64.陛下の真意
――夏だ。
前世のように、この世界でも月は同じように回っている。
「もしかして地球の形とかも同じだったりするのかしら」
私はそんなことを思いながら売上を眺めていた。
鶺鴒宮で作成した化粧品は予想以上に評判を呼び、東方国内の女性の間で広まってくれていた。お陰でこちらから営業をかけずとも、妻に背中を押されるように商人たちが鶺鴒宮に訪れ、国外販売の契約を申し出てきてくれた。
色々と調整は必要だが、一ヶ月後からは私の化粧品も行商の品揃えに加わることになりそうだ。
「試供品を配ったのが夏直前だったのがよかったんですよ! 斎様!」
石鹸を梱包しながら錫色が元気に言う。
「東方国の娘にとって、夏は恋の季節なんです! だから綺麗にしたいんです!」
「それは……冬になると寒くて恋どころじゃないからですか?」
「独身の行商人の若者たちが、夏季慰霊祭で一斉に国に帰ってくるんですよ! なので、祭は盛大に行うのです! この機会に婚約する夫婦は多いです!」
「そういえば今月に入ってから、独身の娘さんがたはみんな髪に花飾りをつけていますね」
私は女官たちを見回す。鶺鴒宮は徐々に人が増えていた。
新しい顔ぶれは錫色と同世代か少し上の若い娘たちだ。
彼女たちは髪色や瞳の色に合わせた、綺麗な花飾りを髪に挿している。素材は様々で、水引を使ったものから紙細工で作られたもの、簪に絵が描いてあるものなどが多い。
揃いの制服にそれぞれ違う花を挿しているのが、調和と個性の配分が綺麗だ。
私の視線に気づいた錫色以外の女官たちが、自分の髪飾りに触れながら話しかけてくる。
「祭の時期に、独身の娘は髪に花飾りをつけるんです。斎様はつけないんですか?」
「うーん……」
「つけましょうよ! どんなお花がお好きですか?」
「斎様は黒髪だから、鮮やかな花がいいですよね。朝顔とか!」
「朝顔は少し幼すぎない? 私、斎様は含羞草なんて似合うと思う」
「えー、もっと鮮やかなのがいいですよ」
まるで女子校のような和気あいあいとした空気に和みながら、私は髪の毛を弄る。
東方国で暮らすようになってから、私は顔周りを前髪を切りそろえる以外は髪を伸ばしていた。短いほうが楽でいいのだけれど、侍女も女官こぞって伸ばすように指導してくる。
「斎さまのお母様は、おいくつでご結婚されたんですか!?」
「ええと……十六ですね」
「斎さまは?!」
「……十六です」
錫色がきゃーと叫ぶ。
「じゃあ斎様がもうすぐ結婚しちゃうんですね!」
「え、いや……その……」
「おめでとうございます!! ……でも錫色、ちょっとさみしいかもしれません!」
「あの、まだ、相手が……」
「髪の毛早く伸ばさないと! 間に合いませんよ! 結婚に!!!」
「ああ……話を聞いてください……」
私の故郷――中央国では断髪は婚約の決まった女の髪型だった。
生まれた時から長く伸ばした髪をリースにして、婚約者に贈る風習があるのだ。私も風習に違えず、長く伸ばしていた髪を元婚約者に贈っていた。
(……嫌なことを思い出したわね)
衣食住全てで中央国の名残を捨て去った私だったが、髪の毛だけが唯一、元婚約者の名残のようになっていた。もう思い出したくないので、確かに伸ばしたほうがいい。
私は席を立ち、壁に設えられている鏡を覗いて毛先をつまんでみた。真っ直ぐな黒髪はもうすぐ肩につく長さで、上のほうは既に侍女によって丁寧に編み込んで整えてもらっていた。
花を挿すとすれば、編み込みの部分だろうか。
「花……」
「あらあら、斎様はお婿さがしをなさるんですか?」
「ひゃっ!?」
後ろから柔らかな声で話しかけられ、私は思わず声が出る。
振り返れば朝露に濡れた白百合の擬人化のような美女が小首をかしげている。陛下だ。
「……ッ、……春色様、こんにちは……」
心臓をばくばくさせながら私は挨拶した。『鶺鴒宮』に勤める侍女や女官が増やされてから、陛下はしばしば女性の姿で顔を見せるようになった。
鶺鴒宮ではなるべく質素倹約に務め、女官・侍女の服装も動きやすい袴姿の制服なので、鶺鴒宮は華やかな後宮というよりも女学校のような雰囲気だ。
しかし女体に変化した陛下が一歩足を踏み入れるだけで、つま先から花嵐が舞い散るようにぱっといきなり華やいだ空気に変わる。
象牙色の髪を丁寧に編み込んで紅をひいた姿は、かぐや姫のような黒髪の雪鳴様とまるで対象的だ。
二人を併せて春の妹神と冬の兄神と噂する声もあるのだとか、ないのだとか。
彼女がひと目につくようになった結果、兄という設定にされている雪鳴様が
「……官吏どもが……紹介しろとうるさくてかなわぬ……」
と、顰め面になっていたのを思い出した。
陛下は薄絹もなしに綺麗な顔を衆目に晒している。
男性の姿のときよりも顔の位置が近いので、間近にいるとどうしても美しさに緊張してしまう。
私は陛下をなるべく直視しないように視線を落としながら言葉を返した。
「えっと……そういう意味が、あるとは知りませんでした」
「髪の花飾りには、お婿さん募集中ですって意味がこめられているのですよ」
陛下は平然と『春色』の顔で微笑む。
常識的に考えれば確かに、独身の娘だけが花を挿すということはそういうことだ。
「斎様うっかりつけちゃってたら、色んな殿方に言い寄られちゃって大変かも」
「……そうなんですね……ああでも、『鶺鴒の巫女』としては……そのほうがいいのでしょうか……」
「だめ」
「!? ……ッ、だめ、ですか?」
「そんなに欲しいのなら、私が選んであげる。だからそれまで、何もおつけにならないでくださいね? いい? だめですからね?」
「……は、はい……」
笑顔ながら、陛下は凄みのある笑顔で私に詰め寄った。
私が気圧されるままにこくこくと頷くと、聞き分けの良さに納得したようににこりと笑う。
「ところで、斎様。これから少々お時間いただけますか?」
「はい。今日は、鶺鴒宮で化粧品を作る作業をする予定しか入っておりませんので」
「先程兄から、陛下からの言付けを言い使っておりますの。どこか、二人っきりになれる部屋に参りましょう」
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陛下は立場上、臣下とは当然玉座で謁見する。しかし毎回『鶺鴒の巫女』を召喚すればひと目に目立って不都合だということで、非公式な相談のときはは女性の姿で鶺鴒宮に訪れるようになっていた。
「この姿になると、斎が急に大きく見えるんだよね。変な感じ。……普段、あんなにちいさいのにね」
最もひと目につかない部屋へと案内すると、陛下は玉簾をくぐりながら話しかけてきた。
「陛下は……女性の姿でも、背が高いですね」
「遺伝かな? 僕の父は、僕より大きかったらしいから」
「陛下より大きいとなると、壁みたいですね」
「壁って」
陛下は上機嫌そうにくすくすと笑った。
ちなみに本来の男性の姿のとき、陛下は見上げるほど背が高い。前世の基準を思い出すならば自動販売機くらいはありそうだ。
それに対して私の体は女性としても小さいため、お互い立って目を合わせて会話しようとすると無理がある――立場上、そういう状態で言葉を交わすことはほとんどないが。
こうして女性になった陛下も高身長ではあるけれど、女性として大きい程度でちょうど中背の男性くらいだ。
私がお茶を淹れている間に、陛下は衝立の向こうで男性の姿へと戻っていた。
そちらに背を向けていても、ふわ、と翼が広がるときの独特の良い香りが漂うので、すぐにわかる。
「いい香りだね。どこの茶葉?」
「乙女産の煎茶です。陛下がお口にされるものとしては格が低いもので、申し訳ないのですが」
尋ねる声は、聞き慣れた柔らかな男性の低音だ。
「いつも同じものでは飽きちゃうし。斎が淹れてくれるものがいい」
衝立から出てきた陛下は椅子に座る。
衣は特に着替えておらず、帯の位置を変え、たくし上げていた裾を戻して着こなしを変えただけだ。ゆったりとした服装はこういうとき便利だなと感じる。
陛下は少し喉を潤すと、さて、と机で指を組み切り出した。
「今年の夏季慰霊祭には、中央国の王族を招待する」
「……ッ!」
息を呑む私に陛下は頷いてみせる。
「半年前くらい前から準備を進めていたんだけど、ようやく確定したから伝えようと思って。中央国の王族を正式に祭に招待するのは、先先帝時代以来だから。事前の準備に時間がかかっていたんだ」
半年前といえば私がまだ聖騎士の牢屋に投獄されていた頃だ。
春の空ひとつ見えない、あの暗く寒い独房。寒気がして私は思わず体を抱く。
陛下の眼差しが同情するように細くなる。彼は話を続けた。
「中央国から来賓を迎えるのには理由がある……庶民にとっては楽しいお祭で済んでいるのだけど、宮廷の中ではちょっと賛否両論の行事なんだよね、これ」
「賛否両論、とは……」
「先帝時代に祭りの規模を大きくしたせいで、宮廷の予算を逼迫している。今後は縮小するべきだという声も強い。でも、僕は規模を大きくして十年以上を経たところで規模を縮小しては、祭に関わる民の生活を切り捨てることに繋がるから……できれば避けたい」
「公共事業でもあるということですね」
陛下は頷く。
「東方国は雪に閉ざされる季節が長く、耕作地も西方国・中央国に比べれば狭い。だからこそ売薬業が栄え、技術それが貿易利益にも繋がっている……そうやって栄えてきた国で、せっかく祭を通じて成長した産業を縮小させたくない。そこを育てるのは、長期的に東方国を助けると僕は考えている」
「祭の規模を小さくせず、批判の声を抑えるために……祭を外交に利用するのですね」
「そう。先帝派、現帝派、保守派、革新派……庶民、諸侯、地方、首都――あちこちで内輪での勢力争いにばかり目が向いている状況を、僕は少しでも変えていきたい。そのために、全員にとって同じ「外」に目を向けさせたい。……先先帝時代に国内がまとまらなかった結果、不利な条件で中央国に支援をするはめになったのを忘れてはならないんだ。これまでのような鎖国的外交のままのほうが危険だから」
その時。脳裏に、かつて画像で見た光景がフラッシュバックする。
雨に打たれる広場で、『身代わり』の姿で斃れる陛下の最期――
「私も賛成です、陛下。……おそらく東方国の方々が想像している以上に、中央国の人々はこの国を知りませんので……」
次に思い出すのは、元婚約者の吐き捨てた言葉だ――翼を持つ『鳥獣』が支配する東方国。
今は平和でも、中央国の男が吐き捨てた、この認識のようなものが、関係悪化したときどのような未来に繋がるのか。考えるだけでもぞっとする。
「今、中央国は南方国と衝突が続いております。それに国王夫妻の不妊問題から端を発する王位継承争い――今すぐ決壊するというほどではないですが、中央国はあまり明るい空気とは言えません」
だからこそ『聖女』リリーを召喚し、国難を救おうとしている。
現時点では朗報を聞かないけれど……
「東方国が中央国の王族を招き、友好を示して……。また、開かれた外交でこちらの国力をある程度誇示し、牽制をする……ということなんですね」
「牽制というほどは考えていないけれどね。でもうちが文化に注力している姿を示すことで、南方国との衝突に疲弊した王族の心は慰撫されればと願っている」
陛下はにこりと微笑む。
空になった碗に茶を注ぐと、陛下は温かい湯気に目を細めて嚥下する。
「聖騎士団内部が乱れているうちに、親東方国派を強固なものにしないとね」
「……ッ」
言葉にする陛下の唇は薄く弧を描いて微笑んでいた。
私はぞくりとする。……陛下の冷えた灰青色の眼差しが、氷の色に似ていることに気づいた。
「……陛下」
「ん?」
「……陛下は、もしかしてあえて……」
どうして、陛下は私を助けたのだろう。
私はずっと、陛下からもたらされる手厚い待遇を不相応だと感じていた。
理由のわからない善意はありがたくとも、その重みに不安になる。
ずっと知りたかった陛下の行動理由が今、雪のように溶けていく。
「あえて、聖騎士団の面子を完全に潰すようにして、私を助けてくださったのですか?」
「斎を助けたかったのは本心で、事実だよ」
外でかちかちと、鵲が鳴く声が聞こえる。
「斎は祭に出席してほしい。鶺鴒宮の巫女として」
柔らかいながら、有無を言わせぬ声音だった。
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