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63.追悼と敬愛の絹のリボン

 その後、朝廷ではまことしやかな噂が流れた。

 陛下が何らかの方法を使い、禊祓の儀式に『鶺鴒の巫女』を随伴させているという話だ。


 ――先例を紐解けば、皇帝の禊祓に伴うのは妃だけ。


「……やはり、陛下は鶺鴒の巫女様を妃に選ぶのではないか」

「それならば、早いうちから巫女様に取り入るのが良策ではないか? 再開が絶望的な後宮に向けた準備などしている場合ではないぞ」

「……鶺鴒の巫女が求めるものはなんだ?」

「女官。そして薬に精通した、学のある女らしい」

「なるほど。家から鶺鴒宮に女官を輩出する準備をせねば」

「鶺鴒の巫女殿は後ろ盾のない身。つまり鶺鴒宮で出世した娘が、そのまま鶺鴒の巫女殿の後ろ盾となれるやもしれぬ」


 夜。

 魔力で夜目を強化された鵲が音もなく空を翔け、そっと図書寮の灯りの消えた窓へと吸い込まれていく。

 月明かりのなか魔力で瞳を輝かせていた来夜は、腕に鵲を止まらせて柔らかく笑む。人間相手には見せることのない穏やかな表情だ。

 来夜の耳となってあちこちを飛び回った鵲は、主の少年の腕に抱かれるなりくったりと疲れた様子を見せる。


「ありがと。……ほら、これはお駄賃だよ。たっぷりお休み」


 来夜は鵲に餌を与え、部屋の鳥籠に収めてやる。月明かりの差し込む窓辺に佇み、事の首尾を反芻した。


 ――禊祓は無事に完了した。そしてその後、予定通りの噂が立った。


 本当は男装の代理が必要だったなんて嘘だ。

 春果皇帝陛下の命で、こっそりと鶺鴒の巫女を城外に連れ出す方法を考え、実行したまでだ。


 高熱を出した官僚の代理が必要だったのは真実だが、このような場合、血縁以外の代理を立てるのは暗黙の了解として許可されている。


 ただしあくまで慣例上の黙認なので、見慣れない代理がいても、皆そっと見なかった振りをする。

 そして代理の白羽の矢が立つのは大抵少年、それも宮廷で働く学生従者だ。

 学生従者の顔を全て覚えている官僚などほぼいない。


 よくある学生代理がまさか、男装した『鶺鴒の巫女』とは誰も思わない。

 そのような存在が官僚と同じ場所に堂々と忍び込むという発想自体が、まず沸かないのだ。


「外堀から埋めていく、ね……」


 月明かりの部屋、来夜は長く伸ばした毛先を弄る。


「真面目な鶺鴒娘ならば、鶺鴒宮に将来性のある女達がたくさん送り込まれてきたら、世話をせずはいられない。万が一将来、中央国が彼女を取り返そうとしても、国の仕組みとして取り込んでしまえば、いくら母国としても奪うことはできない。国民感情としても、彼女を支持するだろう」


 鶺鴒宮は儀礼的なお飾りだ。


「女官が増え、彼女たちが家名を背負って必死に鶺鴒宮を守り立ててたとしても、あくまで『鶺鴒宮の女官』は権勢から離れた場所だ。

 娘を利用した政権争いを起こしたい諸侯どもの火種は鶺鴒宮で収まり、やがて鎮静するだろう。

 そして――鶺鴒の巫女は政治に興味がない。

 今後も口出しせず、大人しくお飾りとして振る舞っていくはずだ。

 政治的に無害な存在は、多少何があろうとも官僚らからは無関心で済まされる……彼女は東方国に存在することだけが、彼らに取っての政治的価値なのだから」


 そしておそらく、先帝の失敗を踏まえ――春果陛下は無難な家柄から妃を娶るだろう。

 その中でも鶺鴒の巫女は無難も無難、一番無難の無難だ。

 後ろ盾もなければ権力欲もない、けれど東方国じゅうが納得する古き血を持つ女――鶺鴒の巫女を妃に据えるのが一番穏便だろう。


 諸侯の娘を押し付けられた彼女は、懸命に女官たちを育成する。

 女官が育てば東方国の弱点である非政治的外交行事に使える女たちが育つ。


 女官らが権勢を握る畏れには現時点では東方国の諸侯は誰もたどり着かないだろう。

 外交に使えるということすらあまり重要視していないだろう。


 だがサイの能力も、有能な女官の持つ政治力も、今の彼らは知らなくていい。

 ただお飾りの可愛らしい外交用のお人形。祭事に花を添える女官たち。

 その程度の認識で侮らせるように――陛下は意図的に誘導している。


 サイが危険視され、批判のやり玉に上がらないように。


 来夜は髪を縛る絹帯リボンを解く。

 白練りの絹は白糸で翼の刺繍がされている。もう何十年と使っているから、色も汚れてぼろぼろだ。


「……陛下」


 来夜が見た目通りの年齢だった頃、春楡陛下は来夜の実父と同じ三十三歳だった。


---


 地元に彼が行幸した折、来夜は彼の希望を受け、北方国時代の文化や治世を伝える史跡をめぐり、迎賓館にて特産の菓子を用意した。その用意した菓子が職人のものではなく北方国時代から続く庶民の老婆が作った郷土菓子と知り、当時の両翼官は非礼だと怒りを顕にした。

 しかし陛下は大きな翼と肩を揺らして笑い、面紗ヴェールを耳にかけて顔を晒し、長く骨ばった指で餅を摘んで口にした。


「はは。そなたは予が欲していた物をよく気づいておる」


 春楡ハルニレ陛下は背が高く壮健で、伝統の顔覆すらつけない変わり者の、背の高い男だった。


「教えてくれ、旧北方国の土地の庶民はどのようなものを食し、何を誇りとして、何に窮しておるのか。東方国の詩も法も諳んじるその頭に詰め込んだ、この土地の全てを予に忌憚なく申せ」


 大きな翼に権力を象徴する真っ白な衣、指先まで色白の皇帝は、灰桜色の巻毛も灰青色の瞳も、どれも透き通っていてひと目で『皇帝かみさま』と分かる姿をしていた。


 地方官の子息として諸侯身分の者とは接してきたけれど、ここまで非現実的な存在を来夜は見たことがなかった。


「我が国の施政者は長きに渡り、民の齎す売薬の利益に甘んじて国内のことばかりを見ていた。私は、我が国を豊かにしてくれている、民や地方の者達……そして国外をもっと見なければならないと確信している。……君の故郷の人々に、二度目の辛酸を舐めさせるわけにはいかない。それが、併合した東方国の責任だ」


 強い眼差しが美しいと来夜は思った。

 この人の理想のために働きたいと。

 その後陛下の血族の養子となり中央で邁進した来夜にとって、春楡陛下は主であり、師であり、義父であり、年の離れた戦友のような存在ですらあった。


 彼の強い眼差しは前途洋々だった時代も、施政を失敗し愚帝として病んでいった時代も、息子に翼が生じ死に近づいた晩年まで、ずっと変わらなかった。

 来夜は恩人に生涯仕えることすらできず、志半ばで追放され――


---



「春楡様。あなたのご子息はあなたがしたかったことを、別のやり方で実行しようとしています。それどころか――後ろ盾のない、弱い、異邦人に……今度こそきちんと、宮廷内で居場所を与えるつもりだなんていうところまで、そっくりそのまま愚かです」


 皮肉に思わず笑いがこみ上げてくる。


「僕の教育が間違っていたのでしょうか。……どう思いますか、陛下」


 鶺鴒の巫女は、自分よりもっと上手くやるだろうか。

 来夜は手櫛で髪を纏め、再びきつく絹帯リボンで結ぶ。唯一下賜されたこの絹帯リボンだけが、この宮廷と来夜を繋いでいる。


「あなたがやりかけた仕事を、最後まで面倒見るために僕は励みますよ。もう少しだけ」


 嫌われ者の陛下と、愛された陛下。


 その二人がやろうとしていることは政策も行動もよく似ている。その時代と実践方法が違うだけで。

 来夜は自分のやり方が悪かったから、陛下を失墜させてしまったと思っている。

 彼の崇高な目標を違う形でも実現させるのは、来夜にとっての人生をかけた贖罪だった。


お読みいただきありがとうございました。m(_ _)m


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