72.サイ。貴方は聖女を消す方法を知っている?
――祭から二週間の滞在期間、私が関わる公式行事は全て終わり、後は中央国の来賓が帰国するばかりだ。
朝から鶺鴒宮で事後処理をしていた私は、中央国の侍女に呼ばれた。
「王妃さまが『鶺鴒の巫女』様と会いたいとのことです」
貴賓一行は宮廷内の貴賓殿に宿泊していた。
侍女に案内されるままに王妃さまの部屋に向かうと、王妃は高楼から首都を見下ろし、ゆったりと寛いでいる様子だった。
「王妃さま。サイでございます」
「よく来てくれたわね」
王妃様は笑う。
「こんなに空がきもちいいなんて忘れていたわ」
王妃さまの顔色は昼間より幾分良くなっていた。
「お体のお加減はいかがですか?」
「こちらの食事が美味しくて美味しくて。久しぶりにお腹いっぱいになるまで食事ができているの」
「何よりです。お食事をお召し上がりいただけて、厨房の者達もお喜びを申し上げておりました」
「そう。食べやすい食事ばかり用意してくれていて助かったと伝えて」
「お褒めのお言葉、たしかに厨房へと届けさせていただきます」
「あらサイ。貴方にも言っているのよ?」
「……?」
王妃様は目を細める。私は意図が分からず彼女の言葉を待った。
「サイ。料理はどれも美味しかったけれど――特に、新鮮な白身魚が美味しかったわ。貴女は、私が魚が好きだと、どうして知っていたの? 王都ではほとんど魚を食べたことはないはずだけど」
「用意をしたのは料理人です、私はそんな……」
「常識として、中央国の者は貴族でさえ魚に馴染みがないの。中央国の他の貴賓には魚が出ていなかったのは、おそらく不気味に思われないようにする配慮。けれど王妃である私にだけ魚が出ていた――しかも、魚だとはっきり形が分かるかたちで」
「……」
「これも、料理人が決めたことかしら」
「……王妃様は故郷では、海の幸をよくお召し上がりだったのではないかと思いまして」
王妃は目を細める。私は促されるままに答えた。
「王妃さまの故郷――リヴィエルラ領は大河を利用した水上運輸が発達した土地です。中央国は内陸国ですが、リヴィエルラ領では、河口に位置する西方国から豊富な海鮮食材が届くと聞いたことがあります。しかし……リヴィエルラ領と王都は距離が遠く、王都には新鮮な海産物は入ってきません。なので、少しでも東方国の海産を楽しんでいただければ……と」
私の言葉に、王妃は軽く目を見開いたあと……くすくすとおかしそうに笑う。
「てっきり誰かに調べさせたのだと思ったけれど――貴女の推理だったのね」
「恐れ入ります」
「リヴィエルラは海産物が美味しいのよ。……もう王妃になってからずっと、新鮮な魚を口にしていなかったから……嬉しいわ。だからかしら。体が今日はとても楽で、心地よいのよ」
「……! それは、なによりでございます」
痩せているものの明るさを取り戻した笑顔に、私は内心安堵する。
私が王妃の食器にかけた魔力は「精神状態の安定、食欲増進」だった。
本来、王妃が服用する薬のほとんどは王妃を癒やすために必要ない。
必要なのは穏やかに過ごせる落ち着いた環境と、心のやすらぎだ。
王妃さまは風に髪を靡かせ気持ちよさそうにして、独り言のように言葉を続ける。
「公務と祈願のために王宮と神殿に籠もり続けていたけれど……頑なになったからって、天意に願いが届くわけでもないわね。国王陛下が今回の祭の参加を勧めてくれてよかった。東方国の空気に触れて、お魚をいただいて……温泉に体を癒やして。本当に、良い旅になったわ」
言いながら、少し眼差しに陰りを浮かべる王妃。
「ねえ、他の人には言わないでね?」
「はい、勿論です」
「……私はあの『聖女』が降臨して……少し疲れていたの。自由な彼女に煽られるように、城の中は皆どこか落ち着かなくなっている。それならいっそ国王陛下が彼女を見初めて、子供ができたらとも思ったけれど……」
「そんな……」
「国王陛下はやはり、私との子を求めてくださるわ。……一人でもできれば、陛下も考えが柔軟になられるかもしれないけれど……私が歳を取るまで、この苦しみが続くのかと思うと……つい、閉じこもってしまっていたの」
王妃さまは言葉を切る。
中央国への帰国が、どれだけ気が重いのか心中察するに余りある表情だ。
色の薄い痩せた指先が、ぎゅっと握りしめられている。
「ねえ、サイ。あなたは……聖女を消す方法を知っている?」
「聖女を、消す方法」
「中央国では歴史上、何度も聖女を召喚した記録が残されているわ。けれど聖女は奇跡を起こした後の記録がない。生死も、その後誰と結婚したのか、どう暮らしたのかも、ひとつも――」
王妃さまは聖女を消そうとしている。
私はゾクリとして言葉を失った。
聖女降臨は中央国が国家の威信を賭けて行った聖儀だ。王妃さまといえど、その聖儀を否定する言葉を口にするのは勇気がいることに違いない。
「サイ。あなたは『鶺鴒の巫女』として創世神話の時代からの記録を守っていたと聞くわ。けれどその資料もすべて燃やされてしまったのよね」
「……そうですね」
私は思い出す。かつて屋敷ごと、『鶺鴒の巫女』の全てが灰燼と化したことを。
「もしかして、それも聖女の意思だったとしたら……?」
「……!?」
弾かれるように王妃さまの顔を見る。王妃様は真剣だった。
「聖女を召喚した後どうするのか。その記録を持つのが『鶺鴒の巫女』なのだと考えた聖女が、あなたごと葬ろうとしたのではないか……私は今、そう考えているの」
「王妃さま、これ以上は口にされないほうが」
「いいえ、言わせて。そのために東方国まで訪れたのだもの」
王妃さまにぎゅっと手を握られる。指先は冷えているけれど、掌は興奮で汗ばんでいる。
「サイ。全てを燃やされてしまい、『鶺鴒の巫女』の持つ情報について、貴方でさえもう全てはわからないかもしれないわ。けれどどうか、貴女の知恵を貸して頂戴。考えて頂戴。あの聖女を異世界へ帰す方法があるのならば――きっとそれを知るのは国家権力から身を隠して血を継いできた『巫女』の一族だけだと私は確信しているの」
「……王妃様……」
「私達が呼び出してしまった聖女を、私達の国は御することができなかった。……このままでは南方国との争いも――」
その時。かつかつと靴の音が近づいてくる。
王妃様ははっと表情を戻し――『王妃』の体面を保つ。
私は意識して、明るい声で微笑んだ。
「またぜひ、東方国にお越しください、王妃さま。鶺鴒宮は王妃様が心安らかにお過ごしできる場として、またのご来訪をお待ち申し上げております」
「……ありがとう。辛い思いをさせてしまった国の私なのに、貴女は親切なのね」
王妃様は私の手を取る。冷たくも、指先の長い綺麗な手だ。
「貴方も『鶺鴒の巫女』として血を継ぐ責任がある女。……お互い、幸せな未来を描けることを祈りましょう」
「はい」
「…………次は貴女ともっとお話させて頂戴」
中央国の侍女が扉の前にやってきた。出立の時間だ。
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その後。
中央国の貴賓らは昼過ぎには首都から帰国の路に着いた。
訪問時と同じ民衆の温かな声を受けながら、馬車が遠くに去っていくのを見送った後、私は鶺鴒宮へと戻る。
いつもは女子校のようににぎやかな鶺鴒宮が、昼間からしんと静まり返っている。
侍女が迎えに出てきてくれた。
「おかえりなさいませ」
「留守をありがとうございます。皆さんは夏祭りに行かれましたか」
「はい。それはもう、うきうきと」
「よかった」
私は高楼から首都を見下ろす。昼間でも鮮やかなほど、街中に赤い灯籠が飾り付けられている。
夏祭りは庶民の祭でもある。
特に頭に花を飾った娘たちには恋の季節だ。私は希望者には数日の帰省許可を出していた。行商や出稼ぎから帰ってきた家族も集まる時期というから、そういう時こそゆっくり羽を伸ばしてほしい。
そしてまた戻ってきて、私に東方国についてたくさん教えてほしいと思った。
「ねえ、斎はお祭りに行かないの?」
「ひゃッ!?」
後ろから急に話しかけられ、私は裏返った悲鳴を上げる。
私にそういう話し方をする女性は、一人しかいない。





