67.鶺鴒の舞
「記録より生きた情報さ。『鶺鴒の巫女』がいてくれるお陰で費用が出るから助かるよ」
馬車の中で来夜様は実に楽しそうにしている。今日の姿は実年齢と同じ四十代の姿だ。
「いつものお姿じゃないんですね」
「あれで僕が『図書頭』だと分かるやつは庶民にはいないからね。この姿は疲れやすいから、いろいろと君等にまかせるから」
「はい」
姿に関して他にも聞きたいことはあったが、今日は二人きりではないので心のなかにとどめておく。私はちらりと、隣で外の景色を見つめる灰青色の髪の女官をみやった。
「菖色さん、馬車酔いはしていませんか?」
「はい。斎さまにいただいたお薬が効いているみたいです」
菖色はにこりと控えめに笑う。
彼女は新しく入った女官の一人で、親は図書寮に勤める官吏だ。
兄弟姉妹で最も暗記暗算に優れていたものの女子として官吏になることもできず才能の置所に困っていたところ、鶺鴒宮で勤めることになった少女だ。
長い灰青色の髪が美しく、つるりとした額とおっとりとした物腰が印象的な子だ。
最初は錫色が同行する予定だったのだが、来夜様から先手を打って、
「調査に連れて行くのは、頼むから大人しい女官にしてくれ。頼むから」
と言われてしまっていた。
その代わり錫色には私の代わりに『祈花』の準備などを任せている。
実際のところ、彼女は現在、最も鶺鴒宮の仕事になれた女官だった。
それに雪鳴様や、その他官吏たちにも顔がよく知れているし。留守を任せるには一番適任だった。
馬車はそのまま県庁に到着し、私達は県令の接待を受けた。
移動で既に日が落ちていたので宿として県令の屋敷に入り、そのまま一夜を過ごした。
県令の屋敷でいただいた夕食は山菜粥と鹿肉の煮込みで、私は鹿肉の匂いに懐かしい故郷を思った。鶺鴒県と国境で食も似ているし、山の幸を食べるのは久しぶりだった。
食事と就寝支度をすませ布団に入る前に、私は客間の窓外にそびえる真っ黒な山の影を仰ぎ見た。
(山の向こうに、今も故郷はある……みんな、元気に暮らしていますように)
---
「鶺鴒の巫女様の装束は実に鳥娘の衣装に似ていますよ。きっと驚くと思います」
翌朝、県令に連れられ私達3人は広場に向かい、県内から集められた鳥娘装束の娘たちと対面した。
彼女たちを見て、来夜様が顎に手を当ててなるほど、と頷く。
「たしかに斎と似てるね……ねえ。斎の巫女装束は鶺鴒県に伝わっていたものを再現したんだよね?」
「はい。生地や刺繍、色合いは伝来のものより上等なものにしていただいておりますが、形は伝統のものと全く同じです」
私はボレロのような短衣と袴を見せるようにする。
目の前の娘たちも僅かな違いはあれど、シルエットは『鶺鴒の巫女』の装束を模しているように見える。短衣が袖のない外套になっていたり、袴が行灯袴になっていたり、プリーツを寄せた裳を重ねたようになっていたり、多少の違いはあるようだ。
「『祈花』として撒く花は時期ではないので準備できませんでしたが、代わりに乾燥させた草を使って踊ります。袖の中にしまっているんですよ。――、ほら、みせて差し上げなさい」
県令の言葉にしたがって、娘の一人が袖の中から草を摘んで取り出す。
「本来は柔らかい花なんですがね、今日は草だからちくちくするそうで。だから痒そうにしていても多めにみてやってください」
県令の言葉に娘たちが苦笑いした。
「あ、あの」
そのとき挙手したのは菖色だった。
集まった視線に頬を赤く染めながら彼女は手に持った画板を示す。
「私、記録で描いてもよろしいでしょうか? 踊っているところと、服装について記録をのこさせていただきたいのです」
菖色の言葉に県令は嬉しそうに頷く。
「勿論。ぜひ彼女たちを中央の記録に残してください」
「ありがとうございます」
彼女は興奮した様子で頭をぺこりと下げた。
私が今回菖色を連れてきたのは、彼女が絵を描くのが非常にうまいからだ。
細かいところまで綿密に描写する方向の才能が突出しているので、記録係として適任だった。彼女にはA4くらいの紙を挟んだ画板と羽根ペンを渡している。
羽根ペンは私の魔力でちょっとしたボールペンのようにインクの継ぎ足しなしで長時間描けるようにいじっているので、彼女の作画能力を邪魔しない。
菖色が椅子に座り描画モードに入ったところで、県令は笛を取り出して私達を見た。
「それでは早速舞を始めましょうか。今年最初のお披露目です」
県令の笛の音に、娘たちの動きが急に止まる。
ただの娘だった彼女たちの空気がさっと代わり、配置について息を止める。
軽快な笛の音色に合わせて、彼女たちは広場の中心で円を描くように舞い始めた。
腕はひらひらと袖をはためかせるようにして優美に動き、足を屈伸しながら地面に文字を描くようにつま先を動かしていく。
ふわり、ふわり、と彼女たちの体が上下する度に、長く後ろに垂らした髪とリボンが揺れる。
鶺鴒の尾を表しているのだろうか。
彼女たちは徐々に一列になって、広場の外周を回っていく。
彼女たちは大きく腕を振りながら、袖の中から、ぱらり、ぱらり、と乾燥した草を撒いた。
笛の音はどんどん賑やかさと速度を上げていき、娘たちの動きもどんどん大胆になる。
それはとても生き生きとして美しかった。
本来の踊り――実りの秋を迎え、色づいた紅葉の中で花を散らしながら踊る彼女たちはどれだけ美しいだろう。
私は彼女たちの動きを目に焼き付ける。
隣では菖色ががりがりとペンを走らせていた。
――笛の音が次第に遠のいていくように小さくなり、ついに踊りは終わった。
私は自然と手を叩いていた。娘たちは一斉に膝を折って礼をする。
汗だくになった県令が、やり遂げた表情でこちらを見た。
来夜様が彼に笑顔を向け、感謝を礼で示す。
「大変貴重なものをありがとうございます。今年の夏祭は素晴らしいものになるでしょう」
「とんでもございません。我が県民一同楽しみにしております」
来夜様は私をくるりと振り返った。そしてにやりと笑う。
「さて――これから『鶺鴒の巫女』も今日一日かけて踊りを学びますので、ばしばししごいてやってください」
「おお! 巫女様が鳥娘の文化を継承してくださるというのですか!」
聞いていない。
だが――祭で『祈花』の舞を再興させるには、たしかに特訓は、必要、だった…………。