65.これはきっと――助け合い、というもの。
「……斎?」
黙り込んだ私に、陛下は気遣うような顔を見せる。そして沈黙が長く続いたところで、彼はもう一度言葉を口にした。
「『利用された』と……思った?」
私は首をどう振ればいいのか分からなかった。だからありのままの言葉を口にする。
「私などの身を陛下の政に活用していただけるのは光栄なことです。大切な恩人に、有益な存在だと思われる事ほど嬉しいことが他にありましょうか」
「……」
「ただ、まさかもう既に全てが陛下の手中にあったことに……ただただ、驚いております」
陛下は茶を口にする。小さく息を吐き、彼は言葉を選ぶようにして話しはじめた。
「僕は先帝のようになるわけにはいかない。しかし、僕個人の叶えたい我欲も勿論ある。……その両立をさせるには……斎の立場を利用して助けるほかなかった。僕にとっては僕自身も、臣下全ても、斎も――手駒として動かさなければならないから」
「それは当然のことです、陛下」
私は頷く。
「始めから……私は陛下の道具になりたいと思っていました。……もう既に手駒になれているのなら、臣下として幸福です」
「臣下として……ね」
陛下は苦い顔をしている。そのあまりに沈痛な表情をみて私は戸惑ってしまう。
(……そこまで気にしなくていいのに)
正直なところ、陛下のことを初めて恐ろしいと思った。
――ただしその恐れは心地よいものだった。
理由のなさすぎる恩を与えられては不安になる。
政治的手腕も社交能力もない、後ろ盾も財産もない、私ができることなどたかがしれている。
魔力と古き血しか取り柄がない私が、彼を最悪から守るために何ができるのか――私はずっと怖かった。
けれど彼は決して、私の選択肢一つで安易に運命が変わってしまう『キャラクター』ではない。
彼は覚悟を決めて生きてきた、一人の人格だとはっきり分かった。
私が変に空回りして、守れるだの守れないだの、おこがましいと思えた。
「斎。僕は――」
目の前の陛下は、迷子になった子供のような目をしている。きっと、この美しい顔と柔らかい物腰の下に、底知れない氷河が眠っている。彼はそういう人なのだ。
私はそんな彼に救われた。
彼の人生にとって――鶺鴒の巫女が、目的の手駒になれるのなら、なれているのなら、嬉しい。
陛下はそれでも、すっきりとしないもどかしそうな顔をしていた。
「私としては、私を助けるためだけに国が動いたというよりも……私を利用していただいたと知ったほうが安心できるので……そんな顔をなさらなくとも」
陛下はふるふると首を横に振る。机上で組んだ指を、祈りのようにきつく絡ませた。陛下はそのまま告解するように、爪の先に目を落として言葉を漏らした。
「……あのね。斎は覚えていないけれど――斎は、僕の大切な恩人なんだ」
突然切り出された話に、私は目を丸くする。
「……恩人、ですか? あの洞窟での事でしたら」
「違う」
陛下は言葉を遮る。
「僕は斎と昔出会ったことがある。まだ皇太子として『覚醒』したばかりの、身を隠していた頃だ。……斎は昔、長い髪を三つ編みにして、白い紐を編み込んで綺麗にしていた」
「……どうして、それを……」
「会ったことがあるんだ。中央国の東方国大使館で。3ヶ月前、斎が洞窟で暴走する僕を助けてくれたのと同じように、斎は昔も、暴走する僕を助けてくれたんだ。……あの時から、斎は僕の恩人だった」
「そんな……」
私は確かに幼い頃、髪を長く編み込んでいた。
何度か中央国の宮廷に足を運んだこともある。
大使館に行ったことがあってもおかしくはない。
こんなに美しい陛下と会ったことがあるならば、必ず覚えているはずだ――それなのに、全く思い出せない。
「……陛下、あの……私は何も思い出せなくて……」
「記憶はすべて消したから当然だ。覚醒の時期の見苦しい姿は、本来近親者ですら見せてはならないものだから。……本当は、こうして打ち明けるつもりもなかった。僕の記憶のなかで、斎への感謝があればそれでいいと思っていた」
陛下は真剣に告げる。
「僕は斎に、ただ政治的に利用できるからとか、鶺鴒の巫女だからとか、そういう付加価値のために、斎を助けたと思われるのが怖い」
「……陛下……」
「……僕は、サイ・クトレットラがただの女の子だとしても、恩人として助けたかった」
私は突然の告白にただただ呆然としていた。遠くから、女官が話す声が風にのって聞こえる。風が吹き、庭の緑をざわめかせる音が聞こえる。汗が頬を伝って首筋から、胸に落ちていく。
陛下は黙ったまま、顔を伏せていた。
ふと、机の上で組まれた陛下の手が目に留まる。
何もかんがえず、私は陛下の手を取った。
「――ッ」
陛下が身じろぎをするのがわかった。私は両手で、陛下の手を包みこむ。骨ばった大きな手だった。こうして明るいうちに手に触れると、陛下の肌の白さが殊更目立つ。
「私は陛下を信じています。陛下の語られた過去も、陛下のお心も。……かつて私が何をしたかなどはやはり思い出せませんが……他国に介入する危険を負ってでも『報いたい』と思っていただけるようなことを、私はしていたのですね」
「……僕がこうして皇帝としてやれているのも、斎のお陰だよ。……本当に感謝している。今でも」
「ありがとうございます。私は陛下はやはりすごい方だと思います」
「……どうして?」
「はい。本来ならば陛下お一人の、個人の恩返しでしかない願いを……こうして国政に昇華して、念願を達成できたのは、陛下がそれだけ様々な面で、陛下として邁進して成果をあげられてきたからこそです。本当に……ご立派だと思います」
私は口にしたあと、はっとする。言い逃れできないほど上からの言葉で、陛下を褒めてしまった。
「申し訳ありません。出過ぎたことを申しました……」
陛下は私の手をやわくほどき、逆に手を包み返した。
白い手にすっぽりと覆われる。思わず顔をみれば、陛下は目を細めて笑っていた。
「褒められるのは嬉しいよ。斎なら特に」
「……ご寛大なお言葉、恐縮です」
「でもよかった。……僕の事、信じてくれるのは嬉しい」
「陛下を信じずに誰を信じましょう。……それに陛下。私だってずるい女です」
私の言葉に、陛下はどういう意味か視線で問う。
「陛下のお陰で、私は『鶺鴒の巫女』の血を守れるだけでなく、中央国ではできなかった色々なことをできております。化粧品を作るのも楽しいですし、それを通じて『鶺鴒の巫女』として引き継いできた技術を鶺鴒宮で皆さんに伝えることができる――陛下に守っていただいた立場を利用して、私はたくさん楽しい事をしているのです。だから利用とか、利用されるとか、そういうのは考えないでください」
「そうだね。……斎は、最近とても楽しそうだ」
「はい。次は祭に参加させていただくことで、中央国での恐ろしかった記憶を克服させてもらいます。……私も、『利用』します」
私が付け加えて言うと、陛下は嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ僕も斎の知る情報、『利用』させてもらおうかな。……さっき話したとおり、僕は中央区の王族を歓待しようとしている。けれど情報が足りない。特に――女性陣の」
「確かに。女性王族が行事に参加する場合は大抵相手の女性がいる場合です。この国では難しかったでしょうね」
「そう。だから、どう饗せばいいのか知恵を貸してくれない? 例えば……食の好みとか、悩みとか、好きなものとか」
「わかりました」
私は頷く。
「私は中央国で侍女をしながら、王宮で手紙の配達などを行っていたので私的なご趣味やご関心については詳しいと思います。あとは、王族の方の薬の処方も覚えています。私がそういう事務処理をしていたので」
「薬の処方まで覚えているの?」
「はい。万が一のために典薬寮の方と……食事は玄蕃寮でしょうか……ご担当の方にお伝えしておけば安全かと――」
---
そこから私達はいくつか打ち合わせをしたあと、再び女体化した陛下を鶺鴒宮出入り口の太鼓橋まで送って別れた。
遠く離れていく陛下の後ろ姿を見送りながら、私は包まれた手の熱と陛下の笑顔を思い出す。
「……私は、一体陛下に何をやったのかしら」
考えてもやはり思い出せない。
陛下のような魔力保持者が本気で記憶を消したのならば、脳を活性化させて記憶を復元することも難しいだろう。
その内容や事実よりも――陛下がその思い出を、大切にしてくださっている事実が重要だ。
手がまだふわふわと温かいような気がして、頭がぼんやりして、熱でも上がったかのような気分で作業部屋へと戻る。
部屋には錫色だけがいて、梱包した化粧品の数を数えてくれていた。
「あっ斎様! おかえりなさい!!」
「ありがとうございます錫色。後は私がやるので休憩に行ってください」
「でも……」
「食堂で侍女達が、錫色のぶんも餅を焼いていましたよ」
「ッ!!!!」
「錫色が好きなつぶあん、先になくなっちゃうかも」
「はう……ッ!!! ありがとうございます……お言葉にあまえて錫色失礼いたしします!」
深々と頭を下げて去っていく錫色を見送り、私は目の前の商品に目を向ける。整然と並べられたそれらは飾り紐ひとつ歪まず、見事な梱包ができていた。
「これを納品先ごとに分けるのは……誰もいないから、魔力でやっちゃいましょう」
私は両手を机の端に押し当て、机板から各商品へ魔力を伝搬させる。全体が淡く輝いたところで、私は目を閉じて納品先一覧を頭に思い浮かべ――商品を動かした。
そのとき。
パンッッ!!!!!
破裂音が響き、気がつけば私はひっくり返っていた。商品も机も微動だにしていないが、私は体中がびりびりとしびれて動けない。
(こ、これは…………)
私は呆然とする。魔力制御の基礎の基礎の失敗だった。
魔力を開放しすぎて机・商品の許容以上の魔力を放出してしまい、魔力が跳ね返ってきた状態だ。それは例えるならばサイズの合わない扉に全力疾走でぶつかり、肩すら通らず激突、跳ね返されるのに似ている。
舌から小指まで、体の隅から隅までしびれが取れずに動けない。
その状態そのものより、自分がこんな初歩の失敗をしたことが衝撃だった。
(陛下の手のひらの熱で……感覚が鈍ってしまっていたのかしら……いや……それにしてもこれは……)
私は暫く床に横たわり、失敗の恥ずかしさと絶望と肉体のしびれをやり過ごすことに専念した。
お読みいただきありがとうございました。m(_ _)m
もしよかったら★評価、ブクマ宜しくおねがいします!更新の糧です。