を奪われそうになって、真っ先に心配するのはそれ?」

「……」


 彼は拭った血を舐めながら私に言う。なんとも言えないゾクリとした感覚が背筋を冷やす。


 一瞬誤解かと思っていた。まさか私なんかに口づける殿方がいるなんて、思わないから。

 ――けれど緋暉様は確かに、私に口づけようとしたのだ。



「……右翼官さま……なぜですか……私なんかに……」

「妻にしたいからね、君のことを」


 硬直する私に手を伸ばし、緋暉様は私の顎を取り、顔を上げさせる。

 赤褐色の燃えるような瞳孔に怯えた私の顔が映っている。情けないほど、私は今、無力だ。

 

「ねえ、俺は本気だよ。鶺鴒の巫女を妻に貰い受けたい」

「それは私が決められることではありません。……『鶺鴒の巫女』の婚姻については、陛下の勅命に従いますので……」

「そう」


 緋暉様はぱっと手を離す。膝の力が抜けて、私は情けなくへたり込んだ。

 彼は私の頭をさらりと撫でる。優しくいたわるような手つきだった。


「また改めて、斎ちゃんには話をつけにくる。今日は……いったん、俺のこと覚えておいてくれよ」


 緋暉様の足音が遠ざかっていく。

 私はしばらくのあいだ、立つことすらできなかった。

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