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61/118

61.夜伽。――霊廟のなかで、陛下は待つ。

 警備の武官が両脇を固める門を通り抜け、私は雪鳴様に連れられ廟へと向かう。

 廟は赤い灯籠で鮮やかに灯され、水神が描かれた壁画が艶めいていた。


 階段からは一人で登り、御簾の奥へと入る。

 寝室で私を待っていた陛下は寝台の上でしどけなく翼を広げ、くつろいだ様子だった。


「おつかれさま」


 間接照明の仄暗い空間で微笑む陛下は、昼間の神々しさとは別の妖しい蠱惑的な魅力に満ちていた。

 膝を折って礼をする私をいつものように傍に座らせる。


 香の焚き染められた空間は正方形で、天井を見上げるとびっしりと絵が描かれている。

 随分と古い絵だ。部屋自体も、北宮の寝室よりもずっと狭くて――そのためだろうか、いつも以上に強く陛下の甘い香りが薫るように感じた。


 衣擦れの音を立て、陛下は私に近づく。


「ここに着くまで、東方国の景色を少しは楽しめた?」

「はい。馬で駆けていたので、あまり余裕はありませんでしたが……平和で、とても穏やかな光景でした。稲も元気に伸びていて、人々も安心して仕事をしていて。きっと皆さん、陛下の禊祓をご覧になって喜んでいたでしょうね」

「だといいね。皇帝の仕事というのは、皆に希望を与えることだから」

 

 嬉しそうに話す陛下の声は、音漏れを気にするようなささやき声だ。

 なんだか声が、くすぐったい。

 変にどきどきしてしまうのは、久しぶりに二人きりになるからだろうか。


 陛下は相変わらず美しく、翼も艷やかだった。

 今日昼間は白練りの衣に青く染め上げた帯を締めた夏らしい色合いだったが、今はゆるやかな夜着姿だ。翼が寝台の上にふわっと広がっていて、まるで覆布ベッドカバーのように見える。


 薄暗い部屋、いつもよりも狭い部屋。

 声を抑えた陛下の声、すぐ傍で微笑む柔らかな眼差し。


 まるで陛下に閉じ込められてるみたいな気持ちになる。


「……陛下」

「ん、なに?」

「このように、こうしてどなたかを部屋に招き入れて、お話されることってあるんですか?」

「用事があればね。……まあ、その時はもう少しちゃんとするけど。これくらい気楽にするのはそうだね、雪鳴くらいなものかな」

「……よかったです」


 安堵と一緒に、ぽろりと思いが口に出てしまった。

 陛下は物珍しいものを聞いたように、目を丸くしてこちらにずい、と寄ってくる。


「よかったって? ……どういう意味?」

「……恐れ多い陛下とこのような距離で接していては、誤った事を考える者もいるかと思いまして……」

「誤ったことって? 斎は、何か考えたの?」

「わ、私は……」


 なぜこんなに食いつかれるのだろうか。私は困惑しつつ後退りして距離を取る。


「ええと……陛下が魅力的でいらっしゃるので、……その、勘違いして……しまうような……」

「勘違いって、何?」

「……ええと…………その……」


 ついに壁に追い詰められ、私は視線をさまよわせた。どう答えればよいのだろうか。


「陛下に恋をしてしまう人が出てしまいます」――ボツ。陛下に色恋なんて畏れ多い。

「陛下に無体を働く人が出るかもしれません」――これも、ボツ。陛下の臣下を悪く言うようなものだし、陛下が臣下に危害を加えられるような方だと言うのも、不敬極まりない。


(……あ、)


 私の中で1つの口に出せる返答が湧き上がった。


「……恐れながら申し上げます」


 壁際に近づいてきた陛下に頭を下げ、私は口を開いた。


「どのような誤解が起きるか……それこそ、一つに絞ることはできません。誰が、どんな誤解をするかも。

 万が一臣下との関係を問題視され、いらぬ悪評が立ってしまえば、どんな内容だとしても陛下の足元を脅かします。

 陛下は東方国を背負うお方です。

 ……なので、私は……このように近い距離で、二人きりになる相手が……慎重に選別されていると知り、安心いたしました……そういう事を、考えました」


「……顔を上げて」


 命じられて向き直ると、陛下は先程までのからかいとは違う、ひどく平らかな表情をしていた。

 幾重にも重なる感情や思考を濾過したような、静かな目の色だった。


 先程の答えで問題なかったか。

 私は緊張しながら、陛下の次の言葉を待つ。


「来夜と斎を会わせてよかった」


 陛下はふっと解けるように微笑む。やはり、陛下は意図して私達を会わせていたのだ。


先帝ちちの話を聞いたかい」

「……はい」

「来夜は父の良い右腕だったんだ。そして僕にとっては、忌憚なく僕に助言してくれる大切な先生だ。……斎を助けたときも、中央国の実情や効果的な揺さぶり方について多くの助言をもらった」

「……!!」


 私は思わず目を見開く。あの人は私の恩人でもあったのだ。

 こちらの表情に陛下は微笑み、話を続けた。


先帝ちちは来夜をとても信頼していた。元北方国領へ地方行幸した際、地方官の子息として案内役をしたのが来夜だったそうだ。

 確かその時は13歳だったかな。そこで父に才能を見いだされ、先帝の母――つまり僕の祖母の家の養子となり大学で学び、主席で卒業した」


 今の来夜様の姿、ちょうどその年に運命が変わったということのようだ。


「……やはり、北方国の血を引いてらっしゃるんですね」

「うん。燃える夕日みたいな髪は、元北方国領の地域に多い」


 陛下は頷いて話を続ける。


「生まれながらの魔力の才能と、中央の官僚にはない機転と発想を次々と出す来夜を、父は義兄弟のように寵愛し、政権への莫大な影響力を与えたそうだ。

 ……父の治世を愚策と言う人の中には、多かれ少なかれ、北方国の血が政治に関わった事に関する怨嗟も含まれているのは事実だ」


「……来夜様……」


「けれど……僕の代から地方禊祓行幸を年間行事に含めたり、街道の整備を進めたりしたけれど、最初にそれらの改革の必要性を訴えたのは僕ではなく先帝ちちだ」


「そうだったんですね」


「うん。だから僕は正直、まだまだ皇帝としては引き継ぎをこなしているだけだと思っている」


 陛下は肩をすくめて笑う。


「まだまだ、父と来夜の足元にも及ばない」

「そんな……」


 卑下をしていても、陛下の年齢でこれだけの支持を受けて国を治めているのはすごいことだと思う。

 ただ――先帝ちちに敬意を示す陛下の眼差しは柔らかかった。


 その言い方はどこか、謙遜というよりも父親への敬意が滲んでいるような気がした。


「民と中央政治の分断、地方と首都の分断を緩和するため、先帝は来夜を含め出自にとらわれない才能を集め、自らは皇帝の権力で彼らを活躍させ、国全体の水準を底上げしようとした……」


 その続きは、陛下が言わずとも結果は明らかだった。


「陛下。少し質問があるのですが……」

「なに?」

「どうやって、陛下は来夜様を図書寮の官吏として宮廷に復帰させることができたのですか? 

 実質的な権限がない名誉職とはいえ……反発は多かったはずです」

「復帰はさせていないよ。……彼は、宮廷にいないことになっている」


 陛下は薄く笑う。


「彼は奇才だ。彼にしかできないことは山程ある。本来は、それなりの地位を与えたかったけれどね。……彼は遠慮して、図書寮の奥に閉じこもった。だから彼があそこにいるのを知るのは、僕と双翼官のみだ」


「そう、なのですね……」


「彼を宮廷の閑職に復帰させようとする官僚もいた。けれど彼は固辞したし、僕はそれを尊重した」


お読みいただきありがとうございました。m(_ _)m

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