74.開かない耳朶に指を添え。
夏祭り以降、鶺鴒宮は一気に忙しくなった。
陛下の即位記念祭に、先帝陛下の命日祭といった式典行事に加え、国外に行商に向かう商人たちから発注された化粧品作り、その他様々な雑務庶務、決め事に細々としたお仕事。
女官たちは休暇から戻るとすぐに仕事に取り掛かってくれた。
忙しさにも文句一つ言わず、にぎやかに手伝ってくれている。
「斎さま、そろそろ宮廷のほうへ向かう頃かと」
「午後の商談ですね。かしこまりました」
私は担当女官と雪鳴さま部下の護衛の確認をとった後、先に人力車で宮廷まで向かう。
輿よりも早くて機動性が高く、一人で私を運べるので、私はこちらのほうを好んで使っていた。
元々宮廷には存在しなかったが、急ぎの用事の際に私が庭にあった台車と椅子と傘を魔力で合体させて作ったものだ。ありあわせの素材で作ったものの前世情報を元に整えた後、家具職人に更に改良を加えてもらったものだ。
急ぎで宮廷を駆け抜けたい時、とても役に立つ。
人力車に揺られながら、私は襟元で揺れる耳飾りに触れた。
あの夜もらった耳飾りは、襟に留めて使っていた。
特に気にせず受け取ってしまったが、よく見ると、耳に穴を開けて飾るものだったからだ。
東方国では大抵の成人男女は耳に穴を開けている。
陛下も耳飾りは穴を通して飾っているので、私の事もてっきり開けていると思いこんでいたのだろう。
打ち合わせのために用意された部屋には、いち早く錫色が待機し納品する商品や試作品の一部を丁寧に並べてくれていた。美的感覚が良いのか、錫色に任せると彩り美しく整えてもらえるので助かる。
「あ! 斎さま、準備完了しております!」
「ありがとうございます。まだ商人の方も担当も来ませんし、二人で少し休憩しましょうか」
私達が話していると、一緒に手伝ってくれていた侍女がすぐさまお茶を用意してくれた。
二人で涼しく冷えたお茶を呑んでいると、錫色の視線を感じる。
襟を凝視されている。――やはり、すぐに気づくか。
「それ、もしかしてあのお店のじゃないですか?」
錫色が挙げた店名はまさに、耳飾りを売っていた出店の名前だ。
大商家の娘なだけあって詳しい。
「よくご存知ですね」
「あのお店、本来は神祇官に献上する水引や絹刺繍を行っているお店なんですが、職人さんの副業で、たまーに祭に装飾屋さんを出しているんです。全部一点物で、すっごく人気なんですよ」
「なるほど……確かに、とても綺麗で良い作りですものね」
「どうして襟に刺してらっしゃるんですか?」
「ほら、私耳に穴を開けていないので」
耳たぶをつまんで見せれば、錫色はなるほど!と会得した顔をする。
「あ、本当ですね! 意外です!」
「東方国では皆さん耳に穴を開けられているのですか?」
「そうですね~成人の儀式を迎えた後とか、仕事を始めるときとか、決まりは家によって
様々ですが、大人の節目! って時に開ける人が多いです」
「なるほど。一様に「どんなときに開ける」、とは決まってはいないのですね」
「はい! 錫色もまだ開けてませんし!!」
「何か理由があるのですか?」
そのとき急に、錫色の顔が途端にボッと赤くなる。
今まで見たこと無い反応だ。
「錫色さん……?」
「なっ、なんでもないです! まだ錫色には早いのです!」
「……そうですか……」
何か言いたくないような事情でもあるのだろう。私は流しておくことにした。
「ところで斎さま、それ誰かからもらったんですか?」
「えっ!? あ、……その、…………貰い物に見えますか?」
「ふっふっふ、その反応はあたりですね! 錫色あてちゃいました!」
錫色はピースサインをして胸を張る。(ちなみにピースサインは私がついやってしまった行動が、女官たちの間であっという間に広まってしまったものだ)
なんということだ。私は頭をかかえる。
「なぜわかったのですか……?」
「斎さま、たまに贈り物の装飾品をつけてらっしゃることありますけど、そういうのって商人の方からの宣伝だったり、神祇官から『巫女の装飾品』として受け取られたものがほとんどですよね」
「ええ、まあ……」
「それ以外のものは、錫色は見たらすぐ分かるんです!」
「な、なぜでしょう……」
「商人の娘ですから! 普段持っていないものはすぐにピンとくるのです! それに斎さまのことはなんでもわかります!」
「…………錫色さんには隠し事はできないということですね」
「そういうことなのです! ……さて、斎さま」
錫色は好奇心でぎらぎらした眼差しで私ににじり寄る。
「斎さま! 教えて下さい! どなたからもらったんですか?!」
「あ、あの、えーっと……」
「はっ!! このご反応は、間違いなく殿方……!!」
「あわわわ……」
さすがの私でも、陛下が出店で一点物の耳飾りを買ってくれたなんて言えないのは分かっている。
後ずさりすると、ぐいっと錫色が近づく。
「斎さま~」
「えっと……」
「さ、い、さま~」
「うう…………」
それを何度かやるうちに、ついに壁際に追い詰められた。
「さあさあ! 錫色に教えて下さい! どなたからの贈り物ですか……!!?」
「……ええと……と、とある方に……」
「とある方!!!!!!」
「……ええと、ご迷惑をおかけしたらいけないから……名前は内緒にさせてください……」
「ひゃーー!!!」
「こ、声、声小さくしてください!」
「はい、勿論です!!!!」
どんと胸を叩く錫色は相変わらず声が大きい。
「斎さまに個人的に贈り物をするような殿方がいらっしゃることは絶対内緒にしておきますね!」
「ここ、声、響きます」
「斎さまもその方、お好きなんですよね?」
「え?」
「え?」
錫色は当然のことのように言う。
私は思わず変な声がでてしまう。錫色はきょとんと、私を見て大きな目をぱちぱちと瞬く。
「じゃあ……その方、お好きじゃないんですか……?」
当たり前のことを当たり前に聞くような顔をされるので、私は困ってしまう。
「好き……というか……いえ、お慕いはしておりますが……敬愛といいますか……」
「敬い愛せる方なんて素敵ではないですか!」
何も知らない錫色は、祝福をにじませて無邪気に笑う。
「だって中身が素敵だと思える方ではないと! 『鶺鴒の巫女』さまを大切にしてくださる方じゃなきゃ、錫色かなしくなりますもん!」
彼女はうっとりと口にする。
その頭の中では、私に求婚をするどこかの男性と、彼を敬愛する私の関係が描かれているのだろうか。きっと彼女が想像するものと、これをくださった方と私の関係は違う。
「いつか、その殿方のお名前を教えて下さいね!」
「……はい…………」
余計なことを言わないうちに話を切り上げよう。
私は力なく頷くほかなかった。
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商人との打ち合わせは滞りなく終わり、来年の大量注文や新製品の打診も受けることとなった。
この調子なら来年も鶺鴒宮は独自予算で存続できるかもしれない。
鶺鴒宮に戻った私は書類の整理をしながらため息をつく。
「つけないで、隠しておいたほうがよかったでしょうか……」
私は襟から耳飾りを外し、手のひらに置いてながめる。
少し悩んだ後、もう一度、襟元へと刺し直す。
「……せっかく贈っていただいたのですし……」
陛下が出店の耳飾りを与えてくれたのは、しまい込まず気兼ねなく普段からつけてほしいとの意味があるだろう。あまり高価なものを私が普段身に付けないのを知っているからだ。
それでも錫色だけでなく、他の人もこれを見て噂をするだろう。
錫色は口が固い娘だが申し訳ないが、声が大きい。彼女の意図に反して、私が殿方から贈り物を受けたことは、多分すぐに広まってしまう。
「耳に穴をあけてからにしましょうか、せめて」
と口にしつつも、引き出しにしまう気にもなれない。
私は窓辺を眺める。
以前、作業中に訪れた陛下と一緒に餡まんを食べた椅子が今もそこにある。陛下はいない。
――夏祭り以降、陛下には会っていない。もう二週間以上、顔を合わせないだろうか。
単純に夜伽の呼び声がかからないだけで、陛下はあっという間に遠い人になる。
鶺鴒の巫女として正式な場で謁見することはあったが、遠い玉座で御簾越しに存在を感じる程度で。
そもそもの距離感がおかしかったのだ。
私のような一介の巫女が天鷲の末裔たる皇帝陛下の寝所で、体温を感じる距離で、囁くように会話をしていることのほうが、よほど異常なのだ。
それでも。
離れれば離れるほど、あの柔らかく掠れた声が、まつげの長い灰青色の瞳が、懐かしく思う。
「……また、お会いできるでしょうか……」
私は陛下の住まう北宮の方角を見やる。
今日もまた、私を呼び出す夜伽の命は下っていなかった。