60.水神と戯れる
――儀式の直前になんとか到着することができた。
陛下が禊祓を行う川、その川幅は広く流れも急で、川岸に建てられた廟も柱が高く作られ、成人男性一人分以上の高さまで床高く作られている。
中央に設えられた階段の先、いわゆる観音開きの扉は開かれ、その中に薄く透けた簾がかかっている。陛下の姿がうっすらと見える。
私は帽子と顔を半分隠す薄絹を固く整え、廟の前に整然と並んだ人々の隅に列する。
ここまでの慌ただしさと打って変わって、儀式自体はとても楽だった。
私のやることは、ただ列席して時がすぎるのを待ち、最後に陛下に挨拶をするだけ。
最初はばれないか生きた心地がしなかったが、他の参加者は全く私のことを気にかけておらず、ただただお経のように陛下への祝詞を捧げ続けていた。
(これなら、ばれないで終わりそう)
列が動き始めたので、段取り通りに私は廟内の玉座に座る陛下へと膝を折って挨拶する。
顔をちらりとあげたとき、陛下が薄絹の隙間から目を細めて笑うのが見えた。
唇が小さく「なにしてるの」と動く。
(……気づいてる)
私は再び頭を下げ、その場を後にした。
列に倣って廟を出たところで、儀式を見守っていた雪鳴様と目が合う。
大丈夫だ、と言わんばかりに頷かれ、私は内心ほっとする。
――ただ参列して、陛下に挨拶をするだけ。
たったそれだけの儀式でも、代役が立てられないだけで混乱が生じるのだ。
簡単な儀式だったからこそ、余計にぞっとしてしまう。
私は顔を隠すようにしながら席に戻り、無事に全てが終わることを願った。
いくつかの祝詞や儀式が終わり、陛下が廟から姿を現す。
ばさばさと川風が吹きすさび、陛下の大きな翼と白練りの衣、そして冠から降ろした薄絹をまくる。顔を見ないように一斉に目を閉じるので、私も慌てて同じようにする。
風に乗り、陛下の歌声が聞こえてくる。
古い東方国の言葉で、以前は聞き取れなかったものだ。
今は意味がはっきりと分かる。
はるか遠い海の向こうから訪れた天鷲の末裔が、土地を守る現地の神様にご機嫌をうかがい、人間の繁栄の許可を請い、これからも共に土地を治めていきましょうと挨拶をする歌だ。
土地を征服、支配するというよりも、人間を守る神様の代表としてお願いをするという優しい歌だった。
(そうか、各地の書類に目を通したから――自然と頭が理解できる語彙が増えているのね……)
陛下が権杖の飾りを鳴らし、歌う。
川の女神の美しさを賛美し、木々のざわめきに歌声を重ね、夏の訪れを祝い、翼に吹き付ける風の心地よさに喜びを告げる。
(のびのびとして綺麗。……風にも負けない声量。全く声がぶれない――)
ついに好奇心に負け、私は薄く目を開いた。
真っ先に飛び込むのは白練りの衣、そして大きく広げた翼。
水面の輝きが反射して、まるで陛下そのものが輝いているようだ。
広い空を抱くように手を伸ばし、象牙色の髪を靡かせ、陛下は歌っている。
そのとき。川の水が突如、龍の形になり空に舞い上がる。
「――!!!!」
周りの参加者は誰も見ていないようだ。
薄目を開いた私の前で、水の龍は空を舞い、陛下にじゃれつくようにくるくると体をくねらせる。
その動きに合わせてきらきらと水しぶきが飛んで陛下を濡らす。
水を浴びながらも、陛下は楽しそうに微笑んで龍の顎下を撫でてやる。
まるで愛玩動物のようだ。
陛下に龍は喜びを体で表現し空を舞って去っていく。
ばしゃ、とひときわ大きく水が弾ける。
陛下はそのまま権杖をかざし、魔力のきらめきを川へと飛ばす。
まるで宝石を振りまくような光景に、私は目を奪われた。
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夜には昨晩見た雷の祭が行われ、大地に爆音が届くのを間近で体感した。
こちらの祭に関しては『目を焼くから』とのことで、陛下と警備の武官以外は、廟近くの施設に宿泊した。
私は男装がばれてはいけないので、誰とも合わず個室でじっと夜がすぎるのを待つことにした。
「兄の快癒をお祈りするので、一人にしてください」
と言えば皆快く了承してくれた――というより、身内に熱病患者を持つ少年と接したくないのだろう。
部屋でひとり、男装を緩めることなく寝台にぐったりとしていると、扉を叩かれる。
雪鳴様だ。
「陛下がお呼びだ。……私と一緒に、廟まで来てくれ」
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