71.亡き両親と、聖女の話
王妃さまは長い年月不妊に悩んでいる。
前世の記憶を持ってしても、中央国のカルテの記憶を持ってしても、王妃様の不妊に介入することはできない。私は胸が痛くなる。
王妃さまはとても知的な方で、文化財保護やサロンにおける芸術家の支援事業、貧困層への救済事業など、積極的に活動される方だ。
私も一度だけ非公式に王妃様とお話したことがある。
国王陛下の事も国民のことも大切になさっている理知的な女性なのだが、ただ子宝に恵まれないというだけで、国内貴族層からの圧力が酷い。
(不妊は……国王陛下に理由があることもある。それを確かめるためにも側室を迎えることは良いかもしれないけれど、国王陛下が一夫一妻に固執している。王妃様を尊重したいお気持ちは素敵だけれど、それが王妃様の首を締めていることに……国王陛下はお気づきになられない)
この世界の倫理観ならば、仕事ができて立派な王妃さまでも子供がいないだけでいくらでも批判されてしまう。
とても悲しいことだけれど――私は中央国では一介の侍女でしかない。
そして、東方国の巫女としても口出しはできない。
(それでも……心のなかで、王妃さまの味方になるくらい、許されてもいいはずだわ……)
「王妃さま……どうか、東方国のご訪問が、少しでも良い気晴らしになりますことを願います」
私は食器に魔力を施した。
王妃さまが、少しでも体調が良くなるように祈りながら。
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やることが多い。
私は厨で食器に魔力を施した後、小走りになりつつ待機部屋へと戻った。
錫色の手を借りて化粧を直し、錫色を伴って私は食事会の場へと向かった。
王妃さまはちょうど双翼官から挨拶を受けているところだった。
目が合う。
タイミングを見計らって私は彼女に近づき、中央国の儀礼で腰を落として挨拶した。
横で錫色もぎこちなく同じようにしている。
王妃様は目を細めた。
「ご会食中に失礼いたします」
私は王妃さまに中央国の挨拶をする。
「王妃殿下。この度は東方国にお越しいただきありがとうございます。以前御国クトレットラ領の領主を務めさせていただいておりました、サイでございます」
「サイ。お元気そうで何よりです。直接会うことは殆どなかったけれど、貴女が私の薬に関わっていたのは聞いています」
「とんでもございません。私が関わっていたことなど、本当に些細な調合だけで」
「貴女が東方国へ行ってからしばらくして、急に薬の効き目が悪くなりました。……貴女は自分が受け持っていた仕事のぶんは、投獄される前に一年分ほど作っていたのですね」
「……医薬局には調合のコツなどの記録も残しておりましたが、申し訳ございません」
「貴女が謝ることではありません、サイ。……聖騎士団全体が今、人事改革を行っている最中ですから……医薬局に手が足りていないのでしょう」
王妃さまは誰も悪者にならないような言い方で肩をすくめる。
その肩は以前より、一層華奢になったように見える。
「では……あれから、王妃様のご体調は」
「よくはないけれど、悪くもなっていないわ」
王妃は陰りのある表情で笑う。
「けれど今日は心地が良いの。こちらで素敵な舞を見て今は気持ちが安らいでいるわ」
「後で私に薬を届けさせてください。調整をしてお渡しいたします」
「ありがとう。助かるわね」
王妃と会話する私に、共に列席した貴賓の女性陣の視線が刺さるのを感じた。
王妃との挨拶の後に、あちらに向かうのが大変気が引ける。
「東方国ではどのように過ごしているのかしら」
「はい。皇帝陛下直属の『鶺鴒宮』にて、巫女として祭事に携わっております」
「……巫女として、…………ね」
王妃さまの顔が曇る。意味は分かる。
彼女にとって『巫女』というのは、あまり嬉しい言葉ではない。
官吏から聞かされていた情報で、私は中央国での『聖女』の状況を把握していた。
聖女リリーは、どうやら人心掌握の魔力を扱うようだ。
具体的にどのような魔力かは把握されていないらしいが、とにかくリリーの魔力で王宮はめちゃくちゃらしい。
彼女の管理を受け持つ聖騎士団だが、聖騎士団は『鶺鴒の巫女冤罪騒動』により明らかになった内部分裂が昏迷を極め、ついには南方国との衝突も停戦状態になっているほどで。
とてもリリーだけの管理に手が回らない。
リリーはそんな王宮で、元聖騎士団長を囲って楽しんでいるらしい。
――救国の聖女があえて、国を乱そうとしているようにさえ見える有様だ。
しかし国王陛下が召喚した『聖女』を悪く言うこともできず、追い返す術もない。
結果――王宮は彼女を腫れ物のように扱い、ぴりぴりとした空気になっているらしい。
王妃は話題を変えるように私に質問した。
「貴女は先祖代々『鶺鴒の巫女』を継いでいるのですよね」
「はい。クトレットラの長女が家督を継いでまいりました」
「とても立派な巫女をのがしてしまって、中央国の王妃としては恥ずかしいばかりだわ」
「そんな……」
首を振る私に、王妃は心から悲しむ様子で言葉を続けた。
「聖騎士団からきいたわ。あなたのご両親も、……南方国との紛争で国に殉じてくださったとか」
ぞくっとする。
急に臓腑がえぐられる感じがした。
「お母様も鶺鴒の巫女だったのよね?」
「……はい。私の母、サエ・クトレットラは……先代『鶺鴒の巫女』、でした」
「サエね。お父様のお名前は?」
「…………ダイス、と申します。……医師でした…………」
「ダイスとサエ、ね。わかりました。貴女への感謝の気持も籠めて、今後追悼式典ではお二人の名前も読み上げましょう」
「勿体ないお言葉感謝致します。……王妃さまのご厚意を両親が直接いただけないのが、残念です」
古来から続く一年に一度の聖騎士団員追悼式典において、民間殉職者の名前が呼ばれることはない。
王妃さまの言葉は、東方国の巫女となった私に対しての最大限の取り計らいだ。
父と母は民間人だった。
『鶺鴒の巫女』と『医療従事者』の責任として、南方戦線に強引に駆り出されて。
――形見の一つすら戻ってこなかった。
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それからどんな風に、王妃さまと会話を終えたのか覚えていない。
副大臣や貴族の婦人らとも無難に歓談を済ませ、私は会食の場を後にした。
私の立場上、正式に会食には参加しない。あくまで挨拶に訪れたという体裁だ。
「斎さま、斎さま」
錫色に名前を呼ばれてはっとする。
控室の廊下まで戻ったところで、錫色の声がようやく聞こえるようになったようだ。
「大丈夫ですか? 斎さま顔が真っ青です……」
「すみません、心配をおかけして」
錫色の前で、私は鶺鴒宮の主として恥ずかしい。
思いながら首を振って彼女の顔を見ると――胸の奥から込み上がる衝動が抑えきれなくなった。
私は錫色を抱きしめる。
「はわっ!? さ、斎さま!?」
温かくて細くて、化粧品と香油の匂いが優しく香る錫色。何も考えず彼女をきつく抱きしめて、彼女の髪に顔を埋めて目を閉じると、様々なできごとでめちゃくちゃになった心が和らいでいく。
ようやく声が出るようになってきた。
私はぎゅっと抱きしめたまま、錫色の頭を撫でた。
「……すみません。私もちょっと緊張していたので。錫色が可愛くって、つい癒やされたくなりました」
「私で良かったらいくらでも抱きついてください! 斎様の本当の妹だと思ってください!」
明るい元気な声に、心の澱を吹き飛ばしてもらえた気がする。
私は笑って一旦腕を緩め、もう一度錫色を改めてぎゅーっと抱きしめた。
「あ! 斎さまお疲れさまです!」
「えっ、お疲れ様の抱擁会ですか! わー、私もぎゅっとしていいですか!」
「私もー!!!」
女子校のノリで次々と女官が集まってきて、大はしゃぎで団子になっていく。
自然と皆笑いあっているので、私もつい一緒になって笑ってしまう。
「こら!!! 何やってんだお前らー!! って、斎まで!!!」
控室から出てきて先生のように叫ぶのは来夜だった。
「従者の子もこっちにおいでよ!」
「じゅ、従者じゃない! くっつかないよ! 馬鹿!」
笑い泣きの涙を拭いながら、私は皆に声をかけた。
「皆さん――巫女としてのお勤め、今日は一日お疲れさまでした!」